古い道具

2009年7月 4日 (土)

露出計 光学式

こんな露出計を知っている人。ほとんどいない。日本語でググっても、詳しいのはない。しかし、欧米にはある。日本製の光学露出計がないかと調べたが、わたくしのレベルでは、というべきかわたくしのレベルでもというべきか、見たことも聞いたこともない。どうも生産されていなかったようだ。戦前のカメラ雑誌の広告をすべて調べたわけではないので断言はできない。で、知っている人が少ないから、これを面白いと思う人も少ない。いやほとんどいない。クラシックカメラファンのごくごく一部の人にいらっしゃるかどうか、というレベルである。竹の石鯛竿の竿敏のレベルをはるかに凌ぐ。こちらは神様仏様竿敏様と信奉する方がいらっしゃるかも知れないのだ。

光学式露出計の原理とは。被写体に向けた、段階的濃淡の指標スケールを読み取って明るさを計測するというもの。明るいものは、かなり濃いフィルターを通しても見えるという次第だ。透過する光量の違いを判別する。透過光が見えなくなるのを読み取るのだ。

現行商品、またはそれに近いものとして入手できるのは、ロシアのOPTEKだ。光学露出計でググると使用記がいくつか出る。ロシア光学製品マニアという方は少なくないのだ。

http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/OtherGoods/ROSHUTSU/Optek/Optek.htm

http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/OtherGoods/ROSHUTSU/Optek/OPTEKManual/Optek2.htm

実はEBAYで、初代の入射光露出計ノーウッドを漁っていたら、格安OPTEKがたくさん目に入った。なぜか、気がついたら一番安いのを注文していた、、ああ、あ、、、。だが送料含めて千円、二千円程度。しかし、ロシアからまだ届いていない。以前のコピーコンタックスの経験では一ヶ月以上かかる。

Optek03 あるネットのページにあったOPTEKの写真を一枚勝手に使わせていただく。フィルム感度はロシア規格でGOSTという。これはISOの90%だということを知って感度設定すれば、意外にちゃんと使えるらしいのだ。

次は外国の露出計のコレクションのページ

http://www.jollinger.com/photo/meters/meters/balda_expophot.html

かなり以前にこれを見つけて仰天いたしました。歴史的セレン式露出計も出ております。世界には凄い人がいる。光学式となるとBertramSuper Bewi PrecisionPhoto Utilities (DREM)InstoscopeBaldaExpophotZeiss/IkonDiaphot。他に光学読み取り式色温度計とか、テスト印画紙を使ったもっと古い露出計などもあります。

Watkinsbee Watkins Bee meterという美しい懐中時計スタイル。Diaphotに似ています。

で、ここで問題はですね、、、なぜか、こういう光学式露出計のいくつかが、手元にあるのです。なんと、それは凄いねとおっしゃってくださる方、まさかいらっしゃらないでしょうね。どうしてこういうことになったのか。昔、クラシックカメラに萌えていたとき、ライカメーターと呼ばれていた、バルナック時代の光学露出計を見つけて入手しました。原理を知っていましたので、手に取り、これがそうなのか、なるほどね、ちゃんと濃淡が見える、おもしろいなあと思った。え、普通は思わなだろうってですか。まあ、そうおっしゃらずに、、、。

Img_4327 Super Bewi Precisionは今でも使えます。これが通称ライカメーターと呼ばれた露出計です。1930年発売。この呼称はライツ社と提携関係にあったからのようです。表記はドイツ語。ドイツ国内向けのようです。横っ腹のバレルにBewi-Spezial-Modell fur die Leica-Kameraと記されています。シャイナー感度しかありませんが、どうもアメリカ感度のようで、しかも、コダックSSの修正指標があります。昔は高感度フィルムなんて普通ではないので、最大指標がシャイナー27度で、つまりASA100です。単眼鏡スタイルですが、使用者に合わせてピント調節ができます。

Img_4332 この単眼鏡を覗くと、昔の電話ダイヤルが見える。数字が消えたところギリギリを読み取る。コレクションページのJames Ollingerはバレルのプリントの海にも拘わらず、Drem Instoscopeより使いやすいといっている。同感。まさに細かい文字の海だ。現行の露出計と比較してみました。だいたい合っている。

このシャイナー感度の換算表は次のページにあります。シャイナーの話は後日。

http://homepage3.nifty.com/doggo/exposuremeter/kando.htm

Img_4330 Img_4333 1937年発売のDrem Instoscopeは使えない。換算がうまくいかないのです。最大感度はシャイナーの31度ですが、どうもおかしい。ヨーロッパシャイナーでもアメリカシャイナーでも合わないのです。現在のところ謎です。

Img_4328 Img_4329 次は、1921年から1934年まで販売された、Zeiss/IkonDiaphot。美しい。日本のオークションでもよく出ます。フィルム感度の設定はない。ということは最初から特定感度に設定されている。どうもISOで50くらいと思われる。その感度でのライトバリューの絞りとシャッターの組み合わせが表示されるように単純化されている。ツアイスイコン企業合同の前の時代のイカ社製だったそうだ。イカ社は有名ですから知る人は多いでしょう。

このページを見ると仕組みがよく分かる。

http://www.lungov.com/wagner/c/074c.html

Img_4335 Img_4337 Img_4336 最後は箱入りのJUSTOPHOTというもっと古い光学式露出計。ウイーンが発祥のようで、ドイツはフランクフルト。モデルDと記されていて、シリアルナンバーは266326。26万代だが、そのまま生産量とは限らない。わたくしでも、使用方法がよく分からないのだ。設定クリックには、なんと2m、8sec、1/5 、1/25 。と4種類が出る。どう見ても、2分と8秒と5分の1秒、25分の1秒。なんだこれは。乾板時代か。単眼鏡の中にも同じ表示が濃淡で出る。おもしろいことがひとつ。DREMという名前は知る人は知る。これは、Dr.E.Mayerというウイーンの人から由来している。この人がパテントを取った。

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2009年6月23日 (火)

露出計 セレン式

単独露出計なんて死語となったのは何年前だろうか。写真機に露出計がなかった時代。明るさを勘で読み取って露光量を決定し、カメラにセット。絞りを決定、露光時間を決定。シャッターを切る。勘ではなくて、なんとか明るさを計測できないかという必要性から出発して、露出計算尺があったり、光学式露出計があったり。やっとセレン光電池に辿り着く。戦前の話です。わたくしはこの時代はリアルタイムではない。浅学ながら、その歴史は。

1932年、アメリカのウエストン・エレクトリック社からウエストン・モデル617というのが世界最初のセレンセルによる露出計らしい。以下、萩谷剛という研究家による。その後ドイツゴッセン社からオンブロックス(ライカメーター)として33年に出た。感光スピードはシャイナーである。シャイナーの説明は省略。さらにドイツのメトラワット社、イギリスのメトロヴィック、などが続き、日本では1937年東京芝浦電気のマツダ露出計が出る。これの感光度はNSG(日本写真学会)である。あ、他にドイツはDINね。ドイツ工業規格。最近までワールドワイドで生きていたのを知る人はいらっしゃるでしょう。フィルムにはASA感度表示の他にDIN表示があって、少年時代のわたくしは、なんじゃこれは、と思った。

Img_4322_2 Img_4323_2 写真のウエストンモデル850というのが1938年。感度はウエストンスピードである。

昔、クラシックカメラ店で見つけて、連れて帰った。ウエストンスピードやシャイナー感度では実用性はない。換算ですか。面倒です。

Img_4324_2 Img_4325_2 もうひとつ、アメリカのGMラバラトリー社のスキャンスタンダード。1950年ころ。ASAスピードになった時代。

Img_4327_3 Img_4326_2 Img_4328_2 Img_4329_2 1945年世界標準となった反射光式のウエストンマスターⅡ。入射光式ではノーウッドディレクター。この両露出計は超ロングセラーで絶対定番であり、知らない人はいないほどだろう。十分に実用になる。ウエストンマスターⅡはさすがに後継機種の方が使いやすい。どちらもセコニックが製造権を得て後継機種が生産されている。

Img_4333_2 ウエストンマスターⅡの後継機種で、セコニックマスター。ライセンス生産と刻印されている。Img_4334_2

ディレクターはセコニックスタジオデラックスという名前になった。この後の機種から現行機種まである定番。ひとつだけというと、スタジオデラックス。正確に適正露光が得られるし、味がある。

Img_4332_2 Img_4331_2

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2008年1月26日 (土)

先達の磯釣その2

惣之助は、釣、の巻頭の序言でこう書いている。

<<然し、釣りを諄諄説くもの、あながち釣りの名手ではない。名人はいつも沈黙しているものである。われわれはただいつもその人の間近に窺い寄って、かくもあらんかと、秘密の一切を報告するにとどまる。釣って、釣って、初めて釣りというものが解った時には、もう説きたくないもので、私の釣友には、生涯アユを釣り、タイを釣っている名手がいるが、遂ぞこの人は説かない。>>

これを読み、うーむ、そうだな。残学菲才でありながらワタクシのように中途半端に説くものには、何によらず信用してはいけない。本当は師匠や先輩との間で直接の相伝というか謦咳に接し真似て盗むものである。ワタクシはそうしてきた。これまで、釣技や釣りの生情報は書かないようにつとめてきた。そういうものはいくらでもあふれているからである。しかし、これほどの情報化社会となりあらゆることが進歩、進化してきた。だがまた、知りたいのだけれど、もう一歩のところで得られない情報というものもある。だから、複雑、微妙である。

惣之助はブダイに凝ってかなり釣り歩いたそうだ。房総、相模、伊豆、紀州、八丈島、小笠原。延べ竿の三間から四間、道糸は渋染めの三本撚り。六か七匁錘で脈。浮なら三か四匁。匁と現在のオモリの号は同じはずである。ハリスは1分柄テグス一本。人によっては5厘テグス3本撚りか8厘テグス2本撚り。強度は別にして、1分柄テグスは現在の10号、5厘柄は5号としてよいであろう。テグスはご存知ない人のために、野生の蛾から取れる。カイコから絹糸が取れるのはご存知ですよね。なに、知らない。仕方がないなあ。これは以前の記事でよく出現したフレーズですね。

釣り方は長竿釣りと流し釣りと船釣り。餌はハンバとカニ。惣之助は現在とほとんど変わらない釣り場にいっている。ごく近場なら根府川、真鶴、錦ヶ浦。川名、富戸から八幡野。その先の下田から南伊豆。伊豆七島まで及んでいる。

ブダイで気になる文章があった。竿は三間、三本継ぎで生地のままのものを作らせてもっていくのが理想的。うーむ。こういうのを竿師に作らせていたのだね。どんなものだろう。野布袋の印籠継ぎだろうか。普通の人は無理かもしれない。需要が少ないはずだから出来合いはなかったと思う。現地で借りたのが一般的だったのだろうか。石廊崎では灯台傍の茶屋で四間の延べを借り、石廊権現の下の荒磯で、、、と書かれている。ここまで釣りに行くだけでも庶民には無理だよ。伊東からバスに乗っていくか、修善寺からバスで下田。

Img_2138

さて、イシダイであるが、当時一般的な仕掛けは15匁の棒錘、麻糸か太い綿糸の道糸、ワイヤのハリスで物干し竿。仕掛け図の写真には人造テグス十匁又は麻糸とあるが、人造テグスは白絹糸太番手をゼラチンで固めたもの。10匁というと相当な太さだと思うが良く分からない。オモリのようにそのまま号に該当ということはないだろう。一分柄テグスが10号の太さからいうと100号かも知れない。あ、太さであって強さではないから念のため。人造テグスはごわごわして、使っているうちにゼラチンが溶けてしまうということをどこかで読んだことがある。たしか人天といわれたはずだ。

惣之助は書いている。磯の石ダヒの竿釣となると、どんな釣人も常にあこがれてゐながら、なかなかよく釣れる機会に恵まれず、又その辛抱も出来ない、その代わり一と度び、石ダヒがかかったとなると、大物は一貫目もあるから、道糸やハリスを切られ、竿を折り、時にずるずると引き込まれかかって、岩角で腕を挫いたという話もよく聞くほどで、これ以上豪快なものはないほど、磯釣の王者である。

道具が未開発だったというだけではなく、昔もあまり釣れなかったようだ。

磯釣のリール釣はなかったのかというと、あるにはあった。しかし、普通は国産のタイコリールである。

Img_2137 惣之助の本にリールの投げ方の図がある。見ると、磯釣ではなく、投げ釣りのようだ。タイコは片軸であり強い引きに対応できない。戦後、真鶴でやったという先輩から聞いた話では、タイコリールで拝み釣というスタイルだったとか。両手で拝むようにタイコリールを挟んで引きに耐える。多分、道糸を手で引き抜いて、余分を少しずつリールに巻き込むのかな。いや、手で引き抜くことが主体だったのではないか。

このブログのプロフィールの写真のリールはシェイクスピア1935年製である。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2007/03/shakespeare.html

これだったら立派に使える。竿師に三本継ぎのガイド付き磯竿を作らせることも可能だ。

こういうものを戦前の日本で輸入してイシダイ釣りに使っていた人がどのくらいいたのか知ることはできない。大久保鯛生か三谷、長岡あたりは使っていたかもしれない。フライフィッシングでは上流階級においてかなりいただろうことは分かる。

古いリールの片軸は

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2007/03/post_7a11.html

右欄の下方に、検索があり、このブログ内で検索という機能が付いているので出すこともできる。シェイクスピアはshakespeareで入れないと出てこない。

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2008年1月15日 (火)

バルナックライカその2

Img_2072 1932年2月、ライカⅡ型発売。連動距離計が付いたモデル。その翌年にはスローシャッターの付いたⅢ型が発表されている。その1に紹介したシリアル2409のライカはこのⅢ型にメーカー純正改造されている。こちらのライカⅡ型はシリアルナンバー192847である。Ⅱ型の生産期間は1932年から1948年までと長い。第二次世界大戦後も生産された。他の機種と平行して生産されている。このシリアルナンバーであると1935年から1936年にかけて生産されているはずである。ライカのシリアルナンバーの研究書がいくつかあるほどである。そういうマニアのレベルは小生より3段階くらい上のクラスであるから、よく分からないし、あまり近寄らないことにしている。研究も進んでいるから、実は少し違うことが分かったとかいう話は当然に発生するだろう。そういう人たちはいくらでもひしめいている。日本もそうなのだが、アメリカ、イギリス、ドイツには一山いくらで存在するだろう。

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その1のⅢA型と見比べると、ライカのロゴマークと刻印が多少違っている。国を示すD.R.Pの位置である。ライカのすぐ下にあるタイプよりも、一番下にあるタイプが古いようである。

レンズはその1で書いたようにこのⅡ型はショットエルマーであり、いわゆる新エルマーである。レンズの製造ナンバーは278643である。旧エルマーには製造番号はない。レンズの裏面の写真を見ると、無限遠ストップレバーの裏に鏡胴ナンバーが刻印されている。ゲルツエルマーは1であったが、この新エルマーは7となっている。厳密な焦点距離の違いによって、レンズを収める鏡胴が0から7まである。ショートエルマーは0から3までだそうだ。

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Ⅱ型はネックストラップ用のアイレットと呼ばれるリンクがない。カメラの両肩にある小穴の突起である。これにストラップを装着する。カメラに直接ストラップが付けられないので、写真のように革ケースに入れて首に吊り下げるのが普通だ。速写革ケースと呼ばれるものだが、上ふた部分を切り落として使っている。バルナックライカは現代においても、カメラの品格は十分にあるし、ちゃんと実用になる。露出計できちんと測れば、見事な撮影ができる。後日、そういう露出計を書くつもりだが、スタジオマスターあたりが良い。そういう撮影はImg_2071 紳士のお散歩のお供には丁度良い。

このⅡ型はシンクロ改造している。アクセサリーシューのすぐ下にシンクロ接点が出ている。一見して分かる通り、純正改造ではない。しかし、普通に実用にはなる。亡父はレンズやカメラを何回かシュミットに出していたのだが、純正シンクロ改造はしていない。シュミット健在の時にこのⅡ型をシンクロ改造しておいてくれたら、、、と思わないでもないが、ⅢF型を併用していたのだから、それほど純正シンクロ改造の必要性も価値観も感じなかったのであろう。

小生が旧エルマー付のシリアル2409のライカを入手した時にはシュミットも純正改造もなくなっていた時代である。ないものねだりだが、シンクロ改造と思わないでもない。純正シンクロ改造は3F型のシンクロにシャッターダイアルを含めて改造するものである。

Img_2073 Img_2079

その1で少し言及した中川和夫のライカの歴史には、A型より改装したⅢA型Syn(第205図)という写真がある。シリアルナンバーはなんと206である。レンズは沈胴のズミクロンが付いている。同じズミクロンは持っているのでこの組み合わせはできる。ただ、シンクロのシャッターダイアルがこの写真とは違う。このカメラは改造前のレンズ固定式の時代には間違いなく伝説のレンズであるエルマックスが付いていたはずである。レンズ交換式に改造されたエルマックスを現物はおろか写真でも見たことがないのだが、エルマーの鏡胴に入れられているものなのかどうか、マニアの方で知っている方がいらっしゃったら教えて欲しい。

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2008年1月14日 (月)

ノーマンロックウェルの釣竿

ノーマンロックウェルは見ていて楽しい。ああ、あれか。たいていの方がご存知と思います。一度や二度は誰でも見たことはあると思います。画集やポスターもかなりありますので、日本でもファンの方は少なくないでしょう。

Img_2070 Img_2069

この絵はSUNSETという題だそうですが、かなり有名だと思います。そうでもないか。デズニーのパクリもあるのがおもしろい。釣師なら必ず目がとまるのではないでしょうか。全体のユーモアが良い。こういうふうに好きな女の子と仲良くしたかったなという気持ちと同時に微笑みたいような気持ちになり、暖かくなる。そういう気持ちを見る人が感じたり、思い起こしたりするというところがポイントでしょう。

しかし、この竿がいいです。アバウトな大きなウキもいい。餌入れに使っている空き缶もいい。ミミズが顔を出しているのがいい。

このイラストを見て、古き良きアメリカの一番素朴な釣りはこういうものだったのかということが分かる。日本とほとんど変わらない。日本と違っているのは竹の延べ竿ではなく、棒切れといってもよい竿。手ごろな竹がたくさんある日本から見ると、ちょっとかわいそうな気さえする。

で、ヨーロッパの古い釣り竿に話が続く。アイザックウオルトンの時代、釣竿の作り方というような一節があって、特定の粘りのある木の枝を焼け火箸のようなもので中を中空にして作るというのを読んだ。この竿では調子もなにもないだろうと思う。ただぶるんぶるんしているだけかも。グラスロッドのないころの欧米では高級品はトンキン竹を輸入してバンブーロッドがあっただろうが、子供や下層大衆が使ったのは木の竿で、これが日本の延べ竿に対応していたのではないか。

戦後のイタリア舞台のアメリカ映画に慕情というのがある。この中にイタリアの木の釣竿が出てきたので驚いた。しっかし、ローマの休日に出てくる時代のローマの雰囲気が大好きだが、この慕情もほとんど同じ雰囲気。この時代のローマに旅行にいけたらどんなに良いだろうかと夢想する。

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2008年1月 8日 (火)

キーストンの双眼鏡型ステレオスコープ

Img_2047 Img_2048 Img_2049 オークションで入手したもの。このスタイルはいままで見たことがなかった。だいたい、ステレオマニアの目からしても日本でよく見るのは、ホームズベイズ式ではアルミニュームフードのそれである。日本ではアルミニュームフード以前のウッドフードの現物はあまり見たことがない。専門書の写真では見かけることは少なくないけれどね。というのはステレオスコープ大量生産時代ではアルミフードになっていたからと考えても良いだろう。だからウッドフードは絶対量が少ないのではないだろうか。

え、そんな現物なんて日本で見たことがないというあなた。まあ、そうでしょう。マニア以外の人間では普通は見ることのできる範囲には近寄らないでしょう。筋金の入ったクラシックカメラ店にごくたまに、神田のその方面の専門古本屋にステレオカードと一緒の箱入りでごくごくたまに、さらに西洋骨董品店にもごくごくたまにです。

あ、日本にもステレオカードとステレオビューアーの会社が過去にはありまして、それぞれ国産品があります。そのステレオカードのごく一部は持っていますので後日いつか紹介します。日本の上流旧家取り壊しなんていう時に、骨董品や古本と一緒に蔵出し品として出てくることがあります。15年くらい前だったかな、神田で素晴らしい無傷のビューアーと素晴らしい箱入りステレオカードが出たけれど、その全部を外人が買っていってしまったという話を聞いた。えーーー、いつなの。一週間くらい前。うわー、、、そんな。悄然とした経験がありました。

このキーストンビューアーを調べると、例のステレオビューという専門書に次のような記載がありました。

Telebinocular,all-metal,binocularstyle,pebble or crinkle finish,excellent optics,came in booklike box,often with Keystone tour sets

どうも、キーストンが寡占化した後のビューアーのような気がします。だから、アメリカで探せばかなりあるもののようです。

Img_2050 Img_2051 ステレオカードはキーストンのカラー印刷で、100年前の世界旅行といったものですが、現在では得られない独特の雰囲気があって、それぞれ素晴らしく、味があります。100年前というオーラが出ています。それが、立体という疑似現実感と溶融して心地よい酔いとでもいうのでしょうか。

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2008年1月 2日 (水)

ホームズ­・ベイツステレオスコープ

Img_2017 Img_2016 Img_2018 120年前のステレオビューアーである。普通にはホームズ式Img_2005_3 というが、正式にはホームズ・ベイツ。その筋の書物、ジョン・ワルドスミスのステレオビューというマニア本では主要4社が1892年から1908年にビューアーを大量生産したという。なんだかまっとうな辞書にない単語がよく出てくるので、難しい。キーストン、グリフィス&グリフィス、アンダーウッド&アンダーウッド、そしてH・ホワイト社。その他にたくさんあったらしいが、統合、吸収されていったのだろう。アンダーウッドが最初に寡占化した。アンダーウッドは最盛期の1901年には30万台のステレオビューアーを生産し、ステレオカードは1日に2万5千枚を作ったという。戸別訪問販売だったようだ。その後キーストンが競争に勝ち、版権を譲り受けて吸収し寡占化した。ステレオカードの販売を集中していった過程だろう。キーストンは販売方法を真似して学生も使った。学校関係が主要顧客だったそうだ。キーストンは1892年から1964年までアクティブだったというから、消えたのはそれほど古くはないね。カラーのプリントものも多い。ただし、印刷の網点が目立って、私見的にはよくない。オークションで入手したステレオカードがそうだった。印画紙貼りのステレオカードに比べると相当に劣るものだ。写真の歴史とステレオ写真の歴史は同時進行だから、ダゲレオタイプからガラス湿版からガラス乾板から、密着焼きの鶏卵紙から、すべてある。いや、もっと細かい変化がある。次回にそのあたりを書くかもしれない。かなり面倒。マニア度はかなり高い。非常に不思議なことがあった。ホームズ・ベイツステレオスコープはパテントを取らなかったことは確かだ。ところが、このステレオビューアーの付け根の刻印にはpatentと刻印されているのだ。取るつもりで取れなかったのか。もうひとつ、ベイツの工房、つまりこのビューアーは本家本元の製品である可能性が非常に強いと推定され、1883年ころは取れるつもりだったのか、なにかの係争中だったのか。それにしても、1859年、一説には1861年から本家は作っているわけで、20年くらいはモタモタしていたことになる。

Img_2021 Img_2022

今回はステレオカードにこれありと知られた、いわゆる月のステレオに絞ります。弟が買ってくれたステレオカード20枚はほとんどがアンダーウッドの版権ものでした。

ステレオマニアとして知識としては早くからこれの存在を知っていた。で、20枚の中にこれが入っていたので感激した。山田幸五郎の光学の知識という古典的光学教科書の中にこれの詳しい記述がある。関連のブログは次にあります。

http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/05/02/1478600

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/news/text/a061202.html

http://www.asahi-net.or.jp/~EP3N-KIZM/astro/photo/making3D.htm

月のステレオ写真でググると他にもっと出てきます。

山田幸五郎教科書から要約、一部引用すると。

地球上の2点から天体を撮った場合、2点間の距離が基線となる。また別の日に天体の写真を撮れば、地球が軌道に沿って進行した距離が基線となる。この方法をとれば、基線を数万キロにすることができる。この場合は天体の自転ということも考慮しなければならない。しかし、地球の公転距離では基線長が不足して天体は立体にならないそうである。火星、金星もどうだったかな。月は地球が公転しても付いてくるためにダメ。月は首を振るため、月面の半分以上の59%が見えるそうで、これを秤動という。これを利用したのが月面ステレオである。

教科書の月面写真は1896年4月20日パリ標準時8時18分4秒と1900年2月7日6時15分30秒のペアーである。

焦点距離18.05mの赤道儀をもって写し、その直径16cmである。図はこの原図を縮小したのであるから焦点距離8.16mで撮った写真に相当する。これをステレオスコープで見ると50倍の望遠鏡で見た場合に相当する。二つの写真においては月の平均動が約14度であるためにステレオスコープでコレを見るときに惹起される基線長は95000kmすなわち月の距離380000kmの約4分の1である。であるから、ステレオスコープで見るときはあたかも両眼距離95000kmの巨人が倍率50倍の望遠鏡2個を、その光軸のなす角を14度にして月を見た場合に受ける印象と同じ印象を受ける。換言すれば、月の大きさの15億分の1に縮小した模型、すなわち直径2.4ミリの月の模型を両眼距離63ミリの人の明視の距離25cmのところに置き、これを倍率50倍の顕微鏡をもって見た場合と全く同様である。

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ホームズ式ステレオビューアーキット

Img_2006_2 Img_2007_2 Img_2008_2 Img_2010_2 アメリカのバンコートインストルメント社のキット。冊子を見ると1995年発売とある。たしかその頃に、恵比寿の都立写真美術館で3D展があった時に買ったもの。驚いたことにボール紙から組み立てるものだが、かなりの精度があり、実用になる。

Img_2011_2 この最近の青少年向けのキットではなく、本物のホームズ式のビューアーは小生の弟がアメリカ単身赴任の時に、アンチークショップで兄の趣味を思い出してくれて、買ってきてくれたものがある。値札には1890年代もの、ステレオカード20枚付きとある。数年前のことだが、思わず感謝の涙にむせんだ。何たる兄思いの気持ちの優しい弟であることか。と書いておく。いや、いや、ほんとに感謝だ。リンクにabenewsというのがあるが、アメリカ勤務時代、アメリカの友人とのアウトドアライフの写真と記事がたくさんある。アンチークショップの記事もある。

Img_2005_2 ところで、この年代物のビューアーをよく調べると、ハンドルの付け根に1883年の刻印がある。アルミのシェイドフードになる前の木製フードである。ということは約120年前のものだ。日本の年号では明治のえーと、、、これは次回の記事で写真とコメントをアップする。さらに最近オークションで入手した、初めて見る珍しいステレオカード用のビューアーもコメントしてアップする。

Img_2009_2 Img_2012_2 このキットの付属冊子に、エリック バン コート社長による、ステレオスコープの歴史がある。それによると、1859年にオリバー ウエンデル ホームズはステレオスコープをリデザインしたとある。簡単で軽く、焦点調節が正確に早く可能。それをボストンでステレオ用品のワークショップを持っていた友人のジョセフ ベイトに見せた。ベイトはスライドレールの改良とシェイドフードを加えて生産して成功した。ところが、ホームズは特許をとるのを失敗したとある。月を経ずにこの有名なビューアーは100くらいの工房でコピー生産が行われた。その後中産家庭に大流行。この経緯や現物のステレオカードの写真などは後日に書いてアップします。ずっと以前に神田の古本屋で見つけたものや、オークションで入手したものなど、いろいろステレオカードはあります。最近のオークションでも欲しいカードが出ているが、なんせ安くは無いので、おいそれとは入手できない。

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2007年10月20日 (土)

NF18赤巻き

Img_1936Img_1931_2  この竿はNF16Hと並んで石鯛剛竿の代表的存在であった。NF16Hと基本的なところは変わらずに5本継ぎになっている。元竿の太さも全長も重さもほとんど同じ。調子も同じような感じ。だが、人によって5本継ぎだから胴に来るという人と、逆に胴が強くなって先調子だという人がいて、まったく逆の印象を受けていたのは面白い。いかにいい加減なものか。個人的には16Hより少しだけ先調子に感じてはいた。元竿から二番、三番あたりの胴は強くてほとんど曲がらない。しかし、実用上はNF16HもNF18も差異を感じない程度。正確には継ぎ数が多いか少ないかだけでは先調子、胴調子には直接的に結びつかない。つまり関係ないのだ。延べ竿、二本継ぎ、三本継ぎでも先調子、胴調子があるのは当然だろう。石鯛竹竿は三本継ぎの調子が良いと考えている人が多いかも知れないが、誤解があり先入観にとらわれているにすぎない。趣味趣向の問題がほとんどかも知れない。三本継ぎというだけではなんの意味もない。さらに、だいたい、二間半以上、三間程度の長竿の継ぎ数は少なくとも5本か6本になるのが自然だろう。淡水の竹竿はすべてそうである。淡水では逆に継ぎ数の極端に多い竿もある。そういう竿でも胴調子もあれば、胴がしっかりしてあまり曲がらないという先調子もある。しかし、なにかの理由で継ぎ数を少なくすることはあるだろう。東京荒磯のかつての例の竹槍石鯛竿は延べ竿の調子を生かしたいという思いと、下手な工作をして強度が落ちることを避ける意図があったはず。下手な工作で調子が悪くなることもあるだろう。竿師ではないのでそういう工作ができる人も限られていたはず。

NF18は使いやすかった。とくに持ち運びでは仕舞い寸法が短いということはそうとう違う。リールシートに巻いている白い布状のものはサクラから売られていたロッド保護用の商品で、これがないとリールシートに当たったロッドブランクに傷が付く。なかなか便利なものだった。

その後、18番の4本継ぎという製品が出てきた。たしか4.8m。元竿は17番よりも太く感じて安定感があった。17番と18番の4本というセットでもよく使った。

Img_1931 18番にはバリエーションがあって、写真のように口金の形状が違っていた。さらに、尻手環が付いていないので自分で取り付けている。こちらの方が初期のような感じがする。

また、元竿の上部に富士山のロゴマークのシールがあって、グラスロッド工業会、パテントと印刷されている。これはNFの竿のお約束であった。

NFTの石鯛竿は16、17、18、19という製品ラインであった。19番は4本継ぎで元竿はもっとも太い。石鯛竿とモロコ竿の中間のような感じであった。後日、NFのモロコ竿が生産されたが、19番とは別のシリーズであった。

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2007年10月16日 (火)

ミッチェル408

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スピニングリールで一台だけ挙げろといえば、このミッチェル408でしょう。理由はあまりカッチリしたものではありませんけど。まあ、雰囲気、名声、品格。ところで、国産のスピニングリールはとなれば、オリンピックの93でしょう。これほど普及して、誰でも知っているリールはなかった。その次に個人的には大森製作所のマイクロセブンを挙げたい。

ミッチェル408については、マニアがたくさんいらっしゃる。そういう世界とは無縁ではございますが、機構で押さえるところというと、回転軸にはスパイラルベベルギアで動力伝達、前後動には遊星ギアが採用されている。スピニングでは動力伝達ギアとしてはウォームギアが主流ですが、スパイラルベベルギアも少なくない。どこがどうなっているのか文章ではちょっと説明できそうにない。ネットで調べるといろいろ出てくるので興味のある方はお調べ下さい。

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遊星ギアによるスプールの前後動は見ていてはっきり分かる。遊星ギアはプラネタリーギア。適当な説明の引用では、((太陽のまわりを惑星(遊星)が自転しながら公転するのと同じような動きをすることから、その名が付けられた遊星ギヤボックス。))太陽ギアと遊星ギアがある。

投げる時のラインの繰り出しが良いだろうことは直感で分かる。見事にスプールに巻かれていく。ミッチェル408はコインでギアボックスが簡単に開くので見ると、簡素、簡単なギアが現れる。もう少し精密なギアが予想していたので拍子抜けだった。とにかく前後動装置は簡素。しかし複雑な動きを司るのだ。

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ところが、ギアマニアの中には大森製作所のマイクロセブンに採用された変形のスパイラルベベルギアの方が特徴があり優れているという説もある。軸を少しずらしていてより複雑なかみ合わせになっている。調べると、ハイポイドギアというらしい。マイクロセブンを買ったときに聞いたのは遊星ギアではなく単純な前後動だが、しかし動力伝達ギアは特許の変形ギアで、ミッチェルを真似たけど、技術的に工夫していて優れているのだ、、、とメカに詳しい先輩が教えてくれた。当時の釣り師の仲間内では、マイクロセブンの方が人気があり信頼されていた。ミッチェルの輸入量と価格に制約されていたと思う。小型高級スピニングリールはマイクロセブンで決まり、というような感があった。スピニングリールでは大森製作所は知る人ぞ知る企業理念のしっかりしたメーカーであった。お値段は少し高価だったが、精密感のあふれる立派なリールを生産していた。その後、独自性を捨て去り他社と同じレベルでの競争の中に沈んでしまい、消えて滅びた。

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その後、超小型スピニングリールでウミタナゴの浮き釣りをしたかったので、もっとも小さかったダイヤモンドミニというリールを買った。ごく普通のアウトスプールのリールである。これにもパテントと刻印されている。どこがパテントなのか。ついでに、408にはUSパテント、マイクロセブンにもパテントと刻印されている。

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