先達の磯釣りその8
その7で触れた関東磯釣クラブの井ノ口和雄さん。ほとんどリアルタイムに近くなってしまった。実は、以前の先達の磯釣りの記事の中にも登場しているが、日本磯釣倶楽部で全磯連初代会長の三谷嘉明を欠き、磯釣同和会から関東磯釣クラブの野口勝弘を差し置いてはまったくバランスが悪い。歴史上の人物だから敬称略ね。あ、理論家の長岡輝衛も欠いている。その理由は、エポックメーキングな磯釣りの著書を背景にしているからだ。長岡はかなり書いているが、たしかまとまったものはないと思う。
注意。以下本気で読んだら長いよ。それでも駆け足ではしょって書いているけど。
昭和44年井ノ口和雄さんは「離島の大物釣り」を書いた。473ページある。すごいものだった。いまでもスゴイ。前編が釣技。後編が釣り場ガイドという構成。釣り場は日本全国を網羅している。すごすぎる。初心者が読むと寒気がして怖じけ付くのは間違いない。別世界と思いながら、九州、奄美、沖縄を読んだ。その当時の西表島、波照間島、与那国島の記事は今読んでもおもしろい。男女群島の記事では、すでに「九州の釣り人はもとより、日本全国から釣り人がひきもきらずに押し寄せる」と書かれている。チャーターは10トンの船で1日一万五千円から二万円という時代。
井ノ口和雄さんは昭和9年生まれ、日本航空勤務、大橋巨泉の11PM釣り情報にたびたび出演した。関東磯は俳優で磯釣りもやる梅宮辰夫もいた日本磯釣連合の名門クラブで、現在も健在の御仁です。75歳になるのかな。直接的には知らない。勝手にこんな論評をしてしまって申し訳ない。潮風会にも所属して懇意にしてもらっていた先輩が関東磯の大幹部で、(いや、語感が似ていますが、その筋の組織ではありません、念のため)井ノ口さんの先輩だ。いろいろ話を聞くと、井ノ口さんは一度退会してまた入って、最近やめたという。引退なのかな。日本航空勤務を利用してとんでもない島で磯釣りをやっているのを読んだことがある。大西洋のカナリア群島だったかな、アフリカの沖です。イシダイに似た魚が磯にいるそうです。オーストラリア周辺、ニュージーランド周辺、南太平洋だったら分かるが、大西洋ですぞ。インド洋なら、さもあらん、というでしょうが、大西洋となるとねえ。
伊豆諸島の釣りは約100ページを割いている。カジキの突きん棒だけで生活している漁師は数十人いるが、神津が一番と書かれている。神津島GPのコメントで触れた突きん棒の現況に愕然とする。この時代、民宿は一泊三食で1000円だ。銭州は昭和36年大阪磯釣クラブの森岡秀泰が釣り人として初渡礁とある。森岡は初渡礁マニアで知る人は知る。この人はパイオニアとして大先達の一人。イナンバにも昭和39年に初渡礁した。米軍の射撃訓練があって、危ないと書かれている。三宅の三本は東京のクラブが昭和34年開拓とある。三本もそれまで米軍の爆撃訓練の場所だったのは知っている。神津のタダナエはそれより古くから日本海軍の艦砲射撃の標的だったと、渡船と観光船もやっていた竜宮丸の船長から聞いたことがある。神津は岡から近い渡船の磯があるので、もっと古くからやっていたと思う。
ぱらぱら読み直して光っているのは、神津の潮の呼び名だ。南西からがシンバ潮、(多分語源は新場)。北東からがニッチョ。北西からがオトシオ。南東からがデシオ。潮の内容として黒潮本流がミシオ。寒流系の冷たい潮がオオシオ。暖流寒流が混じっている潮はオトシオとある。シンバというのは黒潮系であり、シンバデシオ、シンバオトシオがある。神津が黒潮本流にすっぽりという時だけシンバ潮という。普通は蛇行したり、青ヶ島と八丈の間を通ったりしますよね。うーん、わたくしは以前に潮と風の民俗学考察は柳田邦男にいたるまでもっと調べた経験がある。風の呼び名は全国各地に方言がある。全国の漁村の風俗は民俗学の研究対象なのだ。生かじりだったので今ではすべて忘れた。とほほ。
八丈小島の記事もおもしろい。まだ住民が生活していた時代だ。宿泊設備のある家はない。カヌーが2隻だけ。本島との連絡船は週一便。漁船チャーターは1万円だが、5月6月にテングサ船に便乗が良いとある。これなら、3人パーティで2千か3千円。ふーむ。磯釣りは昭和39年に開拓された。現在は無人となっているが、実際に島を見ると、こんなところに住む場所がないよなと思う。
青ヶ島は不便さにかけてはトカラや南大東島をしのいで日本一とある。なんと月1回就航だった。村営の環住丸がなかったのだね。「将来どうみても青ヶ島が一般的な釣り場になることは考えられない。ヘリコプターを使って出来るようになれば、ここも改めて見直されるかも知れない」と書かれている。その後、村営連絡船による週1就航時代に潮風会の先輩が行って記録物を釣った。半月帰れないかも知れないといっていた。わたくしはかなり以前、ヘリコプター時代に行って返り討ちにあった。それでも下手すると天候待ちで2、3日以上は足留めがあると覚悟だった。現在多くの釣り師が行っているが、記録物時代のように青ヶ島は燃えていない。
この井ノ口さん写真。帽子のツバを跳ね上げて、バッチをたくさん付けている。尻には毛皮の尻当て。わたくしも昔はこんな格好だった。大物章の金バッチを帽子に。尻当ては山岳用品屋で売っていた。だいたい山羊だった。もっと大昔は日本カモシカが最上とか。
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