日本で最初のステレオ写真っていうと2
とにかく、1939年、ダゲレオタイプ発明。この銀板の後に、ガラス湿板以後も、なんじゃら、かんじゃらの歴史がある。わたくしがそんなものをなぞって書いてもどうしようもないので省略。
そこで、日本の写真の黎明期入門書として、「ちくま学芸文庫」の「幕末写真の時代(小沢健志編)」(1994年刊の文庫化で1996年刊)が手頃というか定番かな。この中に1960年幕府の遣米使節団の野々村市の進と川崎道民らのステレオ印画がある。アメリカ軍艦ポーハタンと咸臨丸のときだ。このときに正使たちはポーハンタンに乗艦して少し先行して渡航したのだそうだ。多分、日本人が撮影された最初のステレオ写真だろう。外国のアメリカのスタジオではあるが。
その後、1864年、幕府の第二回遣欧使節団池田筑後の守がパリのナダール写真館でステレオ撮影されている。ナダールという人はその筋ではよく名前が出てくる有名人だ。1862年の第一回遣欧使節団のときにもステレオ写真を撮影されていたかどうか、不明というか、発見されていないようだ。
外国人による日本国内で撮影された最初のステレオ写真としては、1861年英国公使館員ガワーによる神奈川湊がある。横山松三郎双眼写に先立つこと9年だ。
他に、「中橋和泉町松崎晋二写真場(森田峰子)」朝日新聞社2002年がおもしろかった。こういう探索研究をやったらさぞかしワクワクするだろうな、という感想。専門研究者としての仕事というものと、注ぎ込むパワーには脱帽して納得する。松崎晋二は横山松三郎の弟子とされているが、もうひとつはっきりしていないらしい。晋二は、日本が最初に台湾出兵したときに、従軍写真師として参加。明治7年1974年のこと。政府に写真を納入した後、一般に売り出した。かなり高価であった。政府も明治天皇も写真を見た。そして、写真による報告書の威力に驚いた。当時の撮影は直前にガラス板に感光液を組み立て暗室の中で塗って、乾かないうちに撮影するというもの。感光液の薬品の調合が最初の仕事だ。写真術の体得には修行が必要だった。松崎の双眼暗箱での撮影はもっと後になる。その後、明治8年1975年、政府の小笠原調査行にも同行した。このときも政府に納入した後に販売許可を得て一般に販売した。双眼暗箱は持って行かなかったようだ。
しかしその後、松崎が写真販売所で、「双眼写」撮影して売りますという新聞宣伝のくだりで、著者の森田峰子は同じ写真を台紙に2枚貼り、、、、と書いた。なんじゃと、書くに事欠いて、なんたることを。まったくいただけない。正確を期すには視差とかグダグダと表現が難しく冗長になるってか。同じ写真と書かなければよいだけではないか。双眼写真を2枚貼りでも良いかな。
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