古い道具

2009年7月 4日 (土)

露出計 光学式

こんな露出計を知っている人。ほとんどいない。日本語でググっても、詳しいのはない。しかし、欧米にはある。日本製の光学露出計がないかと調べたが、わたくしのレベルでは、というべきかわたくしのレベルでもというべきか、見たことも聞いたこともない。どうも生産されていなかったようだ。戦前のカメラ雑誌の広告をすべて調べたわけではないので断言はできない。で、知っている人が少ないから、これを面白いと思う人も少ない。いやほとんどいない。クラシックカメラファンのごくごく一部の人にいらっしゃるかどうか、というレベルである。竹の石鯛竿の竿敏のレベルをはるかに凌ぐ。こちらは神様仏様竿敏様と信奉する方がいらっしゃるかも知れないのだ。

光学式露出計の原理とは。被写体に向けた、段階的濃淡の指標スケールを読み取って明るさを計測するというもの。明るいものは、かなり濃いフィルターを通しても見えるという次第だ。透過する光量の違いを判別する。透過光が見えなくなるのを読み取るのだ。

現行商品、またはそれに近いものとして入手できるのは、ロシアのOPTEKだ。光学露出計でググると使用記がいくつか出る。ロシア光学製品マニアという方は少なくないのだ。

http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/OtherGoods/ROSHUTSU/Optek/Optek.htm

http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/OtherGoods/ROSHUTSU/Optek/OPTEKManual/Optek2.htm

実はEBAYで、初代の入射光露出計ノーウッドを漁っていたら、格安OPTEKがたくさん目に入った。なぜか、気がついたら一番安いのを注文していた、、ああ、あ、、、。だが送料含めて千円、二千円程度。しかし、ロシアからまだ届いていない。以前のコピーコンタックスの経験では一ヶ月以上かかる。

Optek03 あるネットのページにあったOPTEKの写真を一枚勝手に使わせていただく。フィルム感度はロシア規格でGOSTという。これはISOの90%だということを知って感度設定すれば、意外にちゃんと使えるらしいのだ。

次は外国の露出計のコレクションのページ

http://www.jollinger.com/photo/meters/meters/balda_expophot.html

かなり以前にこれを見つけて仰天いたしました。歴史的セレン式露出計も出ております。世界には凄い人がいる。光学式となるとBertramSuper Bewi PrecisionPhoto Utilities (DREM)InstoscopeBaldaExpophotZeiss/IkonDiaphot。他に光学読み取り式色温度計とか、テスト印画紙を使ったもっと古い露出計などもあります。

Watkinsbee Watkins Bee meterという美しい懐中時計スタイル。Diaphotに似ています。

で、ここで問題はですね、、、なぜか、こういう光学式露出計のいくつかが、手元にあるのです。なんと、それは凄いねとおっしゃってくださる方、まさかいらっしゃらないでしょうね。どうしてこういうことになったのか。昔、クラシックカメラに萌えていたとき、ライカメーターと呼ばれていた、バルナック時代の光学露出計を見つけて入手しました。原理を知っていましたので、手に取り、これがそうなのか、なるほどね、ちゃんと濃淡が見える、おもしろいなあと思った。え、普通は思わなだろうってですか。まあ、そうおっしゃらずに、、、。

Img_4327 Super Bewi Precisionは今でも使えます。これが通称ライカメーターと呼ばれた露出計です。1930年発売。この呼称はライツ社と提携関係にあったからのようです。表記はドイツ語。ドイツ国内向けのようです。横っ腹のバレルにBewi-Spezial-Modell fur die Leica-Kameraと記されています。シャイナー感度しかありませんが、どうもアメリカ感度のようで、しかも、コダックSSの修正指標があります。昔は高感度フィルムなんて普通ではないので、最大指標がシャイナー27度で、つまりASA100です。単眼鏡スタイルですが、使用者に合わせてピント調節ができます。

Img_4332 この単眼鏡を覗くと、昔の電話ダイヤルが見える。数字が消えたところギリギリを読み取る。コレクションページのJames Ollingerはバレルのプリントの海にも拘わらず、Drem Instoscopeより使いやすいといっている。同感。まさに細かい文字の海だ。現行の露出計と比較してみました。だいたい合っている。

このシャイナー感度の換算表は次のページにあります。シャイナーの話は後日。

http://homepage3.nifty.com/doggo/exposuremeter/kando.htm

Img_4330 Img_4333 1937年発売のDrem Instoscopeは使えない。換算がうまくいかないのです。最大感度はシャイナーの31度ですが、どうもおかしい。ヨーロッパシャイナーでもアメリカシャイナーでも合わないのです。現在のところ謎です。

Img_4328 Img_4329 次は、1921年から1934年まで販売された、Zeiss/IkonDiaphot。美しい。日本のオークションでもよく出ます。フィルム感度の設定はない。ということは最初から特定感度に設定されている。どうもISOで50くらいと思われる。その感度でのライトバリューの絞りとシャッターの組み合わせが表示されるように単純化されている。ツアイスイコン企業合同の前の時代のイカ社製だったそうだ。イカ社は有名ですから知る人は多いでしょう。

このページを見ると仕組みがよく分かる。

http://www.lungov.com/wagner/c/074c.html

Img_4335 Img_4337 Img_4336 最後は箱入りのJUSTOPHOTというもっと古い光学式露出計。ウイーンが発祥のようで、ドイツはフランクフルト。モデルDと記されていて、シリアルナンバーは266326。26万代だが、そのまま生産量とは限らない。わたくしでも、使用方法がよく分からないのだ。設定クリックには、なんと2m、8sec、1/5 、1/25 。と4種類が出る。どう見ても、2分と8秒と5分の1秒、25分の1秒。なんだこれは。乾板時代か。単眼鏡の中にも同じ表示が濃淡で出る。おもしろいことがひとつ。DREMという名前は知る人は知る。これは、Dr.E.Mayerというウイーンの人から由来している。この人がパテントを取った。

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2009年6月23日 (火)

露出計 セレン式

単独露出計なんて死語となったのは何年前だろうか。写真機に露出計がなかった時代。明るさを勘で読み取って露光量を決定し、カメラにセット。絞りを決定、露光時間を決定。シャッターを切る。勘ではなくて、なんとか明るさを計測できないかという必要性から出発して、露出計算尺があったり、光学式露出計があったり。やっとセレン光電池に辿り着く。戦前の話です。わたくしはこの時代はリアルタイムではない。浅学ながら、その歴史は。

1932年、アメリカのウエストン・エレクトリック社からウエストン・モデル617というのが世界最初のセレンセルによる露出計らしい。以下、萩谷剛という研究家による。その後ドイツゴッセン社からオンブロックス(ライカメーター)として33年に出た。感光スピードはシャイナーである。シャイナーの説明は省略。さらにドイツのメトラワット社、イギリスのメトロヴィック、などが続き、日本では1937年東京芝浦電気のマツダ露出計が出る。これの感光度はNSG(日本写真学会)である。あ、他にドイツはDINね。ドイツ工業規格。最近までワールドワイドで生きていたのを知る人はいらっしゃるでしょう。フィルムにはASA感度表示の他にDIN表示があって、少年時代のわたくしは、なんじゃこれは、と思った。

Img_4322_2 Img_4323_2 写真のウエストンモデル850というのが1938年。感度はウエストンスピードである。

昔、クラシックカメラ店で見つけて、連れて帰った。ウエストンスピードやシャイナー感度では実用性はない。換算ですか。面倒です。

Img_4324_2 Img_4325_2 もうひとつ、アメリカのGMラバラトリー社のスキャンスタンダード。1950年ころ。ASAスピードになった時代。

Img_4327_3 Img_4326_2 Img_4328_2 Img_4329_2 1945年世界標準となった反射光式のウエストンマスターⅡ。入射光式ではノーウッドディレクター。この両露出計は超ロングセラーで絶対定番であり、知らない人はいないほどだろう。十分に実用になる。ウエストンマスターⅡはさすがに後継機種の方が使いやすい。どちらもセコニックが製造権を得て後継機種が生産されている。

Img_4333_2 ウエストンマスターⅡの後継機種で、セコニックマスター。ライセンス生産と刻印されている。Img_4334_2

ディレクターはセコニックスタジオデラックスという名前になった。この後の機種から現行機種まである定番。ひとつだけというと、スタジオデラックス。正確に適正露光が得られるし、味がある。

Img_4332_2 Img_4331_2

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2008年1月26日 (土)

先達の磯釣その2

惣之助は、釣、の巻頭の序言でこう書いている。

<<然し、釣りを諄諄説くもの、あながち釣りの名手ではない。名人はいつも沈黙しているものである。われわれはただいつもその人の間近に窺い寄って、かくもあらんかと、秘密の一切を報告するにとどまる。釣って、釣って、初めて釣りというものが解った時には、もう説きたくないもので、私の釣友には、生涯アユを釣り、タイを釣っている名手がいるが、遂ぞこの人は説かない。>>

これを読み、うーむ、そうだな。残学菲才でありながらワタクシのように中途半端に説くものには、何によらず信用してはいけない。本当は師匠や先輩との間で直接の相伝というか謦咳に接し真似て盗むものである。ワタクシはそうしてきた。これまで、釣技や釣りの生情報は書かないようにつとめてきた。そういうものはいくらでもあふれているからである。しかし、これほどの情報化社会となりあらゆることが進歩、進化してきた。だがまた、知りたいのだけれど、もう一歩のところで得られない情報というものもある。だから、複雑、微妙である。

惣之助はブダイに凝ってかなり釣り歩いたそうだ。房総、相模、伊豆、紀州、八丈島、小笠原。延べ竿の三間から四間、道糸は渋染めの三本撚り。六か七匁錘で脈。浮なら三か四匁。匁と現在のオモリの号は同じはずである。ハリスは1分柄テグス一本。人によっては5厘テグス3本撚りか8厘テグス2本撚り。強度は別にして、1分柄テグスは現在の10号、5厘柄は5号としてよいであろう。テグスはご存知ない人のために、野生の蛾から取れる。カイコから絹糸が取れるのはご存知ですよね。なに、知らない。仕方がないなあ。これは以前の記事でよく出現したフレーズですね。

釣り方は長竿釣りと流し釣りと船釣り。餌はハンバとカニ。惣之助は現在とほとんど変わらない釣り場にいっている。ごく近場なら根府川、真鶴、錦ヶ浦。川名、富戸から八幡野。その先の下田から南伊豆。伊豆七島まで及んでいる。

ブダイで気になる文章があった。竿は三間、三本継ぎで生地のままのものを作らせてもっていくのが理想的。うーむ。こういうのを竿師に作らせていたのだね。どんなものだろう。野布袋の印籠継ぎだろうか。普通の人は無理かもしれない。需要が少ないはずだから出来合いはなかったと思う。現地で借りたのが一般的だったのだろうか。石廊崎では灯台傍の茶屋で四間の延べを借り、石廊権現の下の荒磯で、、、と書かれている。ここまで釣りに行くだけでも庶民には無理だよ。伊東からバスに乗っていくか、修善寺からバスで下田。

Img_2138

さて、イシダイであるが、当時一般的な仕掛けは15匁の棒錘、麻糸か太い綿糸の道糸、ワイヤのハリスで物干し竿。仕掛け図の写真には人造テグス十匁又は麻糸とあるが、人造テグスは白絹糸太番手をゼラチンで固めたもの。10匁というと相当な太さだと思うが良く分からない。オモリのようにそのまま号に該当ということはないだろう。一分柄テグスが10号の太さからいうと100号かも知れない。あ、太さであって強さではないから念のため。人造テグスはごわごわして、使っているうちにゼラチンが溶けてしまうということをどこかで読んだことがある。たしか人天といわれたはずだ。

惣之助は書いている。磯の石ダヒの竿釣となると、どんな釣人も常にあこがれてゐながら、なかなかよく釣れる機会に恵まれず、又その辛抱も出来ない、その代わり一と度び、石ダヒがかかったとなると、大物は一貫目もあるから、道糸やハリスを切られ、竿を折り、時にずるずると引き込まれかかって、岩角で腕を挫いたという話もよく聞くほどで、これ以上豪快なものはないほど、磯釣の王者である。

道具が未開発だったというだけではなく、昔もあまり釣れなかったようだ。

磯釣のリール釣はなかったのかというと、あるにはあった。しかし、普通は国産のタイコリールである。

Img_2137 惣之助の本にリールの投げ方の図がある。見ると、磯釣ではなく、投げ釣りのようだ。タイコは片軸であり強い引きに対応できない。戦後、真鶴でやったという先輩から聞いた話では、タイコリールで拝み釣というスタイルだったとか。両手で拝むようにタイコリールを挟んで引きに耐える。多分、道糸を手で引き抜いて、余分を少しずつリールに巻き込むのかな。いや、手で引き抜くことが主体だったのではないか。

このブログのプロフィールの写真のリールはシェイクスピア1935年製である。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2007/03/shakespeare.html

これだったら立派に使える。竿師に三本継ぎのガイド付き磯竿を作らせることも可能だ。

こういうものを戦前の日本で輸入してイシダイ釣りに使っていた人がどのくらいいたのか知ることはできない。大久保鯛生か三谷、長岡あたりは使っていたかもしれない。フライフィッシングでは上流階級においてかなりいただろうことは分かる。

古いリールの片軸は

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2007/03/post_7a11.html

右欄の下方に、検索があり、このブログ内で検索という機能が付いているので出すこともできる。シェイクスピアはshakespeareで入れないと出てこない。

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2008年1月15日 (火)

バルナックライカその2

Img_2072 1932年2月、ライカⅡ型発売。連動距離計が付いたモデル。その翌年にはスローシャッターの付いたⅢ型が発表されている。その1に紹介したシリアル2409のライカはこのⅢ型にメーカー純正改造されている。こちらのライカⅡ型はシリアルナンバー192847である。Ⅱ型の生産期間は1932年から1948年までと長い。第二次世界大戦後も生産された。他の機種と平行して生産されている。このシリアルナンバーであると1935年から1936年にかけて生産されているはずである。ライカのシリアルナンバーの研究書がいくつかあるほどである。そういうマニアのレベルは小生より3段階くらい上のクラスであるから、よく分からないし、あまり近寄らないことにしている。研究も進んでいるから、実は少し違うことが分かったとかいう話は当然に発生するだろう。そういう人たちはいくらでもひしめいている。日本もそうなのだが、アメリカ、イギリス、ドイツには一山いくらで存在するだろう。

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その1のⅢA型と見比べると、ライカのロゴマークと刻印が多少違っている。国を示すD.R.Pの位置である。ライカのすぐ下にあるタイプよりも、一番下にあるタイプが古いようである。

レンズはその1で書いたようにこのⅡ型はショットエルマーであり、いわゆる新エルマーである。レンズの製造ナンバーは278643である。旧エルマーには製造番号はない。レンズの裏面の写真を見ると、無限遠ストップレバーの裏に鏡胴ナンバーが刻印されている。ゲルツエルマーは1であったが、この新エルマーは7となっている。厳密な焦点距離の違いによって、レンズを収める鏡胴が0から7まである。ショートエルマーは0から3までだそうだ。

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Ⅱ型はネックストラップ用のアイレットと呼ばれるリンクがない。カメラの両肩にある小穴の突起である。これにストラップを装着する。カメラに直接ストラップが付けられないので、写真のように革ケースに入れて首に吊り下げるのが普通だ。速写革ケースと呼ばれるものだが、上ふた部分を切り落として使っている。バルナックライカは現代においても、カメラの品格は十分にあるし、ちゃんと実用になる。露出計できちんと測れば、見事な撮影ができる。後日、そういう露出計を書くつもりだが、スタジオマスターあたりが良い。そういう撮影はImg_2071 紳士のお散歩のお供には丁度良い。

このⅡ型はシンクロ改造している。アクセサリーシューのすぐ下にシンクロ接点が出ている。一見して分かる通り、純正改造ではない。しかし、普通に実用にはなる。亡父はレンズやカメラを何回かシュミットに出していたのだが、純正シンクロ改造はしていない。シュミット健在の時にこのⅡ型をシンクロ改造しておいてくれたら、、、と思わないでもないが、ⅢF型を併用していたのだから、それほど純正シンクロ改造の必要性も価値観も感じなかったのであろう。

小生が旧エルマー付のシリアル2409のライカを入手した時にはシュミットも純正改造もなくなっていた時代である。ないものねだりだが、シンクロ改造と思わないでもない。純正シンクロ改造は3F型のシンクロにシャッターダイアルを含めて改造するものである。

Img_2073 Img_2079

その1で少し言及した中川和夫のライカの歴史には、A型より改装したⅢA型Syn(第205図)という写真がある。シリアルナンバーはなんと206である。レンズは沈胴のズミクロンが付いている。同じズミクロンは持っているのでこの組み合わせはできる。ただ、シンクロのシャッターダイアルがこの写真とは違う。このカメラは改造前のレンズ固定式の時代には間違いなく伝説のレンズであるエルマックスが付いていたはずである。レンズ交換式に改造されたエルマックスを現物はおろか写真でも見たことがないのだが、エルマーの鏡胴に入れられているものなのかどうか、マニアの方で知っている方がいらっしゃったら教えて欲しい。

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2008年1月14日 (月)

ノーマンロックウェルの釣竿

ノーマンロックウェルは見ていて楽しい。ああ、あれか。たいていの方がご存知と思います。一度や二度は誰でも見たことはあると思います。画集やポスターもかなりありますので、日本でもファンの方は少なくないでしょう。

Img_2070 Img_2069

この絵はSUNSETという題だそうですが、かなり有名だと思います。そうでもないか。デズニーのパクリもあるのがおもしろい。釣師なら必ず目がとまるのではないでしょうか。全体のユーモアが良い。こういうふうに好きな女の子と仲良くしたかったなという気持ちと同時に微笑みたいような気持ちになり、暖かくなる。そういう気持ちを見る人が感じたり、思い起こしたりするというところがポイントでしょう。

しかし、この竿がいいです。アバウトな大きなウキもいい。餌入れに使っている空き缶もいい。ミミズが顔を出しているのがいい。

このイラストを見て、古き良きアメリカの一番素朴な釣りはこういうものだったのかということが分かる。日本とほとんど変わらない。日本と違っているのは竹の延べ竿ではなく、棒切れといってもよい竿。手ごろな竹がたくさんある日本から見ると、ちょっとかわいそうな気さえする。

で、ヨーロッパの古い釣り竿に話が続く。アイザックウオルトンの時代、釣竿の作り方というような一節があって、特定の粘りのある木の枝を焼け火箸のようなもので中を中空にして作るというのを読んだ。この竿では調子もなにもないだろうと思う。ただぶるんぶるんしているだけかも。グラスロッドのないころの欧米では高級品はトンキン竹を輸入してバンブーロッドがあっただろうが、子供や下層大衆が使ったのは木の竿で、これが日本の延べ竿に対応していたのではないか。

戦後のイタリア舞台のアメリカ映画に慕情というのがある。この中にイタリアの木の釣竿が出てきたので驚いた。しっかし、ローマの休日に出てくる時代のローマの雰囲気が大好きだが、この慕情もほとんど同じ雰囲気。この時代のローマに旅行にいけたらどんなに良いだろうかと夢想する。

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2008年1月 8日 (火)

キーストンの双眼鏡型ステレオスコープ

Img_2047 Img_2048 Img_2049 オークションで入手したもの。このスタイルはいままで見たことがなかった。だいたい、ステレオマニアの目からしても日本でよく見るのは、ホームズベイズ式ではアルミニュームフードのそれである。日本ではアルミニュームフード以前のウッドフードの現物はあまり見たことがない。専門書の写真では見かけることは少なくないけれどね。というのはステレオスコープ大量生産時代ではアルミフードになっていたからと考えても良いだろう。だからウッドフードは絶対量が少ないのではないだろうか。

え、そんな現物なんて日本で見たことがないというあなた。まあ、そうでしょう。マニア以外の人間では普通は見ることのできる範囲には近寄らないでしょう。筋金の入ったクラシックカメラ店にごくたまに、神田のその方面の専門古本屋にステレオカードと一緒の箱入りでごくごくたまに、さらに西洋骨董品店にもごくごくたまにです。

あ、日本にもステレオカードとステレオビューアーの会社が過去にはありまして、それぞれ国産品があります。そのステレオカードのごく一部は持っていますので後日いつか紹介します。日本の上流旧家取り壊しなんていう時に、骨董品や古本と一緒に蔵出し品として出てくることがあります。15年くらい前だったかな、神田で素晴らしい無傷のビューアーと素晴らしい箱入りステレオカードが出たけれど、その全部を外人が買っていってしまったという話を聞いた。えーーー、いつなの。一週間くらい前。うわー、、、そんな。悄然とした経験がありました。

このキーストンビューアーを調べると、例のステレオビューという専門書に次のような記載がありました。

Telebinocular,all-metal,binocularstyle,pebble or crinkle finish,excellent optics,came in booklike box,often with Keystone tour sets

どうも、キーストンが寡占化した後のビューアーのような気がします。だから、アメリカで探せばかなりあるもののようです。

Img_2050 Img_2051 ステレオカードはキーストンのカラー印刷で、100年前の世界旅行といったものですが、現在では得られない独特の雰囲気があって、それぞれ素晴らしく、味があります。100年前というオーラが出ています。それが、立体という疑似現実感と溶融して心地よい酔いとでもいうのでしょうか。

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2008年1月 2日 (水)

ホームズ­・ベイツステレオスコープ

Img_2017 Img_2016 Img_2018 120年前のステレオビューアーである。普通にはホームズ式Img_2005_3 というが、正式にはホームズ・ベイツ。その筋の書物、ジョン・ワルドスミスのステレオビューというマニア本では主要4社が1892年から1908年にビューアーを大量生産したという。なんだかまっとうな辞書にない単語がよく出てくるので、難しい。キーストン、グリフィス&グリフィス、アンダーウッド&アンダーウッド、そしてH・ホワイト社。その他にたくさんあったらしいが、統合、吸収されていったのだろう。アンダーウッドが最初に寡占化した。アンダーウッドは最盛期の1901年には30万台のステレオビューアーを生産し、ステレオカードは1日に2万5千枚を作ったという。戸別訪問販売だったようだ。その後キーストンが競争に勝ち、版権を譲り受けて吸収し寡占化した。ステレオカードの販売を集中していった過程だろう。キーストンは販売方法を真似して学生も使った。学校関係が主要顧客だったそうだ。キーストンは1892年から1964年までアクティブだったというから、消えたのはそれほど古くはないね。カラーのプリントものも多い。ただし、印刷の網点が目立って、私見的にはよくない。オークションで入手したステレオカードがそうだった。印画紙貼りのステレオカードに比べると相当に劣るものだ。写真の歴史とステレオ写真の歴史は同時進行だから、ダゲレオタイプからガラス湿版からガラス乾板から、密着焼きの鶏卵紙から、すべてある。いや、もっと細かい変化がある。次回にそのあたりを書くかもしれない。かなり面倒。マニア度はかなり高い。非常に不思議なことがあった。ホームズ・ベイツステレオスコープはパテントを取らなかったことは確かだ。ところが、このステレオビューアーの付け根の刻印にはpatentと刻印されているのだ。取るつもりで取れなかったのか。もうひとつ、ベイツの工房、つまりこのビューアーは本家本元の製品である可能性が非常に強いと推定され、1883年ころは取れるつもりだったのか、なにかの係争中だったのか。それにしても、1859年、一説には1861年から本家は作っているわけで、20年くらいはモタモタしていたことになる。

Img_2021 Img_2022

今回はステレオカードにこれありと知られた、いわゆる月のステレオに絞ります。弟が買ってくれたステレオカード20枚はほとんどがアンダーウッドの版権ものでした。

ステレオマニアとして知識としては早くからこれの存在を知っていた。で、20枚の中にこれが入っていたので感激した。山田幸五郎の光学の知識という古典的光学教科書の中にこれの詳しい記述がある。関連のブログは次にあります。

http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/05/02/1478600

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/news/text/a061202.html

http://www.asahi-net.or.jp/~EP3N-KIZM/astro/photo/making3D.htm

月のステレオ写真でググると他にもっと出てきます。

山田幸五郎教科書から要約、一部引用すると。

地球上の2点から天体を撮った場合、2点間の距離が基線となる。また別の日に天体の写真を撮れば、地球が軌道に沿って進行した距離が基線となる。この方法をとれば、基線を数万キロにすることができる。この場合は天体の自転ということも考慮しなければならない。しかし、地球の公転距離では基線長が不足して天体は立体にならないそうである。火星、金星もどうだったかな。月は地球が公転しても付いてくるためにダメ。月は首を振るため、月面の半分以上の59%が見えるそうで、これを秤動という。これを利用したのが月面ステレオである。

教科書の月面写真は1896年4月20日パリ標準時8時18分4秒と1900年2月7日6時15分30秒のペアーである。

焦点距離18.05mの赤道儀をもって写し、その直径16cmである。図はこの原図を縮小したのであるから焦点距離8.16mで撮った写真に相当する。これをステレオスコープで見ると50倍の望遠鏡で見た場合に相当する。二つの写真においては月の平均動が約14度であるためにステレオスコープでコレを見るときに惹起される基線長は95000kmすなわち月の距離380000kmの約4分の1である。であるから、ステレオスコープで見るときはあたかも両眼距離95000kmの巨人が倍率50倍の望遠鏡2個を、その光軸のなす角を14度にして月を見た場合に受ける印象と同じ印象を受ける。換言すれば、月の大きさの15億分の1に縮小した模型、すなわち直径2.4ミリの月の模型を両眼距離63ミリの人の明視の距離25cmのところに置き、これを倍率50倍の顕微鏡をもって見た場合と全く同様である。

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ホームズ式ステレオビューアーキット

Img_2006_2 Img_2007_2 Img_2008_2 Img_2010_2 アメリカのバンコートインストルメント社のキット。冊子を見ると1995年発売とある。たしかその頃に、恵比寿の都立写真美術館で3D展があった時に買ったもの。驚いたことにボール紙から組み立てるものだが、かなりの精度があり、実用になる。

Img_2011_2 この最近の青少年向けのキットではなく、本物のホームズ式のビューアーは小生の弟がアメリカ単身赴任の時に、アンチークショップで兄の趣味を思い出してくれて、買ってきてくれたものがある。値札には1890年代もの、ステレオカード20枚付きとある。数年前のことだが、思わず感謝の涙にむせんだ。何たる兄思いの気持ちの優しい弟であることか。と書いておく。いや、いや、ほんとに感謝だ。リンクにabenewsというのがあるが、アメリカ勤務時代、アメリカの友人とのアウトドアライフの写真と記事がたくさんある。アンチークショップの記事もある。

Img_2005_2 ところで、この年代物のビューアーをよく調べると、ハンドルの付け根に1883年の刻印がある。アルミのシェイドフードになる前の木製フードである。ということは約120年前のものだ。日本の年号では明治のえーと、、、これは次回の記事で写真とコメントをアップする。さらに最近オークションで入手した、初めて見る珍しいステレオカード用のビューアーもコメントしてアップする。

Img_2009_2 Img_2012_2 このキットの付属冊子に、エリック バン コート社長による、ステレオスコープの歴史がある。それによると、1859年にオリバー ウエンデル ホームズはステレオスコープをリデザインしたとある。簡単で軽く、焦点調節が正確に早く可能。それをボストンでステレオ用品のワークショップを持っていた友人のジョセフ ベイトに見せた。ベイトはスライドレールの改良とシェイドフードを加えて生産して成功した。ところが、ホームズは特許をとるのを失敗したとある。月を経ずにこの有名なビューアーは100くらいの工房でコピー生産が行われた。その後中産家庭に大流行。この経緯や現物のステレオカードの写真などは後日に書いてアップします。ずっと以前に神田の古本屋で見つけたものや、オークションで入手したものなど、いろいろステレオカードはあります。最近のオークションでも欲しいカードが出ているが、なんせ安くは無いので、おいそれとは入手できない。

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2007年10月20日 (土)

NF18赤巻き

Img_1936Img_1931_2  この竿はNF16Hと並んで石鯛剛竿の代表的存在であった。NF16Hと基本的なところは変わらずに5本継ぎになっている。元竿の太さも全長も重さもほとんど同じ。調子も同じような感じ。だが、人によって5本継ぎだから胴に来るという人と、逆に胴が強くなって先調子だという人がいて、まったく逆の印象を受けていたのは面白い。いかにいい加減なものか。個人的には16Hより少しだけ先調子に感じてはいた。元竿から二番、三番あたりの胴は強くてほとんど曲がらない。しかし、実用上はNF16HもNF18も差異を感じない程度。正確には継ぎ数が多いか少ないかだけでは先調子、胴調子には直接的に結びつかない。つまり関係ないのだ。延べ竿、二本継ぎ、三本継ぎでも先調子、胴調子があるのは当然だろう。石鯛竹竿は三本継ぎの調子が良いと考えている人が多いかも知れないが、誤解があり先入観にとらわれているにすぎない。趣味趣向の問題がほとんどかも知れない。三本継ぎというだけではなんの意味もない。さらに、だいたい、二間半以上、三間程度の長竿の継ぎ数は少なくとも5本か6本になるのが自然だろう。淡水の竹竿はすべてそうである。淡水では逆に継ぎ数の極端に多い竿もある。そういう竿でも胴調子もあれば、胴がしっかりしてあまり曲がらないという先調子もある。しかし、なにかの理由で継ぎ数を少なくすることはあるだろう。東京荒磯のかつての例の竹槍石鯛竿は延べ竿の調子を生かしたいという思いと、下手な工作をして強度が落ちることを避ける意図があったはず。下手な工作で調子が悪くなることもあるだろう。竿師ではないのでそういう工作ができる人も限られていたはず。

NF18は使いやすかった。とくに持ち運びでは仕舞い寸法が短いということはそうとう違う。リールシートに巻いている白い布状のものはサクラから売られていたロッド保護用の商品で、これがないとリールシートに当たったロッドブランクに傷が付く。なかなか便利なものだった。

その後、18番の4本継ぎという製品が出てきた。たしか4.8m。元竿は17番よりも太く感じて安定感があった。17番と18番の4本というセットでもよく使った。

Img_1931 18番にはバリエーションがあって、写真のように口金の形状が違っていた。さらに、尻手環が付いていないので自分で取り付けている。こちらの方が初期のような感じがする。

また、元竿の上部に富士山のロゴマークのシールがあって、グラスロッド工業会、パテントと印刷されている。これはNFの竿のお約束であった。

NFTの石鯛竿は16、17、18、19という製品ラインであった。19番は4本継ぎで元竿はもっとも太い。石鯛竿とモロコ竿の中間のような感じであった。後日、NFのモロコ竿が生産されたが、19番とは別のシリーズであった。

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2007年10月16日 (火)

ミッチェル408

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スピニングリールで一台だけ挙げろといえば、このミッチェル408でしょう。理由はあまりカッチリしたものではありませんけど。まあ、雰囲気、名声、品格。ところで、国産のスピニングリールはとなれば、オリンピックの93でしょう。これほど普及して、誰でも知っているリールはなかった。その次に個人的には大森製作所のマイクロセブンを挙げたい。

ミッチェル408については、マニアがたくさんいらっしゃる。そういう世界とは無縁ではございますが、機構で押さえるところというと、回転軸にはスパイラルベベルギアで動力伝達、前後動には遊星ギアが採用されている。スピニングでは動力伝達ギアとしてはウォームギアが主流ですが、スパイラルベベルギアも少なくない。どこがどうなっているのか文章ではちょっと説明できそうにない。ネットで調べるといろいろ出てくるので興味のある方はお調べ下さい。

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遊星ギアによるスプールの前後動は見ていてはっきり分かる。遊星ギアはプラネタリーギア。適当な説明の引用では、((太陽のまわりを惑星(遊星)が自転しながら公転するのと同じような動きをすることから、その名が付けられた遊星ギヤボックス。))太陽ギアと遊星ギアがある。

投げる時のラインの繰り出しが良いだろうことは直感で分かる。見事にスプールに巻かれていく。ミッチェル408はコインでギアボックスが簡単に開くので見ると、簡素、簡単なギアが現れる。もう少し精密なギアが予想していたので拍子抜けだった。とにかく前後動装置は簡素。しかし複雑な動きを司るのだ。

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ところが、ギアマニアの中には大森製作所のマイクロセブンに採用された変形のスパイラルベベルギアの方が特徴があり優れているという説もある。軸を少しずらしていてより複雑なかみ合わせになっている。調べると、ハイポイドギアというらしい。マイクロセブンを買ったときに聞いたのは遊星ギアではなく単純な前後動だが、しかし動力伝達ギアは特許の変形ギアで、ミッチェルを真似たけど、技術的に工夫していて優れているのだ、、、とメカに詳しい先輩が教えてくれた。当時の釣り師の仲間内では、マイクロセブンの方が人気があり信頼されていた。ミッチェルの輸入量と価格に制約されていたと思う。小型高級スピニングリールはマイクロセブンで決まり、というような感があった。スピニングリールでは大森製作所は知る人ぞ知る企業理念のしっかりしたメーカーであった。お値段は少し高価だったが、精密感のあふれる立派なリールを生産していた。その後、独自性を捨て去り他社と同じレベルでの競争の中に沈んでしまい、消えて滅びた。

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その後、超小型スピニングリールでウミタナゴの浮き釣りをしたかったので、もっとも小さかったダイヤモンドミニというリールを買った。ごく普通のアウトスプールのリールである。これにもパテントと刻印されている。どこがパテントなのか。ついでに、408にはUSパテント、マイクロセブンにもパテントと刻印されている。

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2007年9月17日 (月)

初代NF16H赤巻き

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Img_1660 これは竿敏と並んで石鯛竿の代名詞である。世代にもよるが、石鯛を志す人なら名前だけは聞いたことはあるはず。というのはグラスロッド時代の最後までこの型番名称は継続されて現役だったからである。NFTは日本フィッシングタックルの頭文字であるが、日本のグラスロッドは同社が切り開いた。とくに磯竿の分野では石鯛竿でも振り出し竿でも圧倒的な地位を築いていた。そしていろいろな事情から業界から消えた。NFTは滅びた。この経緯はかってヤフーの掲示板において業界に詳しい人が連載していたシリーズがある。その当時、この貴重な文書を拝読し非常に感ずるところがあった。なんとなく知っている部分もあったが、業界の人がまとめた文書の迫力はやはり違う。ある人がこのまま埋もれて消滅するのは惜しいと転載保存してくれているページがあるので紹介しておこう。この人も立派だ。

http://basser918.ld.infoseek.co.jp/bass_history024rairai03.html

Img_1658 Img_1664 初代のNF16Hはすでに市場になく、ほこりをかぶっていた売れ残りを探して入手したものである。ダイダイ色の握り巻きでこれを通称赤巻きと呼んでいたのはNF17Dに書いた通り。フェノール樹脂の色は焦げ茶色である。NFTは並継ぎ竿の継ぎの部分の構造に関する特許を取っていた。工業特許は15年だと思うが、その間は独壇場であり圧倒的なシェアーと信頼を獲得した。他社の石鯛竿は継ぎの部分で折れてもNFTは折れないということがあったように聞いている。なぜか。グラスロッドは基本的に三角錐を何個かに切断した形状である。これを継ぐということを考えると、三角錐の先端は逆にラッパ状に広がらせて、末端はすぼまっていなければならない。ラッパ状の部分の肉の盛り方が特許だったのである。継ぎの少し下から盛り上げてある。その当時のパンフレットに誇らしげに書かれていたのを読んだことがある。とにかく名声を獲得した。大型石鯛はNF16Hでないと釣れないと。見るからに太く、強い。だが、それなりの重さがあった。体力のない釣り師は振り回され、疲れる。若かったのでなんとか使った。

Img_1665 Img_1666 Img_1667 NF16Hは竹の石鯛竿の剛竿を見本として設計したのは間違いない。そこで、小判東作の石鯛剛竿を比較として撮影した。しかし、元竿は16Hがかなり太い。長さはほとんど同じ。4本継ぎで3間1尺伸びの5.7mが剛竿の基本だとされていた時代があった。重量バランスはどうか。

       穂先   穂持ち    2番     元竿     合計

小判東作   90   240    330    730    1390

NF16H  60   170    320    780    1330

これを見ると、16Hはかなりの急テーパーである。とくに元竿の強さは、ほとんど曲がらないレベルであろう。逆にいえば、元竿を曲げる超大型までを守備範囲としているわけであるが、このレベルではプロレスラーか相撲取りの体力が必要かも知れない。超大型でなく、普通の大型であれば普通の体力でもなんとかなる。しかし、オーバースペックを使うという弱点がすべてであろう。17番はこの逆で、万一の超大型は取れないかも知れないという意識を持たされていた。実際はそんなことはまずないのであるが、そういう気分だけは否定できない。あくまでも気分である。

これに対して、竹の石鯛竿は剛竿といえども、元竿でも曲がることは曲がる。以前に書いた竹素材が持っている機能である。曲げの力に対する追随性である。経験者は知っているだろうが、曲がりから見てどんな大物がきたかと思う一瞬である。

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2007年8月29日 (水)

初代NF17Dいわゆる赤巻き

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磯釣り入門時代にはすでにNFの赤巻き竿はどこにも売っていなかった。いつごろ。昭和40年代末のころです。ところが、師匠をはじめ、石鯛釣りのベテランはこのNFの初代の赤巻きを使っている方が少なくなかった。いや、やはりすでに少なかったかな。コケが生えているような大ベテランだけでした。他の磯釣り会でも事情は同様。写真のようなダイダイ色の元竿の巻きであるがこれを赤巻きと呼んでいた。そして、竿の材質はフェノールの焦げ茶の肌色である。ただし、Dは総巻きであるので継ぎの部分しか見えない。その当時の現行製品はすでに黄色の材質の肌色に変わっていた。あるとき、売れ残りのNF17Dを見つけた。おや、赤巻きの売れ残りだ、よく残っていたなあ、と入手した。うれしかった。初代の17Dは総巻きで写真のように穂先まで赤の細糸で巻かれていた。しかし、ところどころ糸が浮いていて、空気が入っているのがご愛敬だ。細糸の上からエポキシで薄く塗り固めている。また、ガイドはハードガイドに変えている。オクトパスシートに改造した前の記事のNF17Dは似ているが、穂先までの総巻きではない。元竿と2番だけ巻かれている。

Img_1556Img_1559 Img_1558  その当時、年配の磯釣り師でNFの赤巻きを持っている方がいらっしゃったら、敬意を表して挨拶し、三歩下がって礼をつくしたものである。その方の磯釣り経験が分かるからである。あ、竹竿ならそれ以上の礼をつくした。もちろん知らない人でも師弟の礼であり丁寧言葉である。自分の手持ちの竹竿の本数が少ない時から竿敏や東正、東俊、東作などの外観、見分け方を知っていた。最大限の礼である。相手も悪い気持ちはしない。こいつは若いけれど竿敏を知っている。価値が分かっているようだということで、同じ石鯛釣りという趣味を持つ人間である。挨拶にしても、磯釣りの話にしても、だいたい幸福な時間が持てるはずである。では失礼します。またよろしくお願いいたします。ということで一区切りである。少しオーバーで誇張もあり、相手にもよるが、こんな感じだったと思う。釣りの組織が斜陽ではなかった時代である。釣り人は釣り会に、釣り会は上部連盟に参加しようというスローガンが意味のあった時代。

ということで17番は万能竿。神津や三宅の三本など、大物の可能性のあるところでは16番か18番というのが定石であった。だいたい、16番と17番、あるいは18番と17番の剛竿、並竿というセットで持っていくことが多かった。伊豆や房総、あるいは大島では17番を2本というのが常道だった。

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2007年8月27日 (月)

NF17Dの改造

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アクセス解析の検索ワード分析を見ると、竿の改造というワードとグラスロッドというのが多少だけど目立つ。といってもたまたまのことだろうが、ブログの中にこういう言葉をたしかに使っているから検索でヒットするのだ。しかし、そういう情報を求める目的からいうと、書かれている文章の内容は程遠いはずだ。申し訳ない。で、多少は関連する内容を少々。あのうですね、各記事の下にコメントってありますけど、そこをクリックすると書き込めるようになっていますから、なにか注文があれば書いていただければ、出来る範囲内で対応いたします。できる範囲ですから過度の期待はしないように。もちろん、よくわからんとか叱咤でもよろしいです。迷惑コメントは無視しますけど。

石鯛のグラスロッドの改造です。遠い昔のことですが。今でもこれは立派に使えるでしょう。なんだか使いたくなった。カーボンに比べると弾性率が低いのでずるずると食い込みに順応するのがグラスです。NF17Dはグラスロッド時代の代表的な石鯛竿のひとつです。改造したのは初代のNF17Dではありません。初代NF17Dはさすがに改造する気になれない。でも、グラスロッドの石鯛竿でひとつだけ挙げるとするとやはり初期赤巻きのNF16Hかな。歴史上の石鯛竿といっても良い。

まず、リールシートをオクトパスに付け替えています。これは以前の記事にもありますが、パイプシートよりも明らかに良い。金ノコで斜め螺旋にパイプシートを切断します。螺旋に引いていくと意外にロッド本体を傷つけないで切断できます。ついでに取り付け位置をかなり下げました。

Img_1550 Img_1547 Img_1552 それからラインガイドを大型に付け替えました。写真でも分かりますが、2回り大型の巨大なものを元竿に付け替えました。ハードガイドです。大型のものはけっこう高価でした。比例してそれぞれ以下のガイドを大型に変えています。そして遠投用穂先と弱調子替え穂を揃えました。標準とで3本の穂先です。遠投用のガイドをごらん下さい。先まで投げ竿なみ。遠投用は穂先を15cm以上カットしていますので、40号以上の錘が使えます。標準穂先では普通に30号、弱調子穂先では15号くらい。穂先収納は元竿に2本、二番に一本入り、3本仕舞いになります。弱調子穂先はメーカーのNFTでそういう製品があり、パーツ部品として販売されていました。ガイドはそのままです。

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2007年8月15日 (水)

寿作のマブナ竿と水桶

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マブナ竿は三本仕舞いが定石。二本仕舞いにできない理由は、テーパーが緩くて、尺フナや鯉などが掛かることもあり、竿の力が必要なので内側を削れないためとされる。3間なんていう長尺竿はまずないので、比較的短い切りで継ぎ数が多いというのが普通。この竿は標準中の標準で2尺切り9本継ぎである。小継ぎ竿のコミは短く3寸、9cmしかない。3尺3寸切りのコミはだいたい4寸、12cmある。

Img_1399 Img_1401 東作直系の寿作っていうと舟の小物竿じゃないのという先入観があるが、どう見ても寿作の焼き印であることは間違いないであろう。なんで寿作がマブナ竿。まあ、マブナは竹竿の基本だから。作りはごく普通。

Img_1398 竿尻の筋巻き3本がかなり太いことが目立つ。手持ちの中でこんなに太い筋巻きは他にない。淡竹元ではなく矢竹元。

Img_1397 穂先は常道の削り穂であるが、物差しの単位のように筋が引かれている。口栓は高級竿でも付けないのがマブナ竿のお約束である。

Img_1394 Img_1396 重さは160g。長さは2間半、4.5mである。少し長い方かな。丈三から2間半くらいがまあ普通だろう。テーパーが少なく手元が細いので多少の持ち重りは仕方がない。写真の水桶と共に亡父の遺品である。とくに水桶は捨てられる運命であったのを、ちょっと待って、捨てないでと助命した。こんなきたないゴミだから捨てるよ、、、、普通はそうなるのも致し方がない。母はおとうさんの釣りを多少は知っていても、水桶なんて使わないもんねえと判断したのだ。かくて、世の中で捨てられた水桶はどのくらいあることか。よく見ると、なかなか味がある。水を入れたら、多少漏れている。なんとかしてみよう。

Img_1392 Img_1393 Img_1391 しかし、魚を入れる落とし口が小さくないか。これじゃあ、ほんとの小鮒しか入らない。秋のいわゆる柿の種釣りなのか。クロダイだったら当歳というんだけど、マブナは何というのかな。そういう使い方だったのか。ふたを開ければいいんだけど。あるいはヤマベだったら話は分かる。それと、水を入れたら重くてとても胸には下げられない。こういうのに詳しい人ってあんまりいないと思うが、わたくしは石鯛釣り主体の人だから知らなくても普通だよね。

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2007年8月 9日 (木)

竹のタナゴ竿と水箱

Img_1362 竹のタナゴ竿と水箱

うちにも、竹のタナゴ竿と水箱ありまっせ。というだけの普及品。実は亡父の遺品。亡父はごく普通レベルの釣り好き人間だった。水箱はベテランの誰かから貰ったもの。そういえば、貰ったものが多い。

水箱をネットで調べてみると、ほとんど同じものが見つかった。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/ngmpq122/comment/20050130/1107036473

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Img_1367 これを見ると、どうも昭和50年代の箱考らしい。箱考が亡くなって、水箱の専門職人はいなくなったらしいことが分かった。横巾は203ミリ。えーと、6寸7分ということになるのかな。で、葛島一美さんの(釣り具CLASSICOモノ語り)を見ると、11ページの上段の真ん中の写真がやはりほとんど同じだった。でも、塗りを見ると素人の塗りだから後塗りのようだ。そのうちに自分で塗り直してみるつもりだが、どうなることやら。何回も研いで拭き塗りすればなんとかなるかな。まだ、自分のネームの焼き印を押していない。どこに押すのが様になるのか思案中。横の下あたりだろうが、白木に押す焼き印が一番で、黒塗りの上からではまったく良くない。焼き印の後に塗って平らにする手がある。色が問題。赤では目立ち過ぎ。グレイあたりが良いか、焦げ茶かダークグリーン。この塗りはやったことないが、塗って拭きを繰り返せばうまくいくような気がする。うーん、かっこいいと思う。本邦のマニアの中でもハイレベルだ。

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タナゴ竿は153cm。穂先はグラスのソリッド。ここは普通は削り穂、けずりっぽのはずだが、普及品なのか、後修理なのかわからない。無銘。

竹のタナゴ竿はギルのいるところでは怖くて使えないと聞くし、最近は水箱はほとんど使わずにリリースするのが普通らしい。でも、数釣りの場合は口を切るわけだから、リリースしても以後の生存率はどうなのかな。昔、タナゴ釣り大会で口が切れていないから、釣ったのではなく不正だとかいわれたというお話は自分が知っているくらいだから有名ですよね。

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2007年5月 5日 (土)

二宮金次郎に見る背負子の研究。

ヤフーで検索したら、いくらでも出てくる。その中で、二宮金次郎の像の写真がたくさんあったのがこれ。

http://www.geocities.jp/journey4web/Trv/TRVNinob.html

もうひとつ。

http://rokusayo.milkcafe.to/haikai/pages_k/tokaido/tokaido_ex03.html

にのきん、と呼ばれていて、すでに人気なのだ。にのきんか、ちっとも知らなかった。

八重洲ブックセンターにある像は金色。いわれてみれば、そうだった金色だ。だから金次郎なのか。しかし、うちの小学校にはなかった。昔はあったのかな。いや、新宿区にはほとんどないのじゃないかな。小学校に像が設置されたピークは昭和10年から15年。国民小学校時代かな。戦時体制下の金属供出ですぐに取り去ったのもあるらしい。そして、すぐに敗戦となる。軍国主義当時の国策であったので、戦後民主主義の風によって撤去されたのもあるだろう。

駒込の吉祥寺に尊徳の墓があるという。こちらは、「きちじょうじ」ではなくて「きっしょうじ」と発音するのは知っていたが、二宮尊徳墓はまったく知らなかった。今度行ってみよう。金次郎像もあるという。

二宮金治郎の銅像は高岡あたりの鋳造銅器メーカーが同じ鋳型で大量生産していたようだから、同じものがあるのは当然だろう。石像はそれぞれ違うが、見本を見て作ったように感じられる。

おもしろいのはこういう研究をけっこう複数の人がやっていること。その中には、不毛なことを尊徳先生お許し下さいと墓に参拝したとか。うーん、二宮金次郎の背負子の現物探求からスタートしている当方もひけは取らない。不毛レベルはこちらが上かも知れない。なに、金次郎の背負子を調べているのかいな。とほほ、、、と嬉しくなる。ならば、二宮金次郎像に見る背負子の研究というテーマが浮かんだ。これで、もう一段不毛レベルが上がった。超専門的レベルに到達だ。

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2007年5月 3日 (木)

背負い子で二宮金次郎

えらいものに手を出してしまった。重要文化財の方ではなく二宮金次郎の方を探していたら、手頃なのがあった。おもしろいものも付いていた。え、ヤフーオークション。

パイプフレームの普通の背負子と大きさはほとんど変わらない。このパイプフレームはかなり頑丈で作りもしっかりしている重量級用途だ。もっと軽いフレームの背負子が他に二つあったのだが、行方不明。伊豆大島の地磯を駆け回った磯釣り入門時代の若い頃に使った。イワシミンチの一斗缶を担いで秘境黒崎に降りていった。公園下などの裏磯なら、一斗缶でも楽だったが、黒崎はつらい。ここまで行く人はほとんどいなかった。地図で見ると理解できる。

入手した背負子は多分樫だろうと思う。杖が付いている。ちょうど樫の木刀のような材質。写真のように支えて休むためのもの。焼き印が入っている。ヤマに丑と読める。五ではないと思う。やまうし。五ならやまご。この背負子は横木の爪が入っていない。ロープでくくりつけるだけ。その地方の伝統による。多分、この調査研究の資料はどこかにあると思うが、、。あるいは後つけで適当な横木を工作してみるかか。

竹の背負い篭なら慣れているから釣り竿を持ってそのまま電車に乗ってなんでもない。この二宮金次郎はどうかな。非常にかっこいいと思うのだが、一般的大衆の感覚の乖離がないことはない。

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背負い篭その3

角形の二つの篭はだいたい同じ大きさ。細く割っている竹で編んでいる方の産地は茨城の田舎。釣り会の会員の田舎にある竹篭屋から来た。他方は釣り道具屋で見つけたもので産地不明。背負い紐はメリヤスを細くカットしたものを織り込んでいて肩に痛くないような方式。適度に固く心地よい。竹篭をネット販売している業者があるが、この背負い紐を連雀といっている。

丸型の篭で細く割っている竹の方は川越産。他方は奄美大島産でこちらの方が作りはしっかりしている。川越産で大きな丸篭があったのだが、見た目の強度が弱そうだったので求めていない。篭の上部には網を取り付けてあり、すぼめると中のものがこぼれないようにしてある。

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2007年4月25日 (水)

背負い篭その2

まず、芭蕉の弟子の曾良が奥の細道で師匠のお供をして担いでいた笈の現物の写真。(松尾芭蕉・おくのほそ道文学館   資料展示室のHPから写真引用)曽良の菩提寺である諏訪市・正願寺に保存されている。磯釣に使っている背負い篭とほぼ同じ。これを見つけて感動した。なに曽良って知らないって。弱ったなあ。笈という言葉も知らない。これは仕方がないかも知れない。世代ではないな、人による。知らなくてもなんでもない。

山伏が背中に背負っている箱。映画で見たことあるでしょ。見たことないかな。だいたい四脚式を担いでいる。これを箱笈という。二脚式もあって、これを板笈、または縁笈という。二脚式が背負子で荷物をくくりつけて使う。農作業でも使われる。薪を背負って本を読んでいる二宮金次郎ね。二宮金次郎知らない。弱ったなあ。メインフレーズは弱ったなあ。かな。これが基調リフレインとなる。

農作業の方ではなく、二脚式の昔のやつで手ごろなのがどこかにないかなと思っていたが、重要文化財になってしまうらしい。宝物殿にあるといっても、ちょっと本物を入手したくても不可能。

それほど古くなくても、農村の民具の背負子はどこかにあるのじゃないかな。アルミフレームの背負子はウチにも複数あるけど。

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2007年4月23日 (月)

背負篭その1

ほんの少し昔。主に千葉、茨城から東京に農産物などの行商に来るおばちゃんの軍団がいた。背負篭と唐草模様の大風呂敷包み。紺絣のもんぺ。足は地下足袋だった。頭はあねさんかぶりの手ぬぐい。この背負篭を連尺、または連雀という。また幅広の背負い紐を連雀という。行商人のことも連雀という。連雀町という地名が各地にあるが、行商に関係する。また背負い紐や篭を作った場所にも由来する。神田にあった連雀町は行商人が住んでいたからとも、背負い紐や篭を作ったからともいう。その両方だったのだろう。三鷹の地名は江戸の連雀町が大火で焼けて移転した行商人に由来するらしい。

しかしながら、江戸の行商は天秤棒を担いだスタイルが思い浮かぶ。商品にもよるが、平坦地では天秤棒主体と変わったのではないか。天秤の前後の荷物を一荷という。釣りで2匹同時に釣れたときに一荷で釣れたというのはこれに由来する。それを知らないで使っている釣師は少なくない。それ以前に、そもそも一荷という言葉を知らない釣師が多い。よくてなんとなく聞いたことがある程度。当時、一荷の重さは12貫、45キロまでを担ぐとされた。ちょっとその筋を調べてみると、天秤棒はべたべた歩くと重いばかりだが、急ぎ足でリズムを取って歩くと、天秤棒がしなり、重さを受ける時と、重さを感じなくなる時と交互にくる。こどものころ、田舎にあった天秤棒をさわったことがある。ゆるく湾曲していて、両端に滑り止めの突起を出している。竹のようにしならないと天秤の役に立たない。

そうした、瞬間、瞬間力を入れて押し返すような担ぎ方をマスターすると軽く8里歩いた。32キロ。天秤棒を使わないととても無理らしい。天秤棒を担ぐのはアジアの共通した風景だが、東南アジアではまだ街角にいくらでも見かけるらしい。アジアは天秤。

ここまでは脱線。次は背負い篭に戻して述べる。つまり、磯釣の世界で使われていたのだ。

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2007年3月22日 (木)

かにかご

釣り場近くの老舗釣道具屋には地元の釣道具小物などのいくつかが必ず並んでいたように思う。30年前から40年前の話。最近はどこでもほとんど同じ。同じ商品、同じ流通、同じ販売。全国チェーンのファミレスやファーストフード店を見るようだ。最近、スローフードな人生という本を読んだ。食に関わる地元の多様性、地元の個性、歴史と伝統というようなことをイタリアの取材から語っている本だ。内容は良かった。Img_0699_3 Img_0700_3

竹製品の衰退。日本では竹細工の数々は多種多様な場面で、有効にかつ巧妙に利用されていたのはご存知の通り。たとえば、ざるなんてどこの家庭にもあったのが今は探してもない。プラスティック製ならあふれている。

釣道具のかごは地元の竹かご製造屋さんが細々と作り、地元釣道具屋に納入していたのだろう。需要の減少が主因なのか、たけかご職人の減少が先か。とにかく絶滅したに近い。竹かごの有名産地の中には高級品とか芸術品として、残っているところもあるだろう。花器に多い。一般庶民の民具としてはすでに絶滅危惧種になった。

40年近く前の磯釣入門当時でも竹カゴなど、あまり見向きもされなかった。考え方と感受性の違いだ。カゴを見つけて好感を持ち、いいなあと思った。もうひとつ欲しいなあ。だいたい予備を揃えることが多い。昔から正と副でセットだと決まっている。バリエーションがあれば、それもできれば揃えるべきだと考える。となると最初からなんらかの重症患者であったのかも知れない。気持ち的には無用な物欲はセーブすべきものと考えているのだが。?????この場合、無用ではないとなるのだ。これは重要であり意義があるとなるのだ。

このかごはカニカゴで、大きい方はイソッペ、ショウジンガ二も入る。産地は真鶴半島。小さい方はイソガニ用で産地はたしかひとつは下田、ひとつは房総だったと思う。小さいサイズももっと独特な形のものがあったのだが、行方不明。

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2007年3月14日 (水)

焼き印

磯釣入門のころ、情緒派の一家言を持つ、うるさ型の数人の先輩たちの間で焼印が流行った。その流行った当時のほんの数年前に高田馬場の変哲もない金物屋にメジャーな名前に限るが、出来合いの焼印があったというから驚きだ。これが田舎だったら分かる。都会でそんなことがあったのか半信半疑だった。昭和40年代の中ごろ以降かな。

温泉旅館の下駄には屋号の焼印が当たり前のように押してあった。当時のお風呂屋さんの木の桶にもあったように記憶する。田舎だったら、やはりその家の屋号の焼印が下駄や木製に道具すべてに押されていたのだろう。そういうのを見た記憶はある。

明るい戦後の民主主義の時代の子供だったから、そういう田舎の当たり前の焼印というのは身近なものではなく、新鮮なものだった。そしてそんな焼印は東京ではまるで見られない時代で、先輩が入手したと聞いて自分も欲しいと思った。実は簡単で判こ屋さんに誂えで注文すると専門業者に通してすぐに作ってくれたのだ。今ではどうだろうか。需要はほとんどないと思う。

焼印を押した焦げ目は実に存在感がある。とてもけなげに実直に自らを見るものに訴える。まさにそういう役割が焼印なのだ。名前か屋号だが、きっぱりと知らしめる。達筆に人が筆と墨で名前を書くのは格調があって、恐れ入りましたとなるのだが、かな釘流の筆ではまったくもって自己消沈するのは意義がないところだろう。ところが焼印はきっぱりと清く正しいのだ。押せる道具はみんな押したい。しかしながら、木製の道具がそもそも少なくなっている。釣り道具も然り。大物竿には木製の石突きというものが付く。焼印には適当なものだ。木製餌箱は写真の通り、たいへんよろしい。

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これは角判だが、丸に一字の阿が入った焼印をその後入手した。なんと出来合いであった。子供が小さい頃に、夏の館山の旅行。土地のお祭りがあったのでみんなで夜店をぶらついた。都会の夜店と同じだが、田舎の夜店もあった。なんだか家庭の実用品も売っている。砥石とか、包丁とか、ざるとか。ベニヤ板に穴をたくさん開けて焼印を刺している。握りの木は買ったら、叩き込んで付けてくれた。いやー、こんなもの売っているのか、いいぞ、いいぞ、でもやはり田舎だな、需要はあるのだなと感心したものだった。

下駄に押したのはずっと昔だ。新しい下駄でも買って、焼印するかな。お祭りで神酒所の世話人やっていて雪駄だけど、下駄にしようかな。

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2007年3月13日 (火)

三浦のカイズカゴ

三浦のカゴは複数の地元釣り道具屋で何回も見たことがある。30年くらい前だが商品量はかなり出回っていたようだ。大きさは3種類くらいあった。この写真は小と中。大があったのだが、行方不明。中よりも一回り、いや相当大きい。中型のクロダイでも余裕で大丈夫。基本的な使い方は、ホンダワラなどの海藻を獲ってカゴにいれておく。

三浦のカゴは内房のカゴに比較すると、なんとっいっても曲線美。身体に接する側は写真の通り、平らになっている。造形の美はなかなかのものだ。身体に付けているだけで、たとえ釣れなくても楽しくなる。移動する釣りに本領を発揮するわけで、コマセを使う磯釣が浸透してしまったのだけれど、それ以前の道具かも知れない。昔の道具というわけだが、本当の味わいがある。玩物喪志というコトバをご存知か。知らなければ、それもまた良い。クロダイカゴとはいわないで、たしかカイズカゴだった。

ふたは穴が開いていない。タコ糸でふたを結んでおくのが約束。小さいほうはウミタナゴ釣りにピッタリでよく使った。和竿の3間、5.4mの強めのハヤ竿がぴったりだった。仕掛けは5連か6連のしもり浮き。

そういう釣りをやりはじめた10年か15年前ならば、別に珍しくないスタイルだっただろう。自分がやりはじめた時代はすでに珍奇な目で見られていた。探せば、そういうハヤ竿がほこりをかぶった売れ残りとして釣り道具屋に少しは残っていた時代。Img_0641_edited1

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2007年3月12日 (月)

カイズかご

古民具というカテゴリー。それぞれの地方には昔から作られてきたあらゆる民具があるが、似たような道具でもその地方の特徴があり、その筋が絶えないで伝えられてきたことはご存知の通り。磯釣師としてすぐに目につくのは、獲物を入れるカゴ。しかしながら、売り物に出会うことは最近では少ない。

見たとしても、古民具に関心がない人は目がすべって、意識に残らない。一期一会、関心のある人なら、出会ったら入手しておくべきだった。そういうものがいろいろあった。これは今現在の小生の反省。本当は現実的には古いつまらないものかも知れない。

このカゴは30年以上前、内房の古い釣具店で売っていた。値段は安くはなく、その当時でも稀少品だった。つまりレアアイテムだった。その当時から釣りは釣果ではなく、それをオーバーラップするすべての情緒を味わうことなのだと思っていた。ははは、実存的インテリ釣師か。青い。青年時代のお前はサルトルかハイデッカーの筋か、柳田国男も読んだけどね。ほとんど死語であり通用しないな。しかし、いまでも民俗ということには関心がある。

このカゴは内房型であり、三浦のカゴとまるで違っていた。三浦のカゴは別にアップする。内房の小磯の伝統的釣り物であったチンチン釣りに土地の釣師が誰もが使っていた。チンチンというのはクロダイの当歳で大集団を成して内房を館山まで南下する。その移動スピードはかなり速い。Img_0638_edited1 Img_0640_edited1 Img_0639_edited1 やってきたぞ、という情報で、立ちこみの長竿、テンヤ仕掛けで打ち込んで釣る。土地の釣りであり、これは民俗の釣りといっても良い。

この釣りが成立していた終盤の時代に数年釣りを楽しんだ。なんだかこの釣りは消えてしまったようだ。釣れなくなったのか、こういう釣りをしていた土地の釣師が老齢でいなくなったのかよく分からない。

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2007年3月11日 (日)

釣車考

幸田露伴に釣車孝という一文がある。あ、明治の大文豪。中学の教科書に五重塔ってありましたけど、え、まさか知らない人いないよね。
釣師なら幻談って小説は知っている。伊豆大島の釣りの紀行文も文庫で読んだ覚えがある。下田に行ったり、大島に行ったりしていて、汽船の交通の便はそのころとあまり変わっていない。隅田川の霊岸島が発着だった。現在の中央区新川で茅場町のそば。

中国の唐代の詩人で、陸亀蒙という人がいた。釣車と題した詩がある。これが最初にこの道具に関して記述されたものらしい。日本でいうと奈良朝の早いころです。下って宋の時代、馬遠という画家が有名な 寒江独釣の図 を描いている。どこかでみたことがある人が少なくないでしょう。あ、あれか、という方。あれです。このようなことの周辺を詳しく書いているのが釣車考の内容となっている。

うちにもその図のある本があるけど、出てこない。

これとほとんど同じものが、鹿児島で車竿として細々と作られ、売られている。ネット仲間の情報で知り、東京に送ってもらったものがこの写真。竿と一体となってはじめて用を足すことは写真を見たら分かる通り。だから車竿という名前なのだ。車の装着とその機構上、第一ガイドが真横にある。台湾リールという名称でImg_0634 Img_0635 も聞いたことがある。

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2007年3月10日 (土)

古いリール

古いリール

長年やっていると、リールの山。100台あるかな。それはオーバー。ほとんど両軸。スピニングは10台あるかどうか。

まず、古い片軸リール。刻印を見ると、オリンピックが上野精工といっていた時代。シルバーフォックスと読める。多分新品の時は銀色に輝いていたのだろう。オリンピックのマークは飛び魚と五輪マークだった。なつかしい。

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こっちはあまり古くない。オリンピックのミゼット最上位の200でドラグとついている。ダイレクトリールでハンドルはスプールと同調して常に回転する。ABU1750のようにフリースプールにすることができない。つまり投げても飛ばない。遠投性能はまったく考慮していない。黒鯛用といっても良いだろう。1750にはない逆転ストップレバーはある。大きさは1750よりも少し小さい。けっこう売れていたリールだった。ギア比1対3くらいかな。ドラムがちいさいので巻き取りは遅い。

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これはいわゆるタイコリール。ごく普通のもの。慣れるとけっこう使いやすい。堤防の短竿の黒鯛と小物釣りの定番。長竿でも使っている人が多い。ギアがないので1対1だが、タイコが大きいので巻き取りは遅くはない。

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次はペンのもっとも簡便なタイコリール。大雑把なアメリカで初心者が安いリールで釣りをという用途だったのだろう。機能的にはなにもない。写真を見れば分かる通り。上のタイコリールと同じ。ただし、クリックがある。

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2007年3月 9日 (金)

Shakespeare

Img_0607 Shakespeare

いえ、リールです。あちらの大御所ではありません。
1986年創業だから、イギリスのハーディーとかいうほどではない。
このリールはOCEAN PRINCE NO2226 と刻印がある。大きさは普通の石鯛リール程度。
機能もまったく同等。
ずっと昔に入手したが、その当時でもお遊びのアンチークとしてだ。西洋アンチーク雑貨店
みたいな店で買った。一度も使ったことはない。
その当時、旧型ライカの世界にはまっていた。ライカのシリアルナンバーには入れ込んでいた。
ライカに比べるとリールのお値段はいうも野暮で。
シリアルナンバー、そりゃなんですかという方。あなたは健康です。
カメラにもレンズにも固有の生産ナンバーが刻印されている。同一モデルはすべて生産順
の連番がふられている。

非常におもしろいのは隠しシリアルというべき符号。リールシートの裏にごくごく小さく
刻印されている。シェークスピアリールのそれはどっかでなにかで読んだことがある。

調べてみると同社のホームページにあった。

Compare the two letters to the numbers and letters on the chart below.
Example: Reel model number 1744FM. Match the letter F with the number 5 and
the letter M with the number nine. This means this reel was first produced in 1959.
Shakespeare Reel Series Dating Formula
1 2 3 4 5 6 7 8 9 0
K J H G F E D C B A
V U T S R Q P N M L

なるほど、このモデルは写真の通り、HFとある。1935年モデルということが分かる。

Img_0608

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