2009年11月18日 (水)

遊遊さかな辞典

 

すべての釣り人にお勧めする本が出た。ワタクシが特筆するのだから間違いないよ。さかなちゃんブログの釣りの固定客はだまされたと思って読んでみたらよろしい。書いたのは小西英人さん。この人は敬称略でもよいレベルかも知れないが、一応、英人さんとする。知っている人も多いと思う。関西で「週刊釣りサンデー」をやっていた御仁です。関東ではどちらかというとあまり知られていない。表紙カバー裏の著者紹介から引用すると。

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「1954年、徳島県生まれ。(週刊釣りサンデー)元代表。1985年、釣り人向けの初めての本格的な魚類図鑑(さかな大図鑑)の編集を契機に魚類学への傾倒を深める。2007年、(釣り人のための遊遊さかな大図鑑)の編著者を務める。現在はフリーの釣魚エッセイストとして活動中」とある。

そうか、釣魚エッセイストというカテゴリーがあったのか。末広恭雄、檜山義夫、沖山宗雄の流れだな。そうか、そういえば、もっといらっしゃるな。なるほど。魚のうんちくを書いていた学者、研究者だが、釣魚エッセイスト専門家ではない。釣魚エッセイスト類似だった。川那部浩哉だって、一般向けの魚の本がいくつかある。つまり余業だ。

Img_4391 ここで、ちょっと引用しよう。光るところがたくさんあるのだが、、、、そのひとつ。

冒頭に、「さかなたちは饒舌である。(中略)魚たちの姿を記録し、その魚たちの声を聞こうとしたのだった。釣り人には思いのほか魚を見ない人もいる。とくに名人とかプロとか呼ばれる人は駄目である。魚は道具にしか過ぎないようなのだ。」そうだ、そうだ。これだけで信用できるではないか。

えーと、「遊遊さなか辞典」、小西英人著、発行(株)エンターブレイン、発売(株)角川グループパブリッシング、2009年12月2日初版。定価本体1700円+税。六十六の釣魚物語とさかな用語集、とある。

腰巻きには、「遊遊さかな大図鑑の著者がおくる釣魚深掘り読本。図鑑と辞典。あわせて読むと釣りが100倍楽しくなる!!」とある。文庫版で、800ページ。

実は彼が、なにかの縁で当さかなちゃんブログを読んでね、過去ログにある遊遊さかな大図鑑の紹介記事を読んだのかな、あなたは昔NIFTYサーブの釣りフォーラム(FFISH)でやっていた潮風さんですよね、今度出る「遊遊さかな辞典」を送るから住所教えてください、というメイルが来た。うわ、ありゃりゃ、バレたかっ。といっても、当時の人たちがこのブログを見たら随所で、だいたい分かるだろうけど。あたま隠して、、、、だ。でも、ふっつりしてから、とにかく10年ぶり以上の突然だった。

彼は関西の人だから、関東のワタクシとは基本的にネット上でのつきあい。ネットの草創期からだ。読み、書き、やりとりした。あれはマッキントッシュSE30発売の時だから1989年ころからだ。パソコン通信の歴史とほぼ重なる。いやー、、、古いな、20年前からの関わりだ。なつかしい。最盛期にやりとりは沢山あって、よく感応した経験が少なくない。読んでいて要所でピッピと心に来たのだよね。しかし、まあ、心の中は別にして淡交という域を出ない。彼が上京したときなど、お目に掛かったことが多少はあるけど。当時、ネットのオフラインにはそれほど出ないようにしていた。むしろ人のつきあいは淡交というものが良いのだと昔の人はいっていたからね。あなたの書くものは非常によく理解できるよ、心に響くと、、、、。けれど、内心では舌をまいていた。文章はプロだから立派だしね。読ませてくれる。釣りのライターなんてのはピンキリでたくさんいるけど、当時も今も、そういう人たちとはちょっと違うと感じている。どこがって、心が違う。たいしたものだなあと思っていた。そして、その後の20年のたゆまぬ研鑽というのかな、さらに立派に凄くなった。魚類学に首を突っ込んだのもすごいしね。その周辺はよく拝読して、とてもおもしろかった。いつも感心したものだ。

でも、作家の書いた釣りの作品を読むと、そりゃあ、ライターとは違う。もっとも、ヘミングウェイとか井伏鱒二や開高健あたりとは比較するのが間違っているけどね。釣りライターの文章は消耗品以下くらいに思っている。しかしなにがし情報があるだろう。といっても、そういうレベルの情報はいまさら欲しくないと自覚している。ノウハウなどは重要ではないのだ。そして、それほど釣りたいという気持ちがなくなってしまったのだ。微妙なのだ。ワタクシ、この本をたまに少しずつ読んでいれば、釣りに行かなくてもなんともないかも知れない。読み終わったら、また頭から読み直せば良いのだ。このボリューム。

深さ、広さ。1700円はものすごく安いと思う。釣り師でなくてもおすすめ。読書家には良い。

ということで、届いたばかりで、まだほとんど斜めしか読んでいないが、昔ネットにもシリーズで書きためていた部分が多少あるのかな。と、「おわりに」にそれがちゃんと書いてあった。「ぼくは饒舌のようである」とも。毎日、462編、魚への思い入れを書いたとある。

Img_4393 さかな用語集もすごい。ここまで学問的に魚類学に裏打ちされているものは他に見たことがない。しかし、この守備範囲はすごい。これだけで、すでに匹敵する人はいないだろう。魚類学をかじって、ほぼすべての、あらゆる釣りの経験。八面六臂。うんちくもスゴイの一語。それぞれの読み物としての文章のレベル。そう考えると、誰も追随することのできない域に達しているではないかと思い至った。いや、不肖ワタクシ相当読んでいるからね。大げさに言うと、過去も含めて、だ。網羅したことでは松崎明治か、ちょっと違う。垢石でも違う。近いところで奇矯な知識収集でホリオ剣か。まるで違う。森秀人、早川淳之介は普通だったから。いやー、抜いているね。いちいち挙げないけど、名のある人はすべて読んでいるといってもよいほど。

Img_4394 金森直冶の「列伝日本の釣り師」に出ている人で入手できる本は読もうと思ったくらいだからね。よいしょではないよ。あ、あ、あーー、あれー(悲鳴)やや、やめてよ、そんな歯の浮くよいしょは、、、、というかも知れない。ははは。ほんと。許してね、ごめん。ごめん。それから彼が書いているHPも紹介しておこう。釣り曜日だ。と、、、ちょっと書きすぎたかな。そうですよ、潮風さん、もっとさらっと書いてくれなくちゃ困りますよ、まったく。そういえば、今度は紹介を書いてくれなくていいですから送りますといっていた。いやー、とまらなくなっちゃったのよ。すごいんだから仕方がないのだよ。

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2009年11月13日 (金)

プロフィールの写真 訂正

たまに、アクセス解析を見る。このところ毎日150アクセス平均くらいに落ち着いた。人気有名ブログならいざ知らず、守備範囲が狭いだけでなく、しかも相当うるさい(と思う)些細なこだわりの内容だけが特徴の不良で怪しい中年末期人間(いや老人)の当ブログにしては予想外だ。だが、長文冗長でとても読めないという声は近いところからよく聞く。自分でもそう思う。気になるもの関心のあるものだけ読め、スクロールしろと答えている。と、、、、。一時は300から700アクセスなんて日もよくあって驚いた。いいかげんな更新頻度ではあるが、以前は反応が分からないので、自分が好きでこだわっていることだが、かなりの労力を使って書いている。それが虚空に消えているだけだなと思っていたことも。が、アクセス解析やカウンターというものを知って、なんとやはり見ている人は相当あるのだと考え直した。世間は広い。つまり、上には上がそうとういらっしゃるはずだから、笑って見ているだろう。ご笑覧を乞うのひとこと。

プロフィールもよく見られている。昔書いたままでそのまま。書いているのはどんなヤツだろうと思うのはアリだろう。で、プロフィールの写真という過去ログのページもよく見られている。このところだけで10人近い。そうだ、ここはいけない。申し訳ない。訂正していない。写真をリールに置き換えたままだ。理由は70オーバーのクチジロの写真が出てこないので出てきた大きなフエフキで弟のブログフランクフォートのサーモンを持つプロフィール写真に対抗したのだが、これではイシダイ釣り師としてダイナシだろうということ。なんだこれは、フエフキではないか。と、イメージが崩壊する。そんなもの気にしないが、読んだ人の不可解を放置してはいけない。しかし、デトロイトの北のフランクフォートは大きいサーモンがよく釣れるようだ。うらやましい。

しかし、このShakespeareリールの写真も気に入っている。リールの裏のちょっとした訳ありの奥行きね。これを知る好事家にはとくにね。で、半年くらいのスパンで写真をフエフキとリールと交互にいたします。あ、まだ紹介していないが通称オルデンリアリストというのが2台あるのでこの写真も混ぜよう。

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2009年11月 5日 (木)

ラウムビルトその2

ドイツ語でラウムビルトは立体写真のことです。空間ラウムの写真像ビルトです。アメリカのEBAYから2回ほどラウムビルトを落札したことがあります。ドイツのEBAYならRaumbildで検索するとちゃんと出てきます。ドイツの出品はバラ売りカードが多い。だいたい1枚1ユーロ。

http://shop.ebay.de/?_from=R40&_trksid=p3907.m38.l1313&_nkw=Raumbild&_sacat=See-All-Categories

しかし、アメリカのEBAYではRaumbildでは出てきません。CollectiblesStereoviewsで検索すると、やっとその中に発見することができます。

http://collectibles.shop.ebay.com/Stereoviews-/13706/i.html?_npmv=3

3500枚くらいのホームズベイツ式のステレオカードがあって、さらにRaumbildで絞ると出ます。直接の検索ではヒットしないのが不思議。

http://collectibles.shop.ebay.com/i.html?_nkw=raumbild&_sacat=13706&_trksid=m270&_dmpt=Art_Photo_Images&_odkw=&_osacat=13706

09年11月の検索では23件ヒット。アメリカの業者出品はブックが多い。

ブックが欠損したバラのカードがあり。他の検索では、たまにビューアーだけがあり。通常はビューアーとカードがセットになっているブック。

Img_4442 Img_4444 Img_4443 Img_4445 ブックでもカード枚数の多いシリーズは高価だ。ウチにあるブックは、24枚カードという最小クラスのブックです。これで140ドル。現在も同じものが同じ値段で出ていた。えーと、Kostbarkeiten des Barock。バロックの宝石のその2です。表題を訳すと、17世紀、18世紀の世俗建築と室内装飾。教会ではないシリーズで、その1が教会建築となっている。こちらは持っていない。

その他にウチにあるのはブック欠損のカードだけのいくつかのシリーズもの。それと美品の単独ビューアーが付いていた。基本的にブックの形式は写真のようにビューアーが定位置に収まるようになっている。そして、解説ページがある。だから本来はブックの数だけビューアーが増えていくということになる。

Img_4449 ウチのカードのみのシリーズは、バイエルンが33枚。ドイツの田舎というシリーズの1と2、それぞれ30枚。戦災破壊建物のビフォーアフターというシリーズが30枚。これは歴史的建築が廃墟になって、見ると悲しい残念な気持ちになる。同じ位置から破壊後の姿を撮影している。他にRothenburg ob der Tauberという12枚。ベルリン ポツダムという27枚。

全般的に古き良きヨーロッパそのものという香り。有名な中世からの都市と名もないドイツの田舎町。ドイツ山岳地方。民族衣装というのかな、大人がはいている革の半ズボンが似合うようなスイスからオーストリア、ドイツにまたがるヨーロッパ風景。どれも見ているだけでしびれます。

実は、これらのシリーズはすべて、Made and Printed in West-Germanyとなっている。

西ドイツの印刷とある。つまり戦後の製品だ。撮影は多分戦前が多いと思うが英語とドイツ語が裏面に印刷されている。アメリカへの輸出用だ。戦前版にはドイツ語だけで英語は一切無い。バロックの宝石シリーズがそうです。

その1に紹介したHPを見ると、ブックというのはかなりの種類があって、名所旧跡や、風景が多い。ドイツの他にヨーロッパの主要地がある。ウイーンとかプラハなどの東欧や北欧もある。イタリアも多い。このオットーの会社はナチスにすり寄っていたのは確かですが、当時の事情を考えたら仕方がないだろう。立派だなと思うのは、教育分野もあること。両生類の立体骨格というシリーズのブックを見たことがあります。看護婦用の外科手当教育なんてのも見た。そして自らはラウムビルト出版といっていた。立体写真の業者としてアメリカのアンダーウッドやキーストンとは違う発展を目指したかも知れない。ラウムビルトを広く大きな山脈に発展させるという総合戦略を考えていたのでしょう。しかし戦争で挫折したのはどうしようもない歴史の流れ。でも、戦後の1950年代まではなんとか存続していたようです。なぜ、消滅したのか。キーストンが衰退し、リアリストやビューマスターでさえ結局は消えたのだから、やはり滅びたのは運命だったのだ。美しい悲劇である、と評価したい。それから、戦前の日本にどのくらい入っていたのか。日本におけるラウムビルトに詳しい方がいらっしゃったら、そのあたりを教えていただきたい。また、同好の方がいらっしゃったら連絡をお待ちしております。もしかして、特殊ハイレベルすぎて、いらっしゃらないかも。そんなことないか。日本では、そうだな、5人くらいかな。

Bztsyiwcgkkgrhgookkmejllmvusbkmbpsc Br3rmqq2kkgrhgohc8ejlll3wegbkmbn3bp 370221462248_1_0_1 1936年ベルリンオリンピックのラウムビルトが大量輸入されたかどうか。当時の情勢ではあり得ると思う。ナチス信奉派の陸軍の一部とか、その関係者がナチスものということでラウムビルトを日本に輸入していたかも知れない。

ラウムビルトのサイズは60ミリx130ミリのカードで画面は48ミリ角。印画紙を使っている。12ミリ空きだからベースは60ミリということになる。ベース60ミリは裸眼でも容易に立体視可能。裏面には解説が印刷されているというスタイル。

実は、ドイツにも類似品のシリーズがあり、イギリスにもある。イギリスはビスタスクリーンという。独特のビューアーとカードが手元にあるので次回に。このあたりになるとステレオファンでもレレレだろう。

ここで思い出すのは45mmx107mmのステレオ判。え、思い出さない。当ブログの萩原朔太郎のところで登場したステレオ乾板です。このサイズはその後、ベスト判フィルムのロールバック付きカメラに転進していきました。ちんぷんかんぷん、なんじゃらほい。クラシックカメラと写真の歴史とステレオ写真のすべての素養が必要なので、なんじゃらほい、ということで申し訳ない。ブローニーフィルムとベストフィルムのステレオカメラがありましたね。ローライドスコープには両方あります。ベスト判というのは40x65mm。ステレオにはいわゆる44判です。44判二眼レフというのがありましたが、その三眼カメラ版です。しかし、ラウムビルトは48ミリ角ですからベストステレオ密着焼きより大きい。

Img_4453 ホームズベイツのステレオカードとラウムビルトとリアリストを並べた比較写真。このホームズベイツは88mmの178mm。実はメーカーでけっこうサイズが違います。90の180くらいのがあるかな。面倒だから他は測っていない。画像は65の68でした。画像もそうとう大きさが違います。

Img_4447 で、以前に当ブログに登場した、パリのリシャールのビューアーを出してみました。45mmが横から入れるようになっているので、60mmの130mmカードは入らない。しかし、上に置くことができて、立派に立体視鑑賞可能です。どちらも、レンズの焦点距離は70ミリから75ミリといったところ。つまり、3.5倍のビューアーです。虫眼鏡の光学超初級理論。ここで撮影焦点距離と同じレンズで鑑賞すると同じ画角鑑賞となり、最も理想的ということを思い出してください。画像の大きさと鑑賞距離理論です。この周辺については誰も語らない。無視しているのか、無知なのか。不思議です。超広角レンズ撮影の画像を標準レンズの画角で鑑賞していることの意味。以前に当ブログのどこかに書いております。裸眼と違う見え方を無意識で享受しているわけだが、人間ではない眼球の見え方であり、そういうものを楽しむ感覚レベルを持っているわけね。

では、このラウムビルトを裸眼立体視するときの主要データとそれぞれの意味を論じよ。というような試験問題が出たら答案はどうしますか。これまでの記事を読むだけで、アヘアヘとなっているでしょうからやめます。つまり、ド素人のワタクシがいいたいことをいっているにすぎない。ははは。

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2009年11月 2日 (月)

シンさんのモノクロ写真展

当ブログのリンクにある、ストライクエニイホエア。ちょっと古いフィルムカメラでモノクロ写真を撮っている御仁。15年前だったらこういうモノクロ撮影を敢えてしている人は少しも珍しくなかった。しかし、その時にすでに写真の勉強というか求道の人という感じだった。ネットを見ると、まだまだ、いらっしゃることはいらっしゃる。女性も少なくない。よく見かける。

シンさんとは新目白通りのウチのトイメンにある茶房杏奴で知り合った。アンヌという。ここはブロガーが集まる処のようで、どうも何人もいらっしゃるらしい。リンクにある「気になる下落合」をやっている北沢さんも常連だ。下落合には茶房杏奴ありという有名店かも。先代の喫茶店時代から知っていても、そういうことまでは知らなかった。灯台下暗し。とうだいもとくらしね。「気になる下落合」というブログは建築探訪とか地域文化とか地域現代史いう方面では屈指の内容。驚愕、感嘆、びっくらこいた。へー、下落合にここまでのブログがあるのかと。価値有り、意義有り、心意気有り。固定読者やアクセス数でも屈指だろう。地元の人が感動しないでどうするというレベルで、まさに感動している。これに比べたらワタクシのブログなんざあ子供の遊びだと思った。

Img_4423 さて、ストライクエニイホエアのシンさんのモノクロ写真。ブログを教えてもらって、拝見。これまた立派。ひとことでいうと、まあ、おもしろくて、味がある。少し前まで写真はほとんどモノクロだったわけだが、キレイ、綺麗、整っている、技術も完璧というような写真の対極であった東松照明、森山大道をリアルタイムで見てきた経験がワタクシにはあるのだ。難解であった歴史上の大写真家だ。そういった写真を下敷きにしてしまうと、そりゃ、なにかがすごく足りないが、比較する相手が間違っている。難解というのは、写真に凝縮しようとする重さというのかな、それを見る者に強いようとする奥行きだね。社会や現実と対峙する写真家の緊張関係。こういった写真家には軽さは探してもない。軽妙洒脱なんて、もちろんなかった。その一方でライカ使いのアンリカルチェブレッソン、日本でいえば木村伊兵衛といったタイプの写真家は被写体には激突しない。どちらもライカ使いというところに、何かの意味が分析できるかも知れない。被写体の切り取り方のレベルと決定的瞬間というヤツかね。ここで、完璧に激突しようとした土門拳を挙げておかないと片手オチ。

Img_4424 実は調子に乗ってシンさんに論評してあげるからね、俺のブログに書いてあげる、と言ってしまったのがたたっている。「ごくろうさん、よかったよ、立派だね」と書いても何の役にも立たない。有り難くもないだろう。しかし、短い言葉で核心を摘出することは簡単ではない。力量が必要で、どうしても長くなるのだ。いいかげんな論評にならないようにとなるとなおさらだ。それでもいいかげんなのだが。能力だから仕方がないとして、、、、。

時は流れ、綺麗、キレイという写真ではない分流のひとつは、私写真というようなことになっているらしい。荒木、アラーキーが私小説に対して私写真といっていた記憶がある。私写真を他人が見る。どういうことだろうか。他人が見ることを目的としない写真が持つ内容と意味とは。しかし、場合によっては他人の鑑賞を意識していないわけではない。心象風景だろうか。詩人萩原朔太郎の心象風景のステレオ写真に触れた記事がこのブログの過去ログにあるが、朔太郎だから意味があるのであって、どこにもころがっている人間の平凡な心象では意味が違ってくる。私写真の鑑賞。まず、感情の共感。理解できるという共鳴。軽妙。見ておもしろい。ユニークという切り口。昔は連帯という言葉も重要だった。ポーランドの自主管理労組のワレサ以後は流行らない。平凡が転じて光るということもあるだろう。これがポイントかな。

お散歩写真という範疇や、トイカメラの楽しみという流れもあるらしい。あれもレンズの味ということになるのかな。ロシアカメラね。それからピンホールの世界もある。もちろんステレオ写真もある。写真の座標、、、、大判のアンセルアダムスからファッション写真、ドキュメント系までの座標を論じてもあまり意味がない。その中でシンさんの座標を論じてもという意味だ。その平凡の私写真の切り方。そして、遅れて来た青年かなとご本人と喋ったのだが、すでに青年ではないらしくて、志向性もネットで類似の人達が少なくないことを見ると、遅れているとまでは言えないかも知れない情勢なのかな。シリアル2000番台のバルナックと旧エルマーを使っているような、ワタクシのような人に間違っても遅れているとは言われたくないのは当たり前であろう。

Img_4419 写真展は目白通りのギャラリー喫茶「ピアリッジ」で10月29日から11月10日まで。下落合4-21-16。詳しくはリンクのストライクエニイホエアを見てください。ウチは1丁目ですが、地元下落合ですから、聖母坂を上がって見に行ったわけです。洒落たお店でミニコンサートもできるとか。Img_4420 カウンターの白Tシャツがシンさん。Img_4422

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2009年10月29日 (木)

ラウムビルドその1

ラウムビルドをご存じか。またまた、なんじゃこれは。ステレオ写真ファン、いや、日本における、かなりの愛好家レベルが限定対象です。申し訳ない。でも、おもしろい。まず、知らないと思う。聞いたことがあるという方、偉い。ステレオ写真ファンの経験だけは長いよと自負するワタクシも数年前まで、やっとこで、このレベルの下に引っ掛かる程度だったのです。その知識というと、ドイツにはベルリンオリンピックの立体写真があり、ブックの形式であること、ナチス親衛隊の黒制服やヒトラー総統のステレオ写真があるということ。その視線がこちらを見て、画面から妖気が漂うごとく浮き上がっている。知っていると言う方もそんなものでしょう。

数年前から、アメリカのEBAYの光り輝くステレオ写真の山脈を時折ですが、麓から眺めていたのです。よし、そろそろ踏み込んでみようと、昨年くらいからPAYPAL口座を作ったのですが、いろいろと出てくるのでその現物を手に持つことができました。本国に公式HPみたいなものがあります。ドイツ語です。

まず、このアドレスをご覧ください。ステレオ写真ファンでなくとも、見ておいて損はないでしょう。へー、こういうものがあったのか、ふーん。

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http://www.stereofotos.de/Raumbildbaende/Otto_Schonstein/body_otto_schonstein.html

この写真のスカルプ頭の人物が作り上げたものです。オットーシュオーンシュタイン。ショーンシュタインかな。

Otto Schönstein 発音がこれで良いのかどうか分かりません。第二外国語はフランス語だったのですが、基本的に日本語しかダメ。メルシーボクーコマンタレブー。トレビヤン。しかし、いかにも、いかにもというドイツの風貌で、気に入りました。映画に出てくるような類型人物と思います。

http://www.stereofotos.de/Raumbildbaende/Raumbildband/Frank___Heidecke/body_frank___heidecke.html

中にブラウンシュヴァイクのフランケハイデッケがあります。ハイドスコープとローライドスコープのプロモーション目的とあります。クラシックカメラファンの基本中の基本アイテム。貴重な資料です。いつかは程度の良いローライドスコープで撮影したいというのはステレオ写真ファンの憧れでしょう。

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そして、これが民族の祭典ベルリンオリンピックのラウムビルドです。

http://www.stereofotos.de/Raumbildbaende/Raumbildband_Schoenstein_/Die_Olympischen_Spiele_1936/body_die_olympischen_spiele_1936.html

この現物がEBAYに出たことがあります。その筋の世界に、これあり、と知る人は知る超有名アイテムですが、世界にかなりの数が現存していることは間違いありません。よし、と決死の覚悟で参加しましたが、遙か上の上に飛んでいきました。ワタクシが、これは、と思っているくらいですから、世界のファンもこれはと思っているわけです。この中にベルリンオリンピックの記録映画を撮った有名な女性監督もいます。レニ・リーフェンシュタールです。

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次にナチス国威発揚ものがラウムビルドの特徴でしょう。

http://www.stereofotos.de/Raumbildbaende/Raumbildband_Schoenstein_/Der_Kampf_im_Westen/body_der_kampf_im_westen.html

西部戦線の戦いです。フランス、オランダに侵入した時かな。

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http://www.stereofotos.de/Raumbildbaende/Raumbildband_Schoenstein_/Hitler-Mussolini/body_hitler-mussolini.html

ヒトラーとムッソリーニなんてのもありますよ。

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とにかく、膨大な分量がある。関心のある方はこのHPをすみずみまでご覧ください。長くなりますので、次はEBAYでどこにどういうものがあるのか、ワタクシが持っているものを含めて、また、専用ビューアーなども説明します。

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2009年10月26日 (月)

先達の磯釣りその8

その7で触れた関東磯釣クラブの井ノ口和雄さん。ほとんどリアルタイムに近くなってしまった。実は、以前の先達の磯釣りの記事の中にも登場しているが、日本磯釣倶楽部で全磯連初代会長の三谷嘉明を欠き、磯釣同和会から関東磯釣クラブの野口勝弘を差し置いてはまったくバランスが悪い。歴史上の人物だから敬称略ね。あ、理論家の長岡輝衛も欠いている。その理由は、エポックメーキングな磯釣りの著書を背景にしているからだ。長岡はかなり書いているが、たしかまとまったものはないと思う。

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注意。以下本気で読んだら長いよ。それでも駆け足ではしょって書いているけど。

昭和44年井ノ口和雄さんは「離島の大物釣り」を書いた。473ページある。すごいものだった。いまでもスゴイ。前編が釣技。後編が釣り場ガイドという構成。釣り場は日本全国を網羅している。すごすぎる。初心者が読むと寒気がして怖じけ付くのは間違いない。別世界と思いながら、九州、奄美、沖縄を読んだ。その当時の西表島、波照間島、与那国島の記事は今読んでもおもしろい。男女群島の記事では、すでに「九州の釣り人はもとより、日本全国から釣り人がひきもきらずに押し寄せる」と書かれている。チャーターは10トンの船で1日一万五千円から二万円という時代。

井ノ口和雄さんは昭和9年生まれ、日本航空勤務、大橋巨泉の11PM釣り情報にたびたび出演した。関東磯は俳優で磯釣りもやる梅宮辰夫もいた日本磯釣連合の名門クラブで、現在も健在の御仁です。75歳になるのかな。直接的には知らない。勝手にこんな論評をしてしまって申し訳ない。潮風会にも所属して懇意にしてもらっていた先輩が関東磯の大幹部で、(いや、語感が似ていますが、その筋の組織ではありません、念のため)井ノ口さんの先輩だ。いろいろ話を聞くと、井ノ口さんは一度退会してまた入って、最近やめたという。引退なのかな。日本航空勤務を利用してとんでもない島で磯釣りをやっているのを読んだことがある。大西洋のカナリア群島だったかな、アフリカの沖です。イシダイに似た魚が磯にいるそうです。オーストラリア周辺、ニュージーランド周辺、南太平洋だったら分かるが、大西洋ですぞ。インド洋なら、さもあらん、というでしょうが、大西洋となるとねえ。

伊豆諸島の釣りは約100ページを割いている。カジキの突きん棒だけで生活している漁師は数十人いるが、神津が一番と書かれている。神津島GPのコメントで触れた突きん棒の現況に愕然とする。この時代、民宿は一泊三食で1000円だ。銭州は昭和36年大阪磯釣クラブの森岡秀泰が釣り人として初渡礁とある。森岡は初渡礁マニアで知る人は知る。この人はパイオニアとして大先達の一人。イナンバにも昭和39年に初渡礁した。米軍の射撃訓練があって、危ないと書かれている。三宅の三本は東京のクラブが昭和34年開拓とある。三本もそれまで米軍の爆撃訓練の場所だったのは知っている。神津のタダナエはそれより古くから日本海軍の艦砲射撃の標的だったと、渡船と観光船もやっていた竜宮丸の船長から聞いたことがある。神津は岡から近い渡船の磯があるので、もっと古くからやっていたと思う。

ぱらぱら読み直して光っているのは、神津の潮の呼び名だ。南西からがシンバ潮、(多分語源は新場)。北東からがニッチョ。北西からがオトシオ。南東からがデシオ。潮の内容として黒潮本流がミシオ。寒流系の冷たい潮がオオシオ。暖流寒流が混じっている潮はオトシオとある。シンバというのは黒潮系であり、シンバデシオ、シンバオトシオがある。神津が黒潮本流にすっぽりという時だけシンバ潮という。普通は蛇行したり、青ヶ島と八丈の間を通ったりしますよね。うーん、わたくしは以前に潮と風の民俗学考察は柳田邦男にいたるまでもっと調べた経験がある。風の呼び名は全国各地に方言がある。全国の漁村の風俗は民俗学の研究対象なのだ。生かじりだったので今ではすべて忘れた。とほほ。

八丈小島の記事もおもしろい。まだ住民が生活していた時代だ。宿泊設備のある家はない。カヌーが2隻だけ。本島との連絡船は週一便。漁船チャーターは1万円だが、5月6月にテングサ船に便乗が良いとある。これなら、3人パーティで2千か3千円。ふーむ。磯釣りは昭和39年に開拓された。現在は無人となっているが、実際に島を見ると、こんなところに住む場所がないよなと思う。

青ヶ島は不便さにかけてはトカラや南大東島をしのいで日本一とある。なんと月1回就航だった。村営の環住丸がなかったのだね。「将来どうみても青ヶ島が一般的な釣り場になることは考えられない。ヘリコプターを使って出来るようになれば、ここも改めて見直されるかも知れない」と書かれている。その後、村営連絡船による週1就航時代に潮風会の先輩が行って記録物を釣った。半月帰れないかも知れないといっていた。わたくしはかなり以前、ヘリコプター時代に行って返り討ちにあった。それでも下手すると天候待ちで2、3日以上は足留めがあると覚悟だった。現在多くの釣り師が行っているが、記録物時代のように青ヶ島は燃えていない。

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この井ノ口さん写真。帽子のツバを跳ね上げて、バッチをたくさん付けている。尻には毛皮の尻当て。わたくしも昔はこんな格好だった。大物章の金バッチを帽子に。尻当ては山岳用品屋で売っていた。だいたい山羊だった。もっと大昔は日本カモシカが最上とか。

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2009年10月22日 (木)

ベティペイジが落とせない

またまた、なんじゃそれは、、、です。申し訳ない。ベティペイジは知っているという方も少なくないでしょうが、裏のマリリンモンローと呼ばれた女性です。ピンナップの女王とか、ボンテージモデルの女王とも呼ばれる。2005年に半生を描いた映画になり、日本では2007年に公開された。2008年12月に亡くなった。ネットのWikipediaにありますので検索すると出ます。1954年にトップピンナップガールと称されたころ、モンローの全盛期と重なるので、裏モンローとなったわけです。最初はロープや拘束具で縛られた写真がストリップ小屋の脇で売られていたというところが非常に輝かしい。ポルノ追放キャンペーンでやられた。ふーん、そうだったのとWikipediaを読む。アンダーグランドの臭い。俳優養成所時代、演技が下手だったのが彼女の運命だったともいう。でも魅力的です。いや、世代によるかな。1950年代半ばに最も光り輝いていたセックスシンボル。オーラを出していますね。しかも裏面もカバーする女王。そのころの臭いを僅かしかリアルタイムでは知らないのに懐かしむという世代の人間の倒錯かな。その当時に詳しく知っていたわけではない。なんとなく以下という程度です。安保闘争の1960年に中学生でした。アメリカの輝き。輸入時代のプレイボーイ誌。アメリカンポップス。あ、これは高校以後です。

Bb5lkcq2kkgrhquhcmeqvi0vyhibkylu5en では、落とせないとは、なんだ。EBAYのベティペイジのステレオ写真スライドです。なにがなんでもという気持ちではないから落とせない。なんだつまらない。アメリカでも人気があるのです。良いもので170ドルくらいがどうも相場のようです。ちょっと高価。もちろん自制心も働きます。EBAYは世界最大のネットオークション。やってみたら簡単でした。日本のヤフーオークションは評価450くらいの経験があります。PAYPALという支払い口座の開設手続きさえできれば、日本のヤフーオークションより簡単でずっと楽です。英文メールが必要になることはほとんどありません。英文メールは数回やりましたが、ブロークンで通用しました。

リアリスト版のスライドがたまにEBAY出ます。とてもおもしろいものが出る。アメリカ人が1960年代にイタリアに旅行した90枚のセットなんてのがあったり、アフリカのサファリ旅行とか。1枚が1ドルから2ドルくらいが相場。すばらしいステレオがあったりして、そのうち紹介します。

1_a_slides257 Bcku9lgbgkkgrhquhdceqdstwjubkzrbloc ベティペイジはかなりステレオ撮影されているらしい。素晴らしいというかリッパですね。

他の映画スターがないのかな。どうもないという感触です。モンローはごく僅かありまして本になっている。有名な本で、一度EBAYに出たのを見ましたが高くなって落とせなかった。残念です。スライドではあったとしても、聞いたことがないから天文学的数字を覚悟でしょう。

こういうものなら15ドルで落としました。ベティペイジではないヌードステレオです。ステレオではない片眼写真なら、大きいオリジナル写真が30ドルくらいでいくらでもあります。でもボンテージは貴重品なのか、見たことがない。

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2009年10月20日 (火)

携帯のバッテリーを大容量交換x05ht

ソフトバンクX01HTが昨年08年12月季節外れの海水浴をしてしまったので、機種交換したソフトバンクX05HT。その顛末は

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2009/01/post-d5c2.html

だが、最初からバッテリーの持ちが悪い。ユーザー使用感などをネットで調べると、みなさんが同じ悩みのようだ。加えて、バッテリーが経年自然劣化現象。充電して、通話だけなら別だが、ちょっと使うと1日持たない。ソフトをいろいろ使うからいけない、、、なんて。いろいろ使えるからスマートフォンにしているわけで、本末転倒論理。ブルーツースも常時電力を使っているかな。さすがにGPSを入れっぱなしにしているわけではない。

Img_4419 そういうわけで、だいたい予備充電用バッテリーを持ち歩いていた。ミニUSBだから普通のどこにでもある充電バッテリーは使えない。使っているのは、普通の携帯ほどの大きさのpocket mobaというやつ。3200mahの容量だ。6000円くらいだったかな。これがどういう単位でどのくらいなのかなんてことは知らない。フル充電2回か3回分くらい使えるようだ。携帯本体のオリジナルバッテリーは1340mahだが、9800円の2000mahに換えた。

Img_4418 安くないね。その上の11000円の3000mahもあるのだが、厚すぎる。どちらもバッテリーの厚さに合わせたフレームに交換する。3980円の1500mahの交換バッテリーはオリジナルフレームにそのまま入るようだ。これじゃあ、増量の実感がないだろう。

2000mahのバッテリーでやっと、なんとか使えるようになった。それでも気にしないでバンバンというわけにはいかない。いざとなったら、2000を入れて、32001340を持ち運ぶことができる。合計6540mah。これがどのくらいで、フル使用何時間だか知らない。

Iphonの事情はどうなのかな。娘が使っているからリサーチしてみよう。低消費電力仕様にならないと、こういう道具はよろしくない。

Img_4418_2 ついでにブルーツースのヘッドフォンを揃えた。ソニーのごく普通の売れ筋商品で写真の左。同じブルーツースのイヤホンは写真に右で通話だけで音楽は聴けない。どうしてそんなふうにしたのだろうか。事情はあるのだろうが、良くない。イヤホンは2代目の方がコンパクト。初代は以前の記事にあるが、つるがあって嵩張る。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/img_0709.jpg

携帯が分厚くなってしまったので、ベルトポーチのケースも大きいのに変更しなければならなくなった。

Img_4419_2 なんだかんだと、結局なんだかんだになっている。誰かの使用インプレッションで読んだが、普通の携帯電話とミニモバイルパソコンという選択がある。なんだか現状だと、そちらのコースが良いのかも知れないと思わないこともない。

動画を入れて鑑賞とか、BGMで音楽を聴くなんてモバイル電源では無理だ。不満はバッテリーの持ち以外に、画面がやはり小さいこと。スクロールして使わないとならない。簡単に画面を拡大できるのだが、スクロールが長くなる。タッチパネルの誤作動は宿命みたいなもの。基本ソフトは慣れないと使いにくい。慣れても使いにくい状態からなかなか卒業できない。なんとか普通に使っているけど、とほほ。わざわざ、そういうものをひっくるめて楽しめる境地でないと使えない。

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2009年10月 9日 (金)

神津島GP石鯛・モロコ選手権大会

生臭い磯釣り大会でした。生臭い大会って、そんなに魚が釣れたのか。いやいや、それほど釣れませんでした。では、なんだそれは?。10月4日午前2時下田漁港集合。優勝賞金20万円。準優勝10万円。豪華副賞。集めた協賛賞品が400万円とか。募集は100名予定を150名に拡大という。でも130名くらいかな。神津で一番お客を集める渡船の賀寿丸が始めたのだけれど、他の神津渡船も参加しないと多人数は無理。キャパシティーの関係。で、神津島GPという名称になっているのだろう。まあ、私的大会ということになる。イシダイとモロコだから、筋金の磯師である。賀寿丸の常連客が中心という出発だったが、広く参加者を集めるということで全磯連関東支部の各会長あてに案内状が来たという。なるほど。で、関東支部からもかなり参加していた。九州からも参加していた。中部の磯師も少なくない。西からそうとうな人数が来ていた。問題は主催がどこだか分からないのだが、神津島GP実行委員会としている。神津島村の共催でも取りたいところだろうが、、、、、。あるいは神津島渡船組合の共催とか、公的側面を出したいところ。無理なら協賛でも取れたらかっこうがつくのにね。

Img_4409a_2 Img_4412 下田漁港前の大会本部テント。スタッフはなんだかんだとがんばっていた。事前の打ち合わせもそれなりにやっていたのだろう。渡船が8船も着くと大人数がごったがえしていた。

Img_4411 Img_4413 抽選で全員が番号を引いた。すべて番号で動く。グループで来てもすべてバラバラになる。その時点では磯割りが分からない。昔の東海フィッシングの大会と違うところだ。参加した渡船割り。豊栄が来たのは少し驚いた。

全磯連が元気なころは、いろいろな大会をやった。東海フィシングクラブでも神津島式根島大会をやっていたが、いろいろな事情で自然消滅。春と秋の2回。よく参加したものだ。そのころは神津で300人くらい。なぎ状態で満員。しけぎみでは上がれる磯が少なくなるのでギュウギュウになった。多少のしけでも中止が多かった。できる磯はあっても全員となると無理だからだ。そういう歴史があっても残念ながら、全磯連の会員はどこの会でも老齢化が著しい。賀寿丸の常連が大会をやってやろうと動くのは全磯連の衰退と表裏の関係にあるのだ。実際に彼らの方が濃い釣りをやっているのは否めない。

Img_4416 メーカーのインストラクターが各社から来ていた。それが長々と表彰式の前に釣り竿の説明をした。メーカーの協賛を取って、企業にすり寄れば長時間も仕方がない。仕切った人間の手腕ということになる。そうだ、全磯連の色のないインストラクターの仲間が仕切ったような感じの大会だ。生臭いというのはそういうことだ。これがメジナ釣りのインストラクターとなると独特のもっと生臭い感覚となることは想像できる。いや、メーカー横断的な協調がないから、違う大会になるのかも知れない。釣果は4キロが出て優勝。1.5キロ以上が検量基準で10枚くらい出たのかな。

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2009年9月19日 (土)

先達の磯釣その7

このスレッドはネタが切れてきた。多分これで最後かも。全磯連の大先輩である塩地和男さん。名門、新潮会の所属である。この会はよく知られているが最盛期はものすごい会員数だった。その後、分裂があったようだ。敏影さん、中村ご隠居、寺門さんなど、磯釣りの先達が。関東の磯釣師では知らないとモグリでしょう。ウチの近所の新宿の小滝橋に釣り道具屋をやっていた新田さんという人もいた。回転リールの新田式投法というのがスゴイ。ただし、知る人はほどんどいない。知っていたら偉い。あの世でそろって磯釣りをしているのだろうか。あ、あ、塩地さんは現在もご活躍で、大島ではよくご尊顔を拝することがある。しかも、ホームページを持っていらっしゃる。

プロフィール

http://www.geocities.jp/djnfw907/purofeel.htm

Img_4376 Img_4377 Img_4378 これを見ると、昭和5年だからウチの会や他の会の諸先輩に比べるとやや若い。ご老人に若いというのもナンだが、「磯釣りと釣り場案内」を書いたのが若い時だ。32歳のバリバリの時だったのだ。最初はもっと上の世代の御仁かと思っていた。昭和37年初版。1962年。版を重ねた。大泉書店。ウチにあるのは昭和45年だ。序を永田一脩大先達が書いている。そこに、書き始めて3年、調べ始めて10年とある。関東の磯釣り場をこれだけ網羅したのは初めてだっただろう。当時の磯釣り入門者にはバイブルのようなものだった。今見て、そのころの写真がおもしろい。広告がおもしろい。当時の渡船の案内解説がおもしろい。

塩地さんはその後、シロギス釣り、渚のクロダイ釣りなど、釣り場や釣技を開発して全国を歩いている。

ついでだから、この次、いつか近いうちに井ノ口和雄さんも紹介しようかな。「離島の大物釣り」というのを昭和44年に書いている。日磯の関東磯釣クラブにいた人。最近、会はやめているらしいと聞いた。昭和9年の人だ。

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お祭り21年

Imgp5954 Imgp5946 先週、9月11日、12日、地元新宿下落合の氷川神社祭礼が終わった。12日の大御輿渡御は天気に恵まれ、無事に行われた。不景気の影響もあるのか、年々奉納金が細っていくのは苦しいところだ。神社によるが、普通は影祭り、本祭りとするところが多い。影祭りは簡素にする。昔はそうやっていたが、我々のところは毎年本祭りだ。毎年同じようにやらないと、御神輿が上がらなくなるというのが主な理由。御神輿同好会の関係だ。11か12の御神輿同好会が来てくれて、総勢150人近くらいが集まっている。影祭りだから今年と来年は大御輿渡御がない、なんてことになると、肝心の本祭りの年に集まりが悪くなるだろう、という見込みからだ。

以前は数年に一回のペースで各町内の連合渡御が行われていた。最近は不定期となっている。目白駅から出発して目白通りから山手通り、新目白通りを氷川神社までのコース。これだけの距離になると、ウチの大御輿だけでも、200人以上、250人くらいの担ぎ手が欲しい。他の町内も連合となると多くの担ぎ手が必要だ。なかなか集まらない。東京の超有名神社の祭礼以外はどこも同じような現状だろう。もっと厳しいところが多いだろう。

御神輿の修理、メンテナンスの経費をどうやって捻出しようかという悩みもある。子供御輿山車、中御輿の修理も必要だ。

Img_4363 Img_4364 中御輿の屋根と子供御輿の屋根。子供御輿は彫りはない。

こんな時に会計責任者なんてやるもんじゃないよね。困った、困った。立派な御神輿を持っている町会の悩みだ。立派な御神輿を持っているばっかりに、因果なことになっている。地元の先人たちは、どうしてこんなに立派な御神輿を持ってしまったのだろう。不思議だ。分不相応なんぞといったら、前向きの考えではないと分かっているよ。

Img_4360 で、大御輿の裏を覗いたら、あっけなく判明した。そこには墨痕鮮やかに、「千葉県行徳住人 謹作人浅子周慶 大日本昭和八年九月吉日竣成」と書いてあった。浅子周慶ではないかという疑問はあっけなく判明。去年の当ブログで同じ作りの中御輿の作人札が、浅草の宮本重義とあったので、謎だと書いた。修理に出したらこんな作人札が付いてきたということらしい。そうだとしたら、僭称ではないか。ひどい話かも知れない。

御神輿の大きさは台輪または台座何尺何寸という。明治以前の大昔の作りは台輪だけが異常に大きい作りがある。屋根の作りも簡素で平たいのが多い。昭和以降の台輪は現在と同じ作りにほぼ落ち着いた。浅子周慶は代々襲名して500年、室町末期に創業の老舗中の老舗。その名は鳴り響いていた。残念なことに2、3年前に廃業。昭和一桁の時代に絶頂期を迎え、ウチの御神輿のような総彫りを作った。宮大工系や仏師系の彫刻職人を何人も抱えていないと出来ない作りだろう。戦争に突入して、抱えていた職人は出払い、戦後も総彫りは作れなかったようだ。すべて普通の塗りの屋根である。私見ではこのころの浅子周慶の総彫りが御神輿の最高傑作だと思う。

Img_4361 しかもウチの御神輿は大きい。今年はメジャーで台輪を測った。台輪は3尺。測り方によっては3尺1寸。金具の彫刻の出っ張りを測れば、3尺2寸以上。台輪に比較して背が高い。すらりと高いのだ。胴が締まってスマートである。地元で御神輿に詳しい人も詳しくない人もウチの御神輿は立派だと自慢している。しかも、これが、神社御輿ではなく、町御輿、いわゆる町会御輿なのだ。

Goryoumiyamikosi2z そのころの浅子周慶の御神輿をざっと調べると、近所の西落合御霊神社の宮御輿に少し小さいが彫りはもっと立派なのがある。同じく近所の中野上高田の宮御輿でウチより大きくてほとんど同じ作りが一基ある。杉並にも同じ大きさがあるとか。

2009negishi1 ネットで見つけたのが大森北の第六天の宮御輿。探せば、10基くらいはあるのじゃないかと想像する。

以前も書いたが深川町御輿には浅子周慶が何基かあるようだ。箱崎4丁目がネットにあった。Mikoshi2005

Ten04 明治初期の浅子周慶では普通の塗りの屋根だ。これは神田。台輪が大きいことが目立つ。

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2009年9月14日 (月)

片貝花火

Imgp5896a 9月9日、10日、家内と89歳老母と一緒に新潟県小千谷市の片貝花火を見物にいった。知る人は知る片貝の花火。日本一の四尺玉が上がる。小千谷市片貝町の住民は日本一の花火人間たちである。町民の生活は花火と共にある。四尺玉は知っていたが、片貝の花火にこのような背景があるとは知らなかった。感動的でもある。とにかくスゴイ。あっぱれである。褒めすぎではない。こういう町があるのだ。いまでは珍しくないかも知れない三尺玉の発祥地でもある。浅原神社の祭礼に奉納されるのが片貝花火だ。

片貝花火の歴史でググるとたくさん出る。たとえば、

http://www.geocities.jp/noa6171/works-b2001/hanabi.htm

冒頭を引用しよう。

死んだら花火と一緒に夜空に散る。それが夢だ。
 「墓も葬式も要らない。燃やして残った骨を星(火薬)に混ぜて尺玉にして打ち上げてほしい。星が微笑む漆黒の大空に、一瞬間だけ輝いて、何もなかったかのように消えてなくなりたい。その輝きが、好きだった人たちの記憶に残るだけでいい・・・」諸行無常か仏陀の教えか、哲学的でもある。

うーむ、スゴイね。中略。

Imgp5849aImgp5852a Imgp5850   「片貝人」の人生は花火に始まって花火に終わる。子供が生まれると親は我が子の、祖父母は孫の誕生を祝い、神社に花火を奉納する。その子が本家の跡取りならば、親戚中で祝う。小学校入学、中学校、高校合格、親は子の成長を花火で感謝する。そして20歳。厄年、還暦、古希、自ら花火を打ち上げ、人生の節目を知る。村を出た人々は、祭りでより大きな花火を上げることで、故郷に錦を飾る。そして、死。妻が夫が、子が孫が供養の祈りを、空に捧げる。

うーむ、そうなのか、、、。

地元では奉納煙火という。

http://tokihakutaka.fc2web.com/saijiki/0609/060909.html

ここでは地元中学の同級会が20歳、33と42の厄年、50歳、60歳の還暦にみんなで打ち上げると書かれている。結婚式で上げ、子供が生まれて上げ、死んでも上げる。この2日間のために毎日働くという。花火にはたいへんなお金がかかる。

Img_4369 Img_4373 新聞の大きさの花火番付がある。大半が個人の打ち上げだ。家内安全、健康祈願、孫誕生元気で育て、還暦祝いも多い。それぞれ何時何分打ち上げと予定されていて、その文句をスピーカーで流しての奉納打ち上げなのだ。父何回忌追善供養なんてのも多い。すべてがそうなのだ。企業もたまにあるが、提供ではなく、奉納なのだ。とにかく、なにかにつけてドーンなのだ。お祝いでドーン、供養でドーン、記念でドーン、人生の節目でドーン。片貝の人は花火にお金がかかる。同級会は大スターマインの競争だ。たとえば、今年の厄年42歳は36回卒業生の成友会。祝50歳は28回卒業生の双葉会。いいねえ。こういう同級会。お金を貯めてはスッカラカンになるのだろう。町会で上げるのもあるのかな。特別にやるわけでなくても、毎年いやでも花火に30万円くらいはかかると聞いた。一般の標準なのかな。

Img_4370 Img_4372 四尺玉は2発しか上がらないが、一発500万円とか。尺玉以下だったらいくらくらいかな。数万円だろうか。こういうのは尺玉の前後にセットで7号とかいって上がる。尺玉の二段打ちというのが一番多いようだ。

花火撮影はフィルムカメラでステレオ撮影なので、そちらはまだ上がってこない。デジ一眼撮影は一部しかなく、しかもあまり良くない。三脚に載せたステレオバー2台方式の片端に申しわけで載せたようなもの。気合いが入っていない。

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2009年9月 7日 (月)

明治の有名人、笑子ちゃん

現代の日本人はカメラを向けると、Vサインを出してニコッと笑う。いい大人までがVサインを出すなっていうの、、、。もうひとつは、「撮りますよ、はいチーズ」が浮かぶ。石黒敬章によれば、日本では昭和38年の雪印乳業のテレビCMからこれがはじまった。アメリカでSay Cheeseといって写真を写す習慣があることを利用したのだが、たちまち日本に普及浸透した。だそうだ。

ところで、以前に紹介した石黒敬章の「幕末明治のおもしろ写真」には第1章「笑う写真のルーツを探る」がある。これがたいへんおもしろい。

Img_4347 古い時代ほど、写真館で写真を撮ることは厳粛であった。厳粛でなければ高価な写料を取れない。写真師から「動かないで、はい、撮ります」といわれる。ほとんどの人は立派に撮って貰いたいと思う。日常ではないハレの場面である。これでは笑えない。

明治時代には笑う写真はほとんどない。写真の初期湿板時代の露光は数十秒。高速乾板が普及して数分の一秒となったのが明治中期。そうなっても笑った写真はほとんどない。笑っている写真で、研究者コレクターである石黒が幕末から明治初期で知っているのは下岡蓮杖による幕末の町医者からはじまって9点くらいしかないという。

「笑う写真を日本人に根ずかせることに寄与した最大の功労者は笑子ちゃんである」と石黒は書いている。「笑子ちゃんは横浜写真に相当数含まれている。様々なポーズで笑っている笑子ちゃんが、世界中に流布したのである」

石黒は次のようにまとめている。

     明治二十から三十五年 横浜写真に笑子ちゃん登場。

     明治三十八から四十五年 絵はがきに笑子ちゃん再登場(コロタイプ印刷手彩色)

     そのころ、笑子ちゃん以外の笑う芸者絵はがきが販売される。

     大正時代、笑う美人絵はがきがオフセット印刷で量産される。笑って記念撮影することがやっと普及する。

なるほど、よく分かりました。さすが石黒敬章と感心いたしました。それでも戦後の写真館で、笑うと諫められたという。戦前の写真館ではほとんど笑っていないそうだ。

Img_4328 Img_4325 石黒は笑子ちゃんと命名したのだが、どこの誰だか分からない。撮影した写真師も分からない。笑子ちゃんの絵はがきは横浜写真から焼き直しされて、40から50種類くらいあるそうだ。石黒は20種類くらい見ているとか。「幕末明治のおもしろ写真」に掲載されている。絵はがきが主で横浜写真は僅かだろう。現代でいえば、超人気モデル。多分芸者だった女性。横浜写真というのは普通の日本人は見ていないので、その後のコロタイプ印刷の絵はがきによって、笑う笑子ちゃんの写真を多くの人がはじめて見たわけだ。ちなみにオフセット印刷の発明は1904年だそうだ。コロタイプ印刷の笑子ちゃんを見たのだ。

Img_4327 わたくしは、コロタイプ印刷という言葉は知っていたが、どういうものなのか、もうひとつよく分からなかった。一般常識としてガラスの写真版をそのまま刷版にするというくらいのことしか知らなかった。そんなことで、どうして印刷できるのか、分からなかった。網点がなく連続した階調だという。どうしてインクが、、、紙に刷れるのだろう。コロタイプ写真版制作。複写写真版には現像感光液にゼラチンを混ぜていて、写真版の表面に微細なチリメン状のしわができるらしい。そこのしわにコロタイプインクを塗布して紙に印写する。耐久性のある特殊インキらしい。なるほど、やっと分かった。昔はほとんど単色インクで、カラーとなると手彩色だった。しかし、カラー別の写真版を作り多色インクを使えばカラー印刷となる。カラー分解なんて無かった時代では職人が経験で色版を作っていたのだろうか。欠点としてゼラチンのしわの耐久性がなかったらしい。それで大量印刷は無理。数千枚刷れたのかどうかとある。現在でもコロタイプ印刷はごく僅かだが技術が残っている。有名なコロタイプ印刷所の絵はがきもあるそうだ。京都の便利堂という老舗だ。深みのあるカラー印刷らしい。普通のカラー印刷では凸版の原色印刷とオフセットカラー印刷。これはなんとなく分かる。コロタイプは活版やオフセットに追われて、すぐに廃れてしまったのだ。

Img_4330 というところで、昨年、EBAYで日下部金兵衛の横浜写真を漁っていたら、笑子ちゃんがあった。おう、これだ。石黒敬章が紹介している女性だ。届いたら、横浜写真のアルバムの大きさではなく、小さい。絵はがきサイズだった。コロタイプ印刷かなと思ったが、表にも裏にも絵はがきの、「え」もない。手彩色の鶏卵紙だ。しかし、手彩色があまり良くない。はみだしが盛大だ。日下部金兵衛の素晴らしい手彩色とは段違いだ。こういうものが、アメリカにいっていたのだと思うと不思議だ。アルバムサイズの笑子ちゃんの微細手彩色が欲しいところだが、高価だろうな。それ以前にまず出ないだろう。あきらめるしかない。コロタイプ絵はがきならどこかにありそうだが、お目に掛かっていない。石黒がいうほど大量にあるのだろうか。疑問だ。

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2009年8月20日 (木)

キンダー

Img_4346 Img_4347 ウイスコンシンのサウスミルウォーキーにあったキンダー社が1954年に発売したステレオカメラ。設計したのはステレオリアリストを作り上げたシートン・ロックワイト。生産台数が少ない。設計基本思想はリアリストとほぼ同じ。ただ、コストダウンを徹底した。たしか、99ドルで発売している。当時の他のステレオカメラというと200ドルはしないと思ったが百数十ドルのはずだ。1950年代の貨幣価値ね。どこかでアメリカの広告コピーを見たことがあったが忘れた。キンダーは故障が多いとか品質のバラツキがあるとか言われているようだが、ウチの2台は快調だ。リアリストはすべてに独特の味があり、個性的であり、それが良いのだが、キンダーはリファインされている。アンダーファインダーはリアリストと同じ思想だ。人間工学から当然の帰結である、額、おでこフォールドである。リアリストは上下像合致式の2眼ファインダー。キンダーは普通の一眼式で二重像合致式だ。シャッターチャージは巻き上げ連動の自動。セルフコッキングという。セルフコッキングって知らない、、、。昔のカメラはフィルムを巻き上げてもシャッターチャージされないのが当たり前の時代があった。え、いつごろ。だいたいライカ以前ですが戦後もかなり存在した。たとえばツアイスイコンの各種イコンタ。折りたたみ式のジャバラのカメラ。なにをいっているのか分からない。そうでしょうね。

Img_4348 Img_4349 リアリストと同じ左手シャッター。右手はより微妙なピント調節で使うべきだという思想である。迅速なピント合わせが要求されるときもある。シャッターを切るのは左手でもよろしいだろうという考えだ。右手が利き腕で、右目が利き目でない場合を想定したら、ファインダー位置がもうダメ。フォーカスノブの位置が中央だし。左利き、左利き目ではほとんど使えない。

もうひとつ、巻き戻しがレバー式となっている。バルナックライカも巻き戻しノブで、時間がかかる。これはフィルムマガジンで片道通行にするのが設計思想としては正しかったのだが、普及しなかった。リアリストの次の記事で紹介するが、外付けのクランクハンドルというものがアクセサリーとして生産されている。

肝心のレンズはドイツミュンヘンのシュタインハイルのカッサーF3.5。立派なレンズメーカーだからトリプレットのブランドレンズだが、ごく普通の性能であり、評判も同様。とくに不満はない。柔らかなおだやかな描写をする。レンズグルメ的に厳しく評価すると、もうひとつ落ちたら甘いという寸前、という私感を持っている。シャッタースピードは200まである。だが、スローシャッターが10分の1以下はない。三脚立ててスローを切るなんてことは考えていない。リアリストもそうだが、普通のレンズシャッターではない。ドイツの光学産業、写真工業から見たら、なんじゃこれは、というレベルだ。リアリストもキンダーもアメリカなのだ。シンクロコンパーやプロンプターに遠く及ばない。精密機械工業なんてレベルでなくとも生産できる。それで実用上は差し支えがない。ドイツの精密工業はアメリカの軍需工業に大量生産で負けたのだ。

Img_4350 Img_4353 Img_4352 Img_4351 感心するのは、ド素人でも使えるように親切な表示があること。シャッタースピードダイアル、レンズオープニングダイアルなんて、普通のカメラはそんなこと表示していない。数値があるだけだ。高級カメラにはそのような表示はない。また、二重像合致の説明がひと目で分かるように図が刻印されている。アドバンスフィルムの矢印、リフトツーリワインド表示。フィルム装填の説明。フールセーフというのか、フェイルセーフかな。往時のドイツカメラも日本カメラも高級品だから、取説にはいろいろ書いても、カメラ本体に誰でも知っていることをわざわざ表示しない。二重露光は簡単に可能だ。

キンダーはリアリストに比べると少しだけ5ミリくらいだが小さい。かなりコンパクトに感じる。重さは相当違う。リアリストが790gでキンダーは550gだ。リアリストはずしりと来る。不必要なほど頑丈だ。

Contura シートン設計のステレオカメラはもうひとつある。有名なコンチュラ。こんなカメラを持っていたら廃人である。赤瀬川原平が「コンチュラ物語」という短編を書いているのでご存じの方もいらっしゃるだろう。たしか日本に2台とか。

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2009年8月 6日 (木)

東松照明写真集 11時02分 NAGASAKI

Img_4325 Img_4326 夏になると、マスコミは原爆特集、そして8/15の終戦特集をやる。夏と結びついていて、身体にしみ込んできた夏のイメージの一面だという人があった。夏には反戦が浮上するのならば良いのじゃないかな。希薄になって、忘れられるということがないように祈りたい。

Img_4327 東松照明は日本の代表的写真家。「11時02分 NAGASAKI」は昭和41年8月1日に発行された。彼の最初の写真集。あまりにも有名だから説明は不要だろう。

Img_4328 その後、1995年6月に新潮社から、普及改訂版というべき、「長崎<11:02>1945年8月9日」(2000円)が出た。こちらは現行に近いので、知っている人、持っている人は少なくないだろう。新しく収められた写真も多い。腰巻きには<戦後写真史の金字塔 被爆地・長崎を重層的にとらえた傑作写真集を新編集復刻!!>とある。

子供のころ、土門拳の「ヒロシマ」とか「筑豊のこどもたち」があった。すぐに捨てられてどっかにいってしまった。残念。

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2009年8月 4日 (火)

F・ベアトその1

日本の写真黎明期の巨人ベアト。わたくしには幕末の写真というだけで価値があるのだが、現在から普通に見ても優れた写真、立派な写真が多いと思う。だがしかし、ベアトは日本の写真の歴史のスタートからすると遅れて日本にやってきた写真家である。すでに、外国からやってきた写真師と少数の日本人のパイオニア写真師が活躍していた。それでも当時の日本の写真界では、ベアトが芸術的センスや技術において他に優越していたというのが定評だろう。日本にやってくるまでの経緯は、その筋ではよく知られているので省略。

Img_4325 ベアトの写真集では横浜開港資料館による編集で明石書店が刊行した三部作がある。最初に1987年12月に出た、「幕末日本の風景と人びと フェリックス・ベアト写真集」(本体4000円+税)。これはハードカバー本。そしてその後、2006年7月、同じ内容に一部加筆訂正した新装版「F・ベアト写真集1」(2800円+税)を出版。軽装復刻版に近い。これに数ヶ月先立つ2006年4月に写真集1とは重複しない写真を収録し、その後に判明した研究成果解説のある「F・ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本」が刊行されている。出版の順番が前後していて、2が先に出て1が出たわけだ。最初の87年版を持っていたが、新しいベアト写真集1と2を購入した。ベアトは、有無を言わせないだけの価値がある。ベアトのセンスによって日本の美しい原風景の最後の姿と、その時代の幕末明治の日本人が切り取られ、見事に静止して生きているからだ。これから西洋文明が浸透して、消化していかなければならなくなる時代だ。

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ベアトの略歴を新装版カバー裏の紹介文から引用する。

<イギリス領コルフ島(イオニア海の島、現在はギリシャ領)の出身。報道写真家としてクリミア戦争、インド大反乱(いわゆるセポイの乱)、中国のアロー合戦争等を取材し、文久3年(1863)春に来日した。横浜を拠点に幕末明治の数年間、精力的に各地の風景や日本人の風俗・習慣を撮影するとともに、元治元年(1864)下関戦争に従軍、芸術性豊かな風景写真や彩色を施した風俗写真を生み出し、日本に於ける写真表現の源流を形成した。明治17年(1884)離日。晩年はビルマ(現在のミャンマー)で写真館や骨董店を経営していたが、没年は不明。>

ベアトのアルバムと個別写真を多数所蔵する横浜開港資料館の斉藤多喜夫がベアト研究では第一人者。ベアトは横浜で活躍し、いわゆる横浜写真の源流であるからだ。この人による87年版と06年版の解説がほとんど唯一の定番となっていると思われる。生年は1834年と判明して旧説と9年の違いが明らかになったそうだ。イギリス領となっていた元ベネツィア領民である。イタリア系のイギリス人だ。コルフ島はイタリアから地中海をギリシャに近い位置にある。兄のアントニオ・ベアトは1864年に有名なエジプトのスフィンクスに並ぶサムライを撮影した。幕府第二次遣欧使節団の姿である。兄はエジプトでサムライの写真を撮っていたのだ。当ブログの以前の記事でも触れている。島を出て海外で生きようという心を持った兄弟だ。その時代に発明され普及しだした写真を拠り所というか生きる糧として。この時代を考えても、うらやましい生き方だ。やっと、民間人が、目的があれば世界を移動できるという時代になった。その手段は蒸気機関外輪動力付きの帆船という時代だろう。日本では黒船出現という船の時代。地中海に生まれた人間には古代フェニキアの時代から海外雄飛は珍しくないという精神を持っていたのだろう。つまり海を越えて航海すれば異国に着くのが当たり前。そういう血を持ったベネツィア人だったのだろう。いいねえ。ベアトはイタリアの陽気な性格と社交性を持っていたそうだ。

新しく発明された写真の持つ驚きの能力。世界を旅行し撮影した写真家はその写真の威力を実現し、ニーズに応えた。この時代の世界を旅した写真家は少なくないだろう。欧米先進国には遠い異国、アジア、中東、アフリカの写真にはニーズがあっただろう。ところが、ベアトは30歳から50歳まで日本に居着いてしまった。イタリア人らしい社交的な性格で、テニスとボウリングを趣味とし、横浜山手居留地の建て売り住宅不動産業、横浜グランドホテル開業オーナーの一人。アメリカの朝鮮遠征隊に同行。絹の商売、絨毯の輸入。銀相場で大資産を作り、米相場で失敗。スッカラカンとなった。と新書館の「世界の写真家101」(1997年・本体1800円+税)にベアトが出ていて、大島洋が書いている。銀相場と米相場はよく知られているが、他の経歴はビックリだった。ともかく、ここではベアトは歴史上の名だたる写真家の中に名を連ねている。

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2009年7月30日 (木)

眼の誕生

Img_4326 ついでに同じような書評連発。えーと、2006年3月発行だ。すると3年前。この本もおもしろかった。今この本を拾い読みすると、やはりやはり、ほとんどの内容が右から左に通過しているだけだった。これは前記書評の本と同じ。どちらも読み直す価値があるな。繰り返し読んで、本のとじがバラバラになるという中国のことわざ、なんというのだっけ。

緯篇断つだったかな。読書なんとか自ずから意が通ずというのはちょっと違う。こっちは380ページある。「眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く」(アンドリュー・パーカー、草思社2200円+税)

で、腰巻きの文章には、5億4300万年前、生命最初の「眼」がすべてを変えた。生物はなぜ、突然、爆発的に進化したのか?そのカギをにぎる「光スイッチ」とは。生命史上最大の謎に迫る、驚きの新仮説。すごいでしょ。わたくしだったら、これを読んで、むむむむ、、、と低くうなる。

もうひとつ。キャッチコピーが腰巻きの裏に。<40億年前に誕生した生命は、34億年もの時をかけて、ようやくクラゲやカイメンに進化した。だが5億4300万年前、生物は突如として爆発的に進化し、僅か500万年で多様な形態を持つに至った。その謎を解く鍵は「眼」にあった。(うん、なるほど、なるほど、そいつはよく聞く話だ、わたくしでも興味を持っていた、それで、、どうなの・・????)地球上に登場した「最初の眼」とはいかなるものだったのか?それは進化にどんな影響をもたらしたのか?「眼の誕生」にまつわる意外なドラマが明らかになるとき、カンブリア紀大進化の謎に終止符が打たれる。(むむむむ、なんと、そうか、そうでございますか、、それで、、それで、、)

カンブリア紀大進化の謎。普通はカンブリア爆発というね。この言葉には弱い。インパクトも強い。クラクラクラクラと幻惑される。バージェス頁岩。エディアカラ動物群、よくわからないが、もうやめてというくらい魅惑のかたまりの言葉だ。めまいがするくらいだ。というのはどこかで繰り返し散発的にこの言葉にお目に掛かって、深い感慨と関心、敬愛の念を持続しているからだ。敬愛の念ってなんだ。しろうと大衆向けの生物科学雑文などでよく出現しますよね。いや、見たこと無いっていう方。そんな訳ありません。関心を寄せていなくても、眼にはいります。頻発出現する普遍的名詞です。

読んでいて、最初はふーん、そうなの、すごいね、くらいだったが。へー、たいしたもんだ、おそれいりました、そうでございましたか。知らぬ事とは申せ、大昔の生物高校教科書レベルの知識しか持たないので、最近の研究までは知りませんでした。なにとぞご勘弁ください。そのくらいすごいのだ。生物学はおもしろい。

要するに、あるときまで生物には眼がなかったのだ。いわれてみれば、そうだろうと思うけど、そうだね。見る、見られるが始まったのだ。捕食圧、生存競争、種の保存。ここで、非常に鋭い記述があって、首をひねっている。敵に喰われないため、周囲全体を見渡せる一対の眼を持つよりも、性能は劣っていても数で上回る眼を身体のあちこちに配備するという手があったのに、そのような進化とならなかったこと。例外を除いて一対だ。眼の進化は生物にとって、非常なコストがかかる。必要性からコストを克服してきた。簡単で済むならば、他の部分にコストを振り向けるだろう。なぜだ。前後左右、上下。六眼。こういう眼はなぜないのか。こういう考察はしろーとの範囲を逸脱しています。

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2009年7月26日 (日)

目の誕生は私たちをどう変えたか

Img_4324 見ること。つまり視覚全般の探求には自分なりに関心をよせていた。でも、それとなく程度。わたくしのような人間にとって、この本は広く浅く、生物が見るということの周辺分野を含めて過去の研究の歴史から現在の先端学術知見のいろいろな到達点をすべて網羅しているように思えた。これは読むべし。「見る 眼の誕生はわたしたちをどう変えたか」(著者サイモン・イングス2009年1月発行・早川書房2600円+税)

人間が見る、もう少し広く、人類に近い霊長類が見るということ、広く脊椎動物が見るとは一体どういうことだろう。しかしこの本はハードカバー本の小さな文字、450ページもある。よくある新書サイズ入門書タイプの数倍の内容はある。外国のサイエンスライターによる一般向けの読み物の翻訳だから普通の人でもそれほどつっかえるところはない。だがしかし、書かれている内容や登場する研究者の名前を半分も知らないレベルだと疲労困憊するかも。わたくしが半分くらいかな。あまりにも守備範囲が広すぎる。ある程度以上の関心を持っていて、多少の予備知識がないと読めないかも知れないな。

ともあれ、視覚脳科学というのはつい最近やっと分かってきた分野である。それまで、難しくて、メカニズムを調べる方法もなかった。ブラックボックスに近い領域だった。光を感ずる細胞から水晶体のレンズから網膜までの進化。桿体細胞、錐体細胞。また、単眼、複眼の違いだけではなく、生物の眼は発生的にも機能的にも何十種類もある。それぞれの生物のまったく違う眼がたくさん存在する。つまり発生的に異なるのだ。

ステレオ写真に関わる両眼立体視機能はごく僅かの動物しか持っていない。ウサギは頭の両側に付いた左右の眼で360度みることができるそうだが、両眼視野はほとんど重ならない。ウサギのような被捕食動物はどこから襲われるかわからないので、奥行きのある立体視より全周囲が見えた方がよい。捕食動物は奥行きが分からないと攻撃できないので立体視は必要不可欠。

視野の一部だけ両眼立体視でその外側は融像立体視できないというのが普通だが、全視野が融像しないと遠近はどうなる。その場合は移動視差で奥行きを把握しているらしい。捕食者も被捕食者も動くものが分かればよい。動かないカモフラージュ模様は遠近が判別できないらしい。2次元の写真を見ている感じ。カマキリのように自分が動いて視差から距離を計測して捕食するスタイルもある。難しいことをやっているな。粗雑な複眼であっても個眼よりも動きはよく見える。ピクセルで見ている。ぼやけているがレーダーのような視覚だそうだ。複眼の中で、非常に狭い視野の集合視覚は連立像眼と呼ばれる。複数の像で見ている。視野が広い重複像眼もある。ひとつのまとまった像を作る。ホタル、カブトムシ、ガ。

あ、思い出した。留まっているトンボなどの昆虫をつかまえるとき、人差し指をゆっくり丸く回す。トンボは見ているのだが、だいたい動かない。ぱっとつかまえることが出来る。半分以上は逃げられるけど。複眼では分割されている個眼の全視野で、一方では像が消え、一方では像が現れている。解像力はあまり良くない。立派なレンズではないからだ。ゆっくりだと、風に揺れる木の枝などの自然の動きに見えるのだろうか。危険を感じないのかな。

わたくしの興味のひとつは立体視に関わることであった。その分野で出会った本はだいたい読むことにしている。どこかで書評を見て、今年の春に通読した。複数の本を同時乱読、しかも高速というのが読書スタイル。だが、一週間くらいかかって読了。その時はとてもおもしろかった。分からないことが相当分かったなと思った。あらためて、拾い読みをすると、その内容、理解は、ほとんど右から左に抜けている。

うーん、これで、よくお目に掛かる書評ブログの内容に近いものを書いた。単に当ブログの焦点がぼやけてきただけなのか。ステレオ写真=立体視=視覚=生物学=科学の歴史=知の探求=いろいろあるが、年寄りのひまつぶし、、、いや、違います。共感する方、ごくごく少ないだろうな。

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2009年7月20日 (月)

日下部金兵衛その2

Imgp5840 平成18年7月、「明治時代のカラー写真の巨人 日下部金兵衛」が刊行された。著者は中村敬信。国書刊行会で3800円。昨年池袋の古本屋で新本をたまたま見つけて読んだ。立教大学のそばの有名店でまだ数冊あった。素晴らしい。中村敬信は古事記や日本書紀の研究書がある国文学者である。実は奥さんが金兵衛の曾孫である。丹念に金兵衛の足跡をたどり、不当に知られていなかった日下部金兵衛の業績を正しく評価しようとしている労作だ。金兵衛研究では第一人者だろう。中村は日下部金兵衛、小川一真、鈴木真一、玉村康三郎を正しく評価していない写真史家を強く批判している。とくに小沢健志が「日本の珍奇な風俗を撮影したスーべニール用アルバム」と断じているくだりで、ハラキリ、ジンリキシャが外国人から見たときに珍奇であったろうというのなら許せるが、そのような写真を撮る写真家を卑しめていると批判している。日本では珍奇ではないとして、外国から見て珍奇だといって、卑下しているのではないかと。二十冊を越える金兵衛アルバムを一冊すら見ていない、と断罪している。日下部金兵衛を知らないのか無視をきめこんでいるのだと。だいたい写真史主流は彩色写真をあまり評価しない傾向がある。ちなみに、玉村が彩色写真アルバムではもっとも多く生産したらしい。

Imgp5843 Imgp5844 掲載されている金兵衛写真は多いが、富士山の帆掛け船などはバランス最高、美意識がすみずみまで張り巡らされている。冬の衣装の女も全体が見事に締まっている。表紙の、ひそひそおしゃべりをする二人の娘。なんでもないように思えるが、それまで、このような写真を撮ることがなかった。いや、写真師は思いつかなかったのだ。金兵衛の風景写真はどれも見事に人を配している。その人物が効果的に効いている。

Imgp5841

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=44001

ここで金兵衛の漆塗り蒔絵作りのいわゆる横浜写真アルバムを見ることができる。海外向けに販売したため、日本国内にアルバムが保存されることは少なかったという。しかし、彩色写真で第一人者として成功して財をなしたので、当時の日本の写真界ではこの人ありと知られていた。しかしその作品はほとんど忘れられていた。日本写真協会が昭和46年に編集刊行した「日本写真史」には金兵衛の名はない。だが、少なくとも金兵衛撮影の写真が13枚以上掲載されている。すべて作者不詳とされている。一人の写真家が13枚も掲載されているのはバランスから異常である。その理由は金兵衛の写真が持っている力であり優れた写真だからだろう。

金兵衛の再発見、再評価。1979年ニューヨークのペンウイック社から写真集「JAPAN」が刊行され、金兵衛の作品が31点掲載されていた。日本から見るとショックだっただろう。その後、欧米から横浜アルバムを含めて、古写真を逆輸入することになり、今日に至る。日本には横浜アルバムがほとんどなかったからだ。

長崎大学の写真データベースには金兵衛の写真が353件あり、ネットで見ることができる。他にも、日下部金兵衛でググるとたくさん出てくる。

http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/list.php?req=1&target=Kinbei

日本の写真の草創期写真師として、ベアト、下岡蓮杖、上野彦馬の名前は必ず挙がる。日下部金兵衛はベアトの撮影助手として下働きをして、また写真に彩色の筆を入れて、修行をした。ベアトから受け継いだ、見る人を打つ写真作りの直感がある。浮世絵の構成感覚が江戸時代の日本にはすでにあり、通じるものがあったと思う。江戸時代の職人が到達していた審美眼のレベル。だから外国でも金兵衛は通用したのだ。金兵衛の写真が高く評価されていたのだろう。

横浜写真が衰退を迎えたのは、絵はがきの出現が主因である。それは明治30年代終わりころ。明治33年(1900年)に郵便法が改正され、官製葉書のみから私製葉書が許可された。コロタイプ印刷で写真印刷が可能となった。明治37年ころから大ブームとなったそうだ。そして、写真家としての原作者に無断で複製販売が横行したとある。以前の記事でも触れたが、明治9年写真条例によって写真著作権が保護されたが、たったの5年間である。

Imgp5846 Imgp5839 Imgp5835 Imgp5836 金兵衛のアルバムはそれぞれ、カタログに写真のタイトルとナンバーが振られている。中村は中村は金兵衛アルバムで日本に現存するものは、23冊しかないと調べている。ほとんどが、博物館、美術館、大学だ。東京都写真美術館にも1冊しかない。外国にはもっとあると思われる。アメリカのネットオークションEBAYでは、たまにバラ売りの彩色金兵衛、KIMBEIが出る。ウチにもあるくらいだから探せば見つかる。しかし、アルバムはまず出ない。金兵衛ではない横浜アルバムでも高価だった。昔見たのは20万か30万くらいだったと思う。金兵衛はどのくらいになるのか知らない。金兵衛の一枚写真ではピンからキリ。良い図柄で4万くらい。安いのが5千円かな。ウチにあるのはアルバム時代の厚紙に鶏卵紙が貼られているものと、鶏卵紙だけはがしたタイプ。バラバラにされた一枚である。

http://www.meijitaisho.net/toa/kusakabe_kimbei.php

ここにも古写真の紹介があり金兵衛がいる。さがせばもっとある。

http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/daki_photo.html

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日下部金兵衛その1

0609a098 明治の彩色写真ではこの人の右に出る人はいない。といっても知る人は少ない。彩色写真とは。レレレレ、なにそれ、、、だろう。日本写真初期の巨人。彩色技術が素晴らしい写真だ。現在のカラー写真以上のしっとりした写真というべき。高度な色差し絵付けの技術。このような色彩工芸技術、色彩感覚の冴えというものは、すでに江戸時代の日本社会には伝統があったことは確かだ。浮世絵の色と構成しかり。きものの京友禅の色の対比や上品な色使い。さらに磁器焼き物の色。美術高級品から実用品まで、ありとあらゆる繊細工芸の伝統と水準。それは日本の文化だ。渋い色、一歩引いた色は当時の欧米の感覚を抜いている。日本人が美しいと考えるもの、粋だと考えるものの感覚レベルの問題だろう。

0609a093 江戸時代の日本人の審美眼。当時の欧米世界の列強諸国が驚くようなレベルだったのだろうと思う。その基礎水準から彩色写真の高度なレベルまで僅かな一歩で届くだろう。

見る人の心を打つ写真というものは、ただ露光すればそれが写っているというものではない。そこが写真家のよって立つところだ。被写体をどのように切り取るかという感覚。そしてそれを効果的に実現する写真技術だ。その意味で見ても写真家としてベアトは優れていた。金兵衛はベアトの使用人として、弟子として奉公して、その後、独立開業した。開業の経緯はいろいろあるが省略。奉公する以前に焼き物の絵付けの内職仕事をやっていた経験があるという。ベアトは明治元年(1968年)にアルバム「ネイティブ・タイプス」という日本の風俗写真集を出した。ベアト最初の彩色写真集らしい。女性の彩色写真があり、金兵衛が絵付けをこなしたらしい。繊細な手先の器用さと、試行錯誤の工夫もしたのであろう。

2494892753_b611f06d36 2366 1832 当時の写真絵付け職人の仕事の様子の写真をいくつかみることができる。京友禅の手差しの様子にそっくりだ。被写体を的確に切り取り、高度な絵付けをする。優れた写真と必ずしもイコールではないが、お金の取れる写真といってもよい。評価される写真というのが的確かも。

しかし、日下部金兵衛は日本写真史からは不当に無視されていた。金兵衛の写真は主に海外向けの高価なお土産であり、特殊な輸出品でもあったからだ。石黒敬章によると今の貨幣価値では一冊50万円、明治10年代から30年代まで、何十万冊も輸出されたらしいとある。当時の外国通貨側からみて、職人芸による手間のかかった価値からすると、びっくりするくらい安かったから売れたのだろう。今ならば、いい仕事してますねという。日本の貨幣価値が圧倒的に安かった時代である。明治の貿易の内容はいろいろあったのだろうが、それが日本の近代化を支えた重要性はいうまでもない。写真は複製芸術でもある。大量生産が可能だ。そのアルバムは横浜写真と呼ばれる。横浜写真という言葉は知る人は知る。個々の秀作の着色写真は知られていたのに、撮影者不詳とされていたのが多い。フジヤマ、ゲイシャといった海外向け低俗写真という先入観による評価もあるだろう。外国人は喜んでも、日本人がフジヤマ、ゲイシャを見るとウンザリするということだろう。たしかに、有象無象による追随者がいて、低俗なフジヤマゲイシャが大量生産されたと思う。二流、三流の横浜写真が何十万冊の中にたくさん存在するのではないかと想像する。

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