曽我梅林梅祭り
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6時45分髙田馬場駅。ワタクシ、テツオはてっちゃんとよばれていた。だから鉄道ファン初級であっても不思議はない。これから大回り乗車で、夕方目白を目指す。140円の切符。いわゆる大回り乗車。大都市近郊区間ではどのルートでも最安値の運賃で計算するという規則があるそうです。今回は茅ヶ崎から八王子、八高線で高崎、東北本線の小山までまた横に行って上野から山手線で目白駅の予定。
まず東京駅に行って、駅弁を買う。全国の有名駅弁がある。
長距離記録には始発に乗って、終電がマニアレベル。だが、犬の散歩があるので夕方には帰らないと。
八高線高麗川乗換えで、1時間待ち。こんなに本数少ないとは思わなかった。一筆書きならOKだが、同じ駅を二度通っても交差してもダメ。ここから川越行が分岐してるから、そこから大宮も考えた。特急券もグリーン券もOK。とにかくどこをどう行こうと140円で目白駅下車OK。特急に乗って時間を稼ぎ、距離を伸ばすには接続の時刻表首っ引きの調査必要。初級者はそこまではしない。
八高線は良かった。電化されていない。2両編成のジーゼルカー。畑ばっかりの田舎を走る。駅の風情がいい。無人駅もあった。
高田馬場ー東京駅 13キロ 17分
東京駅ー茅ヶ崎駅 58.6キロ 58分
茅ヶ崎駅ー橋本駅 33.3キロ 1時間3分
橋本駅ー八王子駅 8.8キロ 11分
八王子駅ー高麗川駅 31.1 キロ 50分
高麗川駅ー高崎駅 65.3キロ 1時間30分
高崎駅ー小山駅 91.7キロ 1時間50分
小山駅ー赤羽駅 67.4キロ 1時間11分
赤羽駅ー目白駅 6.7キロ 17分
もうじき赤羽駅だ。
上野まで行かないで赤羽で乗り換え。
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一ヶ月前の温泉三昧の話。なんだそれはどういうこと。おとといおいでですな。もちろん本来は磯釣りで4月8日から潮風会有志3人で3日間だった。しかし磯釣りは無惨な結果。まるで喰わない。はい、イシモノの初物を狙い、状況によっては大型メジナという両刀。はい、竿3号、ハリスは4号以上を用意。あわよくばメジナ60cm。だが、お魚のアタリはほとんどない。え、はい、磯釣り聖地のひとつ、八丈小島ですけど。いや、たまには喰っているらしいが、よほどの幸運に恵まれないと無理。ワケが分からなかったが、実は黒潮本流が影響していたことが判明した。
黒潮は八丈を迂回して鉢巻きするという珍妙な現象。U字状流路の中心に八丈があるという形。見事に八丈をよけている。冷水塊がまとわりついたのか、黒潮が冷水塊を八丈に凝集させたのか、そんな想像しかできない。
これが、4月7日の黒潮流路です。なんじゃこれはという流れ。
せっかく意気込んで羽田から飛んだのだが、意気消沈、深く静かに落ち込んだ。こういうこともあるさ。釣れないことが多いからおもしろいのだといいきかせてきた。
さて熟成してきたので、八丈の温泉について。
いろいろありましたが省略して八丈の温泉。北部の八丈富士の方にはなくて、南部の三原山の裾に7カ所あります。1ふれあいの湯、2裏見ヶ滝温泉、3ザ・BOON、4やすらぎの湯、5足湯きらめき、6みはらしの湯、7洞輪沢温泉。
この中で、裏見ヶ滝温泉だけは水着着用なので過去にも入ったことがない。すべて公営の公衆温泉ですが、洞輪沢温泉は地区の自主管理で漁港にあります。地区というか漁村の自治会が温泉を持っているようなもので、まことにうらやましい。ここは無料。
温泉は単純に好きなだけで、マニアの域には遠く及ばない。源泉100%掛け流しが良いくらいは大前提として、まず湧出量と源泉温度、湯質くらいは注意しております。成分分析は勉強が足らないのでよく分からない。温泉に入ったら、石鹸で体を洗うなんてことはしません。出る時は、たとえ酸化鉄の赤い温泉でも、そのまま出る。つまり温泉成分を流すなんてことはしません。むしろ喜んで鉄でタオルを赤く染めてきます。たとえば、硫黄温泉なら数日は臭いが体に付いているというようなことになります。え、温泉が好きという人はみなさん同じでしょ。え、違いますか。
ふれあいの湯。300円。57.8度で毎分386Lとある。これだけ湧出したら文句はない。薄い緑褐色。強食塩泉。温泉成分総計30g。天井が高い木組みだ。法師温泉に似ていなくもない。
ザ・BOONは春の嵐で修理中であった。以前に数回入ったが、現代風のスパ。サウナもある。国の補助金を使って建てたそうだ。53度で毎分500Lと湯量豊富。文字通りざぶんざぶんと注ぐことができる量だ。
やすらぎの湯は藍ヶ江漁港の上にある。300円。温泉成分総量10g。泉質は食塩泉だが透明。木の浴槽は底まで板張りで良かった。61度だそうだ。加水しているのかな。毎分90L。
みはらしの湯。500円。50度。温泉成分総量37g。茶色。成分は濃い。強食塩泉。とにかく見晴らしが良い。おすすめ度は一番か。遠くに小岩戸が見える。昔に渡船で先端に行った。
洞輪沢温泉。43度。毎分150L。無料。ここが一番強烈。荒々しくて素朴。漁港にあるが、ダイバーやサーファーにも利用されている。磯釣り師の利用はどうだろう。あんまりないだろうな。他の温泉と違って、塩分が少なく、重炭酸土類泉だそうだ。パイプから空気と一緒にボコボコと豪快に出ている。ごく薄い茶色かな。個人的にはここが八丈ナンバーワン。
実は、洞輪沢温泉の先に干潮の時に入れる野湯がある。汐間温泉だ。いつか入ってみたい。宿題としておこう。
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新潟県魚沼市。町村合併で新しい市です。こしひかりの本場。わたくしは東京生まれですが、たどるとここから出てきた。といっても明治以降。子供のころの夏休みは毎年、たまに雪の春休みもこの田舎に長期遊んでいました。さてと、いとこ会。たまには父方のいとこ9人全員が顔をそろえようじゃないかということに。上は70代、下でもまもなく60歳になるという老齢年代。いつまで全員元気なのかもう分からないから。
昼前に小出インターで集合して少し離れたところにある弥三郎婆という小さな蕎麦屋にいった。名前がいい。鬼女の民話。権現堂の弥三郎婆もそのひとつでパターンはいろいろありますね。読みは、やさぶろばさ。新潟県民俗学会のHPに弥三郎婆のくだりがありました。
9人やっとという店。ここは弟の推奨。以前弟のブログに書いていたことを思い出した。今回のいとこ会もすでに書かれていた。とにかく蕎麦は抜群だそうだ。このあたりは実は、へぎ蕎麦の本場なのだけど、ここは布海苔を使わない。魚沼地方のいわゆるへぎ蕎麦系ではない。氷水と地元農協の蕎麦粉100%。普通なら、ぼそぼその食感となるのが、そうならない。20年以上微妙な研究の結果という。おもしろい店主だ。
もっとも、へぎとは折り敷の板のことでそこに一口分に小さく盛った形態のこと。十日町で教えられた。広義のへぎ蕎麦となると布海苔のつなぎ入りの蕎麦のことになる。独特の食感がある。
へぎ蕎麦というと十日町から小出、小千谷も有名。十日町では小嶋屋が有名で、
その本場で何回も食べたことがある。小千谷は花火の時に食べたがどこなのか気にしなかった。蕎麦のマニアと思われるかも知れないがそんなことはない。蕎麦についてはマニアがたくさんいる。その中で弥三郎婆にもふれているのが、あった。
つれづれ蕎麦というブログ。
見ると凄すぎて、言葉がない。この人が食べ歩いた蕎麦やの数。ブログから本にもなっているらしい。
蕎麦は収穫量が単位面積で米の1割か2割しかない。地元では補助金がないととてもやっていけないという。そうなのか。しかも土地が痩せている方が蕎麦が良いのでさらに少なくなるというジレンマがある。弥三郎婆主人は、米は一反500キロ、蕎麦は50キロちょっとと説明してくれた。ネットで調べるとありました。
蕎麦を食べた後、そろって散歩。
錦鯉の本場です。細い糸が張ってありますが、鵜など鳥の被害防止だそうです。
湯ノ谷の大湯温泉で宴会。銀山平から奥只見にも行ってきました。
まだ残雪がありました。
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神田川の桜の検索とアクセスがかなりあった。申し訳ない。今年はなんの情報もブログに入れていない。ステレオリアリストの撮影は3回くらい行った。リアリストカスタムとオルデンリアリストの2.8と3.5を使用した。例年の小滝橋周辺と、明治通りの高戸橋から椿山荘下の江戸川橋方面も散歩した。一年で一番気分の良い季節ですが、今年は寒くなったりして変動が大きい。
犬の散歩では毎日神田川両岸の桜並木遊歩道を朝と夕方に通っている。コンパクトデジカメもポケットに入れているので、いつでも、そのうちにと思っていたら、桜の季節が終わりそうになった。
高戸橋は以前に書いた通り、高田馬場の旧町名である新宿区戸塚と豊島区高田を流れる神田川に架かっている明治通りの橋の名前。都電荒川線が明治通りの横を走っている。デジカメ一眼を三脚に乗せたアマチュアカメラマンが何人もいる名所のひとつ。早稲田からカーブしているところで、遠くに見えるビルは池袋サンシャイン。少し昔はこの写真の背中の方から高田馬場から来た都電が同じようにカーブして荒川線と合流していた。えーと、大学の時ですから、40年前。
少し下流の面影橋あたりの川底。岩盤が見えている。また、鮎の遡上を考慮して多段堰とゆるやかな直流部分を設けている。つまり、勾配を緩やかにして、長い滑り台という嘗め滝を作ったのだ。以前は一段堰だった。
しかし、都市河川の泣き所は、雨の増水が直接に川にきてしまうこと。1mや2mくらい水位が上がることは日常茶飯事。どこもかしこも雨を弾いている。雨の大部分は整備された下水道に行くようだが。土の地面がほとんどない。森がない。林もない。草原もない。畑がない。もちろん田んぼもない。あ、牧場もない。
神田川に桜に似ていて対抗するものは目黒川に桜であろう。都心の山手線近辺の環状部分という立地で、河川両岸の桜並木。あちらの方が知名度が上がってきたかも。神田川の方が距離だけなら長いかも。高田馬場を挟んで、遊歩道が途切れているのが弱みだが、淀橋上流から小滝橋下流の旧合流地点である下落合、高戸橋から江戸川橋下流まで。中野区と新宿区と豊島区が遊歩道と桜並木を整備している。目黒川は川幅が広い感じだ。江戸川橋あたりと同じくらいかな。桜はいったい何本あるのかな。橋もひとつひとつ訪ねるとおもしろいかも。川の名前のステータス。神田川の方が上でしょう。つまらない競争をしている。
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地元の新宿区下落合の古い屋敷の森にたぬきが生き残っていたのだが、マンション業者に売られた。都内でもたぬきが生き残っている所は少なくないらしい。しかし、新宿の下落合は目白と高田馬場にはさまれている。ここに生き残っていた。このたぬきは立派すぎて言葉がない。南は河岸段丘で崖。周囲は屋敷の土地が入り組んでいて、公道には狭くて長い通路で接していた。4m幅が30mくらいの長さという。武家屋敷のような門を入って石畳が続けばちょうど良いという感じでお分かりだろうか。いわゆる袋状立地。そこに開発マンション業者は超高級マンションを造ろうとした。地元周辺住人や自然環境を残せという人が、たぬきの森を守れという運動を起こしたことはニュースにたびたび取り上げられたのでご存じの方も多いだろう。正真正銘、都心のたぬき。このブログのリンクに「たぬきの日常」がある。いつも読んでいるが、かなり酔っぱらいのおもしろい川崎在住のたぬきだ。
2004年にこの土地が売りに出された。マンションが建てられないということで業者は動かなかった。しかし、各戸に出入り口を設けた重層長屋という手法を考え出した業者と中庭があるから安全という新宿区の建築課による特例ということで建築確認が出た。
マンションは2009年初頭の高裁判決で中断されたが7割完成。それが、最高裁判決で確定された。業者は新宿区に損害賠償を求めるだろう。そうなれば、新宿区は従うしかない。みどりトラストは自然を残す公園化基金として2億5千万集めた。新宿区には別に公園予算を求めていく。
詳細は以下に詳しく
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先週、9月11日、12日、地元新宿下落合の氷川神社祭礼が終わった。12日の大御輿渡御は天気に恵まれ、無事に行われた。不景気の影響もあるのか、年々奉納金が細っていくのは苦しいところだ。神社によるが、普通は影祭り、本祭りとするところが多い。影祭りは簡素にする。昔はそうやっていたが、我々のところは毎年本祭りだ。毎年同じようにやらないと、御神輿が上がらなくなるというのが主な理由。御神輿同好会の関係だ。11か12の御神輿同好会が来てくれて、総勢150人近くらいが集まっている。影祭りだから今年と来年は大御輿渡御がない、なんてことになると、肝心の本祭りの年に集まりが悪くなるだろう、という見込みからだ。
以前は数年に一回のペースで各町内の連合渡御が行われていた。最近は不定期となっている。目白駅から出発して目白通りから山手通り、新目白通りを氷川神社までのコース。これだけの距離になると、ウチの大御輿だけでも、200人以上、250人くらいの担ぎ手が欲しい。他の町内も連合となると多くの担ぎ手が必要だ。なかなか集まらない。東京の超有名神社の祭礼以外はどこも同じような現状だろう。もっと厳しいところが多いだろう。
御神輿の修理、メンテナンスの経費をどうやって捻出しようかという悩みもある。子供御輿山車、中御輿の修理も必要だ。
こんな時に会計責任者なんてやるもんじゃないよね。困った、困った。立派な御神輿を持っている町会の悩みだ。立派な御神輿を持っているばっかりに、因果なことになっている。地元の先人たちは、どうしてこんなに立派な御神輿を持ってしまったのだろう。不思議だ。分不相応なんぞといったら、前向きの考えではないと分かっているよ。
で、大御輿の裏を覗いたら、あっけなく判明した。そこには墨痕鮮やかに、「千葉県行徳住人 謹作人浅子周慶 大日本昭和八年九月吉日竣成」と書いてあった。浅子周慶ではないかという疑問はあっけなく判明。去年の当ブログで同じ作りの中御輿の作人札が、浅草の宮本重義とあったので、謎だと書いた。修理に出したらこんな作人札が付いてきたということらしい。そうだとしたら、僭称ではないか。ひどい話かも知れない。
御神輿の大きさは台輪または台座何尺何寸という。明治以前の大昔の作りは台輪だけが異常に大きい作りがある。屋根の作りも簡素で平たいのが多い。昭和以降の台輪は現在と同じ作りにほぼ落ち着いた。浅子周慶は代々襲名して500年、室町末期に創業の老舗中の老舗。その名は鳴り響いていた。残念なことに2、3年前に廃業。昭和一桁の時代に絶頂期を迎え、ウチの御神輿のような総彫りを作った。宮大工系や仏師系の彫刻職人を何人も抱えていないと出来ない作りだろう。戦争に突入して、抱えていた職人は出払い、戦後も総彫りは作れなかったようだ。すべて普通の塗りの屋根である。私見ではこのころの浅子周慶の総彫りが御神輿の最高傑作だと思う。
しかもウチの御神輿は大きい。今年はメジャーで台輪を測った。台輪は3尺。測り方によっては3尺1寸。金具の彫刻の出っ張りを測れば、3尺2寸以上。台輪に比較して背が高い。すらりと高いのだ。胴が締まってスマートである。地元で御神輿に詳しい人も詳しくない人もウチの御神輿は立派だと自慢している。しかも、これが、神社御輿ではなく、町御輿、いわゆる町会御輿なのだ。
そのころの浅子周慶の御神輿をざっと調べると、近所の西落合御霊神社の宮御輿に少し小さいが彫りはもっと立派なのがある。同じく近所の中野上高田の宮御輿でウチより大きくてほとんど同じ作りが一基ある。杉並にも同じ大きさがあるとか。
ネットで見つけたのが大森北の第六天の宮御輿。探せば、10基くらいはあるのじゃないかと想像する。
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9月9日、10日、家内と89歳老母と一緒に新潟県小千谷市の片貝花火を見物にいった。知る人は知る片貝の花火。日本一の四尺玉が上がる。小千谷市片貝町の住民は日本一の花火人間たちである。町民の生活は花火と共にある。四尺玉は知っていたが、片貝の花火にこのような背景があるとは知らなかった。感動的でもある。とにかくスゴイ。あっぱれである。褒めすぎではない。こういう町があるのだ。いまでは珍しくないかも知れない三尺玉の発祥地でもある。浅原神社の祭礼に奉納されるのが片貝花火だ。
片貝花火の歴史でググるとたくさん出る。たとえば、
http://www.geocities.jp/noa6171/works-b2001/hanabi.htm
冒頭を引用しよう。
死んだら花火と一緒に夜空に散る。それが夢だ。
「墓も葬式も要らない。燃やして残った骨を星(火薬)に混ぜて尺玉にして打ち上げてほしい。星が微笑む漆黒の大空に、一瞬間だけ輝いて、何もなかったかのように消えてなくなりたい。その輝きが、好きだった人たちの記憶に残るだけでいい・・・」諸行無常か仏陀の教えか、哲学的でもある。
うーむ、スゴイね。中略。
「片貝人」の人生は花火に始まって花火に終わる。子供が生まれると親は我が子の、祖父母は孫の誕生を祝い、神社に花火を奉納する。その子が本家の跡取りならば、親戚中で祝う。小学校入学、中学校、高校合格、親は子の成長を花火で感謝する。そして20歳。厄年、還暦、古希、自ら花火を打ち上げ、人生の節目を知る。村を出た人々は、祭りでより大きな花火を上げることで、故郷に錦を飾る。そして、死。妻が夫が、子が孫が供養の祈りを、空に捧げる。
うーむ、そうなのか、、、。
地元では奉納煙火という。
http://tokihakutaka.fc2web.com/saijiki/0609/060909.html
ここでは地元中学の同級会が20歳、33と42の厄年、50歳、60歳の還暦にみんなで打ち上げると書かれている。結婚式で上げ、子供が生まれて上げ、死んでも上げる。この2日間のために毎日働くという。花火にはたいへんなお金がかかる。
新聞の大きさの花火番付がある。大半が個人の打ち上げだ。家内安全、健康祈願、孫誕生元気で育て、還暦祝いも多い。それぞれ何時何分打ち上げと予定されていて、その文句をスピーカーで流しての奉納打ち上げなのだ。父何回忌追善供養なんてのも多い。すべてがそうなのだ。企業もたまにあるが、提供ではなく、奉納なのだ。とにかく、なにかにつけてドーンなのだ。お祝いでドーン、供養でドーン、記念でドーン、人生の節目でドーン。片貝の人は花火にお金がかかる。同級会は大スターマインの競争だ。たとえば、今年の厄年42歳は36回卒業生の成友会。祝50歳は28回卒業生の双葉会。いいねえ。こういう同級会。お金を貯めてはスッカラカンになるのだろう。町会で上げるのもあるのかな。特別にやるわけでなくても、毎年いやでも花火に30万円くらいはかかると聞いた。一般の標準なのかな。
四尺玉は2発しか上がらないが、一発500万円とか。尺玉以下だったらいくらくらいかな。数万円だろうか。こういうのは尺玉の前後にセットで7号とかいって上がる。尺玉の二段打ちというのが一番多いようだ。
花火撮影はフィルムカメラでステレオ撮影なので、そちらはまだ上がってこない。デジ一眼撮影は一部しかなく、しかもあまり良くない。三脚に載せたステレオバー2台方式の片端に申しわけで載せたようなもの。気合いが入っていない。
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大山講で検索するとあきれるほど出てくる。詳しいのは
http://www.higan.net/blog/edo/2008/06/post_73.html
わたくしは、大山講の体験者として、最後の世代として、現代では貴重かもね。もう少し上の世代の人たちの中では、それほど珍しくないだろうが。実はいつも見ているブログの「気になる下落合」にわたくしの地元の東京新宿、下落合地区の講中の話が出てきた。
これがそのブログのページ。その探索は貴重であり、読んでたいへんおもしろかった。
「富士山は先達いなくちゃ登れない」
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-05-05
ありゃありゃ、そのうちにボルシーB2というカメラの話を書くときに、この写真と場所は、これこれしかじかと、軽く触れようと思っていた。
「半世紀前にボルシーB2を使う中学生」こんなタイトルで話になるな、まあまあのネタだと思っていた。これはステレオ写真関連の一連の話題が一段落した後に、クラシックカメラの中で、異端個性派の面白カメラの一連の話題を書こうと思っていた。あっちとび、こっちとびじゃなくてね。あまり古くならないうちに呼応した記事を書かなくちゃと思い直した次第。ボルシーB2については、おっつけて近いうちに書きます。
で、わたくしは小学校の6年か、中学1年か、とにかく、そのあたりで大山参りにいったのだ。概算すると半世紀前のことになる。大山講の有名な落語があるが、江戸時代から庶民のいわゆる物見遊山であり、大人の男の娯楽でもあり、実体は飲む、打つ、買うなのだ。もちろん、飲む、打つ、買うをしない人たちも少なくない。ウチは山に登って、いい空気を吸って、自然の中で気分転換を図るという語源のリクリエーション、気晴らしの娯楽という感じでしたけど。たしかに講中では徹夜で博打を打っている大人がいました。お山なんてそっちのけ。
一緒に行った父親は亡くなり、この大山講の詳しい話は聞けない。写真を見ると、はちまきには麗水講とありますね。袢纏に丸大とありますが、大豆を扱っていたの古くからの業者で名前は記憶にあります。そこが講元でしょう。詳しくは分からない。祖父と父親は何回か大山講に行っていた。御師という人がいて、そこに宿泊しました。たしか、都築道夫の小説の中に御師の檀周りのくだりを読んだことがあります。
http://www.higan.net/blog/edo/2008/09/post_85.html
ここに出ています。大山講の話は何ページもあって、非常に詳しい。半分以上は知っていましたが、そうだったのというのもあった。たいていの人は大山講なんてまったく知らないよね。
15年くらい前に、同じ場所でボルシーB2を持った中年の同じ写真をセルフタイマー撮影しようと思って三脚を持って大山に行った。そうしたら、周囲に厳重な柵が作られていて、同じところには座れなかった。残念。
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