バルナックライカその4
この雑誌を見て、最初の数秒間はレレレ、なんだこれは、、、状態になる。横書きで右から左にライカと書いてあるのだ。現在ではこんなの見慣れていないから奇異そのものだろう。1935年、昭和10年の1月号。アルスの発行で定価60銭。堀江宏主幹とある。ライカの第一人者だったそうだ。これはかなり以前に神田の源喜堂に写真集を探しに行った時、ついでに求めた古雑誌。20年くらい前かな。神田の源喜堂はその筋では一番の有名店です。アルスは写真専門の出版社として知られていましたね。
中身はなかなか面白い。堀江宏の記事で、ライカの特質、という小文がある。ライカの優秀さを無理やり論じている。ライカ、コンタックス論争の発端になったものだろう。しかしながら、ライカファンのワタクシが読んでも、アバタもエクボの羅列といわざるを得ない。まったくもう、眼鏡が曇っている。これではコンタックス一派が怒るはずだ。そのくらい酷い。論点は、1ブリキ製、2後壁取外し不可、3一枚撮り、4巻き戻し装置、5レンズ交換方式、6横走りシャッター、7ゴム布シャッター、8千分の一シャッター、9ライカシャッターの特長、10速度調節が廻ること、などなど、だいたいが強弁と擁護である。もしも、ご要望があれば、いつか書きましょう。
これに対して、佐和九郎が論争を仕掛けることになるのだが、面倒なので省略。書籍広告で佐和九郎と堀江宏が対向で出ている。アルスの大広告主であったカールツアイスからクレームが出て、月刊ライカという誌名を廃止せざるを得なくなったというオマケがついている。
佐和九郎と聞いて、佐和式露出計算尺が出てきた人。あなたは立派だけど、ちょっと危ない人です。え、持っているっていう人いましたか。脱帽です。でも、少し心配な御仁です。ワタクシですか、持っておりません。ヤフーオークションに出ていたのを見つけました。欲しいなと思いましたが、踏みとどまりました。以前の記事に書いた関式サロン露出盤は亡父の遺品として持っておりますが。
記事では、パウル・ヴォルフのライカ写真術講和、という小文がある。この人は有名ですね。訳が大田蕾花。こういう名前の人がいたということは聞いたことがあるでしょう。いわゆるライカ本で何回かこの名前を見ておりました。オスカーバルナックの生い立ちとライカ誕生の経緯は、ここにしか書かれていない貴重な情報が少なくない。
記事の中で、堀江宏の、ライカを買った話、には昭和2年4月15日にライカA型を買ったとある。ライカ7年に数ヶ月足りないと書いている。特別割引で206円75銭。番号2357で3型に改造して愛用しているとある。おお、ワタクシのは2409ですが、、、そうでしたか、、うーむ、、、と堀江さんにうなずいたのである。
広告ですが。表紙裏の表2とその対抗が浅沼商会のスーパーネッテルとコダックのレチナ。どちらもいいですね。スーパーネッテルはテッサー3.5付で435円。レチナは195円。スーパーネッテルは亡父が持っていた。コンタックスよりも一番美しいといっていた。ワタクシもフィルム5本くらい撮影したことがある。残念ながらシャッターが壊れた。現在は行方不明。このレチナは使ったことがないが、レチナⅡAならばワタクシが安いのを買って使っていたことがある。コンテッサと甲乙つけ難いほど好きだった。これもシャッターが壊れた。
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