お祭り21年
先週、9月11日、12日、地元新宿下落合の氷川神社祭礼が終わった。12日の大御輿渡御は天気に恵まれ、無事に行われた。不景気の影響もあるのか、年々奉納金が細っていくのは苦しいところだ。神社によるが、普通は影祭り、本祭りとするところが多い。影祭りは簡素にする。昔はそうやっていたが、我々のところは毎年本祭りだ。毎年同じようにやらないと、御神輿が上がらなくなるというのが主な理由。御神輿同好会の関係だ。11か12の御神輿同好会が来てくれて、総勢150人近くらいが集まっている。影祭りだから今年と来年は大御輿渡御がない、なんてことになると、肝心の本祭りの年に集まりが悪くなるだろう、という見込みからだ。
以前は数年に一回のペースで各町内の連合渡御が行われていた。最近は不定期となっている。目白駅から出発して目白通りから山手通り、新目白通りを氷川神社までのコース。これだけの距離になると、ウチの大御輿だけでも、200人以上、250人くらいの担ぎ手が欲しい。他の町内も連合となると多くの担ぎ手が必要だ。なかなか集まらない。東京の超有名神社の祭礼以外はどこも同じような現状だろう。もっと厳しいところが多いだろう。
御神輿の修理、メンテナンスの経費をどうやって捻出しようかという悩みもある。子供御輿山車、中御輿の修理も必要だ。
こんな時に会計責任者なんてやるもんじゃないよね。困った、困った。立派な御神輿を持っている町会の悩みだ。立派な御神輿を持っているばっかりに、因果なことになっている。地元の先人たちは、どうしてこんなに立派な御神輿を持ってしまったのだろう。不思議だ。分不相応なんぞといったら、前向きの考えではないと分かっているよ。
で、大御輿の裏を覗いたら、あっけなく判明した。そこには墨痕鮮やかに、「千葉県行徳住人 謹作人浅子周慶 大日本昭和八年九月吉日竣成」と書いてあった。浅子周慶ではないかという疑問はあっけなく判明。去年の当ブログで同じ作りの中御輿の作人札が、浅草の宮本重義とあったので、謎だと書いた。修理に出したらこんな作人札が付いてきたということらしい。そうだとしたら、僭称ではないか。ひどい話かも知れない。
御神輿の大きさは台輪または台座何尺何寸という。明治以前の大昔の作りは台輪だけが異常に大きい作りがある。屋根の作りも簡素で平たいのが多い。昭和以降の台輪は現在と同じ作りにほぼ落ち着いた。浅子周慶は代々襲名して500年、室町末期に創業の老舗中の老舗。その名は鳴り響いていた。残念なことに2、3年前に廃業。昭和一桁の時代に絶頂期を迎え、ウチの御神輿のような総彫りを作った。宮大工系や仏師系の彫刻職人を何人も抱えていないと出来ない作りだろう。戦争に突入して、抱えていた職人は出払い、戦後も総彫りは作れなかったようだ。すべて普通の塗りの屋根である。私見ではこのころの浅子周慶の総彫りが御神輿の最高傑作だと思う。
しかもウチの御神輿は大きい。今年はメジャーで台輪を測った。台輪は3尺。測り方によっては3尺1寸。金具の彫刻の出っ張りを測れば、3尺2寸以上。台輪に比較して背が高い。すらりと高いのだ。胴が締まってスマートである。地元で御神輿に詳しい人も詳しくない人もウチの御神輿は立派だと自慢している。しかも、これが、神社御輿ではなく、町御輿、いわゆる町会御輿なのだ。
そのころの浅子周慶の御神輿をざっと調べると、近所の西落合御霊神社の宮御輿に少し小さいが彫りはもっと立派なのがある。同じく近所の中野上高田の宮御輿でウチより大きくてほとんど同じ作りが一基ある。杉並にも同じ大きさがあるとか。
ネットで見つけたのが大森北の第六天の宮御輿。探せば、10基くらいはあるのじゃないかと想像する。
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