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2007年6月19日 (火)

初代竿敏を入手

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竿敏の歴史は、石鯛竿の歴史である。竿敏でなければ石鯛竿ではないとまでいわれた。いつごろの話なのか。戦後から昭和三十年代半ば頃まで。東作系が太身なのに比較して竿敏は細身が特徴。その後、グラスロッドの大量生産の時代となり、NF16Hが石鯛竿の代名詞となった。海用、川用を問わずに和竿、竹竿は見るも無惨に衰退した。昭和五十年代初頭、カーボンロッドが出てグラスロッドを駆逐。そして現在に至る。

で、ヤフーオークションに初代竿敏三本半を発見。状態はジャンクとある。予想以下の入札価格で入手した。実は初代竿敏の三本半継ぎと三本継ぎを持っている。自分の持っている三本半とほとんど同じ。しかし、ガイドがほとんど飛んでいる。リールシートもオクトバスより古いタイプなので付け替えなければならない。穂先のキャップに割れが目立つ。胴の小傷は多数ある。胴うるしもかけ直した方が良い。現在、オークションに品川和竿のガイドとオクトバスセットが12000円くらいで出品されている。手持ち在庫もいくつかあるのだが、これを利用することにして入手。在庫とは何だというかも知れないが、とにかく在庫なのだ。癖が出ていて竿がかなり曲がっていた。これは火入れですぐに直せる。

その三本半を不注意で破損させて、二代目竿敏に修理してもらったことがある。15年くらい前のことだ。二代目は新宿の弁天町の近くにいらっしゃる。5年くらい前に新宿の国際医療センターで竿敏さんを見かけたことがある。国際医療センターのすぐ隣に東作一門の東俊の弟子の俊貞さんが金太郎釣具店をやっていて、何回か行って話をしたことがある。家業はたしかお米屋さんだったかな。当時は本業もやっていた。浦和に越して専業となっている。

写真の左が新しく入手した三本半。右が古い竿敏。元竿が茶色の総巻きとなっている。古い方が重くて剛竿である。焼き印は小さいのが特徴。節の上下に補修がなされている。固い竹ほど割れる。重い古竹を使っている証明である。口巻きに補強巻きがあるのは竿敏に修理してもらったからで、オリジナルはそのような補強巻きはない。Img_0851 Img_0852 Img_0853

Img_0854_1 竿敏の穂先の特徴はS字ガイドは先端のごく一部だけで、写真のような小型ガイドが使われていること。塗りの特徴は黒の金剛砂と黒の縁塗りである。ひと目で初代の竿敏と分かる。ガイドの巻きは茶色で黒の覆輪があるのがオリジナル。

最後の写真は竿を屋上で継いで撮影したときについでに撮影した新宿方向の風景。

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コメント

昭和30年代半ば磯釣りの同好会のメンバーはお医者さんが多かったように記憶しているその一つの日磯の幹事手元に学生だった友人がいて大きな磯釣りの際は餌や釣り宿磯渡しの船の手配を手伝い代わりに釣りにただで参加をさせて貰っていたその彼が卒業するにあたりお礼に竿敏の磯小物竿を貰ったのを彼の就職の世話をして小生の持ち物になりましたがその間竿の手入れは和竿師にして貰いましたが小生も年をとり釣りに行くのも難しくなりましたので誰か同好の士どんなものですかねーに譲りたいのですが

投稿: 南   武 | 2019年3月 3日 (日) 15時49分

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