磯釣

2009年10月26日 (月)

先達の磯釣りその8

その7で触れた関東磯釣クラブの井ノ口和雄さん。ほとんどリアルタイムに近くなってしまった。実は、以前の先達の磯釣りの記事の中にも登場しているが、日本磯釣倶楽部で全磯連初代会長の三谷嘉明を欠き、磯釣同和会から関東磯釣クラブの野口勝弘を差し置いてはまったくバランスが悪い。歴史上の人物だから敬称略ね。あ、理論家の長岡輝衛も欠いている。その理由は、エポックメーキングな磯釣りの著書を背景にしているからだ。長岡はかなり書いているが、たしかまとまったものはないと思う。

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注意。以下本気で読んだら長いよ。それでも駆け足ではしょって書いているけど。

昭和44年井ノ口和雄さんは「離島の大物釣り」を書いた。473ページある。すごいものだった。いまでもスゴイ。前編が釣技。後編が釣り場ガイドという構成。釣り場は日本全国を網羅している。すごすぎる。初心者が読むと寒気がして怖じけ付くのは間違いない。別世界と思いながら、九州、奄美、沖縄を読んだ。その当時の西表島、波照間島、与那国島の記事は今読んでもおもしろい。男女群島の記事では、すでに「九州の釣り人はもとより、日本全国から釣り人がひきもきらずに押し寄せる」と書かれている。チャーターは10トンの船で1日一万五千円から二万円という時代。

井ノ口和雄さんは昭和9年生まれ、日本航空勤務、大橋巨泉の11PM釣り情報にたびたび出演した。関東磯は俳優で磯釣りもやる梅宮辰夫もいた日本磯釣連合の名門クラブで、現在も健在の御仁です。75歳になるのかな。直接的には知らない。勝手にこんな論評をしてしまって申し訳ない。潮風会にも所属して懇意にしてもらっていた先輩が関東磯の大幹部で、(いや、語感が似ていますが、その筋の組織ではありません、念のため)井ノ口さんの先輩だ。いろいろ話を聞くと、井ノ口さんは一度退会してまた入って、最近やめたという。引退なのかな。日本航空勤務を利用してとんでもない島で磯釣りをやっているのを読んだことがある。大西洋のカナリア群島だったかな、アフリカの沖です。イシダイに似た魚が磯にいるそうです。オーストラリア周辺、ニュージーランド周辺、南太平洋だったら分かるが、大西洋ですぞ。インド洋なら、さもあらん、というでしょうが、大西洋となるとねえ。

伊豆諸島の釣りは約100ページを割いている。カジキの突きん棒だけで生活している漁師は数十人いるが、神津が一番と書かれている。神津島GPのコメントで触れた突きん棒の現況に愕然とする。この時代、民宿は一泊三食で1000円だ。銭州は昭和36年大阪磯釣クラブの森岡秀泰が釣り人として初渡礁とある。森岡は初渡礁マニアで知る人は知る。この人はパイオニアとして大先達の一人。イナンバにも昭和39年に初渡礁した。米軍の射撃訓練があって、危ないと書かれている。三宅の三本は東京のクラブが昭和34年開拓とある。三本もそれまで米軍の爆撃訓練の場所だったのは知っている。神津のタダナエはそれより古くから日本海軍の艦砲射撃の標的だったと、渡船と観光船もやっていた竜宮丸の船長から聞いたことがある。神津は岡から近い渡船の磯があるので、もっと古くからやっていたと思う。

ぱらぱら読み直して光っているのは、神津の潮の呼び名だ。南西からがシンバ潮、(多分語源は新場)。北東からがニッチョ。北西からがオトシオ。南東からがデシオ。潮の内容として黒潮本流がミシオ。寒流系の冷たい潮がオオシオ。暖流寒流が混じっている潮はオトシオとある。シンバというのは黒潮系であり、シンバデシオ、シンバオトシオがある。神津が黒潮本流にすっぽりという時だけシンバ潮という。普通は蛇行したり、青ヶ島と八丈の間を通ったりしますよね。うーん、わたくしは以前に潮と風の民俗学考察は柳田邦男にいたるまでもっと調べた経験がある。風の呼び名は全国各地に方言がある。全国の漁村の風俗は民俗学の研究対象なのだ。生かじりだったので今ではすべて忘れた。とほほ。

八丈小島の記事もおもしろい。まだ住民が生活していた時代だ。宿泊設備のある家はない。カヌーが2隻だけ。本島との連絡船は週一便。漁船チャーターは1万円だが、5月6月にテングサ船に便乗が良いとある。これなら、3人パーティで2千か3千円。ふーむ。磯釣りは昭和39年に開拓された。現在は無人となっているが、実際に島を見ると、こんなところに住む場所がないよなと思う。

青ヶ島は不便さにかけてはトカラや南大東島をしのいで日本一とある。なんと月1回就航だった。村営の環住丸がなかったのだね。「将来どうみても青ヶ島が一般的な釣り場になることは考えられない。ヘリコプターを使って出来るようになれば、ここも改めて見直されるかも知れない」と書かれている。その後、村営連絡船による週1就航時代に潮風会の先輩が行って記録物を釣った。半月帰れないかも知れないといっていた。わたくしはかなり以前、ヘリコプター時代に行って返り討ちにあった。それでも下手すると天候待ちで2、3日以上は足留めがあると覚悟だった。現在多くの釣り師が行っているが、記録物時代のように青ヶ島は燃えていない。

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この井ノ口さん写真。帽子のツバを跳ね上げて、バッチをたくさん付けている。尻には毛皮の尻当て。わたくしも昔はこんな格好だった。大物章の金バッチを帽子に。尻当ては山岳用品屋で売っていた。だいたい山羊だった。もっと大昔は日本カモシカが最上とか。

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2009年10月 9日 (金)

神津島GP石鯛・モロコ選手権大会

生臭い磯釣り大会でした。生臭い大会って、そんなに魚が釣れたのか。いやいや、それほど釣れませんでした。では、なんだそれは?。10月4日午前2時下田漁港集合。優勝賞金20万円。準優勝10万円。豪華副賞。集めた協賛賞品が400万円とか。募集は100名予定を150名に拡大という。でも130名くらいかな。神津で一番お客を集める渡船の賀寿丸が始めたのだけれど、他の神津渡船も参加しないと多人数は無理。キャパシティーの関係。で、神津島GPという名称になっているのだろう。まあ、私的大会ということになる。イシダイとモロコだから、筋金の磯師である。賀寿丸の常連客が中心という出発だったが、広く参加者を集めるということで全磯連関東支部の各会長あてに案内状が来たという。なるほど。で、関東支部からもかなり参加していた。九州からも参加していた。中部の磯師も少なくない。西からそうとうな人数が来ていた。問題は主催がどこだか分からないのだが、神津島GP実行委員会としている。神津島村の共催でも取りたいところだろうが、、、、、。あるいは神津島渡船組合の共催とか、公的側面を出したいところ。無理なら協賛でも取れたらかっこうがつくのにね。

Img_4409a_2 Img_4412 下田漁港前の大会本部テント。スタッフはなんだかんだとがんばっていた。事前の打ち合わせもそれなりにやっていたのだろう。渡船が8船も着くと大人数がごったがえしていた。

Img_4411 Img_4413 抽選で全員が番号を引いた。すべて番号で動く。グループで来てもすべてバラバラになる。その時点では磯割りが分からない。昔の東海フィッシングの大会と違うところだ。参加した渡船割り。豊栄が来たのは少し驚いた。

全磯連が元気なころは、いろいろな大会をやった。東海フィシングクラブでも神津島式根島大会をやっていたが、いろいろな事情で自然消滅。春と秋の2回。よく参加したものだ。そのころは神津で300人くらい。なぎ状態で満員。しけぎみでは上がれる磯が少なくなるのでギュウギュウになった。多少のしけでも中止が多かった。できる磯はあっても全員となると無理だからだ。そういう歴史があっても残念ながら、全磯連の会員はどこの会でも老齢化が著しい。賀寿丸の常連が大会をやってやろうと動くのは全磯連の衰退と表裏の関係にあるのだ。実際に彼らの方が濃い釣りをやっているのは否めない。

Img_4416 メーカーのインストラクターが各社から来ていた。それが長々と表彰式の前に釣り竿の説明をした。メーカーの協賛を取って、企業にすり寄れば長時間も仕方がない。仕切った人間の手腕ということになる。そうだ、全磯連の色のないインストラクターの仲間が仕切ったような感じの大会だ。生臭いというのはそういうことだ。これがメジナ釣りのインストラクターとなると独特のもっと生臭い感覚となることは想像できる。いや、メーカー横断的な協調がないから、違う大会になるのかも知れない。釣果は4キロが出て優勝。1.5キロ以上が検量基準で10枚くらい出たのかな。

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2009年9月19日 (土)

先達の磯釣その7

このスレッドはネタが切れてきた。多分これで最後かも。全磯連の大先輩である塩地和男さん。名門、新潮会の所属である。この会はよく知られているが最盛期はものすごい会員数だった。その後、分裂があったようだ。敏影さん、中村ご隠居、寺門さんなど、磯釣りの先達が。関東の磯釣師では知らないとモグリでしょう。ウチの近所の新宿の小滝橋に釣り道具屋をやっていた新田さんという人もいた。回転リールの新田式投法というのがスゴイ。ただし、知る人はほどんどいない。知っていたら偉い。あの世でそろって磯釣りをしているのだろうか。あ、あ、塩地さんは現在もご活躍で、大島ではよくご尊顔を拝することがある。しかも、ホームページを持っていらっしゃる。

プロフィール

http://www.geocities.jp/djnfw907/purofeel.htm

Img_4376 Img_4377 Img_4378 これを見ると、昭和5年だからウチの会や他の会の諸先輩に比べるとやや若い。ご老人に若いというのもナンだが、「磯釣りと釣り場案内」を書いたのが若い時だ。32歳のバリバリの時だったのだ。最初はもっと上の世代の御仁かと思っていた。昭和37年初版。1962年。版を重ねた。大泉書店。ウチにあるのは昭和45年だ。序を永田一脩大先達が書いている。そこに、書き始めて3年、調べ始めて10年とある。関東の磯釣り場をこれだけ網羅したのは初めてだっただろう。当時の磯釣り入門者にはバイブルのようなものだった。今見て、そのころの写真がおもしろい。広告がおもしろい。当時の渡船の案内解説がおもしろい。

塩地さんはその後、シロギス釣り、渚のクロダイ釣りなど、釣り場や釣技を開発して全国を歩いている。

ついでだから、この次、いつか近いうちに井ノ口和雄さんも紹介しようかな。「離島の大物釣り」というのを昭和44年に書いている。日磯の関東磯釣クラブにいた人。最近、会はやめているらしいと聞いた。昭和9年の人だ。

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2009年6月 9日 (火)

三会合同磯釣大会

三会合同磯釣大会

連続磯釣ネタ。というか、間を置かずに磯釣りに行ったので。イナンバは最初は金曜予定だった。日並みが悪い予想で木曜にした。やはり金曜はイナンバに行けていない。当初、金曜イナンバ、土曜神子元、日曜潮風会例会で石廊崎というようなことを考えていた。若くないので体力が続かないだろうから土曜は休み。金曜の泊まりで良い温泉はないかな。ランランランのプランだった。

最初からパーマネントで7月例会の三会合同が入っていたのだ。潮風会と深川磯研、池袋磯です。一昔、いや二昔前、磯釣りで三会合同大会といえば、東京荒磯、江東磯、リール会のことだった。東京で会員数の多い有力磯釣りクラブが主催した東海汽船チャーターによる、神津、式根の大会だった。全島の渡船貸し切り。このスタイルは東海フィッシングクラブが春秋2回やっていたので、毎年3回、夜行日帰りで神津、式根で磯釣りができた。その後、関東支部チャーターなども行われた時期がある。チャーター船でなければ夜行日帰りは無理。普通では夜行1泊、宿で2泊以上というのが神津の磯釣りの宿命的ネックであった。お金もヒマも大変。お金は節約して貯めてもヒマがない。そういう釣り場だったのです。東海汽船チャーターは有り難かった。わたくしは、事情がなければ、だいたい毎回行きました。釣れなくても、神津の磯の気分は最高。やはり神津、式根だ。

ところが、いつの間にか東海汽船チャーターはなくなった。船が大きくなって、チャーター経費が合わなくなった。参加者が集まらなくなったこともある。渡船の下田往復が始まったこともある。

その後、関東支部の三会合同大会は小コピーが生まれることになる。三国志は魏呉蜀。三国同盟は日独伊。三権分立は憲法の基本。うーんと非核三原則。いくらでもあるな。なんのことだか分からない。とにかく3つあると都合が良い。

だいたい、同じくらいのクラブが条件かな。会員数、歴史など。これが違いすぎるとうまくいかない。三会合同やりましょうか、凸凹クラブさんもよろしいですねといっているし、というような話からはじまった。

われわれの三会は年寄りの多い中小クラブですね。親睦、交流が目的です。他にはポイント磯、中央磯、ドルフィンでやっているし。よく知らないけど、まだあるでしょう。どこも50年近い磯釣りクラブです。

Img_0216a 写真は挨拶する最長老の池袋磯の田中会長。あ、後ろに写っている台というかヤグラ。これは、石廊崎港が古くからのままで改修しないのでこういうことになっている。昔は舳先の低い小型船ばかり。岸壁の高さはそれに併せている。大型の舳先は高くなって乗れないのでこのヤグラを使う次第。満潮では1mくらいまでに海面が上がっている。そういえば、下田フィッシングのあの板ばしご。知っている人は知っている。なんとかならないか。危ない。落ちた人いるんじゃないかな。あそこも古いね。それに合わせて町ができちゃっている。江戸時代からだろう。

Img_0220a 賞品を渡している黄色いユニフォームの人が深川の田上会長。

釣果ですか、まったく駄目。全体でもひどいものです。わたくしはカツオに乗った。釣果情報、ポイント情報、まして釣技情報を求める方は申し訳ない。そういうものを主要目的にはしておりませんのでグーグル検索して探してください。

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2009年6月 5日 (金)

イナンバのメジナ

久々の磯釣りネタ。09年6月初旬現在、磯釣り界で最大の事件は5月からのイナンバのメジナ爆発であろう。なに、知らない。そういう方は、そりゃあ、ちょっと、磯釣りのつっこみ方のレベルが違うかな。すれ違いだ。申し訳ない。

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なにしろ、60センチオーバーのメジナが渡礁できる日並みには連日釣れているのだ。イナンバを知っている方。そりゃあ、あのイナンバまで行けば釣れるのだろうなと考えている磯釣り師、いやメジナ師の方。違う。こんなことが例年ある訳ではない。ある訳がないです。過去、このような爆釣はなかった。クチジロの70、いや75オーバーとメジナの60オーバーの難易度を比較すると、どちらも難しいが、メジナに軍配が上がるかも知れないほどだ。60センチオーバーをなんとしても釣りたいと思っているメジナ師は、今、この機会に万難を排して行かなければ、一生釣れないかも知れない。釣れる可能性の高いところに身を置いて釣りをするというのが正確だ。可能性は普通では圧倒的に低いから、この事実は重みを持つ。普通では宝くじだ。正確に書くと、次のようになる。宝くじ確率が、まあ、10分の1くらいの確率に下がるのだ。

釣り場は、全景の写真の左に低く伸びているところが右本場、その裏にワンドをはさんで左本場があるが見えない。

Img_0198_3 Img_0199 写真は右本場右の渡礁。われわれ3人が乗った右本場左から撮影。右左は船から岩礁を見ての呼称となっている。ここに最初は5人乗った。岩礁に下りるのを乗るというのが普通だ。狭いので1人はその後四畳半に移動。

渡礁前の右本場の全景。右本場右の出っ張りと右本場左の出っ張りが見えるだろうか。磯の名前がややこしい。

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現在、09年6月初旬、イナンバはいろいろな自然条件が重なってそういう状況になっている。いつまで続くか分からない。いつ、パッタリ終わってしまうのか分からない。しかしながら、このニュースが電光のように広がっていて、押すな押すなの盛況である。まず、予約が取れない。予約が取れた日に行けるかどうか分からない。それを覚悟で予約を入れておく。凪かどうかは、あたりまえだが平日、休日には関係ない。凪だ、という日にはいつでも行ける人であることが条件だ。普通の人から見ると異常だ。

さて、わたくしは、そのような異常ではない。それほど釣りをしたいとは思わなくなっている。さらに、メジナはそれほど釣りたくない。コマセの弊害に関して、いささかの抵抗感もある。磯釣り師であったが、メジナ師であったことはない。メジナ釣りは釣行の1割以下しかやらないだろうな。磯釣り釣行そのものも少なくなっている。うーん、どうでもよいが、長い。早く要点を簡潔に書け。申し訳ない。

釣れている、明日は凪で渡渉できるから釣りに行くという釣り師がいる。わたくしの先輩もその一人。長い年月そういうことをやっている人では一番かも知れない。そういう釣り師が50人くらいと、その予備軍200人くらいが伊豆下田には、平日に入れ替わり、立ち替わり押し寄せている。カレンダーの休日はない。休日はむしろ敬遠しているのだ。この先輩から行こうと誘われた。そういう釣り師の周辺にわたくしのような、いいかげん釣り師が取り囲んでいるわけだ。

渡船代は32000円。安くはない。詳しくは賀寿丸のホームページ。

http://www1.odn.ne.jp/kouzukazumaru/

釣果も詳しく出ている。行った本日の6月4日はメジナ13人で60オーバーは一枚のみ。クチブトメジナ多数。われわれの仲間3人も右本場の左でクチブトメジナ多数のみ。最大48くらいかな。イナンバでは放流サイズ。というか、イナンバでの価値観の問題。この日は反対側の四畳半側が良かった。

Img_0206_2 これまで、イナンバの位置関係はよく分からなかった。御蔵島と八丈島の中間にある。

写真で66とあるところ。下田からの中間くらいに神津島がある。行きは神津に寄ったが帰りは直行で2時間半くらい。驚くほど船足が早い。昔の海軍魚雷艇がこんな感じではないかと想像する。最大37ノットだそうだ。

わたくしは、ハリス8号、道糸8号。これがイナンバでの普通であろう。ただし道糸はハリスより2段くらい細くても良い。手間をかけてハリスのチモト補強をしている人がいるかも知れない。ハリス10号でも喰うとか聞いた。やはり超大物はハリス切れが多いそうだ。尾長メジナは歯がきつい。飲まれたら切られる。飲まれなければ過大強度となる。竿は3号が標準かも。フカセのメジナ師は4号はまず使わないだろう。

わたくしは当ブログのリンクにある、

http://sakaeya.press.ne.jp/syuminopeiji.htm

の「自称日本一の釣り好き酒屋さん」が改造した4号。以前に譲っていただいたもの。ガイドを標準より増やしているので道糸がタイトになって使いやすい。

Img_0209 Img_0211 写真を見ると、普通よりはるかに多いガイドが分かる。木製の石突きに改造も良い。満点だ。スピニングリールは下に付け、両軸は上に付けるので、ラインとガイドと竿の曲がりがどうなるかがその理由だ。詳細は省略。リールはアブ6500C。スタードラグのタイプのリールは当日、当然だが他には誰も使っていない。普通のスピニングリールが定番であり、メジナ師にはそれが常識だろう。メジナ師はまず使わない。6500番なら60でも65オーバーでも不安なく取れる道具だったが、こんな、おっとり刀のメジナ半素人には、掛からなかった。いや半素人ではなく素人かも。(いつでもメジナのことが頭から離れないのが玄人レベル)結局、熱意の不足と技術不足、経験不足のなせる技か。

Img_0208 ついでだから、わたくしの使っているメジナの道具を並べた。右から4号にアブの6500番、3号に5500番、2号に3500番、1号に2500番。このほかにインナーライン竿のラインナップは強風、雨天、夜釣りが主で、使い分ける。より強い5号竿もある。竿もリールも複数なのでいったいどれだけあるか数えないとよく分からない。ここまでは長期間の年期の入ったこだわりの釣り師なら普通に近い。わたくしが異常なのは、こういう状態でほとんどコマセ釣りに行かない、というかそれほど好きではないことだ。全状況対応型待機状態の道具の悲劇と論評しておこう。まったく使わないスピニングリールがもっともかわいそうである。待機する意義と使命はあるのだ。

Img_0212 バッカンの3段重ねの写真。赤の大は40センチ。荒磯メジナの定番。オキアミコマセが1枚入る。12キロだ。それぞれ、弁当飲み物、濡れるものを入れる。

Img_0207_2 写真のクーラーは自分が持っている中で、35Lの中型。ほとんど使っていない。シマノの24Lの細長いのが好きだ。自分が釣ったのはごく一部で仲間のイナンバの放流サイズを持ち帰った。1キロから2キロが15枚くらいあるかな。他に神津島のイサキの夜釣り用の50Lがあるがいつも底に申しわけ程度しか釣っていない。50Lと35Lの2個持っていく必要があると豪語するのを聞いたことがある。そこまで釣りたくない。

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2009年3月28日 (土)

潮風会総会の立派な魚拓

3月の中旬だったが、わが潮風会の総会が行われた。だいたいどこの釣りクラブでも同じような総会をやるのだろうが、今年度の魚拓が立派。過去にはもっと大きいのが出ているが、立派な石物とメジナの型物が光っている。

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2009年3月21日 (土)

先達の磯釣その6

戦後の磯釣りを集約して、磯釣り入門者を啓蒙した先達は何人もいらっしゃるが、著作に限ればこの人の右に出る人はいない。永田一脩さん。名前は、かずなが、と読む。わたくしには、ながたいっしゅうさんの方がすんなり。1903年生まれ、毎日新聞を1958年定年退職。日本磯釣連合が分裂する前まで全磯連相談役。名門の磯釣同和会の人でした。ここの通称は、いそどー、です。ウチの会と同じく、三宅島では今はなき阿古食堂が定宿でした。いそどーの方がいらっしゃった場合は、敬意を表し、三歩さがったものです。でも、ご本人はわたくしが入門したころには磯釣りはほとんどやっていなかったのじゃないかな。1988年に亡くなった。東京美術学校西洋画科を出た。今の東京芸大です。写真家でもありました。ライカⅢFとローライフレックスを使った。門外漢には分からないだろうが、これがまた、左様でございますか、それはまた、そうでしょう、そうでしょう。よろしゅうございますね、まったく、、、というような感激、共感なのである。ローライフレックスはなんとスタンダードで、テッサーの4.5という渋いところ。ライカはエルマーとズミクロン。キヤノンの広角。

今回は最初の本から3冊目くらいまでを紹介する。最初は1960年「山釣り 海釣り」(山と渓谷社・480円)写真は説明レベルではなく作品レベルでとても良い。磯釣り入門記という項に昭和24年、ご本人のはじめての石鯛釣の文章がある。1949年だ。興味深い内容。真鶴の釜ヶ淵。

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石鯛竿を曲げているのは長岡輝衛。石鯛釣りの理論家として有名。伊豆中木の白根で1955年5月。この写真も有名でよく知られているのではないだろうか。長岡氏の石鯛は1貫500匁。白根はたまに乗りますけど、磯はまったく変わっていない。Imgp5657_edited1

Imgp5655_edited1 この写真もいいですねえ。1956年。下田神子元島に渡る途中で後ろに見えるのは横根ですね。特徴がありひと目で分かります。この渡船と船頭が良い。わたくしでも入門時代はこれに近いものがありました。操船は梶から梶棒が伸びていて、船頭は足で梶を切った。バレーダンサーのように。なにをいっているのか分からないだろうな、きっと。

Imgp5658_edited2 寒鯛を持っているのは緒方昇氏。毎日グラフの編集長だった。1956年正月、伊豆大島の裏磯で炭焼き小屋を借りて釣行。2貫500匁。詩人でこの人の釣り本もよろしいものです。

漁村の風景。遊ぶ子供。1959年中木。この感じ。いい写真です。

1963年「入門 山釣り海釣り」という、文庫本。山渓文庫(230円)。前記の本の技術解説のつもりで書いたという。渡船風景では延べ竿を束ねているのが目だちます。この渡船は現在から見ると、いかにも危ない。これに近いのには乗ったことがありますが、これはちょっとね。昔の渡船は舳先に手すりがない船がたまにありました。

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Imgp5665_edited1 1964年「釣りの世界」(ひかりのくに昭和出版・400円)。エッセイあり、日記風あり、各論の序論といったのもあり、たいへんにおもしろい。この中に絵画史、写真史、写真術、登山、釣りといったものが好きで新聞社時代の家計は苦しかったとある。昭和34年ころ、新聞社の月給4万円。当時テレビディレクターは本給2万3千円、残業、休日出勤併せてやはり4万円という時代だったそうだ。石鯛釣り道具一式の概算は約2万円。スキーも同じくらいで他の娯楽道具より高いとはいえないとある。一回の出漁は、交通費千円。釣り宿700円、渡船500円、エサ1200円だそうだ。食事その他で5千円は持っていく必要がある。4万円の中堅サラリーマンで月5千円の小遣いは許される娯楽であろうと書いている。現在はだいたい8倍から10倍かな。新聞社、テレビ局だとすると月給はもっといくだろう。現在、神津か銭州の下田夜行日帰りで5万円持っていく必要があるのが現実だ。ゴルフより高いといわれる。

Imgp5667_edited1 この釣り宿の写真も有名。いそどーの磯師でしょう。

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2008年10月18日 (土)

なんとなくダレて


アクセス解析でみると、アクセス数は伸びている。が、しかし、このところ更新する気力が萎えている。磯釣りはどうした。竹竿はどうした。このあいだ、ウドネ流れの式根でイシダイやってきたのだが、書くことなし。写真は、、、、下田フィッシングのホームページにウチの会の若手ホープが出ているのでご覧ください。わたくしは水面でばらした。なぜ。
http://www.izu-shimoda-fishing.co.jp/cgi-bin/col4.cgi
このすぐ後に、B先輩が菖蒲沢の沖磯で中型クーラーいっぱい釣った大アジを20匹くらい貰った。35cm以上の立派なものばかり。こんなのが磯の夜釣りで釣れるのだ。いったいぜんたい、どうして、なぜ。数年前から知る人ぞ知る。私が持っている神津島のイサキ夜釣り用の50Lと35Lクーラーはどちらも一回も満杯になったことがないというのに。土曜に行って、火曜にまた行くから一緒に行こうという。式根は例会で日曜の釣りだ。日曜の火曜はさすがに、用事もあるので行けない。
アジはタタキ、刺身、塩焼きと近所のおすそわけに消えた。写真は撮っていない。

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2008年8月27日 (水)

磯釣海防演練

全日本磯釣連盟関東支部では昔から海防演練というものを毎年やっている。大昔、関東支部が海上保安庁下田管区の巡視船を演錬水面まで回航派遣していただくようになったのはウチの会の大先輩の一人が霞ヶ関の旧運輸省に勤務していて尽力したからと聞いている。この潮風会三代目会長は海運行政畑の人であった。会長として活躍する途中で惜しくも亡くなった。二十年かな、何年前になるだろうか。そういえば、日磯の磯釣同和会の大先達である橋さんは海上保安庁の人だった。なに、そんな大昔は知らないって。いたしかたなし。しかし、関東支部海防演練も下火になって振るわない現況である。門外漢は海防演練ってナニソレであろう。いや磯釣師でもそうだろう。

Img_2561 ウチの潮風会にように磯釣クラブが単独で海防演練をやっているのは、きわめて珍しいかも知れないな。えーと、海難事故防止演習訓練とだらだら書いたほうが通りが良いかもね。

ワタクシが磯釣クラブに入門したころは全磯連海防3号というものがあって、この規定を守るように先輩から教えられた。現在は有名無実に近い。なんのことやら、分からないのも無理はありません。よって省略。その当時でも、規定通りに40メーターの9ミリロープを揃えた人は少なかったよ。

ウチの会はその昔、渡船をチャーターして沖磯からの緊急撤収のタイム計測訓練とか、身の軽い人限定だが舳先を最大限離したまま荒天想定の磯渡し訓練までやったことがある。これは年寄りにはとても無理。

Img_2562 今年の夏は8月例会として城ヶ島で救命ボールの訓練をやって京急城ヶ島ホテルで宴会。写真に見える白い建物。実はライフジャケットで全員海に浮かぶという建前だったが、若手有志だけ2名。落下したという想定で出来るだけ早く仕掛けを上げて救命ボールに付け替えて落下者目がけて投げる訓練。タイムも計測した。イシダイの道糸ならば、潮流で人間が沖に流されるのを確保できる。道糸2本ならば寄せてくることだって軽くできる。メジナの道糸では無理だからクーラーボックスを流してあげるのが定石のようだ。本来は道糸からロープを伸ばしていって確保。磯に引っ張り上げて救助する。潮流との時間の勝負でもある。しかし、天候急変で修羅場のシケでは訓練もほとんど役に立たないかも知れない。それでも訓練や用意対策や知識は絶対に必要である。

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左は野球のボールから作ったもの。中は製品。右はトローリング用のウキで飛距離は出るが硬いので正確にぶつからないように投げないと危険。

左は9ミリザイル。右は7ミリザイル。登山用品で安くはない。垂直懸架ではないのだから11ミリや9ミリのダブルという必要はないと思う。破断強度はどうだろうか。Img_2582

救命ロープとボールのセット製品。これは足元にロープをきれいに輪にしてボールを振り回して投げる。釣り場にその状態でセットしておくのが本式だろう。Img_2580

ボールの代用としてペットボトルが使える。持ち運び用のゴム環が売られていて利用できる。なければ、口を道糸で結束する。飲み物が半分くらいの状態にするとよく飛ぶ。Img_2574

すぐにボールを装着するためにはスナップサルカンが早い。シロギスの仕掛け交換ではお馴染みだが、ブダイ仕掛けにはいつも使っている。イシダイでは一番大きいサイズを使っている。これだと一瞬でボールを装着できる。Img_2571 Img_2585

Img_2591 Img_2595 Img_2596 Img_2597 Img_2598 Img_2599 Img_2600 Img_2601 Img_2602 最後にロープの使い方。意外に知らない人が多い。もやい結びくらい、目をつぶってもできなくちゃね。基本だよ。登山では最近、もやい結びの信頼性が落ちてきて、8の字になっているそうだ。釣師ならばダブルの8の字はチチワでいやになるほど結んでいる。海で自分自身の確保にはもやいの方が一日の長がある。体を巻いて片手でできるからだ。

Img_2604 Img_2605 Img_2606 Img_2607 8の字では体の外で作って頭からかぶって輪に中に入らないとならない。8の字は単純だから早い。もやい結びは子供のころ覚えた。一度覚えると簡単だから無意識でも一挙動で結べる。写真のように体を巻いても片手で結べる。右手に端を持ったまま左手の長いラインを上から下に回す。池の中からヘビが出てきて池の渕に立っている木を回って池にまた入るという言葉でも教えられて、その通り簡単に結べる。もやいは角度が広がると緩んで解けることがあるそうだ。死亡事故があった。結束の王様といわれていたんだけれど、登山では命が惜しければ8の字だそうだ。

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2008年4月18日 (金)

カンムリベラとフッコの干物

カンムリベラといえば、八丈でよく釣れて、水面に出るまで石鯛釣師をぬか喜びさせる歓迎されぬお魚である。ベラ系の独特の臭いが強く、喜ばれない。調べたら沖縄では普通に食べる。沖縄ではかなり磯臭くても食べている。八丈でも食べるというネット検索は以前にこのブログで書いたことがある。実際に八丈で現地の人に聞くと、八丈では食べる人と食べない人と別れるという。そういう微妙な魚である。八丈で刺身が旨いとネットにあった。個体差なのか、そんなことは多分ないと思う。個人差だろう。

こういう魚は切り身のフライかから揚げにすれば食べられることは経験している。それでも敏感な人は敬遠することも分かった。いや、わが家庭の経験。また、味噌付けにすると、味とか臭いを分からなくさせて食感をぼやけさせることも分かっている。このブログで西京漬けもすでにチャレンジしている。

で、そうか、では干物は。不思議な効能がある干物である。まだカンムリベラの干物は未経験。

Img_2440 Img_2441

実はぶつ切りにしてから急遽干物の突き進んだのだ。ぶつギリまでは干物を考えていなかったのだ。

Img_2443 Img_2442 ついでに、干物には少し大きすぎるフッコも干物にした。干物は万能なのだ。大日本干物党を結成しようかな。党の綱領を考えようか。ところで、大日本下落合大学って知っていますか。赤塚の定番ですが。所ジョージ主演、ハチャメチャドラマ。大日本干物党で思い出した。いつか書きましょう。

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2008年4月16日 (水)

セイゴとメバルの干物

12日の夕方から横浜沖提の夜釣りにいって、フッコとメバルの電気ウキ。フッコは50cmちょっとありました。30のメジナより引きが弱い。実はいつも登場するB先輩がこのところ毎週いって良い釣りをしているので行かないかと突然。先週は85cmのスズキを上げた。メバルは25cmクラスの大型が揃っておもしろいという。当方は嫌いじゃないが、それほどでもない。いや釣り自体がそれほどモヨオサナクなっている。

メバルの煮付けは魚喰いの定番のひとつ。もう暖かいから大丈夫という言葉に油断した。夜中に土砂降りで突風。厚着しなかったから寒い。寒中のメジナ用の防寒防水スーツの上下を着て、スパイクブーツで行くのであったと後悔した。軽装のラグビージャージとスニーカー、防風ナイロンヤッケだけでは寒い。雨がないと判断したのが間違い。

Img_2435 Img_2436

写真のようにセイゴを何匹かクーラーに入れたので、干物を作った。ああ、またセイゴか、もう少し大きいのが来ないのかよ、とリリース。最初から干物という頭があれば、違った。残念。

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Img_2437 見た目は非常に立派。でもセイゴの干物もメバルの干物もなぜかマイナーですね。どうしてだろうか。とくにセイゴは干物にすると別物。

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2008年4月15日 (火)

八丈島のペンション

ウチの潮風会の例会で、毎年4月に恒例となった八丈島に行く。今年は5、6日の土日。今年分はまだアップされていないが、過去の例会の模様はそれぞれ潮風会ホームページの釣行計画・釣果にあります。

昨年以前の過去数年分あり。 http://www.h5.dion.ne.jp/~siokaze/frame.htm

毎年ワタクシは小型イシガキくらいは釣っておりますが、これぞという釣りはありません。とほほであります。今年は初日に八丈小島の某磯で1.5キロくらいのワサを2匹。磯替わりして一の根では駄目。2日目も一の根は潮が動かず駄目でした。カンナギでは会員がちゃんと釣っておりました。

渡船は全磯連のワッペンと老舗会の効力だけではないと思いますが、長年のマナーの良い釣りと努力、また伝統の力も多少はあるでしょうが、カンナギ、一の根など誰もが目指す一級磯にトップで降りることができました。ということは、カンナギも一の根も石物は3人が良いところですから、ナンというか、アレですな。船長に渡船の磯割りはどういう根拠なのですかと質問している釣師がおりました。前日、前々日に利用したお客と乗り場に先着順から総合的に考慮すると苦しい説明をしておりました。

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今回はわが社の誇る、いやわが磯釣クラブの誇る、おやじギャルの勇姿を紹介。熱心な女性磯釣師が2名おりますが、一人は写真の若き美人。磯のウエアが新しいと上物釣師に見られるのでイヤだとのたまうバリバリ底物釣師です。関東支部を見回しても、ほとんど見あたらない素晴らしい御仁であります。

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それから、最近ずっとお世話になっている宿ですが、建物も料理も面倒見もほぼ文句のつけようがないペンションハウス・タンポポの料理の紹介。素晴らしい。

http://www.tampopo.co.jp/kinkyo/2007/kinkyo.htm

ワサを一匹刺身にしてもらいました。

Img_2432

カンナギにチャカ付けするあたりの位置から一の根を写しました。後方は八丈本島です。Img_2429

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2008年2月25日 (月)

萩原朔太郎と佐藤惣之助

当ブログにおいて、磯釣の先達に登場した佐藤惣之助と、日本のステレオ写真の初期愛好家として触れないわけには行かない萩原朔太郎には深い接点がある。二人の詩人の最後は、相次いであっけなくこの世を去ったのだ。朔太郎は昭和17年5月11日肺炎で死去。57歳。13日に自宅で告別式。佐藤惣之助が葬儀委員長であった。その4日後、惣之助は過労から脳出血で死去。52歳。なんということだと思う。実は佐藤惣之助は昭和8年、萩原朔太郎の妹周子、本名愛子と結婚している。先妻とは死別して再婚であった。朔太郎は惣之助の義兄なのだ。日本の詩の巨人であった朔太郎に対して、作詞家としては知られている惣之助にも生涯に22冊の詩集がある。惣之助には、<<私は詩を大衆の中に捨てた。そして波浪の中から自然の魚を釣った>>という文章がある。そして釣詩一如が惣之助が目指す境地であったのかも知れないと金森直治が復刻版の「釣心魚心」の解説で書いている。なるほど。作詩と釣り。惣之助は釣本では6冊残している。

Img_2284_2 「釣心魚心」は釣の随筆としては日本の釣書の中では屈指の本とされる。たいへん洒落た装丁の本である。

金森直治は名古屋の石鯛釣りの大先輩だが、釣本の研究家というか、釣のエッセイで知られる。知る人は知ってますよね、あなたも知っているでしょ。正統的釣師を目指すなら、必読の一人。下手な釣りライターなんて読んでいたらダメ。何回も書いているけど、とくに釣業界に擦り寄っているヤツはダメ。永田一脩の後、まともな書き手としてこの人の右に出る人はいないだろう。

Img_2283_2 話が横道に入ったが、朔太郎の妹の愛子の写真が朔太郎写真集にあるので紹介。昭和3年ころステレオカメラで朔太郎が撮影した家族の写真。後列右端が萩原愛子。おお、この人が萩原愛子なのかと。おとうさんも妹も甥っ子もいい雰囲気だったね。

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2008年2月 4日 (月)

先達の磯釣その5

釣り人、釣師の遊漁としての磯釣だけに限定すると、一般的には戦前のそれほど古い時代には遡らない。まず、昭和初頭あたりではないかと思われる。クロダイ、カイズ、あるいはスズキ、セイゴの内湾、堤防などの遊漁は明治、大正にはすでに盛んであり、明治の幸田露伴を見るまでもなく、その前の江戸時代の「何羨録」、「漁人道しるべ」、「釣客伝」、「魚猟手引き種」に散見される。

Img_2214Img_2220  これらの書は「江戸釣術秘伝」、小田淳現代語訳、叢文社、平成13年発行、定価2600円に収められている。また、何羨録だけなら、「何羨録を読む」副題が日本最古の釣り専門書、小田淳著、釣り人社、1999年発行、定価950円があるが、半分以上が解説ページである。

カイズ、クロダイ釣りではなく、ブダイ釣、メジナ釣ならば磯でしか釣れないから、どこかに出ていないかなと、斜め読みでザット見直したが、どうもないようだ。津軽采女正の「何羨録」は享保8年、1722年とか。采女正の最も中心的な釣は江戸前のシロギスであったようだ。まれに1尺2寸のキスと、書いてあり、漁師は海キスのことをシロギスといい、川ギスのことを青ギスというとある。漁師はシロギスとアオギスの違いを判別していたと思われる。青ギスは非常に浅いところで釣ったそうだから、川ギスと呼んだのもうなずける。9寸以上のキスが鼻曲がりとある。シャケの鼻曲がりは有名だけどキスでもなのか。江戸前の釣り場はとても詳しく書かれている。

「釣客伝」は黒田五柳著で文政年間、1818年から1830年だそうだが、銚子のスズキ釣、小田原のカツオ釣からシイラまでの記述がある。漁師の釣りの伝聞のようだ。しかし、箱根湯本塔ノ沢の川釣は遊漁の案内と思われる。裕福な町人の旦那衆は温泉がてらにこのあたり釣ったのかも知れない。江戸末期だけどすごいね。Img_2217 それから江ノ島のアジ、サバの乗り合い船釣というのがある。遊漁で、三人か四人。これもすごい。さらに大磯のワカナゴ(ブリの当歳で、今はワカシというのかな)とクロダイの釣は永田一脩の書いているオオナワの源流そのものであるが、セミプロまたはプロの釣のようだ。オオナワの略図がある。四間の竿(7.3m)でImg_2216 長いバカ(全長24m)を出すのが特徴で、永田の本では詳しく書かれていて、ループを出してフライのように打ち込むことが分かる。この図では分からない。仕掛けは羽根を出した牛の角とあり図があImg_2215 る。この針は角と呼ばれるルアーである。釣客伝では14人から20人が立ち並ぶと書かれている。ナブラを釣る釣りであるから、繰り返す多数の打ち込みが効果あるのかも知れない。

磯釣では江ノ島岩屋前の釣りとあるが、多分磯釣だろう。9尺の竿、いそめ餌、ウミタナゴ、ショウサイフグ、アイナメ。なんとウミタナゴが出ている。ウミタナゴ、いいね、すばらしいね。ワタクシも竹の継ぎ竿でやるこの釣りは大好きだ。さらに、さらに、同場所のタイ釣り。暮れ方より夜の10時ころまで、行灯を持って岩の先端に出て、三間から四間の竿、針元の鉛5匁から6匁、餌はコシイワシ、クルマエビ、魚の腸、魚の大小は1尺5、6寸まで(45cmから48cm)。明け方の時刻はとくに良い。大波が打ち上げる場所で、不慣れの人は無用である。とある。おお、すばらしい。こんな釣りがあったのだ、感動モノだ。もしかしたら、素人ではないかも知れないが、これが記録に残る磯釣の源流ではないだろうか。

神奈川の根釣は遊漁の船釣の王と書かれ、本牧沖などで、沖釣り場まで3里から4里(12から16キロ)二人船頭で船賃は一分金とある。江戸から神奈川というと前夜一泊だろう。近場の江戸前の釣宿の船ならかなりあったようだ。

Img_2218 Img_2219 すでにキスの脚立釣や釣下駄の釣も盛んだった。五柳はどうもスズキセイゴの釣にもっとも意を注いだように感じられる。

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2008年1月27日 (日)

先達の磯釣その4

Img_2150 戦前の松崎明治の復刻版ならウチに二冊ある。ひとつは昭和17年10月朝日新聞発行の、釣技百科。定価は4円80銭。950ページ余の大著である。昭和54年、アテネ書房による復刻版となって再び現われたのだ。辞典のように数回引いたことがあるが、通して読むようなものではない。なんと、この本もオリジナルは戦時下の発行であったことになる。はしがきに明治は全国各地の釣技の踏査を年来の宿題としてきたと書いている。昭和17年7月20日、海の記念日、著者識す。とある。

Img_2152 Img_2153 この本は昭和13年の同じ松崎明治による釣百科を底本としていると見られている。ややこしいが、昭和13年の釣百科の方は戦前に12版重版された。戦後も佐藤垢石の補による増補版が発行されメートル法に直した新釣百科が昭和36年再増補改訂版であり、これがウチにある。名前が似ているが、昭和13年が釣百科で、昭和17年は釣技百科であるのでお間違いのないよう。

昭和17年の釣技百科と戦後の昭和36年の新釣百科を読み比べると、図版と文章はそのままというところが多い。しかし、イシダイは半分以上書き直している。ブダイは8割りくらい同じかな。昭和36年と平成の現代との差異の方が大きいかも知れない。ということは13年、17年、36年と大部分は同じ図版、文章が流れているといってもよい。

新釣百科は非常に細かい文字でなにからなにまで書かれて、つめこまれている。その当時、長い間、釣本の決定版とされていたのがよく分かる。魚拓から、餌の研究から釣り人料理から気象信号まで。

Img_2144 もう一冊の復刻版は、写真解説日本の釣。松崎明治著、昭和14年5月三省堂発行。定価3円50銭。釣の写真は永田一脩や高崎武雄の撮影したものが本になって見ることができる。どちらも写真家だからまことに素晴らしい写真だ。しかし、ほとんど戦後の写真だろうと思われる。戦前の釣の写真でまとまっているのは、松崎明治が撮影し、書いたこの本しかないと思う。

Img_2155 それで、この本の中に南伊豆石廊岬の磯釣という写真があった。これがなんと延べ竿のブダイ釣りの写真。この人はなんと普通のオーバーコートを着て釣りしている。人相風体が、どうも、レレレレとしか思えない。どこかの会社にいくらでもいるような人だ。この人はそのまま現代に来ても通用する。

Img_2156 また、東海道の車竿という写真があった。沼津千本松原の餌屋の店頭だそうだ。いろいろなリールがある。両軸のダイレクトリールのようなものが2台ある。一番右と3台目である。後はタイコリールのようだが、フライリールのようなものもある。次のように書かれている。

リール竿は輸入された釣りの形式であるが、道糸を巻くに車を使うことは北海道と台湾にある。日本本土の両端に車竿があって(台湾は日本本土であったのだ)内地には古来リール式のいわゆる車竿のなかったことは面白い現象だ。ところが、近年東海道一帯の沿岸に車竿が流行し始め、お手の物の箱根細工で精巧な車ができ、最近では東海道一帯が車竿の発祥地のように考えている人さえあるくらいだ。台湾の車竿はシナから渡来したとか言われているが、沼津の車竿はあまり古くないころ北海道の釣り人が伝えたということだ。最近では北海道製や内地の製品ばかりではなく、いろいろの経路を経て素晴らしい高価な舶来リールまで現われ、毎日2、300人の車竿利用者が腕前よりもリールの自慢をしているような有様である。

うーむ。この写真はすべてクロダイ用と思われるが、タイコの横転リールで投げ込み釣りもかなり普及していたようだ。オリンピックのリールは大小8種類が生産されていたと釣技百科にある。また、日本製木製リールも普及していたようだ。

Img_2159 釣技百科の口絵には沼津防波堤の黒鯛釣という写真がある。右の人はタイコリールで左の人はダイレクトリールのようだ。右の人の竿のガイドが見えない。もしかしたら中通しかも知れない。以前記事にした例の竿の走りかも知れない。

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2008年1月26日 (土)

先達の磯釣その3

Img_2143

Img_2140 Img_2139 磯釣大物釣(附・釣場案内)

現代日本の釣叢書。出版は水産社。著者はというと、辻本浩太郎、小林忠雄、船橋貞雄、益田甫と4名の共著。聞いたことがねえなあ、どんなんだい。というのが普通だろう。磯釣に関しては古今東西、たいていのものは目を通している。といってもそれほど入れ込んでいるわけではないが、なんとなく程度でも長期にわたっているので、まあ一日の長ありかなと自負する小生であっても、船橋貞雄はおおよそ知っている程度。益田甫はかすかに、どこかで名前を見たことがあるかないか程度。他は知らない。

Img_2141 この本は、実は昭和17年7月25日発行なのだ。定価は1円30銭。げげげ、これも戦争が始まっているじゃないか。よくこんなものが。当時、非国民と糾弾されなかったのかなあ。国家総動員体制の下で許されたのが不思議。釣り人の無言の抵抗を感じる。でも、先達たちはどんな磯釣りをしたのだろう。ヤフーオークションに出ていて、興味があったので入手したら上記のようなことだった。前回紹介の絶筆となった国民的有名人で現代でいえば阿久悠みたいな佐藤惣之助なら許されるが、こんなのがと思った。

Img_2142 厚生省生活局長が序に、釣りは精神修養の厚生運動としての意義は深いなんて申しわけに書いてある。あ、その日付けは16年9月だ。その時、まさか12月に戦争が始まるとは知らなかったのだろうね。編者の益田は非常時局下、銃後の慰安として釣りが最も好適と書いている。しかし、沖釣りはすでに戦時防衛海面の指定と、漁船への機械油配給制限があって極端に狭められた。この本に船釣りがいろいろ書かれているが、大東亜戦争以来、客釣船は中止している、いつ再開されるか昭和17年2月現在未定である、とあるのが時代を示す。マダイを中心として沖釣が約三分の二ある。これが大物釣りで磯釣は三分の一。だいたい益田が書いている。

荒磯の釣り物として、メジナ、ブダイ、オキナメジナ、イシダイが挙げられ、クロダイは内湾性だから外洋ではあまり釣れないとある。それから、スズキ、ボラ、ハタ、カンダイ、タカノハダイ、タカサゴダイが挙げられている。小物はカサゴ、ベラ、カワハギ、海タナゴ、アイゴ、メバルが挙げられている。

気になるところランダムに摘出。フカセ釣りはオモリやウキをたよりにせず、糸のフケとノビのみをたよりに釣るとある。これは小生の認識と同じで何の不思議もない。というかフカセ釣りはこれ以外にあり得ない。ではメジナのフカセ釣りって何者だ。それはメジナのウキ釣りだろ、フカセ釣りとは何考えているのだと常々思っている。

この時代は常識だが、ナイロン糸なんてものはない。クロダイは上は人造テグスを使い、下に太物の本テグスをつなぎ、ハリスは細い磨きの本テグスを使う。投げ込み以外はリールを使わない方が一般的。木製か金属の太鼓リールだから、オモリ投げ込みでもウキの投げでも重いものでないと投げられなかった。

荒磯釣りではブダイが最も一般的で基本の釣りだったようだ。ウキ釣りが一般的だが、脈釣りもある。三間以上、四間半までの延べ竿が良いと書いてある。都会の継ぎ竿は役に立たない。渋引き綿糸3本撚りの道糸に3匁から4匁のナツメオモリで本テグス2本撚りの6寸と9寸の2本針。これはよく分かる。現代のハンバのウキ釣りにそのまま引き継がれている。

ブダイ、メジナ釣りの浮釣りではリール竿をすすめている。三間でクロダイのような調子では役に立たない、とあるが。そういう磯竿って注文だろうと思うが、分からない。ここでおもしろいことが書かれている。そういう持ち合わせがない人は大型のリールとガイドを5、6個、電気工事に用いるテープを持っていくと良い。釣り場で借りた延べ竿に細い糸でくくりつけた上からテープで巻く。しかし、イシダイ釣りでは四間から五間の物干し竿のような頑丈一点張りの延べ竿とある。さらに場所によってはバカを出す。淡水釣りやっている人はバカは分かりますよね。竿の長さより長い道糸を使う。佐藤惣之助でも同じだから延べ竿が一般的だったのだろう。

その他、おもしろそうなところはいろいろあるが、これもいつか後日。あ、そうか、松崎明治の釣百科に触れなければ片手落ちだな。あーあ、芋ずる式に広がっていく。あんまり期待しないでください。気まぐれですから。もっとも戦前版は持っていなくて、昭和36年の増補版です。序文は昭和13年初夏とありますけど。

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先達の磯釣その2

惣之助は、釣、の巻頭の序言でこう書いている。

<<然し、釣りを諄諄説くもの、あながち釣りの名手ではない。名人はいつも沈黙しているものである。われわれはただいつもその人の間近に窺い寄って、かくもあらんかと、秘密の一切を報告するにとどまる。釣って、釣って、初めて釣りというものが解った時には、もう説きたくないもので、私の釣友には、生涯アユを釣り、タイを釣っている名手がいるが、遂ぞこの人は説かない。>>

これを読み、うーむ、そうだな。残学菲才でありながらワタクシのように中途半端に説くものには、何によらず信用してはいけない。本当は師匠や先輩との間で直接の相伝というか謦咳に接し真似て盗むものである。ワタクシはそうしてきた。これまで、釣技や釣りの生情報は書かないようにつとめてきた。そういうものはいくらでもあふれているからである。しかし、これほどの情報化社会となりあらゆることが進歩、進化してきた。だがまた、知りたいのだけれど、もう一歩のところで得られない情報というものもある。だから、複雑、微妙である。

惣之助はブダイに凝ってかなり釣り歩いたそうだ。房総、相模、伊豆、紀州、八丈島、小笠原。延べ竿の三間から四間、道糸は渋染めの三本撚り。六か七匁錘で脈。浮なら三か四匁。匁と現在のオモリの号は同じはずである。ハリスは1分柄テグス一本。人によっては5厘テグス3本撚りか8厘テグス2本撚り。強度は別にして、1分柄テグスは現在の10号、5厘柄は5号としてよいであろう。テグスはご存知ない人のために、野生の蛾から取れる。カイコから絹糸が取れるのはご存知ですよね。なに、知らない。仕方がないなあ。これは以前の記事でよく出現したフレーズですね。

釣り方は長竿釣りと流し釣りと船釣り。餌はハンバとカニ。惣之助は現在とほとんど変わらない釣り場にいっている。ごく近場なら根府川、真鶴、錦ヶ浦。川名、富戸から八幡野。その先の下田から南伊豆。伊豆七島まで及んでいる。

ブダイで気になる文章があった。竿は三間、三本継ぎで生地のままのものを作らせてもっていくのが理想的。うーむ。こういうのを竿師に作らせていたのだね。どんなものだろう。野布袋の印籠継ぎだろうか。普通の人は無理かもしれない。需要が少ないはずだから出来合いはなかったと思う。現地で借りたのが一般的だったのだろうか。石廊崎では灯台傍の茶屋で四間の延べを借り、石廊権現の下の荒磯で、、、と書かれている。ここまで釣りに行くだけでも庶民には無理だよ。伊東からバスに乗っていくか、修善寺からバスで下田。

Img_2138

さて、イシダイであるが、当時一般的な仕掛けは15匁の棒錘、麻糸か太い綿糸の道糸、ワイヤのハリスで物干し竿。仕掛け図の写真には人造テグス十匁又は麻糸とあるが、人造テグスは白絹糸太番手をゼラチンで固めたもの。10匁というと相当な太さだと思うが良く分からない。オモリのようにそのまま号に該当ということはないだろう。一分柄テグスが10号の太さからいうと100号かも知れない。あ、太さであって強さではないから念のため。人造テグスはごわごわして、使っているうちにゼラチンが溶けてしまうということをどこかで読んだことがある。たしか人天といわれたはずだ。

惣之助は書いている。磯の石ダヒの竿釣となると、どんな釣人も常にあこがれてゐながら、なかなかよく釣れる機会に恵まれず、又その辛抱も出来ない、その代わり一と度び、石ダヒがかかったとなると、大物は一貫目もあるから、道糸やハリスを切られ、竿を折り、時にずるずると引き込まれかかって、岩角で腕を挫いたという話もよく聞くほどで、これ以上豪快なものはないほど、磯釣の王者である。

道具が未開発だったというだけではなく、昔もあまり釣れなかったようだ。

磯釣のリール釣はなかったのかというと、あるにはあった。しかし、普通は国産のタイコリールである。

Img_2137 惣之助の本にリールの投げ方の図がある。見ると、磯釣ではなく、投げ釣りのようだ。タイコは片軸であり強い引きに対応できない。戦後、真鶴でやったという先輩から聞いた話では、タイコリールで拝み釣というスタイルだったとか。両手で拝むようにタイコリールを挟んで引きに耐える。多分、道糸を手で引き抜いて、余分を少しずつリールに巻き込むのかな。いや、手で引き抜くことが主体だったのではないか。

このブログのプロフィールの写真のリールはシェイクスピア1935年製である。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2007/03/shakespeare.html

これだったら立派に使える。竿師に三本継ぎのガイド付き磯竿を作らせることも可能だ。

こういうものを戦前の日本で輸入してイシダイ釣りに使っていた人がどのくらいいたのか知ることはできない。大久保鯛生か三谷、長岡あたりは使っていたかもしれない。フライフィッシングでは上流階級においてかなりいただろうことは分かる。

古いリールの片軸は

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2007/03/post_7a11.html

右欄の下方に、検索があり、このブログ内で検索という機能が付いているので出すこともできる。シェイクスピアはshakespeareで入れないと出てこない。

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2008年1月24日 (木)

先達の磯釣その1

Img_2131 昭和17年9月発行の、釣、という本。創元叢書、著者佐藤惣之助、定価1円80銭。数年前ヤフーオークションで入手。詩人、作詞家。東海林太郎の赤城の子守唄、阪神タイガースの六甲おろし、人生の並木道、湖畔の宿。もっとあるけど、省略。釣りの著作が多いことでも知られている。でも年代的にワタクシより以後の世代の人であると、よほどの釣り文献マニアでないと知らないかも知れない。磯釣の大先達の一人として知っておりました。釣り本の復刻版の著者としてもよく目にしているところ

Img_2132 実は、この本の完成を見ないで脳溢血で亡くなった。惣之助の絶版となった。戦前の磯釣クラブのパイオニアである日本磯釣倶楽部の常務理事であった。同じ常務理事であった大久保鯛生が房総の試釣会があった日に房総線の車中で新聞を見て知った、と巻末の跋に寄せている。しかし、昭和17年はすでに戦争に突入している。このような本の出版が許されなくなる寸前であろう。日本磯釣倶楽部は最近はどうなっているのか知らない。少し前までホームページもあったが消えた。また、そうとう昔だが、竹芝で背中に伝統ある倶楽部の文字とSINCE 193Xとプリントされたヤッケだったかベストの人たち数人を見たことがあった。39だったかな。当時、日本磯釣連合の中にあって健在ということは知っていたが、ただただ恐れ入りましたと敬意を表す他になかった。とにかく磯釣倶楽部の源流の源流である。

Img_2134 Img_2135 惣之助はプロの文筆家である。サスガに文章は遅滞がない。磯釣だけでなく釣り全般に及んでいるのだが、当時、磯釣までを守備範囲にする釣り人はごく少なかったはずなので貴重である。房総、伊豆、伊豆七島まで釣りに行けた人がどれほどいただろうか。また、品川沖の道了杭の釣りが大名釣りだと書かれている。一人か二人の仕立てで二間半の竿を並べて、魚は船頭が取ってくれるし、餌も付けてくれて、座布団に座って釣れる。費用は掛かるが旧江戸を偲ぶ良い釣りとある。京浜間の防波堤の釣りは、かなり盛んで大衆的で、盛夏のなると300人も防波堤に上がるとある。

面白そうなところを紹介しようとしても、枚挙にいとまがない。読んで、磯釣の代表魚はどうもブダイだったような印象を受ける。七島のカシカメのウケ釣りが書かれている。知っている人にはこれだけで何の説明も要らないのだが。一割いらっしゃるかどうかくらいだろう。良いブダイ釣り場に出ると、足もとの岩に茶碗大に凹んだ穴がある。石でカニを叩いてコマセにした跡である。これはワタクシの磯釣り入門時に先輩から聞いて知っていた。

島では物干し竿のようなのを担ぎ、背に石油缶を背負い、一本のこうもり傘の骨と、弁当と水瓶を入れ一日岩礁を渡り歩き、祝儀用としてもブダイを釣る。こうもり傘の骨はカニを突いて採るため、石油缶は魚籠の代用もする。これを島ではヤギを担ぐといった。亭主がヤギを担ぐのに不平をいうような女房は断然評判が悪い。と書かれている。ハンバやモクの採れる時季は長いウケを投げて釣る方法がある。これは七島の伝統釣りとして有名である。知る人は知る。長くなるので後日いつか。この釣りはずいぶん長いことやっていない。やりたくなった。イシダイもメジナも書かれているが、これもいつか後日。

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2008年1月18日 (金)

たまには潮風会の宣伝

磯釣や竹竿で検索して小生のブログに来ていただいた方はかなり多くいらっしゃいます。なんだ最近の記事はステレオ写真とクラシックカメラばかりなのかと。いえ、たまにはボチボチとアップします。先週は伊豆大島の例会でメジナを少々。寒かった。個人的にはメジナは一年に2回程度やるかどうか。例によってメジナの干物と今回は西京漬けを作りましたので後ほどアップします。大きいのは約44cmで刺身。

ところで、当ブログのリンクの最後に、潮風会の概要というのがあります。これがウチの会です。全磯の関東支部の中では一番充実したホームページということになっております。

http://www.h5.dion.ne.jp/~siokaze/top.htm

ここでまた概要が出てきますので、またクリックすると

http://www.h5.dion.ne.jp/~siokaze/guide.htm

本当の概要が読めます。昭和48年10月19日号のアサヒグラフ。モノクロ写真は式根島の磯渡し風景です。舳先をご覧ください。片側、左側に木製の手すり。もちろん磯に舳先を付けません。だいたい1mくらい離しているのが磯付けの渡しです。特別なのかって、いえ、これが普通です。それなりの経験、知識が必要で先輩から手ほどきされて、教えて貰わないと渡船はとても不可能でした。

その下のアサヒグラフのカラー写真。左の写真は式根島のハシケ、漢字では艀です。当時の式根島は本船は港に入れませんでした。港が貧弱でした。で、はしけ取りというスタイルだったのです。はしけどり。

で、この写真の下から3人目、サングラスを掛けた横顔の青年、これが小生の若き日であります。現在の姿はご想像におまかせします。右の検量風景は手前がウチの会の先輩幹部の一人、はるか昔に引退したOBで、隣は江東磯の青山さんの若き日でしょう。その後に関東支部の支部長になっています。

潮風会のホームページのボリュームは相当なものです。全部見るのは容易ではない。会の良さ、楽しさの一端は伝わると思います。まあ、良質な磯釣クラブに入るだろうと思います。興味ある方、関心を持たれた方はホームページにもありますが、メールいただければ、心から歓迎し、対応いたします。

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2007年10月20日 (土)

NF18赤巻き

Img_1936Img_1931_2  この竿はNF16Hと並んで石鯛剛竿の代表的存在であった。NF16Hと基本的なところは変わらずに5本継ぎになっている。元竿の太さも全長も重さもほとんど同じ。調子も同じような感じ。だが、人によって5本継ぎだから胴に来るという人と、逆に胴が強くなって先調子だという人がいて、まったく逆の印象を受けていたのは面白い。いかにいい加減なものか。個人的には16Hより少しだけ先調子に感じてはいた。元竿から二番、三番あたりの胴は強くてほとんど曲がらない。しかし、実用上はNF16HもNF18も差異を感じない程度。正確には継ぎ数が多いか少ないかだけでは先調子、胴調子には直接的に結びつかない。つまり関係ないのだ。延べ竿、二本継ぎ、三本継ぎでも先調子、胴調子があるのは当然だろう。石鯛竹竿は三本継ぎの調子が良いと考えている人が多いかも知れないが、誤解があり先入観にとらわれているにすぎない。趣味趣向の問題がほとんどかも知れない。三本継ぎというだけではなんの意味もない。さらに、だいたい、二間半以上、三間程度の長竿の継ぎ数は少なくとも5本か6本になるのが自然だろう。淡水の竹竿はすべてそうである。淡水では逆に継ぎ数の極端に多い竿もある。そういう竿でも胴調子もあれば、胴がしっかりしてあまり曲がらないという先調子もある。しかし、なにかの理由で継ぎ数を少なくすることはあるだろう。東京荒磯のかつての例の竹槍石鯛竿は延べ竿の調子を生かしたいという思いと、下手な工作をして強度が落ちることを避ける意図があったはず。下手な工作で調子が悪くなることもあるだろう。竿師ではないのでそういう工作ができる人も限られていたはず。

NF18は使いやすかった。とくに持ち運びでは仕舞い寸法が短いということはそうとう違う。リールシートに巻いている白い布状のものはサクラから売られていたロッド保護用の商品で、これがないとリールシートに当たったロッドブランクに傷が付く。なかなか便利なものだった。

その後、18番の4本継ぎという製品が出てきた。たしか4.8m。元竿は17番よりも太く感じて安定感があった。17番と18番の4本というセットでもよく使った。

Img_1931 18番にはバリエーションがあって、写真のように口金の形状が違っていた。さらに、尻手環が付いていないので自分で取り付けている。こちらの方が初期のような感じがする。

また、元竿の上部に富士山のロゴマークのシールがあって、グラスロッド工業会、パテントと印刷されている。これはNFの竿のお約束であった。

NFTの石鯛竿は16、17、18、19という製品ラインであった。19番は4本継ぎで元竿はもっとも太い。石鯛竿とモロコ竿の中間のような感じであった。後日、NFのモロコ竿が生産されたが、19番とは別のシリーズであった。

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2007年10月16日 (火)

ミッチェル408

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スピニングリールで一台だけ挙げろといえば、このミッチェル408でしょう。理由はあまりカッチリしたものではありませんけど。まあ、雰囲気、名声、品格。ところで、国産のスピニングリールはとなれば、オリンピックの93でしょう。これほど普及して、誰でも知っているリールはなかった。その次に個人的には大森製作所のマイクロセブンを挙げたい。

ミッチェル408については、マニアがたくさんいらっしゃる。そういう世界とは無縁ではございますが、機構で押さえるところというと、回転軸にはスパイラルベベルギアで動力伝達、前後動には遊星ギアが採用されている。スピニングでは動力伝達ギアとしてはウォームギアが主流ですが、スパイラルベベルギアも少なくない。どこがどうなっているのか文章ではちょっと説明できそうにない。ネットで調べるといろいろ出てくるので興味のある方はお調べ下さい。

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遊星ギアによるスプールの前後動は見ていてはっきり分かる。遊星ギアはプラネタリーギア。適当な説明の引用では、((太陽のまわりを惑星(遊星)が自転しながら公転するのと同じような動きをすることから、その名が付けられた遊星ギヤボックス。))太陽ギアと遊星ギアがある。

投げる時のラインの繰り出しが良いだろうことは直感で分かる。見事にスプールに巻かれていく。ミッチェル408はコインでギアボックスが簡単に開くので見ると、簡素、簡単なギアが現れる。もう少し精密なギアが予想していたので拍子抜けだった。とにかく前後動装置は簡素。しかし複雑な動きを司るのだ。

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ところが、ギアマニアの中には大森製作所のマイクロセブンに採用された変形のスパイラルベベルギアの方が特徴があり優れているという説もある。軸を少しずらしていてより複雑なかみ合わせになっている。調べると、ハイポイドギアというらしい。マイクロセブンを買ったときに聞いたのは遊星ギアではなく単純な前後動だが、しかし動力伝達ギアは特許の変形ギアで、ミッチェルを真似たけど、技術的に工夫していて優れているのだ、、、とメカに詳しい先輩が教えてくれた。当時の釣り師の仲間内では、マイクロセブンの方が人気があり信頼されていた。ミッチェルの輸入量と価格に制約されていたと思う。小型高級スピニングリールはマイクロセブンで決まり、というような感があった。スピニングリールでは大森製作所は知る人ぞ知る企業理念のしっかりしたメーカーであった。お値段は少し高価だったが、精密感のあふれる立派なリールを生産していた。その後、独自性を捨て去り他社と同じレベルでの競争の中に沈んでしまい、消えて滅びた。

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その後、超小型スピニングリールでウミタナゴの浮き釣りをしたかったので、もっとも小さかったダイヤモンドミニというリールを買った。ごく普通のアウトスプールのリールである。これにもパテントと刻印されている。どこがパテントなのか。ついでに、408にはUSパテント、マイクロセブンにもパテントと刻印されている。

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2007年10月 2日 (火)

イシガキフグ

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イシダイ釣りではおなじみ。いままで無数に釣った。針を飲み込まれていないものはすべてお帰り願った。喰えるとは知っていた。会の先輩は不味くないといった。それどころか、白土三平フィールドノートの項でイタドリの虫を串刺しで食ったK先輩は、現役のT後輩に持ち帰って届けてくれるよう指示したとか。喰ったことがないでは良くない。はじめて持ち帰った。ぶつ切りで味噌仕立てが常道らしい。沖縄と八丈ではよく喰うらしいことがネット検索で分かった。イシガキフグはハリセンボン科で無毒である。この写真は針掛かりがよくすぐに外してお帰り願った。

こちらが、針を深く飲んでしまった個体のつぶらな目である。やすらかに往生してください。けして無駄にはいたしません。

Img_1672 出刃で解体をはじめたが、難しい。料理ハサミならなんとかなる。棘の骨が全身に編み込まれているのを切断していく。浮き袋が出てくる。

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はらわたには飲み込んだエサが大量に出てきた。いそっぺとがんがぜである。腸と内臓を摘出すると大きな浮き袋が現れる。上にある半球状の袋が空気を充満させて身体をボールにする部分らしい。ゴム風船のようなものだろう。なんだか解剖実習のようになった。皿に載っているのは肝である。肝を取り出すと、背骨とそれに付いている細長い肉が見える。Img_1682

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肝を塩ゆでにした。油がそうとう出た。                                                                   Img_1683

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2007年8月29日 (水)

初代NF17Dいわゆる赤巻き

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磯釣り入門時代にはすでにNFの赤巻き竿はどこにも売っていなかった。いつごろ。昭和40年代末のころです。ところが、師匠をはじめ、石鯛釣りのベテランはこのNFの初代の赤巻きを使っている方が少なくなかった。いや、やはりすでに少なかったかな。コケが生えているような大ベテランだけでした。他の磯釣り会でも事情は同様。写真のようなダイダイ色の元竿の巻きであるがこれを赤巻きと呼んでいた。そして、竿の材質はフェノールの焦げ茶の肌色である。ただし、Dは総巻きであるので継ぎの部分しか見えない。その当時の現行製品はすでに黄色の材質の肌色に変わっていた。あるとき、売れ残りのNF17Dを見つけた。おや、赤巻きの売れ残りだ、よく残っていたなあ、と入手した。うれしかった。初代の17Dは総巻きで写真のように穂先まで赤の細糸で巻かれていた。しかし、ところどころ糸が浮いていて、空気が入っているのがご愛敬だ。細糸の上からエポキシで薄く塗り固めている。また、ガイドはハードガイドに変えている。オクトパスシートに改造した前の記事のNF17Dは似ているが、穂先までの総巻きではない。元竿と2番だけ巻かれている。

Img_1556Img_1559 Img_1558  その当時、年配の磯釣り師でNFの赤巻きを持っている方がいらっしゃったら、敬意を表して挨拶し、三歩下がって礼をつくしたものである。その方の磯釣り経験が分かるからである。あ、竹竿ならそれ以上の礼をつくした。もちろん知らない人でも師弟の礼であり丁寧言葉である。自分の手持ちの竹竿の本数が少ない時から竿敏や東正、東俊、東作などの外観、見分け方を知っていた。最大限の礼である。相手も悪い気持ちはしない。こいつは若いけれど竿敏を知っている。価値が分かっているようだということで、同じ石鯛釣りという趣味を持つ人間である。挨拶にしても、磯釣りの話にしても、だいたい幸福な時間が持てるはずである。では失礼します。またよろしくお願いいたします。ということで一区切りである。少しオーバーで誇張もあり、相手にもよるが、こんな感じだったと思う。釣りの組織が斜陽ではなかった時代である。釣り人は釣り会に、釣り会は上部連盟に参加しようというスローガンが意味のあった時代。

ということで17番は万能竿。神津や三宅の三本など、大物の可能性のあるところでは16番か18番というのが定石であった。だいたい、16番と17番、あるいは18番と17番の剛竿、並竿というセットで持っていくことが多かった。伊豆や房総、あるいは大島では17番を2本というのが常道だった。

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2007年8月27日 (月)

NF17Dの改造

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アクセス解析の検索ワード分析を見ると、竿の改造というワードとグラスロッドというのが多少だけど目立つ。といってもたまたまのことだろうが、ブログの中にこういう言葉をたしかに使っているから検索でヒットするのだ。しかし、そういう情報を求める目的からいうと、書かれている文章の内容は程遠いはずだ。申し訳ない。で、多少は関連する内容を少々。あのうですね、各記事の下にコメントってありますけど、そこをクリックすると書き込めるようになっていますから、なにか注文があれば書いていただければ、出来る範囲内で対応いたします。できる範囲ですから過度の期待はしないように。もちろん、よくわからんとか叱咤でもよろしいです。迷惑コメントは無視しますけど。

石鯛のグラスロッドの改造です。遠い昔のことですが。今でもこれは立派に使えるでしょう。なんだか使いたくなった。カーボンに比べると弾性率が低いのでずるずると食い込みに順応するのがグラスです。NF17Dはグラスロッド時代の代表的な石鯛竿のひとつです。改造したのは初代のNF17Dではありません。初代NF17Dはさすがに改造する気になれない。でも、グラスロッドの石鯛竿でひとつだけ挙げるとするとやはり初期赤巻きのNF16Hかな。歴史上の石鯛竿といっても良い。

まず、リールシートをオクトパスに付け替えています。これは以前の記事にもありますが、パイプシートよりも明らかに良い。金ノコで斜め螺旋にパイプシートを切断します。螺旋に引いていくと意外にロッド本体を傷つけないで切断できます。ついでに取り付け位置をかなり下げました。

Img_1550 Img_1547 Img_1552 それからラインガイドを大型に付け替えました。写真でも分かりますが、2回り大型の巨大なものを元竿に付け替えました。ハードガイドです。大型のものはけっこう高価でした。比例してそれぞれ以下のガイドを大型に変えています。そして遠投用穂先と弱調子替え穂を揃えました。標準とで3本の穂先です。遠投用のガイドをごらん下さい。先まで投げ竿なみ。遠投用は穂先を15cm以上カットしていますので、40号以上の錘が使えます。標準穂先では普通に30号、弱調子穂先では15号くらい。穂先収納は元竿に2本、二番に一本入り、3本仕舞いになります。弱調子穂先はメーカーのNFTでそういう製品があり、パーツ部品として販売されていました。ガイドはそのままです。

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2007年8月26日 (日)

四本継ぎ石鯛竿普及品

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この竿は竹の石鯛竿入門時代のかなり初期に品川の先の大井町あたりの老舗釣道具店で発見入手した。この竿で四本目か五本目になったころである。手持ちの竹の石鯛竿が二本か三本程度だとどうしても思い切って使えない。価格も高く、痛めてはいけないという意識で恐る恐る使うからである。本末転倒だが仕方がない。雨が降りそうだから心配だと考えたりする。磯釣人魚会の谷島さんは、じゃあ昔は雨が降ったら石鯛釣りをやらなかったのかい、そんなことはないだろ。とあざ笑ってくれました。彼は竿敏を裸で巻いて持っていたが、当方はちょうどグラスロッドを持っていた時に竹芝あたりで遭遇した。

Img_1545 Img_1546 ともあれ四本継ぎで無銘の普及竿。作りもそれなり。なんとなく東作系ではないと感じた。金剛砂の塗りがものすごく荒い。いままで見た中では、竿敏の金剛砂が一番細かい。東作系はそれに次ぐ。この竿はそれよりも二回りくらい荒い。それから、継ぎ口の肉がかなり厚い。つまり印籠芯の作り方、印籠芯の太さであるが、工作を手抜きして内径の削りを極力少なく済ましているかと思うほど。また、元竿の竿尻の握り巻きが下まできている。普通の作りはリールシート下に若干竹肌を出して、末端の竿尻は握り巻きではなく普通に塗っている。それから石突きの形が東作系標準ではなく独特である。東作に納めたことのない竿師が、あえて東作の磯竿を見本としないで作ったもののようだ。

数回使ってみて、この竿の竹は若いのを使っていると感じた。硬くない。曲がり癖が使用中でも多少残る。火入れが少し甘いのではないかと使用しはじめた当初から思った。今日初めて重さを量った。穂先70g、穂持ち220g、二番240g、元竿570gの合計1100gである。比較としてはほとんど同じ姿の普及竿である芳竹四本継ぎを上げよう。こちらは穂先70g、穂持ち200g、二番300g、元竿720gの合計1290gである。普通のバランスである。大井町の無銘竿の穂持ちが突出して重い。調べると、異常に重心が後ろにある。よほど重い鉄芯を使っているとしか思えない。そして二番が軽い。元竿の淡竹も軽い。あまり実入りではない若い竹のようだ。使用直後から、残念ながらあまり良い竿ではないと感じていたので使用頻度は低い。あまり使っていない。それと肝心の節も良くない。これは店で見たときから感じた。とくに穂持ちが命であるのだが。穂先は良いに越したことはないが、それなりであれば穂持ち次第。二番は太さがあるのでなんとか持つ。元竿はそれなり以下でもなんとかなる。その穂持ちは7節。四本継ぎでは最低限に近いが、竹が硬ければなんとか持つ。二番は6節でこれも限界。三本半や三本では長さがあるので、当然節数は多くなければ同水準にならない。芳竹の穂持ちは9節で、しかも硬い。良い穂持ちである。2番は7節でありまあ普通。小判東作は穂持ち、二番ともに8節である。普通は節数をそろえてある。

曰わく因縁の多い石鯛竿を比較してみよう。これは元竿を除けばかなり軽い。穂先50g、穂持ち180g、二番220g、元竿は四本継ぎ状態計算では710g、合計1150gであった。穂持ち、二番ともに8節。

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2007年8月21日 (火)

曰く因縁の多い石鯛竿の補足

口割れと補強口巻きについて。この竿の念入りの口巻きは元竿で長さ4cmある。しかも普通の絹五十番ではなく、絹手縫い糸だったか、もうひとつ太い糸だったか、しっかりと作った。口割れ修理の強度という心配からである。割れが見えるだろうか。中央に筋が通っていて、塗りまで割れている。

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この竿の元の姿は金属の補強パイプがスゲ口に付いていた。その当時では普通スタイルであった。年代によるが、太い竹竿には金属パイプが付いていた。淡水の竿で、いつも比較として紹介しているハヤの剛竿にも付いている。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/2007/08/12/img_1369.jpg

他にはアユ竿にはだいたい付いている。これが口割れに対して補強、保護する考えであったことは容易にわかる。グラスロッドにもだいたい付いていた。しかし金属補強パイプでも踏み潰しには対応できない。不注意でなにかに当てて割れる程度の衝撃には一定の効果がある。グラスロッドには口巻きがほとんどないからそういう衝撃に弱い。振り出し竿の仕舞状態ではそういった強度不安は構造上ない。並継ぎ継いでいない時弱い。

手持ちの改造竹竿には金属パイプを取り外して、この竿のように補強巻きをしている竿がいくつかある。金属パイプは密着度が低いので強度向上に関しては限定的である。この点では糸巻き補強が良いように思える。小判東作石鯛剛竿の場合は、金属パイプを取り外さないでその位置の下から補強巻きを施してある。スマートで違和感はまったくない

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0868.jpg

あ、そうか芳竹も同じように改造してある。これもすっきりしていると思う。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0957.jpg

次の写真は二代目竿敏が初代竿敏に施してくれた口巻き補強の改修。現在の作りはすべてこのスタイルだ。茶色の総巻き手元の竿で元から持っていた石鯛剛竿の方である。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0853.jpg

改修していない初代竿敏の写真が次。オークションで入手した方で以前の記事に詳しくあるが、これがオリジナルの作り。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0854_1.jpg

補強金属パイプと補強糸巻きとの利害得失に関してはよく分からない。スゲ口用金属パイプの需要がまったくなくなって、もはや生産すらされていないらしい。過去は各サイズ、各種類いろいろ生産されて流通していたのを竿師が利用した。もっと古い竹竿では自然口割れというのがある。あきらかに経年劣化と思われる。何十年も使っていないと割れるものがあるのであろう。長年の乾燥と湿りを繰り返すだけで割れの原因となるかも知れない。あるいは過度の乾燥が主因かな。高価な尺八が夜中に音を立てて割れてしまうことがあると聞いた。木材でも数年間寝かさないと落ち着くまで暴れて狂いが出るそうだ。竹も同様だが、落ち着けば以後は大丈夫なのかどうか不明硬い竹はよく割れる。そういう割れは修理が可能でなんとかなる。竿敏で修理補強してくれたくだりを記事に書いた。

もうひとつ。瞬間接着剤は短時間限定だが微細な隙間に入り込む。毛細管現象ね。この性質を利用した口割れの修理だが、すぐに硬化するので瞬間勝負である。うまくいけばうまくいく。その後、他の口割れ竿で二液のえぽきし接着剤が熱でとろとろになることから、ドライヤーとキャンプ用ガスバーナーを横に用意してやってみたことがある。絹糸を浸透して割れ目にまでしみ込むだろうと思ってやった。口割れの隙間にどの程度入り込んでいるか不明。表面上は問題なし。

短手元の袴について。そうか、これを書いている時に思い出した。意図というか当時の計画。上下に繋ぐ例のタイプの口栓である。上下に石突きのある仕舞い状態中に穂先が入っている知らない人が見たらどうということはないが、普通の竹の石鯛竿を知っている人が見たらびっくり仰天、目が点状態だろう。このスタイルは以前に書いているが、正体不明のリール竿と、、、自作小物竿ある。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0926.jpg

袴付きで使うと、重さは690gプラスオクトバスシート。長さは60cmなので全長は475cmとなる。小場所で使うには良いではないか。長い方では520cmだから普通と二通り使える。そうなると、弱い穂先という替え穂も欲しいところだな。重軽、長短、弱剛、現状でいろいろあるから。もっとヒマができたらそのうち、、、、、。

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2007年8月20日 (月)

曰わく因縁の多い石鯛竿

Img_1415 この竿は先輩が知り合いのどこかから貰ってきた竿である。かなり昔の話だが。しかしその姿は、元竿のすげ口を踏み潰し、穂先は折損したのか印籠芯だけしかなくて、あろうことか3本で投げ竿として使われていた竿であった。投げ竿のグラスロッドの穂先を流用し、穂持ちと2番とで、まさにかわいそうな投げ竿だった。ガイドとリールシートは投げ竿用に改造されていた。これをなんとか使えるように修理改造してみようというお題であった。穂先の印籠芯だけは捨てないで取っていたのは立派というか知っている人だった。印籠芯が残っていれば、穂先素材を探せばすぐに復活させることができる。師匠をはじめウチの会の先輩や他の会のベテラン磯釣り師からスゲ口踏み潰し竿の修理方法の意見を聞いた。元竿は八から十分割くらいのささら状態であった。巻き糸を丁寧にカッターを使って取り去り、コミ芯に紙を巻いて少し浅く刺してささらの形を整えてタコ糸で荒巻しておく。その状態のまま、白い絹糸であまりテンションを掛けずに緩めに巻き直す。そして、瞬間接着剤で固める。すると、白い絹糸だとささらの割れ筋が下に見えるようになるので、その割れ筋に重点的に瞬間接着剤を射して固めた。後は普通の工程。適当な穂先用の布袋竹を探した。元竿は思い切って写真のように三本半用に切断した。

Img_1417 Img_1416 長い方は普通の三本半。短い方で長短2本の替え手元に作ろうかなと思ったけれど、短部分はそのままである。なんというのかな。短袴手元とでも呼ぶのかな。袴付きというのは舟竿の手元のように淡竹手元の付け殺しのスタイルをいうのだという人もいる。そうすると舟竿はほとんど全部袴付きと呼ぶことになってしまう。三本半の通常より短い手元を三本半袴付きと呼ぶ人もいる。実はよく分からない。師匠のところに東作の三本継ぎで手元のいわゆる袴が付け殺しの石鯛竿がある。

仕上がると、軽くて酷使に耐える良い石鯛竿となった。竹石鯛竿のローテーション出番の中で石物をけっこう釣ったが大物の実績はない。写真のように節数もまあ良い方である。お約束の重さバランス。穂先50g、穂持ち180g、2番220g、手元470gの合計920g。使っていない短手元部分は240g。4本継ぎ状態では1150gくらいの無銘の竿であったことになる。長さは穂先が普通より短い布袋竹となったので522cmである。比較はほぼ同じ姿の芳竹替え手元三本半。穂先70g、穂持ち250g、2番300g、手元510gの合計1080g。この口割れ修理竿は元が元だから気兼ねなく容赦しないで酷使した。

Img_1419 しかし、10年か15年で支障が出た。ささらの筋が一本割れて写真のようになった。実用にはなんとかなる。その状態のままでかなり使った。

Img_1418 写真のように口巻きの補強巻きを長く念入りにしたからあまり不安はなかった。だがその後、普通に使えていた穂先の印籠部分が折れた。根起こしでガツンと煽った時である。

Img_1420 鉄芯はほとんど変化していないが、写真のように印籠芯の竹が継ぎ目で坐屈したようである。捨てないで取っていた印籠芯であるが、穂先から取り外す際に削りが深くなって具合が悪くなっていたのかも知れない。修理としては印籠芯を作り直し、元竿の巻きを再びやり直す。できれば、袴の短手元を作ってあげる。超短手元の袴っていうのをちょっと使ってみたい。うーん、面倒だな。でも実用で使いやすい石鯛竿だからなんとかしてあげたい。でもしかし、ローテーションが余っている状態、、、、。

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2007年8月 5日 (日)

もう一本の筑水石鯛竿の節数

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以前に紹介した筑水剛竿は総印籠で元竿が一般の普通スタイルであった。それに対してこちらの竿のスタイルが筑水の標準で、2番だけが並継ぎ、石突きの上には写真のような根掘り淡竹が半分装飾として仕込まれている。

Img_1333 この部分にも割れが見えている。実用には大丈夫であろう。なお、オリジナルの元竿は写真のような胴の巻きはなく竹肌スタイルであった。元竿のリールシート上にも長い割れが発生して自分で胴を巻いたのでもう一本の竹水の元竿と似たような外観スタイルとなっている。筑水は前に書いたような事情で何本も見ているが、この竿は標準の中でも姿の良い方であった。同寸の切りで同じ作りの4本継ぎがあった。長さは二間半、4.5mで軽快であった。短い軽量級石鯛竿として良い竿で、欲しいなあと思ったが、その後の機会を逸した。製作本数がごく少ないと知った。

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剛竿の方は以前書いたように1260gだが、こちらは穂先40g、穂持ち90g、穂持ち下190g、2番270g、元竿530gの合計1120g。全般に若干軽い。筑水の外観上の特徴は、まず節数が多いこと、節巻きの手法、元竿の根掘り淡竹の姿。また、以前に書いたように素材竹である五三竹を自由に組み合わせて一本にまとめる手法も特徴である。

Img_1335 Img_1336 節数は穂先11,穂持ち9、穂持ち下9、2番8、元竿10。写真のように元竿の根掘り部分は5節が密集しているが、中の3節は省略している。なお節巻きなので普通の作りでは印籠コミ口の中ほどにある節が巻きの下に隠れているが、それを加えている。なんと合計47節である。全長は555cm。単純計算で平均節間は11.8cmとなる。知らない人はピンと来ないだろうが、石鯛竿の節を知っている人は仰天する。剛竿の方の写真は半分グラスで継いであるが、これとは別に裏まで布袋竹の替え穂がある。こちらはなんと穂先の節数15であり、以下穂持ち8、穂持ち下8、2番7、元竿9で、やはり合計47節。この穂先だけはちょっと異常なほどの節混みである。でも、筑水による素材の竹の組み合わせ方、使い方を知っているからそれほど驚かない。それぞれの継ぎのパーツ部分というか各継ぎ部位では、根元部分の節が混んでいて丸に近い部分だけを継ぎ数だけ組み合わせているからである。つまり5本継ぎなら5本の竹の根元部分の丸く節が混んでいるところを選んで使えば良いのである。もっとも、よく見ると、5本までは使ってはいない。

Img_1337 だいたい、良い竹竿の条件として竹質が堅く、しかも軽く、しかもねばりがあるといった矛盾する要求が出てくる。普通は竹質が堅ければ重い。ねばりは定義が定まっていないまま使っているのがほとんどだろう。かなりの人でもそうである。かなりでない人は混乱を楽しんでいるにすぎない。

布袋竹の竿は節数だ、いや節数だけではないという議論が繰り返されている。ではなんだ。重さだという説や丸みだという説や何年切りかだという説に続いていく。一部の俗説はいろいろあるが、何年切りということに関しては、3年以降、つまり4年目からはダメになっていくという学術的研究結果があるので念のため。3年も4年も同じで、それ以降の竹質は下降の一途である。

節数の比較には、竿敏三本半の剛竿ではない方が節数が多い。穂先11,穂持ち10、2番10、元竿6の合計37節ある。やはりピンと来ないかも知れないが、これでもかなり良い方である。関東竿の標準からは良い節である。

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2007年7月28日 (土)

総男竹総印籠6本継ぎ正体不明竿

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Img_1263 Img_1264 Img_1265 写真の通り、総印籠継ぎだが、変な肘当てが付いている。この状態でウチに来たので前歴が分からない。竿の姿はよく図鑑にある総布袋のフナ竿のようだ。ヘラ竿よりマブナ竿の調子だと思うが、グラスのヘラ竿で2本しか持っていないので調子といってもよく分からない。マブナの竹竿は一応あることはあるので調子はなんとなく分かる程度である。写真で分かるように仕舞い寸法をそろえると、肘当てが飛び出すのでまず後付けの改造であろう。しかし、前のオーナーはこれでどういう釣りをしたのか。淡水釣りでこんなのはないだろうから、海の小物釣りで探り釣りだろう。ウミタナゴかメバルかチンチンか。柔らかい穂先で多少胴にくる。だから、かなり細い仕掛けを使える。しかし、同じ竹竿ならハヤ竿の方が使いやすい。胴のハリが強めのハヤ竿だとかなりあるからだ。弱めのハヤ竿だと同じくらい。

Img_1266 Img_1269 Img_1270

会の先輩が変な竿を貰ってきたからと、後輩のわたくしにくれた竿。思い出深い某先輩だが、かなり昔に会を去って消えた。波乱の人生だったのだろう。

総男竹、総印籠という普通ではないはずの竿だが無銘である。替え穂とそのケースがある。竹竿職人に銘なんているもんけえ、、とかいっていた川口あたりのはぐれ竿師だったらおもしろい。おっしゃる通りです、あなたが好きです、こういう竿が好きです、と機会があればお話しをしたかった。

かなり軽い竿である。合計300g。元竿は99cm。3尺3寸切りである。全長は三間。5.4mある。ただし、穂先と穂持ちの印籠はグラスソリッドをそのまま使っている。本当の高級竿ならこういうことはしない。

しかし、書いて分析して紹介しているこちらも、少しはつらくなってきたので、読んでいらっしゃる方はなおさらもっと疲れてきただろうとご推察申し上げる。いつまで続くのだ。まだ道は遠いのか。いままで磯竿ばかりだったので、変化がないのもつらいかも。固定客がかなりいらっしゃることがアクセス解析で分かるのだが、驚いた。日本も広い。世間は広い。うーむ。固定客のみなさま、よくぞと、ご尊敬申し上げます。アクセス総数も予想を上回るペースだ。でも、もう石鯛竿はいくらもございません。

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幸田露伴の幻談の野布袋竿の周辺

露伴の幻談はたいていの人は知っているだろう。土左衛門が離さずに持っていた野布袋の竿。今読み返すと溺死者のことをお客さんと呼んでいたようだ。野布袋の丸とある。つなぎ竿になっていないのが丸だそうだ。つまり延べを丸と呼んだ。名刀の鞘を払ったように美しい姿。実によい竿とある。お客が堅く握っていた野布袋の丸を、三途の川で釣りするわけでもないと船頭からいわれて、死んでも離さない竿を、指を無理矢理ぎくりとやって持って帰る。主人公はいわゆるご普請入りの御家人。ケイズを毎日のように釣っていた。露伴がケイズ釣りといっていたのは有名な話で知る人は知っているだろう。カイズは訛りで系図ダイの露伴説。

で、次の日その竿を持って船を出した。そうしたら、またお客さんが野布袋の丸を持っているのが見えた。竿はこっちにあるんだから、同じものが出てくるわけがない。見間違えだと船頭と顔を見合わせる。そこで竿を出して、南無阿弥陀仏を言って海に帰したという話。これは名作の誉れが高い露伴の小品である。

最初、露伴の小説をいくつか文庫で読んだのだけど、本箱を探しても見つからない。伊豆大島とか下田に汽船で釣りにいっている紀行文も読んだ。現在の中央区新川の霊巌島から汽船が出た。

Img_1260 その後、幸田露伴江戸前釣りの世界という本に露伴の釣り関係の作品がまとめられている。解説もあってなかなか良い。

野布袋の丸。二間あまりの竿。いいねえ。二間では持ち運びが大変だから、二本継ぎにして、とたしかにその昔はそういう竿を作ってみたいと思っていたことがある。ところが、元から裏まで良い延べというのは簡単にはない。作りそびれていて、あった手持ちの延べを普通の竿に作ってしまったりで、もう適当な延べがない。あーあ。そういう延べを探すのも今となっては面倒だけど、また気にかけておこう。

前に紹介した一間延べの三本継ぎというのが似たようなもの。もっと長いのを二本継ぎで作りたかったな。ていねいに火を入れて、節の処理、袴の処理をていねいにやって、胴塗りして、芽を打たない。印籠口巻きは竹肌に見えるように。二間二本継ぎというと1.8mになる。石鯛竿の三本か三本半の長さだからなんとかなるよね。

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ということで、ウチの延べを何本か出して、二本継ぎに出来るような組み合わせで並べてみた。左の三本は裏がカットされて売られていた竿作り用部品素材というべきか。適当にいいところを切断してグラス穂を継いで手元の淡竹とで船小物竿でもクロダイヘチ竿でもいかようにも作りなさいということだろうと思う。上Img_1255 の四本は裏まである延べ竿。太さを合わせて並べたところを撮影した。100円玉は竿尻から一間の長さのところに置いたもの。メジャーは穂先から来ていて150cm。ざっと計算して、150cmの二本継ぎなら作れる。5尺2本継ぎ、全長10尺前後。

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写真の仕掛品は全長400cmくらいの四本継ぎ。切断して途中のまま十数年。このくらいのクロダイ三本継ぎがあるので切断するのじゃなかったな。後の祭り。

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下の四本の上に三本ある延べは少し短めのもの。まだ20本くらい他にある。メジャーのすぐ左隣に置いたのが、節が揃った一番いい延べ竿。右の四本切りに比べると歴然の相違がある。

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四本継ぎを伸ばして置いた写真。右はもし二本継ぎを作るとして、太さを合わせたところの写真。メジャーの長さは余白を含めて160cmくらい。

延べ竿は余程テーパーがゆるくないと、先調子で胴が強すぎるのが普通。そう思って使う必要がある。テーパーのない、手元が細い3m足らずの延べの二本継ぎでハゼのリール竿を作ったことがある。釣友にどうしても欲しいというので根負けして持って行けといった。あれは良かった。他にクロダイ竿でも出したのが2本ある。これだけあるのだから一本くらいと言われると弱い。愛情を持ってくれるなら良い、持ってけ泥棒というくらいしかなかったけれど。

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2007年7月27日 (金)

総男竹アユ竿改磯中物竿

前項で多分アユ竿であるチンチンカイズ竿が登場したので、もう一本。この竿は東京の多摩川中流の神奈川側の古い釣具店で見つけた。磯釣り師がどうして。竹のヤマベ竿を入手したので使いたくて釣りにいったことがあるのです。関西ではハエ釣りですね。イワシヤマベってのが釣れました。大きい。20cmくらいあるじゃないかな。亡くなった父と一緒に数回は行きました。母が煮魚にしてくれて、食べました。

で、ガイドとリールシートを付けて中物竿に改造。無銘の実用竿。長さは5.9m。159cm切りです。穂先30g、穂持ち110g、2番240g、元竿430g。重さは710g。元竿がちょっと重い。持ち重りはしないけど。アユ竿にしてはちょっと短い。いくらなんでもハヤ竿ではないだろうと思う。アユ実用普及竿の短めはこんなものかも知れない。アユ竿の標準は3間半じゃなくて4間かな。昔の竹竿時代はよほど軽い高級竿でなければ、長い竿はなかったかも。置き竿の石鯛竿じゃないのだから、筋肉が持たない。4間というと7.2m。カーボンの現在は10mでも普通でしょうけど。比較で置いたのは内房チンチンカイズ竿。Img_1249

Img_1252 Img_1250 Img_1251 クロダイ竿の長いのがないので、ガイドを付けたけど、ちょっとぴったり来ない。重さからウキでは使えないから脈釣りかブッコミ釣り。ブッコミのクロダイ釣り。やりますよ。5号くらいのナツメに3号ハリスでぶっ込んで置き竿。普通は岩イソの餌。外房勝浦でクロダイの餌としてイカワタがあった時代。漁港で釣友は54cmを釣った。わたくしは50cm。岩イソでは40cm台はよく釣っている。夜釣りです。でもねえ。なんとも。

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この竿はブダイのウキ釣りだろうね。いずれにしてもあまり使う機会はない。石突きを取り付けようと思っているまま、ほったらかし。口栓も作っていないし。竿尻に淡水竿のお約束の筋巻きがある。

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2007年7月26日 (木)

チンチンカイズ竹竿

Img_1246 いや、チンチンカイズ竿というと道了杭カイズ竿となるかも知れない。これは品川沖にあったというから遙かに昔。こういう竿は図鑑にはあっても、そこいらにはない。あったとしても、アオギス脚立釣りと同様に、そういう釣りが滅びた。その家の父や祖父が釣り狂であったのならばありそうな竿である。しかし、関東大震災で焼け、第二次世界大戦で東京は焼けた。あまり残っていないのではないだろうか。焼けなくても古い釣り竿など、処分されてしまう。

そうではなくて、前項の写真にある内房のチンチンカイズ竿である。チンチンカイズ釣りの盛んな内房の古い釣具店で見つけた。ほこりをかぶっていた。外観は正に普及品でのアユ竿である。当然無銘。多分、アユ竿を仕入れた売れ残りであろう。アユ竿を内房のチンチン釣り用として仕入れたのではないか。内房のチンチン釣りは長竿の脈釣り。針のちもとに錘が付いているテンヤ仕掛けである。これを終日振り込む。だいたいの人がグラスのアユ竿を使っていた。内房ではクロダイもこのスタイルの強い仕掛けで釣っていたという。脈釣りの打ち込みである。錘を軽くすればフカセであるが。

この竿は120cmの6本継ぎ。4尺6本継ぎというべきかな。仕舞いは120cm2本となる。13cmから12cmのコミがあるので全長は630cm。三間半である。重さは590g。アユ竿としては普通の姿である。

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比較に置いたのは三間の強めのハヤ竿。仕舞いは100cm2本。3尺3寸切りというのかな。ごく普通の姿である。ただし手元の淡竹が太い。力のあるハヤ竿である。こちらの重さは360g。普通のハヤ竿は口栓がないのが常道。この口栓は自分で作ったものである。口栓があるのはアユの高級品と渓流竿くらいだろう。ヘラにもあるかな。ハヤ竿は海の小物万能竿としてちょうど良い、と東作ではお客に勧めたという。ハヤの最大は30cmくらいあるのかな。海の魚の方が強いので30cmのクロダイは限界だろう。この竿の主な用途であるウミタナゴ釣りでクロダイを掛けたことがある。30cmを越えてもなんとか取れる。仕掛けが仕掛けだからハラハラして心臓はバクバク、非常に楽しめる。30cm以下のカイズなら楽勝。

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2007年7月25日 (水)

白土三平のフィールドノートに学ぶ

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ご存知、白土三平は巨匠である。その認識は世代によって左右されるかも知れない。忍者武芸帳、カムイ伝、サスケ、権力に反抗して戦う。あの頃はすごかった。ほとんどリアルタイムの世代である。そして、この書フィールドノートが出たとき、感動した。素晴らしい、、、まったくもって、、、。1988年初版。土の味、風の味の2冊。内房の浜近くに住み、長野や東北の山間に足を伸ばす。該博な知識と好奇心。

Img_1242 1993年にこの2冊を合わせて、白土三平野外手帳という文庫本に収められた。ネットで検索すると出版社による紹介ページがある。すべて小学館だ。

フィールドノートの最初の書きだしは、こうだ。(「アウトドア」とは都会生活者が遊びながら、己が自然の一部であったことを思い出すためにあると思う。)同感。

Img_1243 Img_1244 初版の10年後、1998年、カムイの食卓と三平の食堂。続編という感じの2冊が出た。白土三平の好奇心という副題。海のもの、山のもの、いろいろ興味深い内容ばかり。

Img_1245 内房のチンチン釣りの記事がある。長竿を操り、胴長をはいて立ち込み、以前に書いた角形のカイズ籠を全員が肩に下げている写真が載っている。他にウツボやサメや、もっとマイナー魚が取り上げられている。

白土三平はゲテモノ喰いという言葉を嫌う。そしてこういっている。(日本人が米の飯を十分に食べられるようになったのもつい最近のことである。中略。消費文化の産んだ加工食品を家畜飼料のように食べている生活を時折絶つ必要がある。)同感。貧しい庶民は現代ではゲテモノと呼ばれるものをおいしく食べたのだ。そういう伝承が生きていたのだ。

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うちの会の先輩もこの書に感銘したのだが、感化されてイタドリの虫を捕って食べた。恐るべし。また、エラコの汐だきというのがある。ふくろいそめ。この背後には天明の大飢饉のとき、餓えて、あらゆる山野草、木の実を食い尽くした山間の人々が食物を求めて浜に下りてきた。貴重なタンパク源として日持ちの良いエラコは得難い海産物であったとある。

漁村では都会の人が食べない、いわば商品価値の低い魚、それどころか商品価値のない魚を食べる。あるいは普通では食べない魚や貝でも食べる。その食べ方は簡単かつおいしいという知恵と地域の伝統がある。こころある釣り師はこれをぜひとも学ぶべきである。わたくしも読んでいくつか追体験している。また、この書にたとえなくても、釣れたならば、どんな魚でも一度は食べてみるべきであるという考えを実行している。やはり不味くてダメという魚もあった。さかな大図鑑の食味評価は役に立つ。

この書から学ばなければならないこと。釣りがゲームだけになってはいけない。すべからく生き物を相手にゲームだけにしてしまってはいけない。どんな生き物であってもだ。ゲームしかないという遊びはよろしくない。私見だが、最悪のゲームはヨーロッパの上流階級や貴族がアフリカやインドで行った猛獣狩りであった。南米征服の人間狩りを肯定する人はいないと思うが、猛獣狩りも同断。しとめたライオンやトラに片足を乗せて、ライフルを片手にポーズして記念写真に収まる。また、イギリス貴族のキツネ狩りという伝統的スポーツがあった。たくさんの猟犬を使い、馬に乗ってキツネを追い詰めてどこがおもしろいのか。そういう遊びなのか。キツネは恐怖にかられ必死に逃げる。最後は猟犬に囲まれかみ殺される運命か。なんのために。動物愛護団体が動物虐待であると禁止を訴え、伝統行事だからということで、やっとつい最近禁止となったという。

スポーツの語源にはゲームに近いものがある。気晴らしという意味もあるらしい。生き物を相手にスポーツをしてはいけない。スポーツフィッシングしかり。だからトローリングは違和感がある。ブラックバスを除くキャッチアンドリリースのゲームフィッシングもいかがなものか。日本のバスフィッシングはすんなりとはいかなかったが、すでに結論が出ている。日本ではブラックバスをリリースしてはいけない。ゲームフィッシングはだいたいが釣り産業が推進したものだ。無批判にそれに乗ってはいけない。ましてや、釣り産業に迎合して、何も考えずに広告塔になるような釣り師は風上にもおけない。そういう釣り師は白土三平のフィールドノートをよく読んで考え直せ。といいたい。

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2007年7月24日 (火)

自作・・クロダイ竿四本継ぎ

Img_1231_1 布袋竹の穂先と穂持ちは印籠継ぎ、2番は並継ぎで破竹の元竿。竹竿で磯釣りをやる釣り師には四本継ぎの見慣れた姿でいわば標準である。実はこの竿は自作ではなく治作という竿師の渓流竿であった。その場合、四本継ぎ総男竹渓流竿という呼び名が普通であり、そう呼ぶのが正しいだろう。淡水の竿では穂先が布袋でその他は矢竹とか太いところの一部は大名とかで、ヘラ以外でも高野竹を部分的に使うのがあるかどうか知らないが、それで手元は淡竹というのがほとんど。穂先以外も布袋というのはごくごく少ない。竹竿図鑑に載るような高級竿によくあるタイプでその場合、総男竹竿と呼ばれている。

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リールシートとガイドと石突きを取り付けた。布袋竹だから違和感なく最初からクロダイ竿のように見える。ただし、竿尻にある筋巻き。淡水の竿には必ずあるが、淡水の竹竿を知らない人はこれも分からないだろう。わたくしの乏しい経験では強い竿には筋巻きの本数が多い。その種類の竿の中での剛竿と思われる。渓流竿でもヤマメではなく、イワナ、ニジマス用といったところかな。クロダイ竿にはどちらでも許容範囲に入ってしまう。

Img_1237_1 穂先の布袋は良い素材である。まあ、多少は布袋の穂先の本数を見てきているので分かるといっておこう。

Img_1236_1 Img_1235_1 穂持ちは普通。その下の穂持下というか四本継ぎなので2番というべきか、ここは残念ながら、いわゆる俵節である。節の下が独特の形でふくらんでいる。これは実用にはほとんど関係ないが、外観上からすると減点要因である。お約束の計測。穂先10g、穂持ち30g、2番70g、元竿190g。合計300g。長さ395cm。元が力のある渓流竿だからそこそこの重さである。

Img_1234_1 ところで、治作。よくありそうな銘だが、調べても出てこない。すぐに名前が出てくる竿治ではない。竿治の弟子筋か別なのか分からない。

ただ、ネットオークションで治作の渓流竿が出ていたことがある。渓流竿が得意な竿師だったのかも知れない。普通の竿師は総男竹の渓流竿なんてまず作らない。渓流竿をたくさん作っているからこそ、その中のバリエーションとしてちょっと変わったこのような竿も作るからである。

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2007年7月23日 (月)

竹竿の特質とは何か・その2

なぜ竹の石鯛竿が生き残っているのか。現在のところなんとか生き残っていて、時代錯誤的な竹竿の信奉者、愛好者が存在するのは、石鯛竿、ヘラ竿、一部の船小物竿、クロダイへち竿、たなご竿くらいかな。情緒性を除けば、あゆ竿ダメ、渓流竿ダメ、メジナ竿ダメ、あと何があるかな。マブナ竿、ハヤ竿、やまべ竿しかり。考え方によってはヘラ竿もあゆ竿の立場とあまり変わらない。船の小物竿もグラス穂やカーボン穂を使ってしまえば、情緒性が残るだけ。たしかに違うと思うのは吟味された布袋の穂先かクジラ穂の場合で、錘負荷の小さい小物竿のみ。船竿でも錘負荷の大きいものは情緒性だけしかない。

私見によれば、石鯛竿だけは違う。なぜか。どうして。あばたもえくぼなのか。そこを分析してみよう。

竹の石鯛竿の信奉者によって巷間よく言われているのは、だいたい以下の通り。神話的でもある。その内容は断片的で重複しているがそのまま挙げてみよう。

1 食い込みがよい。

2 あたりが大きく出る。

3 反発がやさしいので、魚があばれない。

4 引き込みに順応して竿が曲がり、撓めているだけで魚が浮き上がる。

さて、その理由の分析。順不動、一部重複。もちろん珍論、奇論を恐れない。その前に釣り竿の曲がりの特徴を調子というが、振り調子、掛け調子、絞り調子があると竹竿辞典で述べられていることを留意してもらいたい。グラスロッド、カーボンロッド等の規格工業製品と竹竿ではこの関係が異なるのではないか。ともあれ。

1 竹はカーボンと比べて弾性率が低いので反発が弱い。

2 前項で触れたが、穂先から手元への曲がりの伝導つまりヌケがよいので、胴まで早く素直に曲がり、これによってあたりが大きく出る。動態での抵抗が少ないのだ。

その理由として節の部分は曲がらないので、その節を越えた次の節間に曲がりが伝導されると考えられる。これはある意味で胴調子効果ではないか。胴調子というのはスローテーパーということである。竹竿は先調子の場合でもヌケがよいので胴調子効果が出ていて、それだけ動態的には胴に乗る。静止状態や、一定負荷静止状態と、動態というか変化中の状態における特性が微妙に違うと考えられる。もちろん調子自体と竿の強さ弱さは別もの。とりあえず、続く。

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2007年7月19日 (木)

自作クロダイ竿その2

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これも、目白釣具店の布袋延べ竿から作った。クロダイ竿というよりも小磯カイズ竿というべきだろう。ライトウエイトでチンチンカイズ竿にいけるような竿にした。あ、竿師ではないので、そういう素材があったのでというべきだろう。目的と結果が竿師と素人とは違う。写真の通りごく普通の作り。長さは4m足らず。

Img_1223 軽い。えーと、穂先20g、穂持ち60g、元竿150gの合計230g。穂先はかなり細い。もちろんウミタナゴでもいける。

Img_1229 以前に書いた日本釣具大全に新橋東作の三本継ぎ9尺カイズ竿と二本継ぎ8尺カイズ竿の写真があった。2.7mと2.4m。穂先のガイド位置の並びを見ると、9尺は普通の磯竿である。8尺は穂先のガイド位置が少しつまっていて、ヘチ竿風だがグラスソリッドではないようだ。竿尻もヘチ竿とは思えない。逆に9尺の穂先がどうもソリッドで並継ぎである。どちらも小磯用の竿だろうと推察した。9尺三本継ぎか、いいなあと思った。竿の姿が良い。リールシートの上で手元を継いであるのが分かる。こんなところで継ぐのかという感じ。船の小物竿だったら普通だろうけれど。実際は、布袋の根元部分は枝が出ないところから丸になってさらに細くなって、肉が厚くなり重くなる竹が多いので、そうするのが常道ということは知っている。自作の竿のレベルではこのあたりは無視である。後日紹介するが、ここを印籠継ぎにして、替え手元の竿とは少し違う、いかようにも発展できる竿にしてみようと作ったものがある。

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比較の右の竿はオクトバスジュニアの自作クロダイその1である。こちらは二間半ちょっと。450cm。重さは530gちょっと。丸東のクロダイ竿も長さはだいたい同じで重さもだいたい同じ。角東の中物ブダイ竿の長さは480cmちょっとだった。16尺ということになる。重さは540g。穂先が丸東クロダイ竿よりも太く全体に強い竿にも拘わらず、重量を比較すると軽い竿だなといえる。元竿に遅切りの破竹一年子を使うという威力だろう。角東だから定石通り、そういう材料を使っている正式な作りである。丸東クロダイ竿の材料は手抜きに思える。元竿が丸東クロダイよりも長いのに軽い。なにしろ、焼き印が角東と丸東の違いである。

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2007年7月18日 (水)

布袋延べリール磯竿の運命

期間限定で一瞬の輝きを誇った東京荒磯の竹槍竿はその後どうなったのだろう。わたくしの30年以上、40年近い釣友でウチの会のOBの釣り師がいる。先輩の一人だ。まだまだ自由気ままに磯釣りをしている釣り師だ。時間が自由になるし、年金がたっぷりなので夢のような境遇だ。ずっと昔、東京荒磯の例の竹槍竿の完成品をある幹部から貰って、神津島の定宿に置いていた。他の釣り師のそいうう竿がたくさんあったそうだ。しばらく間を置いて、そこの渡船に乗ったらなんと船の旗竿用の竹竿としてくくりつけられて使われていた。大漁旗なんかに使う用途。ありゃ、なんだよ船長、これ俺の竿じゃないか、ひでえなあ。ごめんごめん、じゃまになってしょうがないから捨てたのも多いけど、これは捨てていない。涼しい顔であった。毎月行って使うか、持って帰らないとこういう運命になる。

三宅島で使った古い定宿の玄関の上には、お客が置いていた石鯛竿が50本近くあった。なにしろ古い歴史を誇る釣り宿だ。全磯連分裂以前の磯釣り師も少なくない。溶岩の下になった古い場所で新しい場所で再開し、後継者問題で今回の全島避難の前だからかなり昔に廃業している。その竿のほとんどが真っ黒に埃をかぶっていた。捨てるわけにはいかないから置いているだけといっていた。竹竿が半分、グラスが半分。行かなくなったお客の竿だった。竹竿は駄竿がほとんどだったように思う。

他に自分が見聞した範囲で目立ったのは茅ヶ崎の烏帽子の渡船屋さんの軒下にあった。かなり昔の話でその後はまったく行っていないので分からない。延べのクロダイリール竿が10本くらいあったかな。南伊豆の石廊崎の渡船屋さんの天井。現在である。古くはない作りの石鯛の延べリール竿が2本ある。これは立派なものだ。立派に使える。竹も非常に良い。渡船屋や釣り宿に置かれているのは迷惑な存在で、だいたい捨てられる運命にあるのは間違いない。

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2007年7月15日 (日)

ミッチェル三兄弟

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ミッチェルのリールといえば、まずスピニングとなる。ミッチェルが名声を博し有名だった時代は、今のスピニングリールのようなスプールではなく、いわゆるインスプールの時代。そして、遊星ギア。遊星ギアというだけでしびれるほどのフェロモンが漂った。代表選手であるミッチェル408がうちにある。先入観も影響しているのだが、408は気品がある。これにつられて、ダイヤモンドマイクロ7というのも使った。雰囲気と外観が国産の中では似ているというリールで、評価が高かった。たしか大森製作所だったかな。

ところが、ここのミッチェル三兄弟は両軸大型リールである。象牙色のスプールで白い貴婦人とかなんとか呼ばれた。経年劣化でかなり汚くなっている。マイナーリールではあるが、それほど珍しい物ではない。その当時、アメリカのペンがなんといっても主流派で、ダイワ、オリンピック、スエーデンのアブ、そして少数ながらフランスのミッチェルはどこでも見られた。関東の石鯛釣り場で、といっても沖磯限定としてそこそこのベテラン磯釣り師が10人いたとすると、ペンが4人、オリンピックが2人、ダイワが2人、アブが1人、ミッチェルが1人。それほど間違ってはいないだろうと思うが、あくまでも印象である。しかし、磯釣りクラブに限れば、先輩の影響で、ペンが軽く半分以上になる。ごくごく珍しいのはツルーテンパーとかオーシャンシティー。こういうのは、へー、こんなのあるのって感じ。

Img_1187 Img_1188 Img_1189 ここのミッチェルでは624というのが一番大型で、ペンの68番に相当する。糸巻き量は相当ある。600はペンの140番や200番と同等。であるから最も使いやすい。620というのはかなり小型でペンでは100番くらい。ブダイ釣りには最適である。カニのぶっこみでも、浮きでもちょうど良い。

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ミッチェルのハンドルは写真のように丸形握りであった。小型の620にも丸形ハンドルがあった。スタードラグには番号が刻印されていて、ドラグの締め具合が分かるようになっている。これは他のリールには見たことがない。使っていた当時はそれほど感じなかったが、ギア比がたしか1:3で現代リールに比べたら低い。そういえば、ペンの155番というギア比がもっと遅い1:2.5くらいのリールを平気で使っていた。140番のスプールと同じで遠投も利き、軽いので使いやすかった。

Img_1191 その当時、一番使ったのはペンの140番、次がミッチェルの600番だろう。その後、アブの9000番と3台ローテーションで使った時代があった。10000よりなぜか9000の方が使いやすかった。

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2007年7月13日 (金)

磯釣人魚会の谷島さん

関東の石鯛釣り師ならこの人を知らない人はもぐりであった。ちょっとオーバーかな。非常に残念なことに若くして病を得てお亡くなりになった。具合が悪くなっていた時のやつれた姿を見たことがあるので、遠くから及ばすながら心配していた。ご冥福をお祈りする。わたくしが磯釣りに入門して全磯関東支部の他の磯釣り会の大きな顔をした面々に接したころ、すでに強烈な個性で活躍なさっていた。とにかく有名人であった。顔は真っ黒、声はガラガラ。築地市場の関係者であった。声だけでなく、築地でも少しも負けないガラだ。あ、そうだ、ネット仲間のたぬきさんに似ている。たぬきさんを二回りガラを悪くした感じ。ごめん、ネタとしても知らない人はまったく分からない。突然の不意打ち、ごめん。東海汽船のフィッシングクラブの役員世話人から幹事長になって、その行事を推進なさった。その後、磯釣人魚会の会長となった。自分と同年代とは思ったが、少し上だとしか思えなかった。実は一年下だと知ったのは晩年である。高校生の時から石鯛をやっていたそうなので、自分より10年くらい先輩であることになる。人魚会は石鯛一本の会として知られ、学釣連OBが多いのが特徴。人魚会を知らない関東の磯釣り師は昔だったらもぐりだろう。釣り師の組織運動が斜陽ではなかった時代である。全磯しかり、ヘラの日研しかり。前置きを書くと長くなるのでここらで中断。谷島さんのエピソードは枚挙にいとまがないのでいつかそのうち後日。

この谷島さんが竿敏のフリークであった。ずっと昔、なにかの大会で我々と竿を並べた時、竿敏の元竿をなぜながら、あんなグラスロッドになんか負けるなよ、と奇天烈な冗談を飛ばしてくれたことは記憶に強く残っている。仁さんはガラが悪いから食わない。どちらの餌を食ったらよいか魚は分かっているさ、とかへらず口をたたいた。自分は竹の石鯛竿を2本か3本しか持っていない時でグラスを使うことが多かった。谷島さんも入門時はNH16Hでフルスイングしたと話していたけど。

さて、本題。谷島さんは竹の石鯛竿論を展開する数少ない一人だった。竿敏に関しても知識情報該博であった。ああ見えても、あの人相風体でもかなり研究熱心であった。竿茂を持っていった時に、谷島さん会うと竿茂の石鯛竿について論じた。竿茂をよく知っていた。印象批評からちょっとした竹竿論。筑水を持っていった時にも論じた。ところが、かなり昔だが、御蔵島の沖手房で竿を出していたら、我々のところに他の渡船が近づいてきて、チャカ付けしてきた。すでに何人か竿を出していて、それほど釣り座があるわけではない。誰かいなと見たら谷島さんが乗ってきた。苦笑しながら、こんなところで偶然に、来ていたの、いやいやいやどうも、、、と歓迎の挨拶をした。まさかガンを飛ばすわけにはいかない。こういう時に絶対にガンを飛ばさないのが我々の会の美しい教え。たとえ誰だろうと同じ。支度する道具を見て驚いた。当時のカーボンの一番強い竿、リールはペンの4/0くらい。道糸がめちゃくちゃ太くて釣り物を間違えているようなダイマーニだった。竿敏命の信奉者がどうしたのだ。心境の変化はどういうことか。なんでこんなの使うのかと聞いた。この頃は12キロ以上のヤツを釣ることだけが目的だよ。人魚会の会員が八丈の一の根で記録したヤツは知れ渡っていた。それ以外はいらない。それより小さいのを釣るためにやっているのじゃない。小さいのは釣れないような針を使っている。というようなことを言った。じゃあ、竿敏はどうするのと聞いた。欲しいという会の若いもんに出している。え、なにそれ。会の賞品として出しているんだ。半分は分かるけど、聞いて驚いた。心境の変化。長くなったので、心境変化以前の谷島さんの竹竿論と竿敏論、そして自分の竹竿論は後日改める。これが本題だから、まったく本題に入っていないことになってしまった。長い前置きだ。

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2007年7月10日 (火)

オクトパスリールシート

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知っている人は知っている。食いついたら離さないフィット感。全く知らない釣り師も多い。磯釣人魚会の丸橋さんが力説していたのを何度も読んだことがある。グラス竿の当時、リールシートを改造してオクトバスに付けて替えていた一部の釣り師がいた。丸橋さんもそうだが、自分もグラスの主力竿はオクトパスに改造。後日、こだわりの一本であるイシダイグラス竿に付けたままのが残っているので紹介する予定。オクトパスはタコのように吸い付くという意味だろう。なにがあってもびくともしないホールドに絶対の信頼を寄せた。金ノコでリールシートを縦に切断して取り外すのだが、かなり手間がかかる。当時、パーツとしてオクトパスを探すとあることはあったが、用途はほぼ竹竿用に限定されていたのでどこにでもあるということではない。グラスロッドメーカーのリールシートは金属パイプにネジを切ってあるスタイル。一部には大型のフジシートが使われていた。中小物竿には中小型のフジシート。

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オクトパスがなかったさらに古いころ、写真の上の2つのようなシートがあった。汚れた方は新しく入手した初代竿敏三本半に付いていたものである。他にもこんなシートが付いている石鯛竿を持っている。オクトパス以前だ。初代竿敏三本半に付いていたシートを見ると、飛び魚のオリンピックもマークが付いていた。ところが、東作の古い石鯛竿、これは大きく割れが入って廃竿となっているが、それに付いていたシートは別ものだったのが分かって驚いた。写真のようにSazanamiと飾り文字で刻印されている。プレス製品だろうが、よく見ると型が違っている。

大きいオクトパスのオリジナルは写真のように刻印されていた。オクトパスNO5、PATとある。オクトパスの5番。竹の石鯛竿の需要が激減してきたので、オリンピックはオクトパスの生産を中止させた。推定では昭和40年代から昭和50年代中頃である。このころの竹の石鯛竿には仕方なくフジシートが付けられていた。そのしばらく後になるが、竹の石鯛竿は少量だが生産が途切れず、大型フジシートではなく、やはりオクトパスをという要望が増えてきた。当時聞いた話では昔に生産させていた工場に金型が残っていたので、限定ロットの再生産をしたそうである。たしか昭和50年代前半の話。工場は新潟だという。多分、三条か燕の金物工場であろう。工業パテントが切れていたので、オクトパスNO5PATの刻印をそっくり外した。

Img_1022 PATだけ外して作り直していないのがおもしろい。これを石鯛竿師は一定量在庫した他に一部の釣具屋にも流通した。ある竿師はこの時に千本注文して、残りが少なくなったというのを読んだ。当時見つけると何本か購入した。貴重品という感触の時であり、値段は安くはなかったという記憶がある。その後の再生産では大量生産でどうも値段が下がったらしい時や、少量生産の思惑で驚く高値の時、いろいろ出回った。しかし、どこにでもあるというものではなかった。

Img_1032 何回か限定ロット再生産をしたのだろうが、その一部には写真のようにオリンピックのロゴマークが逆に付いている珍品もあった。これがクラシックカメラなら非常に高価で取引される。さらにその後、オリンピックは会社がガタガタになり、オリンピックのロゴの付いていないオクトパスが流通しているわけである。

Img_1026 その中の一部は発注元の刻印を入れているのもある。写真の磯と入っているのは、小田原マリンの注文品である。今回入手して竿敏三本半に付けたのは浜川工房扱いのものでまったくの無印。

Img_1027 写真のオクトパスジュニアというリールシートがあった。竹の軽量石鯛竿と竹の磯中物竿に付いていた。なかなかしっかりしているし、やはり食いついたら離れない。ジュニア、NO1、PATとある。オクトパスの1番。一度ナットで固定して締めてから、レバーでもう一度締めるとぐっと食いついて前進する仕組み。文章では分かりにくい。前出のようにカーボン磯4号に付けた竿がある。

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2007年7月 4日 (水)

遊遊さかな大図鑑

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出ました。待望の決定版。釣り師はこれを持っていないとダメよ。ほんと。えーと、正式には、釣り人のための 遊遊さかな大図鑑。発行エンターブレイン。ISBN978-4-7577-3531-6。2007年7月9日初版第1刷。監修中坊徹次 編者小西英人。定価本体5500円。エンターブレインは0570-060-555。

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以前、今はなき釣りサンデー社の、新さかな大図鑑というのがあったけど。新本としては入手できない。これは1995年6月15日初版発行。定価は本体6505円だった。その前に新がつかない、さかな大図鑑があった。

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その後は、1998年12月の釣魚検索という図鑑。みるみる分かる海水魚図鑑となっている。これが本体1900円。分からない魚を検索するのがなかなかよくて、古本で見つけたら購入すべしだ。

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さらにその後、2000年の11月、釣魚図鑑、本体1900円。これには見る読む楽しむ海水魚図鑑となっている。要所にエッセイ風の読む記事があってなかなか良い。これも古本を見たら同様。

魚類学も日々変化、進歩している。学説はそういうものだから、古いものは進歩していく。かなりダイナミックだ。え、そうなの、ふーん、ふむふむと読むのが楽しい。そういう世界を英人さんはわかりやすく書いてくれる。さすがプロだ。密かに、尊敬している。いや密かにではない。ブログを読んでいらっしゃる諸君、分かったね。すぐに書店に行きなさい。なければ注文しなさい。あ、同じことをウチの会のホームページにも書かなくちゃ。

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釣魚図鑑の150,151ページによみがえれ淡水魚という見開きのエッセイがある。当時、読んでまったく同感した。非常に良くまとめられている。同感の意を強くした。日本の淡水魚を放流がめちゃめちゃにしてしまった。放流は釣りに関わる全業者、業界が推進したのだけれど、それに釣り人が乗っていってしまったのだ。というか、無批判無自覚な釣り人の要望がそうさせた。無批判な釣り人って、普通の人、ほとんどすべての日本人。自分も含まれている。

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2007年5月 5日 (土)

二宮金次郎に見る背負子の研究。

ヤフーで検索したら、いくらでも出てくる。その中で、二宮金次郎の像の写真がたくさんあったのがこれ。

http://www.geocities.jp/journey4web/Trv/TRVNinob.html

もうひとつ。

http://rokusayo.milkcafe.to/haikai/pages_k/tokaido/tokaido_ex03.html

にのきん、と呼ばれていて、すでに人気なのだ。にのきんか、ちっとも知らなかった。

八重洲ブックセンターにある像は金色。いわれてみれば、そうだった金色だ。だから金次郎なのか。しかし、うちの小学校にはなかった。昔はあったのかな。いや、新宿区にはほとんどないのじゃないかな。小学校に像が設置されたピークは昭和10年から15年。国民小学校時代かな。戦時体制下の金属供出ですぐに取り去ったのもあるらしい。そして、すぐに敗戦となる。軍国主義当時の国策であったので、戦後民主主義の風によって撤去されたのもあるだろう。

駒込の吉祥寺に尊徳の墓があるという。こちらは、「きちじょうじ」ではなくて「きっしょうじ」と発音するのは知っていたが、二宮尊徳墓はまったく知らなかった。今度行ってみよう。金次郎像もあるという。

二宮金治郎の銅像は高岡あたりの鋳造銅器メーカーが同じ鋳型で大量生産していたようだから、同じものがあるのは当然だろう。石像はそれぞれ違うが、見本を見て作ったように感じられる。

おもしろいのはこういう研究をけっこう複数の人がやっていること。その中には、不毛なことを尊徳先生お許し下さいと墓に参拝したとか。うーん、二宮金次郎の背負子の現物探求からスタートしている当方もひけは取らない。不毛レベルはこちらが上かも知れない。なに、金次郎の背負子を調べているのかいな。とほほ、、、と嬉しくなる。ならば、二宮金次郎像に見る背負子の研究というテーマが浮かんだ。これで、もう一段不毛レベルが上がった。超専門的レベルに到達だ。

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2007年5月 3日 (木)

背負い子で二宮金次郎

えらいものに手を出してしまった。重要文化財の方ではなく二宮金次郎の方を探していたら、手頃なのがあった。おもしろいものも付いていた。え、ヤフーオークション。

パイプフレームの普通の背負子と大きさはほとんど変わらない。このパイプフレームはかなり頑丈で作りもしっかりしている重量級用途だ。もっと軽いフレームの背負子が他に二つあったのだが、行方不明。伊豆大島の地磯を駆け回った磯釣り入門時代の若い頃に使った。イワシミンチの一斗缶を担いで秘境黒崎に降りていった。公園下などの裏磯なら、一斗缶でも楽だったが、黒崎はつらい。ここまで行く人はほとんどいなかった。地図で見ると理解できる。

入手した背負子は多分樫だろうと思う。杖が付いている。ちょうど樫の木刀のような材質。写真のように支えて休むためのもの。焼き印が入っている。ヤマに丑と読める。五ではないと思う。やまうし。五ならやまご。この背負子は横木の爪が入っていない。ロープでくくりつけるだけ。その地方の伝統による。多分、この調査研究の資料はどこかにあると思うが、、。あるいは後つけで適当な横木を工作してみるかか。

竹の背負い篭なら慣れているから釣り竿を持ってそのまま電車に乗ってなんでもない。この二宮金次郎はどうかな。非常にかっこいいと思うのだが、一般的大衆の感覚の乖離がないことはない。

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背負い篭その3

角形の二つの篭はだいたい同じ大きさ。細く割っている竹で編んでいる方の産地は茨城の田舎。釣り会の会員の田舎にある竹篭屋から来た。他方は釣り道具屋で見つけたもので産地不明。背負い紐はメリヤスを細くカットしたものを織り込んでいて肩に痛くないような方式。適度に固く心地よい。竹篭をネット販売している業者があるが、この背負い紐を連雀といっている。

丸型の篭で細く割っている竹の方は川越産。他方は奄美大島産でこちらの方が作りはしっかりしている。川越産で大きな丸篭があったのだが、見た目の強度が弱そうだったので求めていない。篭の上部には網を取り付けてあり、すぼめると中のものがこぼれないようにしてある。

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2007年4月25日 (水)

背負い篭その2

まず、芭蕉の弟子の曾良が奥の細道で師匠のお供をして担いでいた笈の現物の写真。(松尾芭蕉・おくのほそ道文学館   資料展示室のHPから写真引用)曽良の菩提寺である諏訪市・正願寺に保存されている。磯釣に使っている背負い篭とほぼ同じ。これを見つけて感動した。なに曽良って知らないって。弱ったなあ。笈という言葉も知らない。これは仕方がないかも知れない。世代ではないな、人による。知らなくてもなんでもない。

山伏が背中に背負っている箱。映画で見たことあるでしょ。見たことないかな。だいたい四脚式を担いでいる。これを箱笈という。二脚式もあって、これを板笈、または縁笈という。二脚式が背負子で荷物をくくりつけて使う。農作業でも使われる。薪を背負って本を読んでいる二宮金次郎ね。二宮金次郎知らない。弱ったなあ。メインフレーズは弱ったなあ。かな。これが基調リフレインとなる。

農作業の方ではなく、二脚式の昔のやつで手ごろなのがどこかにないかなと思っていたが、重要文化財になってしまうらしい。宝物殿にあるといっても、ちょっと本物を入手したくても不可能。

それほど古くなくても、農村の民具の背負子はどこかにあるのじゃないかな。アルミフレームの背負子はウチにも複数あるけど。

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2007年4月23日 (月)

背負篭その1

ほんの少し昔。主に千葉、茨城から東京に農産物などの行商に来るおばちゃんの軍団がいた。背負篭と唐草模様の大風呂敷包み。紺絣のもんぺ。足は地下足袋だった。頭はあねさんかぶりの手ぬぐい。この背負篭を連尺、または連雀という。また幅広の背負い紐を連雀という。行商人のことも連雀という。連雀町という地名が各地にあるが、行商に関係する。また背負い紐や篭を作った場所にも由来する。神田にあった連雀町は行商人が住んでいたからとも、背負い紐や篭を作ったからともいう。その両方だったのだろう。三鷹の地名は江戸の連雀町が大火で焼けて移転した行商人に由来するらしい。

しかしながら、江戸の行商は天秤棒を担いだスタイルが思い浮かぶ。商品にもよるが、平坦地では天秤棒主体と変わったのではないか。天秤の前後の荷物を一荷という。釣りで2匹同時に釣れたときに一荷で釣れたというのはこれに由来する。それを知らないで使っている釣師は少なくない。それ以前に、そもそも一荷という言葉を知らない釣師が多い。よくてなんとなく聞いたことがある程度。当時、一荷の重さは12貫、45キロまでを担ぐとされた。ちょっとその筋を調べてみると、天秤棒はべたべた歩くと重いばかりだが、急ぎ足でリズムを取って歩くと、天秤棒がしなり、重さを受ける時と、重さを感じなくなる時と交互にくる。こどものころ、田舎にあった天秤棒をさわったことがある。ゆるく湾曲していて、両端に滑り止めの突起を出している。竹のようにしならないと天秤の役に立たない。

そうした、瞬間、瞬間力を入れて押し返すような担ぎ方をマスターすると軽く8里歩いた。32キロ。天秤棒を使わないととても無理らしい。天秤棒を担ぐのはアジアの共通した風景だが、東南アジアではまだ街角にいくらでも見かけるらしい。アジアは天秤。

ここまでは脱線。次は背負い篭に戻して述べる。つまり、磯釣の世界で使われていたのだ。

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2007年4月16日 (月)

フォースヘッド・みなさん誤解しているのだ

西洋の帆船時代には付いているね。これらの言葉は専門用語とはいえない基本に属するが、知っていても別に役に立たない。知らない釣師のほうが多いだろう。

と書いたが、これだけは基本ではない。ほとんどの人が勘違いしている。ほぼ100%知らないと断言できる。ほとんど役にたたないのにはかわらない。

くだくだ書くのは面倒だから、小西さんのエッセイがネットにある。引用しておこう。

引用開始、全部略。

 ごへいがGO AHEAD ごすたんがGO ASTERNと知ったときは驚いた。
ちっちゃな舟の、がんこいってつ船頭連が英語で号令をかけているなんて、夢にも思わなかったのだ。
 そういえば、渡船のフォースヘッドも、長いあいだ分からなかった。ホースヘッド、馬の頭かしら、なんだろうと、悩んでいた。
 ある日、英語の辞書と首っぴきして、やっと見つけだしたときは、うれしかった。
 FORECASTLE DECK[HEAD]フォークスル デック「ヘッド」
 フォースヘッド、船首楼甲板のことだったのだ。帆船時代の言葉が磯師のあいだに残っていた。
 これに気をよくして、ヨーソローという号令も、苦手な英語の、つづりをさまざまに考えて、さんざんひいてみたが、載っていなかった。
 かっこええけど、いったい何語やろか。日本国語大辞典にあった。
 宣候。よく候の変化だという。

引用終了

ネットも紹介。

http://hideto.fishing-forum.org/

これはそこらの釣師とレベルが違う。とくに小生が一番嫌う動く広告塔の連中。昔、ネットの勃興期に小西さんとちょうちょうはっしと某フォーラムに書きあっていたことがあった。この人のいうことは信用できる。なつかしい。小生がいうのだから間違いない。

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五平のこと・渡船の用語

話の発端はこういうことがあった。八丈のカンナギから優宝丸に乗って後ろのベンチに座っていたら、船長が足もとのカメを開けた。ぺラのシャフトをさかんに見ている。何回かゴースタンをかけているので、どうしちゃったのと聞いた。息子が操船して船底をこすり、ぺラもガリガリやったとか。エンジンを回すと振動が来てスローしか利かない。それは大変だ。ゴースタンは利くの。いやゴースタンもだめ。

ということで、3ノットか4ノット以上のスピードが出せないで、とろとろ状態で八丈小島から帰航。高いぺラはきりが無いが、交換となると50万、シャフトも曲がっているとなると100万以上の修理費とか。それはそれは。その後どうなったのか。

で、帰りの飛行機の中でその話題に及んだ。漁師の操船用語。渡船のホースヘッドに立った先乗りのじいさんが、息子らしき船頭に五平、五平といっているという展開の小西さんの小文がある。ははは。昔に読んで笑った。知らない人は訳が分からない。

五平は、GO AHEADなのだ。つまり前進。ごへい、または、ごーへーという。ゴースタンは、GO ASTERN。つまり船尾方向にという意味でSTERNは船尾。ごーすたん、または短く、ごすたんという。英語の号令だ。元はイギリス海軍の用語が日本海軍に伝わり、漁師の操船用語となったのだ。昔の帝国海軍の水兵には漁師がたくさんいたことだろう。年寄りほどこの言葉が染み込んでいると思う。磯釣師はというと知らない人はまるで知らない。

最初に聞いたときは、磯釣入門時代に先輩が舳先に立って船頭にゴスタンと叫んでいた。さらに、えーと、カメとは漁船の船腹にある、もともとは生簀で、外洋渡船には必ず荷物を収納するのに使う。下田神津、銭洲、うどねの場合、カメに入れないとバケツで水をかけたように、びしょびしょになる。逆に近海渡船ではほとんど使わないで上積みのまま。ぺラは誰もすくりゅーと分かる。伸びている舳先はホースヘッド。和船の作りにはホースヘッドは付けない。西洋の帆船時代には付いているね。これらの言葉は専門用語とはいえない基本に属するが、知っていても別に役に立たない。知らない釣師のほうが多いだろう。

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2007年3月22日 (木)

かにかご

釣り場近くの老舗釣道具屋には地元の釣道具小物などのいくつかが必ず並んでいたように思う。30年前から40年前の話。最近はどこでもほとんど同じ。同じ商品、同じ流通、同じ販売。全国チェーンのファミレスやファーストフード店を見るようだ。最近、スローフードな人生という本を読んだ。食に関わる地元の多様性、地元の個性、歴史と伝統というようなことをイタリアの取材から語っている本だ。内容は良かった。Img_0699_3 Img_0700_3

竹製品の衰退。日本では竹細工の数々は多種多様な場面で、有効にかつ巧妙に利用されていたのはご存知の通り。たとえば、ざるなんてどこの家庭にもあったのが今は探してもない。プラスティック製ならあふれている。

釣道具のかごは地元の竹かご製造屋さんが細々と作り、地元釣道具屋に納入していたのだろう。需要の減少が主因なのか、たけかご職人の減少が先か。とにかく絶滅したに近い。竹かごの有名産地の中には高級品とか芸術品として、残っているところもあるだろう。花器に多い。一般庶民の民具としてはすでに絶滅危惧種になった。

40年近く前の磯釣入門当時でも竹カゴなど、あまり見向きもされなかった。考え方と感受性の違いだ。カゴを見つけて好感を持ち、いいなあと思った。もうひとつ欲しいなあ。だいたい予備を揃えることが多い。昔から正と副でセットだと決まっている。バリエーションがあれば、それもできれば揃えるべきだと考える。となると最初からなんらかの重症患者であったのかも知れない。気持ち的には無用な物欲はセーブすべきものと考えているのだが。?????この場合、無用ではないとなるのだ。これは重要であり意義があるとなるのだ。

このかごはカニカゴで、大きい方はイソッペ、ショウジンガ二も入る。産地は真鶴半島。小さい方はイソガニ用で産地はたしかひとつは下田、ひとつは房総だったと思う。小さいサイズももっと独特な形のものがあったのだが、行方不明。

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2007年3月14日 (水)

焼き印

磯釣入門のころ、情緒派の一家言を持つ、うるさ型の数人の先輩たちの間で焼印が流行った。その流行った当時のほんの数年前に高田馬場の変哲もない金物屋にメジャーな名前に限るが、出来合いの焼印があったというから驚きだ。これが田舎だったら分かる。都会でそんなことがあったのか半信半疑だった。昭和40年代の中ごろ以降かな。

温泉旅館の下駄には屋号の焼印が当たり前のように押してあった。当時のお風呂屋さんの木の桶にもあったように記憶する。田舎だったら、やはりその家の屋号の焼印が下駄や木製に道具すべてに押されていたのだろう。そういうのを見た記憶はある。

明るい戦後の民主主義の時代の子供だったから、そういう田舎の当たり前の焼印というのは身近なものではなく、新鮮なものだった。そしてそんな焼印は東京ではまるで見られない時代で、先輩が入手したと聞いて自分も欲しいと思った。実は簡単で判こ屋さんに誂えで注文すると専門業者に通してすぐに作ってくれたのだ。今ではどうだろうか。需要はほとんどないと思う。

焼印を押した焦げ目は実に存在感がある。とてもけなげに実直に自らを見るものに訴える。まさにそういう役割が焼印なのだ。名前か屋号だが、きっぱりと知らしめる。達筆に人が筆と墨で名前を書くのは格調があって、恐れ入りましたとなるのだが、かな釘流の筆ではまったくもって自己消沈するのは意義がないところだろう。ところが焼印はきっぱりと清く正しいのだ。押せる道具はみんな押したい。しかしながら、木製の道具がそもそも少なくなっている。釣り道具も然り。大物竿には木製の石突きというものが付く。焼印には適当なものだ。木製餌箱は写真の通り、たいへんよろしい。

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これは角判だが、丸に一字の阿が入った焼印をその後入手した。なんと出来合いであった。子供が小さい頃に、夏の館山の旅行。土地のお祭りがあったのでみんなで夜店をぶらついた。都会の夜店と同じだが、田舎の夜店もあった。なんだか家庭の実用品も売っている。砥石とか、包丁とか、ざるとか。ベニヤ板に穴をたくさん開けて焼印を刺している。握りの木は買ったら、叩き込んで付けてくれた。いやー、こんなもの売っているのか、いいぞ、いいぞ、でもやはり田舎だな、需要はあるのだなと感心したものだった。

下駄に押したのはずっと昔だ。新しい下駄でも買って、焼印するかな。お祭りで神酒所の世話人やっていて雪駄だけど、下駄にしようかな。

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2007年3月13日 (火)

三浦のカイズカゴ

三浦のカゴは複数の地元釣り道具屋で何回も見たことがある。30年くらい前だが商品量はかなり出回っていたようだ。大きさは3種類くらいあった。この写真は小と中。大があったのだが、行方不明。中よりも一回り、いや相当大きい。中型のクロダイでも余裕で大丈夫。基本的な使い方は、ホンダワラなどの海藻を獲ってカゴにいれておく。

三浦のカゴは内房のカゴに比較すると、なんとっいっても曲線美。身体に接する側は写真の通り、平らになっている。造形の美はなかなかのものだ。身体に付けているだけで、たとえ釣れなくても楽しくなる。移動する釣りに本領を発揮するわけで、コマセを使う磯釣が浸透してしまったのだけれど、それ以前の道具かも知れない。昔の道具というわけだが、本当の味わいがある。玩物喪志というコトバをご存知か。知らなければ、それもまた良い。クロダイカゴとはいわないで、たしかカイズカゴだった。

ふたは穴が開いていない。タコ糸でふたを結んでおくのが約束。小さいほうはウミタナゴ釣りにピッタリでよく使った。和竿の3間、5.4mの強めのハヤ竿がぴったりだった。仕掛けは5連か6連のしもり浮き。

そういう釣りをやりはじめた10年か15年前ならば、別に珍しくないスタイルだっただろう。自分がやりはじめた時代はすでに珍奇な目で見られていた。探せば、そういうハヤ竿がほこりをかぶった売れ残りとして釣り道具屋に少しは残っていた時代。Img_0641_edited1

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2007年3月12日 (月)

カイズかご

古民具というカテゴリー。それぞれの地方には昔から作られてきたあらゆる民具があるが、似たような道具でもその地方の特徴があり、その筋が絶えないで伝えられてきたことはご存知の通り。磯釣師としてすぐに目につくのは、獲物を入れるカゴ。しかしながら、売り物に出会うことは最近では少ない。

見たとしても、古民具に関心がない人は目がすべって、意識に残らない。一期一会、関心のある人なら、出会ったら入手しておくべきだった。そういうものがいろいろあった。これは今現在の小生の反省。本当は現実的には古いつまらないものかも知れない。

このカゴは30年以上前、内房の古い釣具店で売っていた。値段は安くはなく、その当時でも稀少品だった。つまりレアアイテムだった。その当時から釣りは釣果ではなく、それをオーバーラップするすべての情緒を味わうことなのだと思っていた。ははは、実存的インテリ釣師か。青い。青年時代のお前はサルトルかハイデッカーの筋か、柳田国男も読んだけどね。ほとんど死語であり通用しないな。しかし、いまでも民俗ということには関心がある。

このカゴは内房型であり、三浦のカゴとまるで違っていた。三浦のカゴは別にアップする。内房の小磯の伝統的釣り物であったチンチン釣りに土地の釣師が誰もが使っていた。チンチンというのはクロダイの当歳で大集団を成して内房を館山まで南下する。その移動スピードはかなり速い。Img_0638_edited1 Img_0640_edited1 Img_0639_edited1 やってきたぞ、という情報で、立ちこみの長竿、テンヤ仕掛けで打ち込んで釣る。土地の釣りであり、これは民俗の釣りといっても良い。

この釣りが成立していた終盤の時代に数年釣りを楽しんだ。なんだかこの釣りは消えてしまったようだ。釣れなくなったのか、こういう釣りをしていた土地の釣師が老齢でいなくなったのかよく分からない。

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2007年3月 9日 (金)

プロフィールの写真

弟のトシのプロフィールの写真、すばらしいサーモンを持っている。うーん、やはり見た目のはったりは十二分にある。正直、すごい絵だ。兄として、正統磯釣り師としての長年の経験はどうなるのだ。対抗しなければならない。

70センチ超のクチジロイシダイの写真は昔すぎて、どこにもぐりこんでいるのか、簡単には出てこない。仕方がない、神津島の孫平磯で釣ったハマフエフキで簡便してもらおう。たしか8キロくらいあった。

しかしねえ、正統釣り師としてこんな形で張り合ってどうするのだ。まったく、、、

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