文化・芸術

2009年10月22日 (木)

ベティペイジが落とせない

またまた、なんじゃそれは、、、です。申し訳ない。ベティペイジは知っているという方も少なくないでしょうが、裏のマリリンモンローと呼ばれた女性です。ピンナップの女王とか、ボンテージモデルの女王とも呼ばれる。2005年に半生を描いた映画になり、日本では2007年に公開された。2008年12月に亡くなった。ネットのWikipediaにありますので検索すると出ます。1954年にトップピンナップガールと称されたころ、モンローの全盛期と重なるので、裏モンローとなったわけです。最初はロープや拘束具で縛られた写真がストリップ小屋の脇で売られていたというところが非常に輝かしい。ポルノ追放キャンペーンでやられた。ふーん、そうだったのとWikipediaを読む。アンダーグランドの臭い。俳優養成所時代、演技が下手だったのが彼女の運命だったともいう。でも魅力的です。いや、世代によるかな。1950年代半ばに最も光り輝いていたセックスシンボル。オーラを出していますね。しかも裏面もカバーする女王。そのころの臭いを僅かしかリアルタイムでは知らないのに懐かしむという世代の人間の倒錯かな。その当時に詳しく知っていたわけではない。なんとなく以下という程度です。安保闘争の1960年に中学生でした。アメリカの輝き。輸入時代のプレイボーイ誌。アメリカンポップス。あ、これは高校以後です。

Bb5lkcq2kkgrhquhcmeqvi0vyhibkylu5en では、落とせないとは、なんだ。EBAYのベティペイジのステレオ写真スライドです。なにがなんでもという気持ちではないから落とせない。なんだつまらない。アメリカでも人気があるのです。良いもので170ドルくらいがどうも相場のようです。ちょっと高価。もちろん自制心も働きます。EBAYは世界最大のネットオークション。やってみたら簡単でした。日本のヤフーオークションは評価450くらいの経験があります。PAYPALという支払い口座の開設手続きさえできれば、日本のヤフーオークションより簡単でずっと楽です。英文メールが必要になることはほとんどありません。英文メールは数回やりましたが、ブロークンで通用しました。

リアリスト版のスライドがたまにEBAY出ます。とてもおもしろいものが出る。アメリカ人が1960年代にイタリアに旅行した90枚のセットなんてのがあったり、アフリカのサファリ旅行とか。1枚が1ドルから2ドルくらいが相場。すばらしいステレオがあったりして、そのうち紹介します。

1_a_slides257 Bcku9lgbgkkgrhquhdceqdstwjubkzrbloc ベティペイジはかなりステレオ撮影されているらしい。素晴らしいというかリッパですね。

他の映画スターがないのかな。どうもないという感触です。モンローはごく僅かありまして本になっている。有名な本で、一度EBAYに出たのを見ましたが高くなって落とせなかった。残念です。スライドではあったとしても、聞いたことがないから天文学的数字を覚悟でしょう。

こういうものなら15ドルで落としました。ベティペイジではないヌードステレオです。ステレオではない片眼写真なら、大きいオリジナル写真が30ドルくらいでいくらでもあります。でもボンテージは貴重品なのか、見たことがない。

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2009年3月28日 (土)

先達の磯釣番外、永田一脩その3

永田一脩の略歴がネットにあったので追加する。

1923年、第4回帝展に初入選

1927年、前衛美術家同盟の結成に参加

1928年、第1回プロレタリア美術大展覧会に出品

1929年、日本プロレタリア美術家同盟の結成に参加

1930年、治安維持法により起訴された。

やはり、治安維持法にやられている。モダンダンス誌の前のことである。そして前衛写真協会は1938年である。前衛という名前だけで目をつけられる。モダニズムもダメなのだ。シュールもだめ。その時代では前衛美術もワケが分からないからダメ。この生き方は真に尊敬に値する。小林多喜二が拷問によって死亡したのは1932年2月。

政府は特高警察の資料の全貌を公表していないそうだが、1925年から1945年まで7万人が逮捕され起訴されたのは7千人という数字があるそうだ。被害者側の調べでは虐殺死80人、病気その他の獄死は1400人、送検7万6000人、逮捕数十万人。

また、1976年の共産党の文化評論誌では、194人が取り調べ中の拷問、リンチによって死亡、1503人が獄中で病死、本土での検挙者は7万人という数字がある。日本では少なかった死刑が、植民地の朝鮮半島では民族独立弾圧のために多かったという。

また、ネットから引用。

<<厳密に言えば、日本内地では治安維持法違反で死刑判決を受けた人物はいない。後述するゾルゲと尾崎の所為は国防保安法違反と治安維持法違反の観念的競合とされ、より犯情の重い国防保安法違反の罪により処断、その所定刑中死刑が選択された。そこには、死刑よりも『転向』させることで実際の運動から離脱させるほうが効果的に運動全体を弱体化できるという当局の判断があったともされている。思想犯に転向を勧めるノウハウ、論破・説得術は、一種の芸術のような高レベルだったと言われている。また、時代が進むにつれ、「転向」のハードルは上がっていった。初期は、政治活動を放棄すれば思想を変えなくても転向と見なされたが、やがてそれでは不十分とされ、ついには「日本精神」を身に付けることが転向の要件とされた。>>

うーむ。起訴から終戦まで、どのような精神状態でどのような生活したのか。

そして戦後。治安維持法で起訴という経歴は、とにかく一目置かれることは間違いない。

永田一脩は1965年、日本リアリズム写真集団の第二回総会で副理事長になっている。第三回総会で顧問には中島健蔵、木村伊兵衛、土門拳といった高名な人が名を連ねている。

<<日本リアリズム写真集団は、写真の創造活動を通じて表現の自由を守り、日本の平和と民主主義の発展に寄与しようとするプロおよびアマチュアの写真家、評論家、編集者などで構成する自主的な創造運動体です。>>ホームページの目的から引用。

また、1968年東京勤労者釣りの会の初代会長となった。組織は現在まで健在であり、環境保護や、反ブラックバス勢力の一翼を担っている。釣りは、釣り師が業者、業界に踊らされると、営利のためにどこに行くのか分からないことになる。日本の自然を破壊して、日本の文化を破壊することもある。そうさせないための力が必要だ。残念ながら、そういう自覚が少ないから勤労者釣りの会のような運動の意義がある。

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2009年3月23日 (月)

先達の磯釣番外、永田一脩その2

1933年モダンダンスという雑誌が創刊された。永田はこの表紙をデザインしている。以後、寄稿したり、翻訳したりしてこの雑誌に参加している。たとえば、1933年5月号では、表紙デザインの他に「一九三二年の英国ダンス界 永田一脩訳」とか、「ウオルツのヴァリエション(アマチュア・ダンス誌より) 永田一脩」が、目次に現れる。

このころ、明治大学山岳部のOB三羽ガラスと親しくなり、夏は合宿のテントにもぐりこんだり、冬は明大山寮に入り込んだという。釣りより前に山をやった。

その後、どういう曲折があったか不明だが、1938年前衛写真協会という研究会を作りオリエンタル写真のフォトタイムズ社の後援で活動する。滝口修造、田中康夫の名前が出ている。田中康夫は濱谷浩の兄弟で、戦後も写真評論家として活動している。わたくしもかろうじて名前を知っている。元長野県知事ではない。プロレタリア絵画、いわゆる社会主義リアリズムから滝口修造のシュールリアリズム、アバンギャルド芸術に接近するわけだが、この両者の距離は非常に遠いようで実は裏口では繋がっている。コラージュ、モンタージュ。写真の歴史や教科書には定番でお目にかかるものだ。

このころの作品が東京都写真美術館にあった。時代は日中戦争、満州事変、ノモンハン、日独伊三国同盟、もうどうにもならない時代だ。徴兵はどうなのか。1903年生まれだから、モダンダンスが創刊されたとき、30歳。1940年は37歳。写真で見ると、兵隊に取られるような体格ではない。この経歴だと、特高警察や、憲兵隊からノーマークというわけにはいかないだろう。滝口修造も逮捕されたというから、あるいは、そのくらいのことがあっても不思議ではない。

179. NAGATA Isshu, Fire Mountain, 1939 (永田一脩, 火の山)

180. NAGATA Isshu, Title Unknown, 1930s (永田一脩, 題不詳)

181. NAGATA Isshu, Title Unknown, 1938c (永田一脩, 題不詳)

211. NAGATA Isshu, Title Unknown, 1940 (永田一脩, 題不詳)

昭和16年、1941年東京日々新聞に入社。戦争中の話はどこにも書いていないようなので、ずっと新聞社勤務だったのか。18年の冬にスキー仲間と蔵王にいっている。あるいは兵役は内地だったかも知れない。

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2009年3月22日 (日)

先達の磯釣番外、永田一脩その1

この人の全貌というものは世間一般ではすでに忘却の彼方へと向かっている。わたくしには、知れば知るほど、尊敬の、いや敬慕の念を抱かざるを得ない。一度お会いしたかった。わたくしはあなたのファンです。著作はほとんど読み、感化されましたと、、、、。レベルはくらべものにならないが、通底する心情や生き方には、わたくしにとって、共感以上のものがあるからだ。

まず、小田原の大久保藩の武士の家系に生まれた。かなりの実家でないと、芸大からプロレタリア運動、高級遊民の生活はできない。そもそも芸大は天才でないと入ることさえできない。わたくしは早くからだいたいの概要は知っていたが、ネットで永田一脩とググると驚くほど出る。

芸大の西洋画には卒業制作に自画像というものがあるそうだ。これがすごい。

ネットで見つけた次のコメントがある。ヒットして読みあさった件数が多いので、本来なら出所明記して引用するべきだが、未整理のまま許してもらいたい。

<<藤田のほかにも、例えば、永田一脩(ながたいっしゅう)という人がいる。
鼻筋の通った細面で、髪を7:3にわけ、前髪がはらっとひたいに落ちている、現在でも通用するようないい男なのだが、自分の頭の上に、フランス語を書いている。C'est un homme で始まるその言葉には、西洋の写生本のようにバラの花が絡みついている。ちょっとーぉぉぉ。これはもう、どうしてくれよう。きざも休み休みにしてくれ。まぁ、かっこいいので許可。それにしても、色白でちょっと甘めで、神経質そうだけど、でもモテただろうな、という顔だった。(何を見ているんだ私。)
この人は、その後どんな画家生活を送ったのだろう? そもそも画家として活躍したのだろうか。 私ははじめて聞いた名前だった。>>

その後、プロレタリア運動に入る。昭和5年プロレタリア絵画論(天人社)を書いている。

虐殺された小林多喜二の蟹工船がブームになったが、戦前のマルクス主義は並大抵ではない。転向問題はどうだったのか気になるところだ。戦前からわたくしの世代くらいまでだろうが、マルクスボーイは少なくない。とにかく根絶されて戦争に投入したのだ。

そして、「『プラウダ』を持つ蔵原惟人」という油絵を書いている。ネットのコメントを引用する。

<< 初っ端から、林倭衛「出獄の日のO氏(大杉栄のこと)」、津田青楓「研究室に於ける河上肇像」、永田一脩「『プラウダ』を持つ蔵原惟人」、大月源治「告別」……とまぁ、物凄(ものすご)い作品が並んでいて圧倒されるが、僕が足を止め胸を熱くしたのは、日本共産党所蔵の川上律江が描いた「面会」だった。検挙された夫との面会を待つ若い母親は乳飲み子を背負っている、その傍らには白い夏服の官憲が監視している、日に照らされた警察署の殺風景な中庭が見える……、これは、この間、宮本百合子の会で読んできた「刻々」「1932年の春」の世界じゃないか!! 瞬間、脳裏には極めてリアルな物語が浮上する。>>

ネットで探すとこの絵は出てくるだろう。いわゆる社会主義リアリズムであり、以上でも以下でもない。

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2008年8月 5日 (火)

ああ、赤塚不二夫逝く。下落合焼きとりムービー。

マンガ界の巨星が消えてしまった。ここ数日、いろいろなところで論評されている。何年も意識が戻らず寝たきりであったのを知っていた。やっと楽になったと思う。天才であった。ワタクシが思うに、赤塚不二夫は、この世をギャグで切り返す。人生はギャグだ。それと、酒なくてなんの人生か、の人。なんといっても下落合の赤塚不二夫である。さびしいよ。うちの女房がやっている花屋を何回か使っていただいて、ワタクシがお届けに上がったこともあった。同級生が中井の商店会の役員をやっていた。地元の赤塚さんにお願いにいくとよく協力していただいたと聞いたことがある。こちらは隣りの町会なのでうらやましかった。

全盛期のころ、どこかに試合に行くのか、よく下落合駅にフジオプロの草野球のチームが集まっていたのを思い出す。大量のアシスタントたちのチームだろう。30年くらい前の話。

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さてその頃、赤塚不二夫の伝説の映画。昭和54年。1979年。知る人は知る、「下落合焼とりムービー」。全編ハチャメチャ。誰かが笑えないギャグの連発と書いていた。山本晋也がポルノではない一般映画を初めて監督し、所ジョージ、タモリ、柄本明、佐藤B作、宇崎竜童、内藤陳、たこ八郎、団しん也、アルフィー、近江俊郎、高見恭子、グッチ祐三、モト冬樹、ウガンダトラ、鳥居恵子、司美穂、赤塚不二夫。もちろん資料を見ながら書いている。え、この伝説の映画に出ていたの、そうだったの、という人が多い。

Img_2555 当時のビッグネームは近江俊郎だけで、制作配給の東映では他の誰も知らなかったとか。こんな映画があったとは地元の下落合の住民にはほとんど知られていない。

Img_2556 Img_2558 1996年。こんな本出したのか、と軽く買って読んだ。「下落合シネマ酔館」小学館。赤塚不二夫とやまさき十三の対談形式。映画を愛してやまぬ二人の果てしない対話。抱腹絶倒、笑止千万、罵詈雑言。ギャグ満載の酩酊対談集という腰巻。赤塚不二夫の映画好きはよく知られている。なかなかおもしろかった。

Img_2557 この本の中の写真だが。TV番組にまでなった還暦記念イベント。シェーをやっている打ち上げ風景。右から高井研一郎、山田紫、本人、山本晋也、林家喜久蔵、小野ヤスシ、なぎら健壱、古谷三敏。実は、この舞台は今はなき下落合駅前の山楽ホテルの宴会場なのだ。山楽ホテル。幾多の映画のロケセットに使われた下落合駅前の有名ホテル。下落合に山楽ホテルありと、知っていた人は限りなく少ないが、ペーソス溢れるホテルだった。今は駐車場になっている。おやじさんはまだ元気。評判の良い息子も毎朝、道路を掃除している。

Img_2559 Img_2560 最後に、ユニクロのマンガTシャツ。うなぎ犬。愛用している。ニャロメもケムンパスも出してくれないかな。キャラクターが多いから、もっともっと出してくれ。反体制猫なんて素晴らしい。菊千代も良かった。これは七人の侍の三船がやった菊千代からきていることを山本晋也が話していた。

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2008年5月17日 (土)

高田馬場の手塚治虫

JR高田馬場駅の発車合図は鉄腕アトムの曲。タンタンたらーらランというテレビアニメでお馴染みのメロディ。このメロディーをリアルタイムで知っている人は相当昔の人だろう。若い人は知らないかも。再放送で知っているのかな。いつごろからこうなったのか、よく覚えていない。昔は単純な発車ベルで、それが電子チャイムになった。国鉄民営化以後は間違いないけど。それぞれの駅がそれぞれの理由から選んだ。公募したのかな。プロレスでもプロ野球の個人選手にもテーマメロディがあるという。

印象深いメロディーと意識に残らないメロディーがある。恵比寿駅の第三の男のテーマは耳に入るとドキッとするほどで印象に残る。つまり、空白の心に、ああ恵比寿かと思わせる威力がある。メロディーの印象が強い。オーソンウエルズの映画のいくつかの場面までも浮かぶようだ。高田馬場の鉄腕アトムもそれに近いのじゃないかな。

鉄腕アトムのストーリー設定では、高田馬場に科学技術省があって、生みの親の天馬博士だったかな。また、虫プロが西友の少し先の早稲田道りに面してあった。現在の虫プロは早稲田通りをさらに下って、小滝橋の少し手前、馬場を背にして左に少し入ったところにある。なぜか高田馬場を離れない。

で、今年の4月初めに高田馬場のガード下に新しく出来上がったのが以下の写真。耐久性はどのくらいあるのだろうかと、気になる。昔から謎だったのは高田馬場のどのあたりに科学技術省が想定されたのだろうかというつまらないこと。そして、なぜ高田馬場。単に手塚治虫の仕事場だったからだったのかな。どうして。

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2008年3月 2日 (日)

天上の花

朔太郎の娘で、萩原朔美の母である萩原葉子の小説。当時芥川賞候補になった。調べると選考委員の選評があった。

http://uraaozora.jpn.org/akuta55.html

詩人の三好達治と、左藤惣之助と死別した朔太郎の妹愛子との悲劇が書かれている。愛子は父の妹だから悲運の叔母、悲劇を生きた叔母ということになる。

いずれにしても詩人として生きるということは、常人にはない研ぎ澄まされた切れ味がなければならず、触れば血が噴出すものでなければならない。三好達治も激しい。

しかし、グーグル検索というものはすごい。ワタクシがつたない知識、筆力でダラダラ書くよりも、これだ、というものがすでにあった。だいたい余すところが無いと思う。

http://napotaro.at.webry.info/200703/article_2.html

萩原愛子のその後というものが知りたくなった。で、もうひとつ、三好達治のその当時の45歳という年齢からして徴兵は免除されたのだろうが、戦地で無数の兵隊が斃れていた時代。三好達治は想い続けた愛子と一緒になるために妻子を捨てた。捨てられた妻子である佐藤春夫の姪のその後も気になる。

兄朔太郎が撮影したあのステレオ写真の愛子には魅力がある。左藤惣之助と結婚する前であろう。三好達治が恋焦がれていたのが分かるような気がする。でも反対されて許されなかった。左藤惣之助と結婚してしまった。達治からすれば取られてしまった。

このステレオ写真は、朔太郎が離婚して子どもを連れて実家の前橋に移った時代なのだ。シャッターを切るときには鬱屈した気持ちがないはずがない。葉子は写っていない。妻は浮気して子どもを捨て出奔したとされている。でも、しかしながら、あのステレオ写真の雰囲気は良い。良いステレオ写真だが、これだけの背景がある。

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2008年1月14日 (月)

ノーマンロックウェルの釣竿

ノーマンロックウェルは見ていて楽しい。ああ、あれか。たいていの方がご存知と思います。一度や二度は誰でも見たことはあると思います。画集やポスターもかなりありますので、日本でもファンの方は少なくないでしょう。

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この絵はSUNSETという題だそうですが、かなり有名だと思います。そうでもないか。デズニーのパクリもあるのがおもしろい。釣師なら必ず目がとまるのではないでしょうか。全体のユーモアが良い。こういうふうに好きな女の子と仲良くしたかったなという気持ちと同時に微笑みたいような気持ちになり、暖かくなる。そういう気持ちを見る人が感じたり、思い起こしたりするというところがポイントでしょう。

しかし、この竿がいいです。アバウトな大きなウキもいい。餌入れに使っている空き缶もいい。ミミズが顔を出しているのがいい。

このイラストを見て、古き良きアメリカの一番素朴な釣りはこういうものだったのかということが分かる。日本とほとんど変わらない。日本と違っているのは竹の延べ竿ではなく、棒切れといってもよい竿。手ごろな竹がたくさんある日本から見ると、ちょっとかわいそうな気さえする。

で、ヨーロッパの古い釣り竿に話が続く。アイザックウオルトンの時代、釣竿の作り方というような一節があって、特定の粘りのある木の枝を焼け火箸のようなもので中を中空にして作るというのを読んだ。この竿では調子もなにもないだろうと思う。ただぶるんぶるんしているだけかも。グラスロッドのないころの欧米では高級品はトンキン竹を輸入してバンブーロッドがあっただろうが、子供や下層大衆が使ったのは木の竿で、これが日本の延べ竿に対応していたのではないか。

戦後のイタリア舞台のアメリカ映画に慕情というのがある。この中にイタリアの木の釣竿が出てきたので驚いた。しっかし、ローマの休日に出てくる時代のローマの雰囲気が大好きだが、この慕情もほとんど同じ雰囲気。この時代のローマに旅行にいけたらどんなに良いだろうかと夢想する。

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