旅行・地域

2009年9月19日 (土)

お祭り21年

Imgp5954 Imgp5946 先週、9月11日、12日、地元新宿下落合の氷川神社祭礼が終わった。12日の大御輿渡御は天気に恵まれ、無事に行われた。不景気の影響もあるのか、年々奉納金が細っていくのは苦しいところだ。神社によるが、普通は影祭り、本祭りとするところが多い。影祭りは簡素にする。昔はそうやっていたが、我々のところは毎年本祭りだ。毎年同じようにやらないと、御神輿が上がらなくなるというのが主な理由。御神輿同好会の関係だ。11か12の御神輿同好会が来てくれて、総勢150人近くらいが集まっている。影祭りだから今年と来年は大御輿渡御がない、なんてことになると、肝心の本祭りの年に集まりが悪くなるだろう、という見込みからだ。

以前は数年に一回のペースで各町内の連合渡御が行われていた。最近は不定期となっている。目白駅から出発して目白通りから山手通り、新目白通りを氷川神社までのコース。これだけの距離になると、ウチの大御輿だけでも、200人以上、250人くらいの担ぎ手が欲しい。他の町内も連合となると多くの担ぎ手が必要だ。なかなか集まらない。東京の超有名神社の祭礼以外はどこも同じような現状だろう。もっと厳しいところが多いだろう。

御神輿の修理、メンテナンスの経費をどうやって捻出しようかという悩みもある。子供御輿山車、中御輿の修理も必要だ。

Img_4363 Img_4364 中御輿の屋根と子供御輿の屋根。子供御輿は彫りはない。

こんな時に会計責任者なんてやるもんじゃないよね。困った、困った。立派な御神輿を持っている町会の悩みだ。立派な御神輿を持っているばっかりに、因果なことになっている。地元の先人たちは、どうしてこんなに立派な御神輿を持ってしまったのだろう。不思議だ。分不相応なんぞといったら、前向きの考えではないと分かっているよ。

Img_4360 で、大御輿の裏を覗いたら、あっけなく判明した。そこには墨痕鮮やかに、「千葉県行徳住人 謹作人浅子周慶 大日本昭和八年九月吉日竣成」と書いてあった。浅子周慶ではないかという疑問はあっけなく判明。去年の当ブログで同じ作りの中御輿の作人札が、浅草の宮本重義とあったので、謎だと書いた。修理に出したらこんな作人札が付いてきたということらしい。そうだとしたら、僭称ではないか。ひどい話かも知れない。

御神輿の大きさは台輪または台座何尺何寸という。明治以前の大昔の作りは台輪だけが異常に大きい作りがある。屋根の作りも簡素で平たいのが多い。昭和以降の台輪は現在と同じ作りにほぼ落ち着いた。浅子周慶は代々襲名して500年、室町末期に創業の老舗中の老舗。その名は鳴り響いていた。残念なことに2、3年前に廃業。昭和一桁の時代に絶頂期を迎え、ウチの御神輿のような総彫りを作った。宮大工系や仏師系の彫刻職人を何人も抱えていないと出来ない作りだろう。戦争に突入して、抱えていた職人は出払い、戦後も総彫りは作れなかったようだ。すべて普通の塗りの屋根である。私見ではこのころの浅子周慶の総彫りが御神輿の最高傑作だと思う。

Img_4361 しかもウチの御神輿は大きい。今年はメジャーで台輪を測った。台輪は3尺。測り方によっては3尺1寸。金具の彫刻の出っ張りを測れば、3尺2寸以上。台輪に比較して背が高い。すらりと高いのだ。胴が締まってスマートである。地元で御神輿に詳しい人も詳しくない人もウチの御神輿は立派だと自慢している。しかも、これが、神社御輿ではなく、町御輿、いわゆる町会御輿なのだ。

Goryoumiyamikosi2z そのころの浅子周慶の御神輿をざっと調べると、近所の西落合御霊神社の宮御輿に少し小さいが彫りはもっと立派なのがある。同じく近所の中野上高田の宮御輿でウチより大きくてほとんど同じ作りが一基ある。杉並にも同じ大きさがあるとか。

2009negishi1 ネットで見つけたのが大森北の第六天の宮御輿。探せば、10基くらいはあるのじゃないかと想像する。

以前も書いたが深川町御輿には浅子周慶が何基かあるようだ。箱崎4丁目がネットにあった。Mikoshi2005

Ten04 明治初期の浅子周慶では普通の塗りの屋根だ。これは神田。台輪が大きいことが目立つ。

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2009年9月14日 (月)

片貝花火

Imgp5896a 9月9日、10日、家内と89歳老母と一緒に新潟県小千谷市の片貝花火を見物にいった。知る人は知る片貝の花火。日本一の四尺玉が上がる。小千谷市片貝町の住民は日本一の花火人間たちである。町民の生活は花火と共にある。四尺玉は知っていたが、片貝の花火にこのような背景があるとは知らなかった。感動的でもある。とにかくスゴイ。あっぱれである。褒めすぎではない。こういう町があるのだ。いまでは珍しくないかも知れない三尺玉の発祥地でもある。浅原神社の祭礼に奉納されるのが片貝花火だ。

片貝花火の歴史でググるとたくさん出る。たとえば、

http://www.geocities.jp/noa6171/works-b2001/hanabi.htm

冒頭を引用しよう。

死んだら花火と一緒に夜空に散る。それが夢だ。
 「墓も葬式も要らない。燃やして残った骨を星(火薬)に混ぜて尺玉にして打ち上げてほしい。星が微笑む漆黒の大空に、一瞬間だけ輝いて、何もなかったかのように消えてなくなりたい。その輝きが、好きだった人たちの記憶に残るだけでいい・・・」諸行無常か仏陀の教えか、哲学的でもある。

うーむ、スゴイね。中略。

Imgp5849aImgp5852a Imgp5850   「片貝人」の人生は花火に始まって花火に終わる。子供が生まれると親は我が子の、祖父母は孫の誕生を祝い、神社に花火を奉納する。その子が本家の跡取りならば、親戚中で祝う。小学校入学、中学校、高校合格、親は子の成長を花火で感謝する。そして20歳。厄年、還暦、古希、自ら花火を打ち上げ、人生の節目を知る。村を出た人々は、祭りでより大きな花火を上げることで、故郷に錦を飾る。そして、死。妻が夫が、子が孫が供養の祈りを、空に捧げる。

うーむ、そうなのか、、、。

地元では奉納煙火という。

http://tokihakutaka.fc2web.com/saijiki/0609/060909.html

ここでは地元中学の同級会が20歳、33と42の厄年、50歳、60歳の還暦にみんなで打ち上げると書かれている。結婚式で上げ、子供が生まれて上げ、死んでも上げる。この2日間のために毎日働くという。花火にはたいへんなお金がかかる。

Img_4369 Img_4373 新聞の大きさの花火番付がある。大半が個人の打ち上げだ。家内安全、健康祈願、孫誕生元気で育て、還暦祝いも多い。それぞれ何時何分打ち上げと予定されていて、その文句をスピーカーで流しての奉納打ち上げなのだ。父何回忌追善供養なんてのも多い。すべてがそうなのだ。企業もたまにあるが、提供ではなく、奉納なのだ。とにかく、なにかにつけてドーンなのだ。お祝いでドーン、供養でドーン、記念でドーン、人生の節目でドーン。片貝の人は花火にお金がかかる。同級会は大スターマインの競争だ。たとえば、今年の厄年42歳は36回卒業生の成友会。祝50歳は28回卒業生の双葉会。いいねえ。こういう同級会。お金を貯めてはスッカラカンになるのだろう。町会で上げるのもあるのかな。特別にやるわけでなくても、毎年いやでも花火に30万円くらいはかかると聞いた。一般の標準なのかな。

Img_4370 Img_4372 四尺玉は2発しか上がらないが、一発500万円とか。尺玉以下だったらいくらくらいかな。数万円だろうか。こういうのは尺玉の前後にセットで7号とかいって上がる。尺玉の二段打ちというのが一番多いようだ。

花火撮影はフィルムカメラでステレオ撮影なので、そちらはまだ上がってこない。デジ一眼撮影は一部しかなく、しかもあまり良くない。三脚に載せたステレオバー2台方式の片端に申しわけで載せたようなもの。気合いが入っていない。

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2009年5月11日 (月)

大山講と紅顔の少年、半世紀前

大山講で検索するとあきれるほど出てくる。詳しいのは

http://www.higan.net/blog/edo/2008/06/post_73.html

わたくしは、大山講の体験者として、最後の世代として、現代では貴重かもね。もう少し上の世代の人たちの中では、それほど珍しくないだろうが。実はいつも見ているブログの「気になる下落合」にわたくしの地元の東京新宿、下落合地区の講中の話が出てきた。

これがそのブログのページ。その探索は貴重であり、読んでたいへんおもしろかった。

「富士山は先達いなくちゃ登れない」

http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-05-05

ありゃありゃ、そのうちにボルシーB2というカメラの話を書くときに、この写真と場所は、これこれしかじかと、軽く触れようと思っていた。

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「半世紀前にボルシーB2を使う中学生」こんなタイトルで話になるな、まあまあのネタだと思っていた。これはステレオ写真関連の一連の話題が一段落した後に、クラシックカメラの中で、異端個性派の面白カメラの一連の話題を書こうと思っていた。あっちとび、こっちとびじゃなくてね。あまり古くならないうちに呼応した記事を書かなくちゃと思い直した次第。ボルシーB2については、おっつけて近いうちに書きます。

で、わたくしは小学校の6年か、中学1年か、とにかく、そのあたりで大山参りにいったのだ。概算すると半世紀前のことになる。大山講の有名な落語があるが、江戸時代から庶民のいわゆる物見遊山であり、大人の男の娯楽でもあり、実体は飲む、打つ、買うなのだ。もちろん、飲む、打つ、買うをしない人たちも少なくない。ウチは山に登って、いい空気を吸って、自然の中で気分転換を図るという語源のリクリエーション、気晴らしの娯楽という感じでしたけど。たしかに講中では徹夜で博打を打っている大人がいました。お山なんてそっちのけ。

一緒に行った父親は亡くなり、この大山講の詳しい話は聞けない。写真を見ると、はちまきには麗水講とありますね。袢纏に丸大とありますが、大豆を扱っていたの古くからの業者で名前は記憶にあります。そこが講元でしょう。詳しくは分からない。祖父と父親は何回か大山講に行っていた。御師という人がいて、そこに宿泊しました。たしか、都築道夫の小説の中に御師の檀周りのくだりを読んだことがあります。

http://www.higan.net/blog/edo/2008/09/post_85.html

ここに出ています。大山講の話は何ページもあって、非常に詳しい。半分以上は知っていましたが、そうだったのというのもあった。たいていの人は大山講なんてまったく知らないよね。

15年くらい前に、同じ場所でボルシーB2を持った中年の同じ写真をセルフタイマー撮影しようと思って三脚を持って大山に行った。そうしたら、周囲に厳重な柵が作られていて、同じところには座れなかった。残念。

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2009年4月 7日 (火)

神田川の桜09年

今年は東京の桜開花から低気温が長く、開花期間が長いのが特徴だ。神田川では4月4日土曜、5日の日曜がピーク。まだまだ数日は見頃だろう。昨年、ブログにアップした日を見ると3月29日の土曜だった。一週間違っている。今年の開花は早かったのだが。Imgp5679_edited1

正面に見えるのは西新宿の都庁の特徴ある建物。小滝橋下流のここの角度でないと見えない。

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同じ場所の水処理センターの階段から俯瞰。

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小滝橋から上流の右岸にある神田上水公園という細長いスペース。ここ以外は遊歩道だからお花見のシートが続いている。撮影方向。上流に向かってか、下流に向かってか。分かる人。右岸、左岸が分からないとダメです。

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小滝橋からだったかな。川のコンクリート三面貼りが下流と違っていて、川幅もやや狭い。

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途中で見かけた枝垂れ桜。近くで見ると相当違いますね。

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2009年1月25日 (日)

伊豆大島のきょん

潮風会の1月例会は三宅島だったが、海が荒れて連続伊豆大島となった。裏磯の大島公園で見たのが、写真のきょん捕獲檻。

Img_2766a Img_2767a えさはどう見てもアシタバ。山上たつひこのガキデカというのがありましたね。かなり昔です。でもワタクシの年代だと漫画から卒業しているころだから、もっと上の御年配の方々だと多分知らない。なにそれだろうね。死刑のほうは知っているかも知れない。70年代の人気漫画。ナンセンスでおもしろかった。若い人の読後や蕎麦屋とか喫茶店の漫画をパラパラで知っている程度だけど。突然きょんに変身する。倉田まり子―――ってのもあったな。元ネタとして八丈島にきょんという小さい鹿がいるらしいと知った。現在は動物園にいる。その当時も動物園だけだったのかは不明。

Img_2765a Img_2765a_2 大島のおばはんに、きょんの捕獲やっているけど、大島でどうして増えちゃったの、と聞くと、大島公園の動物園から逃げて繁殖したらしい。そういえば大島も三宅も噴火で全島避難なんてのがありましたね。台風もあるし。

ネットできょんを調べると、中国から台湾原産の鹿の仲間。最高級のセーム革が採れる。カメラや眼鏡を拭きました。現在では傷がつくから厳禁となっている。きょんは千葉県でも野生化して大繁殖、被害が目立つらしいとか。こっちは行川アイランドから逃げたらしい。大島では畑の野菜がきょんに喰われて大被害だとか。他にも大島では台湾リスと台湾猿も有名ですね。やはり動物園からでしょう。動物園の管理はよほどしっかりしないといけない。大島は戦前から観光が大きな柱だった。大島砂漠の駱駝とか。手頃な小動物園は全国各地に古くからたくさんあっただろう。、動物の脱走事件はどこでも起こりえる。野生化した大島のきょんにとっては生活環境が良かったのじゃないかな。

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最後の写真は大島名物の屋台。港で一杯飲ませるところ。戦前からあった。年期の入った大島あんこ。出せますものはサザエ、蛤、アシタバ。最盛期は12人いたらしいが、いまでは2人だけ。老齢化。あるいは商売にならなくなったのかも。当日使った竿敏3本継ぎ八幡野調子。帰りの東海汽船はガラガラ。こんなに空いてたのいまだかってなかったな。

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2008年11月 7日 (金)

中学の同期会20年

Img_2761 Img_2762 Img_2763 毎年開くことになった新宿区立落合中学校の同期会。1962年卒業だから、46年前か。さすがに消息不明の人が多くなっているのは致し方ない。A組からE組まで5クラスだった。クラス42名から44名。卒業時216名だった。昭和21年生まれだから団塊直前世代ということになる。しかし、団塊の認識だよね。正真正銘、戦後を生きてきた。その半数強が不明。ほとんどが引越で所在が分からなくなっている。また、分かっているだけで、クラス平均4人から5人が亡くなっている。約10%か。不明の方もいらっしゃるだろうからもっとだな。そういう年齢だよね。

同期会は固定常連メンバーがいて、たまに来るグループ。いつも、はじめて参加メンバーも加わる。

Img_2765a 今回は母校訪問という企画。我々の時代とは雲泥の差。一般の公立中学から見ても、かなり飛んでいる。知らない人は驚く。その建築デザインから公立中学全国100選に入っているそうで、よく視察に来るそうだ。職業家庭科とか理科室、図工美術室や英語室とか専門教室の充実は時代の流れだろうが、音楽室があきれるほど凄い。説明役の副校長は6校か7校は歴任しているそうだが、ここは驚いたという。

屋上にプールがあるのだが、そこから新宿高層ビルの夜景、振り向けば池袋のサンシャイン60の夜景。視察に来た地方の先生方はこれを見て恐れ入りましたとなるそうだ。

現在の生徒数は総数277名。うち約100名が旧学区外から。つまり人気中学。新宿区外は16名。ふーむ。新宿の公立学校は統廃合が進んでいるのだが、我が落合中学は大丈夫みたいだな。某女史は、もう一度この中学で学びたいと、ため息がらみで漏らしたが、同感。

Img_2779a Img_2777a Img_2780a Img_2768a Imgp5284a Imgp5291a 母校から高田馬場の中華飯店で宴会。話はつきない。元気で再会を誓う。また、参加率を高め、新規開拓も必要。なにかの工夫、努力もしなくちゃなるめい。

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2008年10月26日 (日)

紅葉の谷川ロープウエイ

金曜日、大雨の中を老母と群馬県水上温泉に行った。来月初旬に米寿の祝い。その下見と打ち合わせ。そこは水上温泉の最も古い旅館だという。利根川上流の切り立った崖の下が源泉だそうだ。その崖の上に立っている。もちろん源泉掛け流し。46.2度の毎分700L。良い温度でそれなりの湧出量だ。湧出湯量が少ないとどうしようもない。水上温泉は数年前に温泉疑惑のニュースに登場した。一滴も温泉がないのに入湯税を取っていた宿があった。


土曜。朝から晴れた。谷川岳ロープウエイに向かう。お手軽に雄大な紅葉を一望できる。ちょうど見頃。以前の小さなゴンドラから22名の大型になった。片手懸垂の時にも乗ったことがあるが、両手懸垂となり、以前よりも安定している。天神平からさらに上に行くリフトは88歳の年寄りには無理。
もうひとつおまけに法師温泉に立ち寄り入浴。あの温泉はまた行きたいと、老母は気に入っている。湯沢の貝掛温泉の帰りに寄ったことがある。高峯秀子のフルムーン旅行の写真で有名だが、人気が高い一軒宿。なんと混浴。貝掛温泉とは三国峠を挟んで反対側になる。とにかく建物全体が昔のままを残している。湯船の底は玉砂利に適当な丸石。昔は川底から湯が湧いていた場所。堤を作って川を蛇行させ湯船を作り、屋根を作ったといわれる。Img_2722Img_2720_2
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2008年9月20日 (土)

お祭り20年その2

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「江戸の御輿」の本の中に「深川五十基」という一項があり、その写真があった。現在は四基増えて54基と聞いているが、その中で屋根が総彫りの御輿を探した。Img_2651 東陽5丁目、台輪2尺5寸。三好2丁目台輪2尺3寸。箱崎4丁目、台輪2尺5寸。新川2丁目、不明。清澄2丁目、台輪2尺3寸。豊Img_2654 Img_2655 洲、台輪2尺8寸。これは写真の写りが不鮮明で塗りの屋根かも。古石場2丁目、台輪1尺8寸。50基だからImg_2657 Img_2658 Img_2638 1割強が総彫り。江戸の御神輿の本場であるから、それぞれの町会は御御輿自慢が少ないないだろう。

ウチの御神輿は台輪たっぷり3尺。もしかしたら3尺3寸あるのかな。こんなことならメジャーで測るのだった。台輪に比較して、写真で分かるようにタッパがあり、ものの見事にスラリと立ち上がっている。見た目、スタイルが良いのだ。御神輿を見慣れている人なら分かる。御神輿の同好会にはたいへん人気がある。そういう人たちがたくさんいて、多くの同好会が来てくれるから、ウチの御神輿が上がるわけだ。そうでなければ、とてもとても。

Img_2621 Img_2618 分相応なのは中御輿かな。中御輿だけど、作りは同じで、立派だなと思っている。

とにかく、町御輿としては都内屈指といっても良いかな、、、と地元御神輿自慢になってしまうが仕方がない。宮御輿でウチのとほぼ同じ大きさでそっくりなのがあります。

で、土地の古老に話しを聞くと、昭和7年の浅子周慶だという人がいる。箱崎4丁目の総彫りが浅子周慶の昭和11年だそうだが。御神輿にそれほど入れ込んでいないので詳しくないが、それでも浅子周慶と後藤直光、宮本重義くらいの名前は常識として知っている。常識じゃないってですか。いや、これは基礎ですよ。別の話では、亡くなったお祖父さんが、町内の人と一緒に浅草に御神輿を買いにいったのよ、と近所のおばさん。これはうなずける。

Img_2617 なぜなら、ほぼ同じ作りの中御輿と子供御輿があるが、作人札に浅草聖天宮本重義とある。大御輿の作人札が見あたらないのでこんがらがっている。どこかにの裏に銘が墨で書かれていないかなと探したが見あたらない。そのつもりで何人かに聞けば判明するだろう。

Img_2620 中御輿は総彫りで、だいたい同じ作り。子供御輿は塗りではなく白木の屋根。

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2008年9月19日 (金)

お祭り20年その1

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Img_2640 地元の秋祭りが終わった。新宿下落合の氷川神社。わが地元の大御輿はいつみてもかっこいい。特徴のひとつである、屋根が総彫りの御神輿ってどのくらいあるのだろうか。気になる。尊敬するブログの「気になる下落合」(当リンクにある)ではないが、気になる下落合の御神輿だ。

Img_2660 手元に昭和56年発行の「江戸御輿」という本がなぜかある。本箱の奥から探し出した。著者は小沢宏之、発行は講談社。下町の撮影をライフワークとしている人だ。祭り情景と江戸御輿の主なものは撮影されている。宮御輿が多いが、町会御輿の写真もある。宮御輿は神社御輿、本社御輿とも呼ばれる。

Img_2659 この本の中に、神田の宮惣の五代目、村田圭一さんの「江戸御輿の歴史」という小文がある。

これによると、江戸時代から、いやそれ以前からも御輿は大神社の社領地の人足雇用者が白丁(はくちょう)姿でつとめた。つまり白装束。これが神社としての祭りの中心であった。ところが江戸の民衆の祭礼参加願望は強く、山車、曳き物、附祭(歌舞音曲等)にそのはけ口を見いだした。とある。これが町内氏子の参加型の祭りとなった。附祭(つけまつり)は、地走り、底抜け屋台、踊屋台、曲芸から曲馬までにエスカレート。幕府が禁止令を出したこともあった。つまりお祭りの余興だ。なるほど、そうか。しかし、地走りって何だ。どうも踊り歩きらしい。底抜け屋台は聞いたことがある。底がない箱の中に入って歩いて踊るのだろう。社領地のない神社では氏子の御輿担ぎ奉仕を懇請した事例があったが、御輿担ぎが庶民に開放されていたわけではなかった。とある。

山王、神田は天下祭りで幕府の庇護のもと、古今東西その比を見ない豪華絢爛なものであったという。王朝の都、京都のいろいろなお祭りと比べて、江戸幕府の膝元。だからやはり豪華さでは上をいったのであろう。いまひとつイメージがわかない。が、山車中心の祭りは日本各地に見られる。しかし、主役を御輿に明け渡したのは江戸、東京だけ。御輿は奈良時代から記録に残る。それは関西系の御輿に発展して現在に至る。江戸の初期、この関西系から変化したのが関東系と書かれている。関西形は室内における御高座が念頭にあり、関東形は台輪上を境内にみたてている。とある。ともあれ、江戸から東京になり、民衆参加型の山車から神社御輿ではない町御輿に移り変わっていく歴史だ。どうも明治中頃が大きな転換点のようだ。東京市中の電灯線や市電網充実、つまり電線が障害となり、山車は地方都市にかなり売られていったようだ。

Img_2642 大正2年内務省訓令、神社整備の指導要綱通達というのがあり、神社が切実に対処することになる。つまり神社御輿の整備をお上から公式に迫られた。平行して民衆参加型の山車は町御輿、町会御輿に変わっていった。町御輿では深川が先導して、山車に未練をもった山王、神田の氏子は立ち後れ、後塵を拝した。明治42年深川の御輿は大42台、小12台で繰り出した。とある。

以前も書いたが、なんといっても御輿は深川だろう。民衆参加型の町御輿の代表的存在でもある。神社御輿と町御輿は役割と経緯が異なる。つまり歴史が違う。それが同じようになってしまっているのが現状である。いわゆる神社御輿、宮御輿、本社御輿は大きな神社では人足が白丁姿でしずしずと担いだのが主流だろう。一方で宮御輿さえもない神社も少なくなかったようだ。町会が作った町御輿は町内の氏子が参加して、以前の山車に変わって年に一度のストレス発散の場となった。施政者は民が下手に暴発しないような安全弁を必ず作るのだ。祭りは安全弁のひとつとも考えられる。ともあれ山車は地方に存続して、東京は御輿に移り変わった。こんなところだろう。

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2008年8月30日 (土)

尾瀬の夏

8月のお盆を過ぎて平日に家内と尾瀬にいった。お盆を過ぎると急に閑散としてしまう。今回は三条の滝まで行くことが目的のひとつ。当ブログの流れにそぐわない、普通というかよくお目に掛かる標準写真ブログの典型内容とならざるを得ない。ひねりようがないし、マニア化させるには尾瀬の知識経験が不足しているからだ。
でも夏の尾瀬の木道をゆっくり歩くのは、やはり気分がよろしい。早朝に雨があがってガスが見る見る薄れて晴れてきた。青空になった。前日はものすごい豪雨。三条の滝まで行って、午後早い時間に温泉小屋に入ったのが正解で夕方にはまた豪雨になった。翌日は朝から雨。しかし、だいたい小雨。

1
雲薄れる至仏


2
逆さ燧


3a
尾瀬の木道


3
イワショウブ

4
オタカラコウというらしい

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カラマツソウ


6
サワギキョウ


続きを読む "尾瀬の夏"

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2008年5月 2日 (金)

今年も薬王院のボタン

アクセス解析で薬王院のボタンのフレーズ検索から来る方が何人もいらっしゃることが分かった。たしかに昨年アップしている。なんだ去年のか。今年がなくて申し訳ない。見頃になりましたなんていう情報が良いのでしょうが。んー、一応撮影しています。例年、4月29日の旗日がベストと思っている。地元の年中風物ですから。でもねえ、、。ステレオ撮影もしているのですが、なんとなく萌えるものがない。しかし、定点観察ということもあるし。。いつもの解像度の640くらいから800から950まで大きくしてみました。

ステレオ分はフィルムとデジ一眼アダプター。整形が面倒くさいから暇があって、気が向いたらそのうちということでお許しください。

Imgp5118 Imgp5081 Imgp5075 Imgp5073_edited1

Imgp5122 ついでに、薬王院のすぐ隣の、最近まで畑であったところ。野鳥の森公園という小さな公園の前でもあります。東京の新宿とは思えない、時間がズレた雰囲気。いかにも野良というかダラリとしたオーラが。

Imgp5123 さらにウチの隣のバラの垣根。これはモッコウバラといって、ひとつひとつは1cmくらいの小さなバラです。集まっていると一体となった大輪に見える。これが密集しているところはたいしたもんです。

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2008年3月29日 (土)

神田川の桜ステレオ編

ペンタックスデジ一眼に以前紹介したステレオアダプターで撮影した。ステレオペアーの画像をアップするのは面倒で難しい。平行法裸眼立体視できるサイズを想定して縮小するわけだが、ビームスプリッターは中央に黒い部分が入るのでカットして画像編集しなければならない。Imgp5014 Imgp5015 Imgp5016 Imgp5017 Imgp5018 Imgp5019 Imgp5020 Imgp5021 Imgp5023 Imgp5026 Imgp5027

Imgp49861 このなかで、柏木不動は中央の黒い部分をカットしていない。そのままである。これでも大丈夫じゃないかな。

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今年も神田川の桜

桜の季節が来た。神田川と妙正寺川の旧合流点から上流に向かって青梅街道の淀橋まで桜並木が整備されているらしい。しかし、そこまで行ったことがない。今日は大久保通りの手前あたりまでデジカメを持って歩いてきた。高いところから俯瞰したのは、下水処理場の階段を上がって。ここで処理された水が神田川に入っているのだが、アユが遡上するほどの水質になっているらしい。

Imgp4993 Imgp4999 Imgp5000

神田川には上流で善福寺川が合流して中流の落合で妙正寺川が合流していた。現在は、改修工事によって落合では合流していない。新目白通りの地下を流れて明治通りの高戸橋で合流している。高戸橋の名前は高田と戸塚の地名からそれぞれ取った。今は新宿区戸塚という地名は消えた。こういういいかげんな命名は少なくない。中央線に国立ってありますが、国分寺と立川からきているそうだ。

Imgp5004 Imgp5005 Imgp5007 早稲田通りの小滝橋に里程標があった。隅田川まで10km、源まで14.6kmとある。源は井の頭公園の井の頭池。善福寺池もあり妙正寺池もある。井の頭池は行ったことがあるが、善福寺池と妙正寺池は行ったことがない。それぞれ昔は豊かな湧水池であったということはよく知られています。

神田上水のことを書き始めたらきりがない。興味のある方はネットで検索するといくらでもあります。

Imgp4995 Imgp4990小滝橋から上流の遊歩道は広くなっていて、ウチのそばの下流とは作りが違っている。                           Imgp5008     

                  

                     

                   

                 

Imgp5002 明治後期の小滝橋の写真があった。幅が3間ないな。板橋だ。この人相風体は大正、昭和の人ではない。明治の人だと分かる。ちょんまげがあれば江戸の人だ。この人達の大師連って、どこの大師だろう。川崎が普通だけど、まさか西新井じゃないだろうな。川越かな。

中央線の下に柏木不動があった。知らなかった。でもねえ、大型犬の犬小屋くらいの大きさ。可愛いというか、変わっているといっているのであって、他意はありませんので念のため。デジ一眼にステレオアダプターで撮影したのでそちらは別にアップします。小滝橋と中央線の間に、きれいばしというのがあった。なにが綺麗なのだろうと思ったらこういう字だった。Imgp5011

東中野の日本閣は高層マンションになっていた。

Imgp5030 このあたりに一箇所、やや急流になっているところがあった。Imgp5031

神田川の桜に絞ると。高戸橋から江戸川橋まで桜が続いていて名所になっている。とくに椿山荘の下の江戸川公園は有名だ。これに対して小滝橋周辺の桜並木が整備されたのは比較的新しい。

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2008年1月 1日 (火)

地元氏神様に初詣

みなさま、あけましておめでとうございます。

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Img_1996a 大晦日の0時近くになって、地元の薬王院から除夜の鐘が聞こえてきました。地元の氏神様に初詣に行きまして、先程帰ってきました。下落合の氷川神社ですが、なんだか今年は初詣風景ということでテレビに映っていたということです。なぜ都会の変哲ない下落合氷川神社が選ばれたかは分かりません。偶然でしょう。地域密着の神社の初詣ということで手ごろだったのでしょうか。馬場下の穴八幡なら全国区レベルの知名度ですから分かりますが。高田馬場近辺では諏訪神社と早稲田の水稲荷あたりの方が知られていると思われます。

神楽殿で地元の子どもがお神楽をやっていました。

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お炊き上げの結界は例年通り。約一間四方に忌み竹を立て、注連縄をめぐらす。注連縄にはお約束の御幣。昨年の破魔矢とお札を持っていってお炊き上げいたしました。いつもここでしばらく火にあたっています。暖かい。なんとなく燃える火を見つめる。

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参拝の列は鳥居から出て、長蛇の列となっていて、30分以上並びました。ニ拝二拍一拝。二礼拍手一礼というのかな、よくわからん。例年破魔矢と氏神様のお札だけですが。お伊勢様のお札は省略。ほんとはお伊勢様もいただくのが本式。知っていて省略するところが、抵抗というか、こだわりです。

写真はいつもの初代IXYですが、夜景モードで簡単。良く写っていますね。撮影モード選択というカメラのメカの進歩。だいたい、神様を写真に撮ってはいけない。今年も、中学同期の平尾君と会いました。地元睦会の甘酒サービス。出会った町会やお祭の睦会の人たちと新年挨拶をして例年のパターン終了。

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2007年9月10日 (月)

御神輿

御神輿にはマニアがたくさんいらっしゃる。実はお祭りや御神輿は地域の伝統であるから手伝っているだけで、それほど好きではない。といっても時期になれば、やはり熱が入る。仕方がない。御神輿には町会御輿と宮御輿がある。宮御輿は本社御輿ともいう。それぞれ地域の伝統がある。

江戸三大祭りというと、神田、山王、深川という説があり、また神田、山王、三社、あるいは神田、山王、根津ともいう。江戸時代、幕府の天下祭りは隔年で神田祭、山王祭であったが、根津との三社で交代に行うようになった。江戸城に行列が入って将軍の拝礼があったという。

御輿深川、山車神田、だった広いが山王様。こんなことわざ知らないよね。書物に出ていた。町会御輿連合渡御ではなんといっても深川。かけごえは、わっしょい。地域が広いので三社のように上下に揺らさず、マエマエといいながら速く進む。深川四十八ヶ町の各町会が競って御神輿を作った。神田、山王は山車に未練を持って深川に立ち後れたという。これに追随して明治末から東京のほとんどの地域で町会御輿が広がった。これも昭和7年の上海事変まで。戦争に突入していく。ウチの御輿はちょうどこの最後だね。どうして、こんなに立派な御神輿を作ったのか。初めて見る人は宮御輿ですかという。あ、これは御輿を多少は知っている人ですけど。謎だ。ウチの地域の景気が良かったのか。近衛さんは大正には目白の土地を売却した。相馬子爵と徳川さんの分家が大口の寄付でもしたのか。よく分からない。

わっしょい。朝鮮で神様がいらっしゃったという言葉だそうで、古くから伝わったかけごえ。ついでにソイナーは、鳥越のかけ声で、御輿に添いなさいという意味だそうだ。いまや都内に広がっている。おりゃ、は三社で賑やかなかけ声とある。おいさっの訛りという説もある。子供のころは、わっしょいだけしか知らなかった。東京の神社のお祭りの元は深川の町会の御神輿ではないかと思っている。

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お祭り19年

なんだかんだと忙しくて長く更新できませんでした。固定客のみなさま、申し訳ありません。8日9日と地元の祭礼が終わりました。新宿下落合の氷川神社です。山手線の外側で高田馬場と目白の中間に位置します。氷川神社というのは水というか川に関係のある氏神様で関東中心の系統です。妙正寺川と神田川が合流しているので落合というのですが、縄文時代から川沿いに集落がありました。遺跡や古墳があります。川が暴れて氾濫したので鎮めるための、そういう関係の神様です。関東のいたるところに氷川神社はありますね。この関係を調べて書くとなると長くなるので省略。もっとすごい地元下落合専門のブログがあります。

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お祭りは土曜の朝6時から設営がはじまって、月曜の朝6時集合で撤収がさきほどやっと終わりました。ずっと、準備がいろいろあって、他のことをやる気がしなかった。同級生が他の町会にもいて、同じようなことをやっています。鉢洗いは夜に行われます。鉢洗いという言葉は知らない人はまるで知らないでしょうね。

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写真はウチの中御輿で例年初日の宵宮に担ぎます。作りは大御輿と同じで昭和7年製の総彫りです。これでも普通の町会の少し小さい御神輿のサイズでしょうか。姿が良く、作りは立派だと思います。ほとんど同じ作りで子供御輿もあります。以前に書いたように今年は連合徒御。目白駅前から目白通りを山手通りで左に曲がって、新目白通りをまた左に曲がって山手線方向に向かいます。

Img_1621ed_2 山手通りの休憩で連合の御神輿が揃っている写真。揃っていると大きさが分かります。次は新目白通りを通過して、ウチの前です。

Img_1627ed_2 御神輿は昔の町会ごとに持っていますが、町名変更の住居表示には対応していません。この件に関しては徹底抗戦して旧町名が残った牛込地域に敬意を表します。旧牛込区、旧四谷区、旧淀橋区が合同して現在の新宿区となりました。

次の写真はそれぞれの旧町会の御神輿です。東睦の御神輿は屋根は塗りではなくて彫りですね。ウチの御神輿に似ています。単独の写真では大きさはよく分かりませんね。

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2007年4月21日 (土)

薬王院のボタン

うちから、さくら並木の神田川と反対側、北に100mくらいのところにボタンで有名になった薬王院がある。自分が少年時代にはなーんもなかったところ。なんだか有名になった。マスコミで紹介されるようになって20年くらいかな。遠方からおじさん、おばさん、ばあちゃん、じいさんが大挙して見に来るようになった。実は狭い場所なのだ。とりあえず撮影した数点。ステレオ写真の良い被写体で、以前は数百枚以上は撮影したかも。しだれの桜が一本あり、シャクナゲとハナミズキも一本ある。門前のおじさんは知らない人。Imgp4766_edited1 Imgp4750_edited1 Imgp4753_edited1 Imgp4756_edited1 Imgp4751_edited1

続きを読む "薬王院のボタン"

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2007年4月 1日 (日)

神田川の桜

Imgp4734_edited1 今日、4月1日日曜。どこでも桜が最高。ウチから100mの神田川流域の旧落合付近から小滝橋まで桜の名所になってきている。小滝橋から中央線を越えて青梅街道の淀橋まで同様の景観となっている。遠方から来た見物人が多い。さらに高田馬場から下流も両側に桜並木が繋がる。椿山荘の下も名所。

正面には池袋のサンシャインビル、黄色の西武新宿線を見る。画面の下流50mくらいが妙正寺川との合流点、落合である。

とりあえず撮影した数点。

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