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2009年5月11日 (月)

大山講と紅顔の少年、半世紀前

大山講で検索するとあきれるほど出てくる。詳しいのは

http://www.higan.net/blog/edo/2008/06/post_73.html

わたくしは、大山講の体験者として、最後の世代として、現代では貴重かもね。もう少し上の世代の人たちの中では、それほど珍しくないだろうが。実はいつも見ているブログの「気になる下落合」にわたくしの地元の東京新宿、下落合地区の講中の話が出てきた。

これがそのブログのページ。その探索は貴重であり、読んでたいへんおもしろかった。

「富士山は先達いなくちゃ登れない」

http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-05-05

ありゃありゃ、そのうちにボルシーB2というカメラの話を書くときに、この写真と場所は、これこれしかじかと、軽く触れようと思っていた。

Img_4315

「半世紀前にボルシーB2を使う中学生」こんなタイトルで話になるな、まあまあのネタだと思っていた。これはステレオ写真関連の一連の話題が一段落した後に、クラシックカメラの中で、異端個性派の面白カメラの一連の話題を書こうと思っていた。あっちとび、こっちとびじゃなくてね。あまり古くならないうちに呼応した記事を書かなくちゃと思い直した次第。ボルシーB2については、おっつけて近いうちに書きます。

で、わたくしは小学校の6年か、中学1年か、とにかく、そのあたりで大山参りにいったのだ。概算すると半世紀前のことになる。大山講の有名な落語があるが、江戸時代から庶民のいわゆる物見遊山であり、大人の男の娯楽でもあり、実体は飲む、打つ、買うなのだ。もちろん、飲む、打つ、買うをしない人たちも少なくない。ウチは山に登って、いい空気を吸って、自然の中で気分転換を図るという語源のリクリエーション、気晴らしの娯楽という感じでしたけど。たしかに講中では徹夜で博打を打っている大人がいました。お山なんてそっちのけ。

一緒に行った父親は亡くなり、この大山講の詳しい話は聞けない。写真を見ると、はちまきには麗水講とありますね。袢纏に丸大とありますが、大豆を扱っていたの古くからの業者で名前は記憶にあります。そこが講元でしょう。詳しくは分からない。祖父と父親は何回か大山講に行っていた。御師という人がいて、そこに宿泊しました。たしか、都築道夫の小説の中に御師の檀周りのくだりを読んだことがあります。

http://www.higan.net/blog/edo/2008/09/post_85.html

ここに出ています。大山講の話は何ページもあって、非常に詳しい。半分以上は知っていましたが、そうだったのというのもあった。たいていの人は大山講なんてまったく知らないよね。

15年くらい前に、同じ場所でボルシーB2を持った中年の同じ写真をセルフタイマー撮影しようと思って三脚を持って大山に行った。そうしたら、周囲に厳重な柵が作られていて、同じところには座れなかった。残念。

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コメント

うちの近くはまだ農家が多いので、大山講とかあるようです。
浅間神社もあります。
富士山の山開きの日に小麦饅頭作って食べます。

御嶽山にも毎年行って漢方薬を買ってくるそうです。
そんな人たちと自治会をやるんだから大変です(^_^;

投稿: 秋山 | 2009年5月13日 (水) 09時33分

まいど。なんと大山講がまだあるんですか。御師(おし)という人たちもまだ少しはいらっっしゃるそうですね。ググったら小麦饅頭って埼玉茨城千葉北部で祭事によく作られるとあった。まさか、ばあちゃんの若いときは関八州見廻り様が来たなんていっていないでしょうね。
それぞれの講中ってのは調べると、いろいろおもしろいです。オンリーイエスタデーなのかどうかの。絶滅危惧種で天然記念物のような気もします。積み立てがあって、代参があって、六根清浄があって、

投稿: テツオ | 2009年5月14日 (木) 14時00分

わたくしのブログで、ウチの近所の神田川の小滝橋で撮影された明治時代の大師参り連の写真を思い出した。川崎大師と成田山は江戸時代から、大師講、成田講があって、盛んだったという詳しい内容が紹介したページにもあります。
http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2008/03/post_c51c.html

写真は
http://siokaze1.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2008/03/29/imgp5002.jpg

明治の末ころだとすると、高田馬場から鉄道で川崎大師に行ったのだと思います。

投稿: テツオ | 2009年5月17日 (日) 11時24分

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 江戸時代、大江戸Click!市中に住んでいた人々は、武家や町人の別なく府外へ勝手に出ることをきびしく制限されていたから、なかなか旅行をすることができなかった。物見遊山の旅行をしたいと申請しても、まず許可が下りることはなかったが、これが神仏に参詣したいという理由で町名主に届け出ると、裏店(うらだな)住まいの町人でも案外すんなり旅行が許可されていくようになる。どのような規則が作られても、そこには例外が必ず存在するように、“お詣り”という理由さえ立ちさえすれば、時代の安定化とともにある程度自由に旅行がで... [続きを読む]

受信: 2009年5月11日 (月) 23時43分

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