竹竿

2014年7月26日 (土)

初代竿敏三本継総印籠

以前に書いた拙ブログに、三本継、角東と竿敏という記事がある。クリックでリンク。
http://siokaze1.cocolog-com/sakanachann/2007/06/post_6b87.html
初代竿敏は三本継の対竿セットであった。なにが凄いって、対竿の誂え注文ほど凄いものはない。同じ調子、同じ節を二本揃えるのだ。もちろん、こんな注文は釣りキチのお大尽でなければいけない。しかも大ベテランだろう。その入手経緯は書いた通りである。
さて、今回。ものすごい謂れの竿敏総印籠三本継がウチに来た。拙ブログ記事を読んで、メールが来たことからはじまるのだ。磯釣りを引退して長くなるという1934年、昭和9年生まれの大先輩。ワタクシより12ほど年上。現在80歳。初代竿敏三本継だけは大事にして残していたという。初代竿敏の価値を知り、愛している現役磯釣り師に譲りたい。メールでヤリトリすると、さらに驚く事実が明らかになった。最敬礼し、三歩下がって影を踏まずとなった次第である。
なんと、ワタクシ新宿区下落合のすぐ近く、目白周辺に在住の御仁で、さらに都の西北の大学の先輩であった。上野治先輩である。しかも早稲田大学釣の会の創立メンバーであり、結集を呼びかけるポスターを作ったという。その経緯は、釣の会50周年のページにある。クリックでリンクしている。
http://homepage3.nifty.com/deka-yoshida/fcobkai/17100150syuunennreport1.html
当時の初代全磯連会長であった日本磯釣倶楽部の三谷嘉明をはじめ、長岡輝衛や神田ムサシ堂の敏蔭敬三を知っていて、教えを請い、磯釣りをする大学生として交流したという。この人たちは日本の磯釣りの歴史そのものという大先輩の方々である。日本磯釣倶楽部は1939年創立。昭和14年である。全磯連結成は戦後の昭和30年。上野治先輩は昭和33年卒である。そして31年卒の大川先輩からこの竿敏を譲り受けたという。竿敏の竿尻にはその日付、1959年7月19日と御本人が彫り込んでいる。昭和34年のことである。
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これは上野さんの奥さんが、撮影してくれた写真。よく撮れていて、ひと目で本物と分かった。
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実は初代竿敏はこの年に亡くなっているのだ。そして、二代目竿敏が、いわゆる丸付き竿敏焼印を押してその後の数年間、石鯛竿を作ることになる。大川先輩は大学卒業後3年目。上野先輩は卒業後1年のことである。上野先輩はその後、この竿敏をほとんど使っていないという。しかし、この竿敏は百戦錬磨の面構えである。大川先輩が三谷嘉明か長岡輝衛から譲り受けたとしても不思議ではない。大川君、石鯛やるならこの竿敏を使い給え、ということだったのではないか。ワタクシ的にはそういうことに決定しておこう。
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この総印籠三本継竿敏は剛竿に近い。三本継を三本並べて撮影した。重さバランスは、元竿580g、穂持ち290g、穂先85gで合計955gである。
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リールシートがオクトパス以前の板シートなので、20gしかない。オクトパスは90gである。その差70g。いずれオクトパスに改装するつもりだが、そうすると1025gということになる。
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角東と竿敏の重さバランスがブログの前記事に書いているので参照してもらいたい。角東と比較すると、長さが三間と長い他に、元竿が重くしっかりしていることが分かる。ついでに、前記事の対竿の竿敏三本継のバランスこそが、原初の石鯛竿である。戦前型からの歴史がある。このブログの先達の磯釣りにイロイロ書いているが、日本磯釣倶楽部が房総組と伊豆組が合流したころ、竿敏は布袋の二本継であったボラ竿に淡竹の元竿を継いで、三本継として石鯛竿としたのが源流であるからだ。スタイルとしては、穂持ちが並継の方が古い。
多分、竿敏の晩期に三本継でももっと強い竿を、という要望で作ったはず。しかし、いかにも仕舞寸法が長い。三間では長過ぎる。三本半継、四本継が生まれたのは当然だっただろう。
蛇足だが、残念ながらワタクシは早大釣の会とは無縁であった。中学、高校と同級生と釣りをやったことはある。その後、大学を卒業後、25歳くらいで磯釣り入門したわけだが。で、全磯連傘下の磯釣倶楽部の会長をやっている。不思議な縁で大学先輩と繋がり、また草創期の全磯連に竿敏を介して直結したのだと思っている。

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2010年10月21日 (木)

神津島のクチジロ

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久々の磯釣りネタ。というか、ずっと更新していない。17日のウチの潮風会10月例会。神津島の恩馳のカドに一番で飛び降りた。幾多の記録物があがっている名礁。2人だったらカツオアサラもあるけど、3人ではカドね。なぜか、日頃の行いもよく、べたなぎ。恩馳はどこも水深がない。こんなところでと思うほど。

いつもこのブログに登場しているB先輩は10月2日に神津の二八でやって、12日には神津のツキダシでやって、イシガキをいやというほど釣っている。固定読者はあの人ねという。ここのところ釣りのおさそいに、こちらのつきあいが悪いから、詳しい情報を得ていなかった。しかし、え、え、というほどの釣行はないようだ。というか普通のレベルではぜいたくすぎる釣果は当たり前。イシガキを10匹釣っても、15匹釣れようが、驚くに足りない。夜釣りで、40cm超のイサキを30釣ってもそんなものだろう程度。メジナしかり。春に僅かミリ足りない60cmは釣っている。普通ではおまけで快挙だ。

現在、神津のイシガキの喰いは異常。ものすごいから、80回エサを付け替えられるだけ持っていかないと駄目だよと話してくれた。なに。そうなのか。と前夜土曜にB先輩と久しぶりに携帯で話したところ、なんと、ウド根に行っての帰路だ、白浜通過中だという。唖然。12日神津、15日にウド根か。土曜日曜にはまず釣りに行かない種族だが。いやはや、なんとも。ウニ60個という経験はよくある。エサの種類は関係なく、なんでも一緒だ。ウニだと発泡スチロールに2箱となる。とにかく80回分だ。一日中忙しい。あっというまにガツガツ、ゴツンゴツン、グングーンと。この情景は分かる。経験もある。疲れる。水深のあるところはやっていられない。浅いところでなければ体力がもたない。渡船の賀寿丸HPにも同様に書いてある。

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で、今回のカドでは、なんと後輩のH君が見事に釣り上げた。おめでとう。この言葉につきる。苦節を重ねた歳月。本人も感激。拙も先輩としてうれしい。貸切で一緒にカドに上がったのは、0君とH君。優秀な後輩だ。なによりも先輩をちゃんと立ててくれるし。学釣連出身の0君はさすがにサラブレッドだが、やや、いやかなり太めだ。若いけど、ぽっと出のそこらの磯釣り師とは知識見識もこだわりも違う。男女群島にも通うのだから、不肖ワタクシも及ばないところがある。それは若さと、体力か。立派な実績もある。その実績を横目で見ていたのがH君だ。H君は夫婦で八丈のカンナギに乗って大判の石物を狙ってきたという理想的な境遇にある。現在1歳のベイビーがいて、しばらくたいへんだろうが。やっと面目をはたした。嫁もよろこんでいるという。

これが長谷川君の釣り座です。義経、ひらったい、遠くに小さく見えるカツオアサラです。

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これが0君。2キロを超えなかった。放流もあるから、イシガキの数釣り。

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同様だが、不肖わたくしはこれ。苦笑いしておりますが。と、、。

実は、どうにもならないモンスタークラスに竿を伸されてしまって、痛恨の不覚をくらったのだ。ああ、これから以下は蛇足だからそのつもりで。書かずもがなのくだり。

しかし、ああ、体力が。いや、老いなのか。カドはハエ根がきつい。沖に走ってくれていたら。本当にモンスターかって。それくらいは分かる経験はある。またまた、自己更新記録のチャンスを逸した。

小西英人さんの釣りの文章の文体をパクル。ゴメンナサイ。

ぐわん、ぐーん。竿茂が満月。ぎゅーーと右横に走られた。ハエ根が伸びている。耐える。スローモーションでぎゅーーー、腰をさらに落として、両手でリール上をこらえる。かまわず、ぎゅーー、ぎゅーーん。ビタ。

うわわ、こりゃでかい。ハエ根に突っ込んだよ、どうしよう、どうしよう。いちかばちかしかない。フリーにして糸を出して、ドラグを少し緩めてから、そーっと巻き込み、両手で竿を、あおる瞬間は滑らないように道糸ごとつかんで、力をこめて、そーれ、よいしょ。

バレーボールではない。そーれ。んんんんーんと力一杯、あ、反転した、ぎゅーん、ぐーーー、ドラグが滑って糸が出ている。狙い通り。一瞬、どうしよう、フリーにしたら沖に走ってくれるだろうか、このまま、やりとりでなんとかなるか、、、、。微妙なドラグ張力で数回巻く、糸が出る。ドラグが滑らないように、両手で道糸ごと竿をつかむ。起こす。糸が出る。微妙に出ることによって、竿はなんとか伸されていない。また数回巻く。根の少し先まで進んでビタ。うわーー、でかすぎる。もうだめだ。どうしよう、どうしよう。

なぎだから、左の下の海面際まで下りることができる。フジツボだらけ、根が右で、角度が多少でも緩く、また、多少でも前方の位置からとなる。もう一度、同じことをやった。ほぼあきらめていたが。あああ、反転した。出た。出たぞ。なんとか持ってくれ。糸は根に当たっているはずだから、傷が、、、多分ささくれだろう。また、圧倒的な力でぎゅーーん。さらに、泳力を増した体勢なのだろう、いままでにないスピードで、ぎゅーーー。耐えられない。竿が伸された。ぐわん、ぷつん。終わった。

体力が落ちたら、剛竿よりも、標準から弱めの竿の方が超大物には有利なのだ。それが、竿茂の剛竿を持ってきてしまった。普通の大物サイズなら関係ない。70以下くらいだったなら引きは記憶に残っていて、上げているからこの竿で体力が落ちてもなんとか取れたかも知れない。竿茂のくだりを沼津の社長とネットでやりとりしていたから、竿茂のイシダイ竿をたまには使ってあげないと、、と考えたのだ。

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で、竿茂石鯛竿の雄姿を写真に撮って、ネタにあげようかなと考えてしまったのだ。竿茂の穂先はかなりの曲がりぐせがついてしまった。近いうちに火入れをしなければ。と、家で見たら、かなり戻っていた。

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竿茂の焼き印はちょっと見にはゴミのように目立たない。あっけないほどの焼き印です。

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2007年9月17日 (月)

初代NF16H赤巻き

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Img_1660 これは竿敏と並んで石鯛竿の代名詞である。世代にもよるが、石鯛を志す人なら名前だけは聞いたことはあるはず。というのはグラスロッド時代の最後までこの型番名称は継続されて現役だったからである。NFTは日本フィッシングタックルの頭文字であるが、日本のグラスロッドは同社が切り開いた。とくに磯竿の分野では石鯛竿でも振り出し竿でも圧倒的な地位を築いていた。そしていろいろな事情から業界から消えた。NFTは滅びた。この経緯はかってヤフーの掲示板において業界に詳しい人が連載していたシリーズがある。その当時、この貴重な文書を拝読し非常に感ずるところがあった。なんとなく知っている部分もあったが、業界の人がまとめた文書の迫力はやはり違う。ある人がこのまま埋もれて消滅するのは惜しいと転載保存してくれているページがあるので紹介しておこう。この人も立派だ。

http://basser918.ld.infoseek.co.jp/bass_history024rairai03.html

Img_1658 Img_1664 初代のNF16Hはすでに市場になく、ほこりをかぶっていた売れ残りを探して入手したものである。ダイダイ色の握り巻きでこれを通称赤巻きと呼んでいたのはNF17Dに書いた通り。フェノール樹脂の色は焦げ茶色である。NFTは並継ぎ竿の継ぎの部分の構造に関する特許を取っていた。工業特許は15年だと思うが、その間は独壇場であり圧倒的なシェアーと信頼を獲得した。他社の石鯛竿は継ぎの部分で折れてもNFTは折れないということがあったように聞いている。なぜか。グラスロッドは基本的に三角錐を何個かに切断した形状である。これを継ぐということを考えると、三角錐の先端は逆にラッパ状に広がらせて、末端はすぼまっていなければならない。ラッパ状の部分の肉の盛り方が特許だったのである。継ぎの少し下から盛り上げてある。その当時のパンフレットに誇らしげに書かれていたのを読んだことがある。とにかく名声を獲得した。大型石鯛はNF16Hでないと釣れないと。見るからに太く、強い。だが、それなりの重さがあった。体力のない釣り師は振り回され、疲れる。若かったのでなんとか使った。

Img_1665 Img_1666 Img_1667 NF16Hは竹の石鯛竿の剛竿を見本として設計したのは間違いない。そこで、小判東作の石鯛剛竿を比較として撮影した。しかし、元竿は16Hがかなり太い。長さはほとんど同じ。4本継ぎで3間1尺伸びの5.7mが剛竿の基本だとされていた時代があった。重量バランスはどうか。

       穂先   穂持ち    2番     元竿     合計

小判東作   90   240    330    730    1390

NF16H  60   170    320    780    1330

これを見ると、16Hはかなりの急テーパーである。とくに元竿の強さは、ほとんど曲がらないレベルであろう。逆にいえば、元竿を曲げる超大型までを守備範囲としているわけであるが、このレベルではプロレスラーか相撲取りの体力が必要かも知れない。超大型でなく、普通の大型であれば普通の体力でもなんとかなる。しかし、オーバースペックを使うという弱点がすべてであろう。17番はこの逆で、万一の超大型は取れないかも知れないという意識を持たされていた。実際はそんなことはまずないのであるが、そういう気分だけは否定できない。あくまでも気分である。

これに対して、竹の石鯛竿は剛竿といえども、元竿でも曲がることは曲がる。以前に書いた竹素材が持っている機能である。曲げの力に対する追随性である。経験者は知っているだろうが、曲がりから見てどんな大物がきたかと思う一瞬である。

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2007年8月26日 (日)

四本継ぎ石鯛竿普及品

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この竿は竹の石鯛竿入門時代のかなり初期に品川の先の大井町あたりの老舗釣道具店で発見入手した。この竿で四本目か五本目になったころである。手持ちの竹の石鯛竿が二本か三本程度だとどうしても思い切って使えない。価格も高く、痛めてはいけないという意識で恐る恐る使うからである。本末転倒だが仕方がない。雨が降りそうだから心配だと考えたりする。磯釣人魚会の谷島さんは、じゃあ昔は雨が降ったら石鯛釣りをやらなかったのかい、そんなことはないだろ。とあざ笑ってくれました。彼は竿敏を裸で巻いて持っていたが、当方はちょうどグラスロッドを持っていた時に竹芝あたりで遭遇した。

Img_1545 Img_1546 ともあれ四本継ぎで無銘の普及竿。作りもそれなり。なんとなく東作系ではないと感じた。金剛砂の塗りがものすごく荒い。いままで見た中では、竿敏の金剛砂が一番細かい。東作系はそれに次ぐ。この竿はそれよりも二回りくらい荒い。それから、継ぎ口の肉がかなり厚い。つまり印籠芯の作り方、印籠芯の太さであるが、工作を手抜きして内径の削りを極力少なく済ましているかと思うほど。また、元竿の竿尻の握り巻きが下まできている。普通の作りはリールシート下に若干竹肌を出して、末端の竿尻は握り巻きではなく普通に塗っている。それから石突きの形が東作系標準ではなく独特である。東作に納めたことのない竿師が、あえて東作の磯竿を見本としないで作ったもののようだ。

数回使ってみて、この竿の竹は若いのを使っていると感じた。硬くない。曲がり癖が使用中でも多少残る。火入れが少し甘いのではないかと使用しはじめた当初から思った。今日初めて重さを量った。穂先70g、穂持ち220g、二番240g、元竿570gの合計1100gである。比較としてはほとんど同じ姿の普及竿である芳竹四本継ぎを上げよう。こちらは穂先70g、穂持ち200g、二番300g、元竿720gの合計1290gである。普通のバランスである。大井町の無銘竿の穂持ちが突出して重い。調べると、異常に重心が後ろにある。よほど重い鉄芯を使っているとしか思えない。そして二番が軽い。元竿の淡竹も軽い。あまり実入りではない若い竹のようだ。使用直後から、残念ながらあまり良い竿ではないと感じていたので使用頻度は低い。あまり使っていない。それと肝心の節も良くない。これは店で見たときから感じた。とくに穂持ちが命であるのだが。穂先は良いに越したことはないが、それなりであれば穂持ち次第。二番は太さがあるのでなんとか持つ。元竿はそれなり以下でもなんとかなる。その穂持ちは7節。四本継ぎでは最低限に近いが、竹が硬ければなんとか持つ。二番は6節でこれも限界。三本半や三本では長さがあるので、当然節数は多くなければ同水準にならない。芳竹の穂持ちは9節で、しかも硬い。良い穂持ちである。2番は7節でありまあ普通。小判東作は穂持ち、二番ともに8節である。普通は節数をそろえてある。

曰わく因縁の多い石鯛竿を比較してみよう。これは元竿を除けばかなり軽い。穂先50g、穂持ち180g、二番220g、元竿は四本継ぎ状態計算では710g、合計1150gであった。穂持ち、二番ともに8節。

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2007年8月21日 (火)

曰く因縁の多い石鯛竿の補足

口割れと補強口巻きについて。この竿の念入りの口巻きは元竿で長さ4cmある。しかも普通の絹五十番ではなく、絹手縫い糸だったか、もうひとつ太い糸だったか、しっかりと作った。口割れ修理の強度という心配からである。割れが見えるだろうか。中央に筋が通っていて、塗りまで割れている。

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この竿の元の姿は金属の補強パイプがスゲ口に付いていた。その当時では普通スタイルであった。年代によるが、太い竹竿には金属パイプが付いていた。淡水の竿で、いつも比較として紹介しているハヤの剛竿にも付いている。

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他にはアユ竿にはだいたい付いている。これが口割れに対して補強、保護する考えであったことは容易にわかる。グラスロッドにもだいたい付いていた。しかし金属補強パイプでも踏み潰しには対応できない。不注意でなにかに当てて割れる程度の衝撃には一定の効果がある。グラスロッドには口巻きがほとんどないからそういう衝撃に弱い。振り出し竿の仕舞状態ではそういった強度不安は構造上ない。並継ぎ継いでいない時弱い。

手持ちの改造竹竿には金属パイプを取り外して、この竿のように補強巻きをしている竿がいくつかある。金属パイプは密着度が低いので強度向上に関しては限定的である。この点では糸巻き補強が良いように思える。小判東作石鯛剛竿の場合は、金属パイプを取り外さないでその位置の下から補強巻きを施してある。スマートで違和感はまったくない

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0868.jpg

あ、そうか芳竹も同じように改造してある。これもすっきりしていると思う。

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次の写真は二代目竿敏が初代竿敏に施してくれた口巻き補強の改修。現在の作りはすべてこのスタイルだ。茶色の総巻き手元の竿で元から持っていた石鯛剛竿の方である。

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改修していない初代竿敏の写真が次。オークションで入手した方で以前の記事に詳しくあるが、これがオリジナルの作り。

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補強金属パイプと補強糸巻きとの利害得失に関してはよく分からない。スゲ口用金属パイプの需要がまったくなくなって、もはや生産すらされていないらしい。過去は各サイズ、各種類いろいろ生産されて流通していたのを竿師が利用した。もっと古い竹竿では自然口割れというのがある。あきらかに経年劣化と思われる。何十年も使っていないと割れるものがあるのであろう。長年の乾燥と湿りを繰り返すだけで割れの原因となるかも知れない。あるいは過度の乾燥が主因かな。高価な尺八が夜中に音を立てて割れてしまうことがあると聞いた。木材でも数年間寝かさないと落ち着くまで暴れて狂いが出るそうだ。竹も同様だが、落ち着けば以後は大丈夫なのかどうか不明硬い竹はよく割れる。そういう割れは修理が可能でなんとかなる。竿敏で修理補強してくれたくだりを記事に書いた。

もうひとつ。瞬間接着剤は短時間限定だが微細な隙間に入り込む。毛細管現象ね。この性質を利用した口割れの修理だが、すぐに硬化するので瞬間勝負である。うまくいけばうまくいく。その後、他の口割れ竿で二液のえぽきし接着剤が熱でとろとろになることから、ドライヤーとキャンプ用ガスバーナーを横に用意してやってみたことがある。絹糸を浸透して割れ目にまでしみ込むだろうと思ってやった。口割れの隙間にどの程度入り込んでいるか不明。表面上は問題なし。

短手元の袴について。そうか、これを書いている時に思い出した。意図というか当時の計画。上下に繋ぐ例のタイプの口栓である。上下に石突きのある仕舞い状態中に穂先が入っている知らない人が見たらどうということはないが、普通の竹の石鯛竿を知っている人が見たらびっくり仰天、目が点状態だろう。このスタイルは以前に書いているが、正体不明のリール竿と、、、自作小物竿ある。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/./photos/uncategorized/img_0926.jpg

袴付きで使うと、重さは690gプラスオクトバスシート。長さは60cmなので全長は475cmとなる。小場所で使うには良いではないか。長い方では520cmだから普通と二通り使える。そうなると、弱い穂先という替え穂も欲しいところだな。重軽、長短、弱剛、現状でいろいろあるから。もっとヒマができたらそのうち、、、、、。

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2007年8月20日 (月)

曰わく因縁の多い石鯛竿

Img_1415 この竿は先輩が知り合いのどこかから貰ってきた竿である。かなり昔の話だが。しかしその姿は、元竿のすげ口を踏み潰し、穂先は折損したのか印籠芯だけしかなくて、あろうことか3本で投げ竿として使われていた竿であった。投げ竿のグラスロッドの穂先を流用し、穂持ちと2番とで、まさにかわいそうな投げ竿だった。ガイドとリールシートは投げ竿用に改造されていた。これをなんとか使えるように修理改造してみようというお題であった。穂先の印籠芯だけは捨てないで取っていたのは立派というか知っている人だった。印籠芯が残っていれば、穂先素材を探せばすぐに復活させることができる。師匠をはじめウチの会の先輩や他の会のベテラン磯釣り師からスゲ口踏み潰し竿の修理方法の意見を聞いた。元竿は八から十分割くらいのささら状態であった。巻き糸を丁寧にカッターを使って取り去り、コミ芯に紙を巻いて少し浅く刺してささらの形を整えてタコ糸で荒巻しておく。その状態のまま、白い絹糸であまりテンションを掛けずに緩めに巻き直す。そして、瞬間接着剤で固める。すると、白い絹糸だとささらの割れ筋が下に見えるようになるので、その割れ筋に重点的に瞬間接着剤を射して固めた。後は普通の工程。適当な穂先用の布袋竹を探した。元竿は思い切って写真のように三本半用に切断した。

Img_1417 Img_1416 長い方は普通の三本半。短い方で長短2本の替え手元に作ろうかなと思ったけれど、短部分はそのままである。なんというのかな。短袴手元とでも呼ぶのかな。袴付きというのは舟竿の手元のように淡竹手元の付け殺しのスタイルをいうのだという人もいる。そうすると舟竿はほとんど全部袴付きと呼ぶことになってしまう。三本半の通常より短い手元を三本半袴付きと呼ぶ人もいる。実はよく分からない。師匠のところに東作の三本継ぎで手元のいわゆる袴が付け殺しの石鯛竿がある。

仕上がると、軽くて酷使に耐える良い石鯛竿となった。竹石鯛竿のローテーション出番の中で石物をけっこう釣ったが大物の実績はない。写真のように節数もまあ良い方である。お約束の重さバランス。穂先50g、穂持ち180g、2番220g、手元470gの合計920g。使っていない短手元部分は240g。4本継ぎ状態では1150gくらいの無銘の竿であったことになる。長さは穂先が普通より短い布袋竹となったので522cmである。比較はほぼ同じ姿の芳竹替え手元三本半。穂先70g、穂持ち250g、2番300g、手元510gの合計1080g。この口割れ修理竿は元が元だから気兼ねなく容赦しないで酷使した。

Img_1419 しかし、10年か15年で支障が出た。ささらの筋が一本割れて写真のようになった。実用にはなんとかなる。その状態のままでかなり使った。

Img_1418 写真のように口巻きの補強巻きを長く念入りにしたからあまり不安はなかった。だがその後、普通に使えていた穂先の印籠部分が折れた。根起こしでガツンと煽った時である。

Img_1420 鉄芯はほとんど変化していないが、写真のように印籠芯の竹が継ぎ目で坐屈したようである。捨てないで取っていた印籠芯であるが、穂先から取り外す際に削りが深くなって具合が悪くなっていたのかも知れない。修理としては印籠芯を作り直し、元竿の巻きを再びやり直す。できれば、袴の短手元を作ってあげる。超短手元の袴っていうのをちょっと使ってみたい。うーん、面倒だな。でも実用で使いやすい石鯛竿だからなんとかしてあげたい。でもしかし、ローテーションが余っている状態、、、、。

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2007年8月15日 (水)

寿作のマブナ竿と水桶

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マブナ竿は三本仕舞いが定石。二本仕舞いにできない理由は、テーパーが緩くて、尺フナや鯉などが掛かることもあり、竿の力が必要なので内側を削れないためとされる。3間なんていう長尺竿はまずないので、比較的短い切りで継ぎ数が多いというのが普通。この竿は標準中の標準で2尺切り9本継ぎである。小継ぎ竿のコミは短く3寸、9cmしかない。3尺3寸切りのコミはだいたい4寸、12cmある。

Img_1399 Img_1401 東作直系の寿作っていうと舟の小物竿じゃないのという先入観があるが、どう見ても寿作の焼き印であることは間違いないであろう。なんで寿作がマブナ竿。まあ、マブナは竹竿の基本だから。作りはごく普通。

Img_1398 竿尻の筋巻き3本がかなり太いことが目立つ。手持ちの中でこんなに太い筋巻きは他にない。淡竹元ではなく矢竹元。

Img_1397 穂先は常道の削り穂であるが、物差しの単位のように筋が引かれている。口栓は高級竿でも付けないのがマブナ竿のお約束である。

Img_1394 Img_1396 重さは160g。長さは2間半、4.5mである。少し長い方かな。丈三から2間半くらいがまあ普通だろう。テーパーが少なく手元が細いので多少の持ち重りは仕方がない。写真の水桶と共に亡父の遺品である。とくに水桶は捨てられる運命であったのを、ちょっと待って、捨てないでと助命した。こんなきたないゴミだから捨てるよ、、、、普通はそうなるのも致し方がない。母はおとうさんの釣りを多少は知っていても、水桶なんて使わないもんねえと判断したのだ。かくて、世の中で捨てられた水桶はどのくらいあることか。よく見ると、なかなか味がある。水を入れたら、多少漏れている。なんとかしてみよう。

Img_1392 Img_1393 Img_1391 しかし、魚を入れる落とし口が小さくないか。これじゃあ、ほんとの小鮒しか入らない。秋のいわゆる柿の種釣りなのか。クロダイだったら当歳というんだけど、マブナは何というのかな。そういう使い方だったのか。ふたを開ければいいんだけど。あるいはヤマベだったら話は分かる。それと、水を入れたら重くてとても胸には下げられない。こういうのに詳しい人ってあんまりいないと思うが、わたくしは石鯛釣り主体の人だから知らなくても普通だよね。

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2007年8月14日 (火)

もう一本のハヤ竿と弱目の渓流竿

Img_1382 写真の下の6本継ぎハヤ竿は一見すると変哲のない竿だが、いろいろ特徴がある。竹の長竿の標準である1m、3尺3寸切りの6本継ぎ、矢竹手元。塗りは典型的な東作塗りである。写真にあるように、赤の絹糸でスゲ口を巻き、透き漆で塗るので糸目が下に見える。透きの色は経年変化で茶色になる。遠目には焦げ茶の塗りだが、よく見ると糸目が見えるというのが東作塗り。以前に書いた通りの東作の淡水の竿の標準の塗りである。東作でも高級竿ではなく並の竿の標準塗りである。

Img_1389 もちろん東作塗りだからといって、東作の竿とは限らない。長さは三間、5.4m。重さは260gで竹のハヤ竿として軽い方である。でも、カーボンの三間竿とは比べるのも野暮。比較のおなじみハヤ竿剛竿は360g弱。横須賀逸見のハヤ竿、いやウミタナゴ竿は300gであった。

Img_1385 胴塗りは拭き塗りではなく、写真をよく見ると分かるように刷毛塗りである。縦筋が残るので分かる。刷毛塗りは厚く塗れるが、難しいというのが通説。しかし、回数を減らす目的で手抜きも可能となる塗りでもある。一流竿師の上竿にも刷毛塗りがある。この場合、濃い漆ではなく薄い漆を何回も塗る。胴の刷毛塗りは流儀かも知れない。拭き塗りでも手で拭く流儀もある。親指の股を使うそうだ。微妙な拭きができる。本漆を手で拭くわけだから、漆かぶれの免疫ができてからの話である。ふっくらした肉のある手でないとダメだそうだ。以前紹介した汀石竿談義に詳しい。竿師奉公は漆の免疫ができない場合は一年で辞めるしかないとかいう話もある。

Img_1386 銘は丸に弥である。焼き印だけでいうと、非常に格好いい。最高センスの焼き印である。焼き印だけという評価基準もないとは思うが、格好いいので仕方がない。しかし、丸に弥という竿師はさっぱり分からない。

軽くて弱めのハヤ竿でウミタナゴに良く使った。

酷使したので、胴塗りが写真のように荒れている。しかし、普通の拭き塗りの薄い塗りの竿を酷使するとすぐに痩せてしまうが、これは刷毛塗りなのでそれほど痩せない。紫外線に焼かれて、使用後に濡れれぞうきんと乾いたぞうきんで繰り返し拭かれるためである。そのために長年使うと胴漆のかけ直しが必要となる。また、数多く魚を釣り上げると小物でも曲がり癖が出る。そういうメンテナンスは実は竹竿使いの釣り師には必須だ。一通りの知識と、出来れば自分でなんとかする技術が必要であるように思う。竿師に定期的に出せば良いのだが、、、。

Img_1381 Img_1384 もう一本の竿は無銘の弱めの渓流竿である。口栓が付いていた。というだけではなく、ハヤ竿よりも強い竿である。穂持ちと穂先をそれぞれ比較した写真をよく見ると分かる。上がおなじみハヤ竿剛竿、中が丸弥のハヤ竿、下がこの渓流竿。当然だが渓流竿が最も太い。単独では分からないし、重さでもよく分からない。比較して分かる。この竿は3尺3寸切り5本継ぎの二間半、4.5m。重さは180gである。丸弥のハヤ竿は3間竿なので直接比較はできない。前回に紹介した二間半の強めのイワナ、ニジマス竿は200gであった。そうか、丸弥の元竿を抜いて比較する手があった。と、160gであった。違うといえば、違うかな。弱目の渓流竿だが、強めのハヤ竿としても使える微妙な調子である。これは白っぽい竿で胴漆が飛んでしまったのでかけ直してある。よく使った。一般に二間半の方が使いやすいが小磯の釣りではポイントまで届かないこともあるので二間半ばかり使うわけにはいかない。仕舞い姿の写真では上が渓流竿で筋巻きが4本。渓流なら弱めでハヤな強めだが、どういうことか不明。中が丸弥のハヤ竿、下がハヤ剛竿。ともに筋巻き3本。

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竹の渓流竿2本

Img_1373 一本は渓流竿の典型的な姿。やや太めの淡竹手元。これは一日中打ち返す釣り方のため持ち重りを排す目的。また、25cmから尺程度のヤマメを抜き上げるためにある程度は竿の力を必要とするため。それほどの長さは必要ではないために、仕舞い寸法は短めに仕上げているのも標準。91cm切りの5本継ぎ、全長は4mである。渓流竿として一番使いやすい長さだと思う。重さは200g。重心を計れば、持ち重りに関わるモーメントがはっきりするが、比較のために全部やるとなると大変なので省略。最初から全部の竹竿の分析項目としてやっておけば良かった。重心は竿尻が何cmのところという具合だ。手元竿の太さから見て、多分持ち重りは少ないであろうということに留めておく。ごく普通の作りであるが無銘である。逆に銘が付いていてもおかしくない作りである。塗りはいわゆるカラシ色。ちょっと竿敏のデラックスの塗りの色に似ている。珍しくはないだろうが、それほど多いという塗り色ではない。

もう一本は一見して渓流竿ではないように見える。塗りは普通の黒。手元は淡竹元ではなく、細い矢竹元でここだけ見ると姿は普及竿の作り。ところが。なんと渓流竿としてはかなりの剛竿である。尺ヤマメ、尺以上のイワナも抜けるような強さがある。イワナでもいけるが、ニジマス用として想定された竿ではないかと想像する。

Img_1375Img_1374  竿尻の巻きは5本もある。だいたい、ここの巻き数が多いとそのジャンルの中で強い竿という暗黙のルールがある。これが、はっきりした共通ルールなのかどうかは知らない。とにかく強い竿で、例えば、穂持ちと穂先を並べて比較した写真でよく見ると違いが分かる。もう一本、上はハヤ竿の剛竿の穂持ちと穂先である。比べるとやはり細い。

Img_1376 銘は竿喜とある。竿喜は調べてもよく分からない。長さは二間半4.5mの5本継ぎで、重さは220gである。カラシ塗りに比較したら、長さがあるのに軽い。しかも細い矢竹手元であるから持ち重りはカラシ塗りよりはあるだろう。

Img_1377 ところで、渓流竿は普及竿の作りでも口栓が付いているのがお約束のようだ。竿喜の口栓の作りは本格標準の作りである。逆にカラシ色塗りの渓流竿は手抜きの口栓である。口栓の加工工程をひとつ省略しているわけだ。実用にはそれほどの変わりはないが、なにかの拍子に口栓を突いてしまうと、食い込んで口栓が外れなくなることがあり、往生することがある。なので、ここに自分で糸を巻いてそれ以上は入らないように加工している自作の竿がある。

Img_1372 比較に置いたもう一本はハヤ竿の剛竿である。上からカラシ塗り渓流竿、竿喜、ハヤ剛竿。

ということで、竿喜はかなり高級竿の部類に属する。カラシ塗りの方は無銘だが、ごく普通の実用竿である。どちらも磯釣り入門時代に竹の石鯛竿を探して釣り道具屋巡りをしているときに入手した。かなり昔である。まだ他にもあるが、手頃で値打ちのある竿だけ選んだわけで、良い竿でも高価な竿は当然にパスした。だいたい、そういう目的ではないので交通事故のように求めたにすぎない。で、ごくたまに渓流釣りをやった程度で使用頻度は低い。ハヤ竿と違って、渓流竿は長さの関係で磯の小物釣りには使いにくい。竹の渓流竿が現代のカーボン渓流竿に太刀打ちできないのは、なんといっても重さである。一日振っているとかなり疲労するだろうが、そんなに一生懸命釣りをしなければ良いわけだ。釣果第一ではないということにつながる。そういう釣りをしたいと思うが、いまさら片手間以上の渓流釣りは、多分しないと思う。釣り場にもよるが、磯釣り以上の体力が必要かも知れない。石鯛なんてぶっ込んで待っていれば良いのだ。

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2007年8月12日 (日)

ハヤ竿2本

Img_1369 Img_1370 どちらも無銘。剛竿と並竿とでもいうべきか。太い方はウチの近くの椎名町の暗い釣り道具屋にあったもの。重さは350g。もう一本は横須賀の逸見というところの釣り道具店。店は小さいが三浦の釣りでは名の通った人。三浦半島には中河川以上でハヤの釣れる釣り場があるとは思えない。竿の外観はハヤ竿らしくても用途は海の小物竿しかあり得ない。だとすれば、ウミタナゴ竿として売っていたとしか考えられない。となると、この竿はウミタナゴ竿である。見事な三段論法だ。重さは300g。長さはどちらも三間、5.4mの6本継ぎである。この手の竹竿は手元から抜いていって、いかようにも短い竿として使えること。2本か3本で使えば、ハゼ竿としてぴったりである。5本で使えば、二間半のウミタナゴ竿として軽くて使いやすい。ハヤ竿は口栓がないのが常道で、この口栓は自分で作った。

Img_1371

剛竿の方の竿袋は小紋柄の青海波という。セイガイハと読む。江戸時代からの伝統柄である。日本の小紋デザインの代表のひとつ。なに、知らない人もいるのかな。小紋柄には優れたものが少なくないがとくに気にいっている。この生地の長尺を買って、何本か竿袋を作っている。竿は気に入らなくても竿袋は気に入っているなんてのもあるくらいだ。

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