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2009年3月23日 (月)

先達の磯釣番外、永田一脩その2

1933年モダンダンスという雑誌が創刊された。永田はこの表紙をデザインしている。以後、寄稿したり、翻訳したりしてこの雑誌に参加している。たとえば、1933年5月号では、表紙デザインの他に「一九三二年の英国ダンス界 永田一脩訳」とか、「ウオルツのヴァリエション(アマチュア・ダンス誌より) 永田一脩」が、目次に現れる。

このころ、明治大学山岳部のOB三羽ガラスと親しくなり、夏は合宿のテントにもぐりこんだり、冬は明大山寮に入り込んだという。釣りより前に山をやった。

その後、どういう曲折があったか不明だが、1938年前衛写真協会という研究会を作りオリエンタル写真のフォトタイムズ社の後援で活動する。滝口修造、田中康夫の名前が出ている。田中康夫は濱谷浩の兄弟で、戦後も写真評論家として活動している。わたくしもかろうじて名前を知っている。元長野県知事ではない。プロレタリア絵画、いわゆる社会主義リアリズムから滝口修造のシュールリアリズム、アバンギャルド芸術に接近するわけだが、この両者の距離は非常に遠いようで実は裏口では繋がっている。コラージュ、モンタージュ。写真の歴史や教科書には定番でお目にかかるものだ。

このころの作品が東京都写真美術館にあった。時代は日中戦争、満州事変、ノモンハン、日独伊三国同盟、もうどうにもならない時代だ。徴兵はどうなのか。1903年生まれだから、モダンダンスが創刊されたとき、30歳。1940年は37歳。写真で見ると、兵隊に取られるような体格ではない。この経歴だと、特高警察や、憲兵隊からノーマークというわけにはいかないだろう。滝口修造も逮捕されたというから、あるいは、そのくらいのことがあっても不思議ではない。

179. NAGATA Isshu, Fire Mountain, 1939 (永田一脩, 火の山)

180. NAGATA Isshu, Title Unknown, 1930s (永田一脩, 題不詳)

181. NAGATA Isshu, Title Unknown, 1938c (永田一脩, 題不詳)

211. NAGATA Isshu, Title Unknown, 1940 (永田一脩, 題不詳)

昭和16年、1941年東京日々新聞に入社。戦争中の話はどこにも書いていないようなので、ずっと新聞社勤務だったのか。18年の冬にスキー仲間と蔵王にいっている。あるいは兵役は内地だったかも知れない。

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コメント

「蟹工船」も「納棺夫日記」も読んでいませんが、釣りの本は読んでみたいですね。
森下雨村の「釣りは天国」「猿猴川に死す」は文庫化したので最近読みました。

投稿: 秋山 | 2009年3月23日 (月) 11時20分

秋山さん、まいど。
あー、そうそう、猿猴って、つり随筆ではなかなかであるというのをどこかで、誰かが書いていたので読みました。ずいぶん前に高い文庫本だったようなと思い出しました。探すと、2005年で最近といえば最近。平凡ライブラリーで1100円の文庫だった。この人は博文館の新青年編集長だったことも思い出した。というか略歴見て1890年生まれで、65年に亡くなったと。昔の釣りがうらやましいけれど、読んでその世界に入りこむようにしている。井伏鱒二にも似た感じを味わうことができる。このあたりの先生になると釣り以外でも読んで楽しい。

投稿: テツオ | 2009年3月23日 (月) 19時10分

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