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2007年7月13日 (金)

磯釣人魚会の谷島さん

関東の石鯛釣り師ならこの人を知らない人はもぐりであった。ちょっとオーバーかな。非常に残念なことに若くして病を得てお亡くなりになった。具合が悪くなっていた時のやつれた姿を見たことがあるので、遠くから及ばすながら心配していた。ご冥福をお祈りする。わたくしが磯釣りに入門して全磯関東支部の他の磯釣り会の大きな顔をした面々に接したころ、すでに強烈な個性で活躍なさっていた。とにかく有名人であった。顔は真っ黒、声はガラガラ。築地市場の関係者であった。声だけでなく、築地でも少しも負けないガラだ。あ、そうだ、ネット仲間のたぬきさんに似ている。たぬきさんを二回りガラを悪くした感じ。ごめん、ネタとしても知らない人はまったく分からない。突然の不意打ち、ごめん。東海汽船のフィッシングクラブの役員世話人から幹事長になって、その行事を推進なさった。その後、磯釣人魚会の会長となった。自分と同年代とは思ったが、少し上だとしか思えなかった。実は一年下だと知ったのは晩年である。高校生の時から石鯛をやっていたそうなので、自分より10年くらい先輩であることになる。人魚会は石鯛一本の会として知られ、学釣連OBが多いのが特徴。人魚会を知らない関東の磯釣り師は昔だったらもぐりだろう。釣り師の組織運動が斜陽ではなかった時代である。全磯しかり、ヘラの日研しかり。前置きを書くと長くなるのでここらで中断。谷島さんのエピソードは枚挙にいとまがないのでいつかそのうち後日。

この谷島さんが竿敏のフリークであった。ずっと昔、なにかの大会で我々と竿を並べた時、竿敏の元竿をなぜながら、あんなグラスロッドになんか負けるなよ、と奇天烈な冗談を飛ばしてくれたことは記憶に強く残っている。仁さんはガラが悪いから食わない。どちらの餌を食ったらよいか魚は分かっているさ、とかへらず口をたたいた。自分は竹の石鯛竿を2本か3本しか持っていない時でグラスを使うことが多かった。谷島さんも入門時はNH16Hでフルスイングしたと話していたけど。

さて、本題。谷島さんは竹の石鯛竿論を展開する数少ない一人だった。竿敏に関しても知識情報該博であった。ああ見えても、あの人相風体でもかなり研究熱心であった。竿茂を持っていった時に、谷島さん会うと竿茂の石鯛竿について論じた。竿茂をよく知っていた。印象批評からちょっとした竹竿論。筑水を持っていった時にも論じた。ところが、かなり昔だが、御蔵島の沖手房で竿を出していたら、我々のところに他の渡船が近づいてきて、チャカ付けしてきた。すでに何人か竿を出していて、それほど釣り座があるわけではない。誰かいなと見たら谷島さんが乗ってきた。苦笑しながら、こんなところで偶然に、来ていたの、いやいやいやどうも、、、と歓迎の挨拶をした。まさかガンを飛ばすわけにはいかない。こういう時に絶対にガンを飛ばさないのが我々の会の美しい教え。たとえ誰だろうと同じ。支度する道具を見て驚いた。当時のカーボンの一番強い竿、リールはペンの4/0くらい。道糸がめちゃくちゃ太くて釣り物を間違えているようなダイマーニだった。竿敏命の信奉者がどうしたのだ。心境の変化はどういうことか。なんでこんなの使うのかと聞いた。この頃は12キロ以上のヤツを釣ることだけが目的だよ。人魚会の会員が八丈の一の根で記録したヤツは知れ渡っていた。それ以外はいらない。それより小さいのを釣るためにやっているのじゃない。小さいのは釣れないような針を使っている。というようなことを言った。じゃあ、竿敏はどうするのと聞いた。欲しいという会の若いもんに出している。え、なにそれ。会の賞品として出しているんだ。半分は分かるけど、聞いて驚いた。心境の変化。長くなったので、心境変化以前の谷島さんの竹竿論と竿敏論、そして自分の竹竿論は後日改める。これが本題だから、まったく本題に入っていないことになってしまった。長い前置きだ。

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