« 先達の磯釣その6 | トップページ | 先達の磯釣番外、永田一脩その2 »

2009年3月22日 (日)

先達の磯釣番外、永田一脩その1

この人の全貌というものは世間一般ではすでに忘却の彼方へと向かっている。わたくしには、知れば知るほど、尊敬の、いや敬慕の念を抱かざるを得ない。一度お会いしたかった。わたくしはあなたのファンです。著作はほとんど読み、感化されましたと、、、、。レベルはくらべものにならないが、通底する心情や生き方には、わたくしにとって、共感以上のものがあるからだ。

まず、小田原の大久保藩の武士の家系に生まれた。かなりの実家でないと、芸大からプロレタリア運動、高級遊民の生活はできない。そもそも芸大は天才でないと入ることさえできない。わたくしは早くからだいたいの概要は知っていたが、ネットで永田一脩とググると驚くほど出る。

芸大の西洋画には卒業制作に自画像というものがあるそうだ。これがすごい。

ネットで見つけた次のコメントがある。ヒットして読みあさった件数が多いので、本来なら出所明記して引用するべきだが、未整理のまま許してもらいたい。

<<藤田のほかにも、例えば、永田一脩(ながたいっしゅう)という人がいる。
鼻筋の通った細面で、髪を7:3にわけ、前髪がはらっとひたいに落ちている、現在でも通用するようないい男なのだが、自分の頭の上に、フランス語を書いている。C'est un homme で始まるその言葉には、西洋の写生本のようにバラの花が絡みついている。ちょっとーぉぉぉ。これはもう、どうしてくれよう。きざも休み休みにしてくれ。まぁ、かっこいいので許可。それにしても、色白でちょっと甘めで、神経質そうだけど、でもモテただろうな、という顔だった。(何を見ているんだ私。)
この人は、その後どんな画家生活を送ったのだろう? そもそも画家として活躍したのだろうか。 私ははじめて聞いた名前だった。>>

その後、プロレタリア運動に入る。昭和5年プロレタリア絵画論(天人社)を書いている。

虐殺された小林多喜二の蟹工船がブームになったが、戦前のマルクス主義は並大抵ではない。転向問題はどうだったのか気になるところだ。戦前からわたくしの世代くらいまでだろうが、マルクスボーイは少なくない。とにかく根絶されて戦争に投入したのだ。

そして、「『プラウダ』を持つ蔵原惟人」という油絵を書いている。ネットのコメントを引用する。

<< 初っ端から、林倭衛「出獄の日のO氏(大杉栄のこと)」、津田青楓「研究室に於ける河上肇像」、永田一脩「『プラウダ』を持つ蔵原惟人」、大月源治「告別」……とまぁ、物凄(ものすご)い作品が並んでいて圧倒されるが、僕が足を止め胸を熱くしたのは、日本共産党所蔵の川上律江が描いた「面会」だった。検挙された夫との面会を待つ若い母親は乳飲み子を背負っている、その傍らには白い夏服の官憲が監視している、日に照らされた警察署の殺風景な中庭が見える……、これは、この間、宮本百合子の会で読んできた「刻々」「1932年の春」の世界じゃないか!! 瞬間、脳裏には極めてリアルな物語が浮上する。>>

ネットで探すとこの絵は出てくるだろう。いわゆる社会主義リアリズムであり、以上でも以下でもない。

|

« 先達の磯釣その6 | トップページ | 先達の磯釣番外、永田一脩その2 »

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 先達の磯釣番外、永田一脩その1:

« 先達の磯釣その6 | トップページ | 先達の磯釣番外、永田一脩その2 »